第三章 飛来! ロリコンドル

第1話 まったく、小学生は最高だぜ

「これを表にまとめると、1,1,2,3,5,8,13、21、34、55……となってるわけ。これで何か気づく人!」


 ビシッとスーツを着込んでネクタイを締めた本間充が教壇に立ち、ホワイトボードに数字を書き込んでいく。彼の前には小学五年生の少年少女たち。


「はい!」

「では小林君」

「フィボナッチ数列です!」

「その通り!」


 中学受験を志す小学生たちにとっては常識である。充自身は中学受験の経験が無いので、フィボナッチ数列の存在をはじめて知ったのは『ダヴィンチ・コード』を読んだときである。中学生の頃だったか。


「どういう数列か説明できる人は?」

「はい!」

「はい!」

「じゃあ大森君」


 もちろん小林君の手が先に挙がっているが、ここで新たに手の挙がった大森君を指名する。集団授業を活気あるものにするには、一方的な講義形式では駄目だ。個々の生徒と向き合わねばならない。優等生だけが活躍する授業もサイアクである。


「えーと、前の二つを足して、次の数になりまぁす!」

「オーケー、ありがとう。というわけで、表にしてみると規則性があることがわかって、答えは89ってわかるわけ」


 生徒たちが板書している間に、ちらりと時計を見る。まだもう少しある。ここは充のバイト先。進学塾イーネの小五Aクラスである。高い授業料を親に払ってもらっているわけだから、今日のカリキュラムが消化できたからと言って、授業を早く終わってしまうことはできない。


「おっし、ノートとれたな? じゃあオリジナル問題を出します」

「おぉ!」


 子どもたちは純粋というか単純というか、可愛いもので教科書やテキストから逸脱したものが大好きである。充自身も、テキストに書いてある内容よりも、勉強を教えてくれた兄の雑談ばかり記憶に残っていたりする。


 ちなみにその兄とは、彼が大学に入ってからほとんど音信不通である。もう十年近くになる。祖父もそうだが、まったく行方不明が多い家族である。兄さんは元気にしているだろうか……。


「0,0,1,1,2,4,7,13,24,44……」


 気を取り直して、充はホワイトボードに再び数列を書き始める。背後で勘のいい小林君はすでに手を挙げているのがわかる。だがまだ気の付かないフリをして当てない。


「さて」


 振り向く。ノートの端に何やら計算していた岡田さんがパッと顔を上げる。


「お、岡田さん。わかった顔してるね」

「……三つ足して、次の数……」


 少女はぼそぼそと答える。


「いいね、正解!」


 岡田さんは表情をゆるめそうになるのをこらえている。ここではクールキャラを気取っているのだ。


「小林君、これ何数列っていうか知ってる?」

「トリボナッチ数列です!」


 ここらで小林君の承認欲求も満たしてあげる。「トリボナッチ」とホワイトボードに記す。


「三つ……トリプルだからトリボナッチね。四つだったらどんな名前でしょう?」


 これには小林君も手が挙がらない。


「あ、ちなみにこれはテストに出ないからね」


 一応言っておく。先生がホワイトボードに書き込んだものをすべてノートに転写しないと気が済まない子もいるからだ。ここはリラックスしていていいのだと空気が読める大人になってほしいものだ。そこで、


「あぁーーーーーーテ・ト・ラ・ポォットのぼぉってぇ~」


 リラックスを促すため、充は突然熱唱し始めた。こういうのは中途半端にやる方が恥ずかしいのである。職員室まで聞こえるくらい、全力全開!


「あ! その歌知ってる!」

「お父さんの車でよく流れる!」


 うーん、そのくらいの世代だよな。


「おいおい、せっかく身体張ってヒント出してるんだから、真面目に考えてくださーい」


 どう考えても授業中に絶唱し始める先生の方が真面目から程遠いわけだが、その矛盾も彼らの笑いのツボをくすぐる。


「わかった。テトラナッチだ。テトラポットって足が四つある!」


 教室の後ろの方から加藤君が声を上げる。


「さすがー」


 とかなんとか言いながら、クイズ大会。5は五芒星ペンタゴンをヒントにしてペンタナッチを導き出す。6は同様にしてヘキサゴンからヘキサナッチ。クイズヘキサゴンはもうさすがに誰も知らないのでヒントにならない。7のへプタナッチはよいヒントが思いつかないので募集中。8はタコ足八本の絵を赤ペンで描いてやって英語の勉強。オクトパスからオクタナッチ。9のノナナッチもちょっと考え中。オチはこの後である。


「さぁいよいよ十まで来たな。英語で十年のことをディケイドっていうんだが……」

「仮面ライダーだ!」


 大森君が目を輝かせる。平成ライダー10周年プロジェクトを令和の子どもたちが知っているものか不安だったが、知っている子もいたようだ。父親がニチアサオタクなのか、あるいは母親がガクトファンという線もあり得るな。


「ふむふむ」


 言いながら、ホワイトボードに「DECADE」と書き込み、「DECA」にアンダーラインを施す。勘のいい小林君はすでにニヤニヤしている。岡田さんも気が付いたようで、笑わないように態勢を整えている。


「まさか……デカナッチ!?」


 お調子者の大森君がフライングで答えを言ってしまう。真面目な授業だったらイエローカードだが、今は雑談中だから見逃そう。


「たしかに10個も足していたら、数はかなりデカくなるな」


 小林君がそんなことを言う。授業残り時間は二分。


「君たちは優秀なクラスだから、十二まで教えておこう」


 ちょっと時間が足りないからクイズはやめ。仕上げにかかろう。


「十一は、十に一つ足して……ウンデカナッチ!」


 発表すると、雑談タイムになってから急に元気になってきた加藤君がすぐ反応する。


「ウン……が、デカい!」


 小学生は下ネタが大好きである。ウンまでしか出ていないが、おそらくみんな同じものを創造している。


「さぁ、どれくらいデカいかと言うと……十二は、ドデカナッチだ!」


 一同爆笑。クールぶっていた岡田さんも机に突っ伏してひくひく痙攣している。授業終了のチャイムが聞こえない。


「はい、じゃあ今日は終了! ウンデカ、ドデカばっかりメモってないで、宿題メモれ~」


 小学生の授業が終わると、ほとんど間髪入れずに中学生の授業が始まる。後半戦開始だ!


   ◆授業後――進学塾イーナ職員室


「本間先生、今日も盛り上がってたね~」


 本日担当分の授業が終わり、職員室の椅子にもたれかかって休憩していると、塾長の栗林先生に肩をポンポン叩かれる。


「あ、すいません。うるさかったですか?」


 即座に姿勢を正す。


「いいの、いいの。本間先生の授業は人気だし。カリはちゃんと消化してくれてるし。生徒が楽しく辞めずに通ってくれれば、サイアク学力伸びなくても儲かるから!」


 栗林先生はガハハと笑って非常階段の方へ消えていった。残業前の煙草休憩だろう。塾業界というのも大変だ。


「本間くんはすごいよなぁ……」


 突然充の背後にぬっとあらわれたのは、同じ大学の工学部四回生、高山さんである。小太りな体型とリクルートスーツのサイズが絶妙に合っていない。


「あ、高山さん。お疲れ様っす」


 先輩から羨望のまなざしを向けられても、謙遜すればいいのか誇らしげにすればいいのか反応に困るので聞こえなかったフリという第三の選択肢に。


「本間くんは、教育学部だっけ? 教師目指してるの?」

「はい。小学校の先生を目指してます」


 塾には塾の良さがあるが、充が目指すところは公教育である。塾の先生になるのに免許はいらないから、教員を目指す大学生にとっては大変ありがたい職場である。


「高山さんは、なぜここでバイトを?」

「俺はここの卒業生なんだよ。大学受かった瞬間から、クリちゃんに捕まえられたってわけ」


 クリちゃんというのは先ほどの栗林塾長である。いつだって人手不足な塾業界は、そういう師弟関係でバイトを始めたり入社したりする人もしばしばいるらしい。


 ちなみに充自身は兄に勉強を見てもらうスタイルだったので、塾に通ったことはほとんどなかった。高校三年の時に大手予備校の季節講習を少し受講したくらい。


「優秀な生徒だったから、狙われてたんすね」

「よく言えばね」


 高山さんはまんざらでもなさそうにフフッと笑った。我々は連れ立って退勤し、駐輪場へ向かう。栗林先生は少々やさぐれているが、学生バイトを無駄に拘束したり無意味な終業報告を求めたりしないところはポイントが高い。


「聞いてくれよ、今日、中二の奥村と辻がさぁ……」


 高山さんとはあまり二人で話したことは無かったが、どうも今日は饒舌である。愚痴を聞いてほしいのだろう。


「休憩中にトコトコやってくるから、俺のこと好きなのかなぁと思ったんだけど」

「いや、なんでそうなるんすか。発想の飛躍!」

「冗談、冗談……それで、何か質問でもある? って聞いたら。『先生、カノジョいますか?』だってさ」

「中二女子にしてはレベルが低い質問っすね」


 奥村と辻は、中二標準クラスのちょっとギャルっぽい二人組だ。


「って、思うじゃん? だから俺はこう言ったんだ『もちろん、いるよ』ってね」

「そうすると、二人はなんと?」

「『ウソだー、ギャハハハ』って」

「カノジョ、いるんすか?」

「まぁ、いないんだけど」


 奥村、辻……正解。


「それで、何なんだよって思ってたら、本題は『本間先生にカノジョいるか聞いてほしい』だとさ」

「ほー」


 中二標準クラスは充があまり入ることのないクラスだ。季節講習のときにちょっと授業をするくらいか。


「あいつら、お前に気があるんだよ。盛ってるよなぁ」

「はー、そうなんすかねぇ」


 嫌われるよりは好かれたいが、さすがに十四歳の中学二年生は、彼女の有無に関係なく恋愛対象にならないので何とも思わない充であった。


「で?」

「で? とは?」

「カノジョ、いるの?」

「はい」

「くぁああああああああああ、そうだろうなぁああああああああアア!」


 変に気を遣って嘘をついても、それはかえって高山さんを傷つけてしまう……と思って正直なところを即答したのだが、どっちにしても傷つけてしまったようだ。なんだか語尾の方は怒気すらこもっているし。


「では高山さん、お疲れっした! 僕はこっちなので!」


 怒りの矛先がこちらに向けられても困るので、キリよく退散することにする。


「あーあ、中二にもなるとダメだね。ババアだよ、もう。それに比べて、小学生は最高だぜ! 純粋無垢でさぁ、教えがいがあるってもんよ」


 別れ際、高山さんはそんなことを言っていた。


   ◆場面転換――高山の帰路


「あーあ、中二にもなるとダメだね。ババアだよ、もう。それに比べて、小学生は最高だ! 純粋無垢でさぁ、教えがいがあるってもんよ」


 これは高山の本心に他ならない。うっかり本音が出てしまったが、このくらいなら「中学生の授業は苦手だけど、小学生は純粋だから授業がしやすいなぁ」という感じでとらえてくれたであろう。だからセーフ。


 高山にとっては同年代の女子すら、もちろんババアである。彼の所属する工学部には女子がほとんどおらず、おとこう学部なる蔑称すらあるくらいだが、彼には関係ないのだ。

 十三歳以上は恋愛対象にはならない。彼が愛するのは、思春期の小悪魔的な少女。まだ誰の手も触れられていない純潔。


 もちろん理性はあるので、塾の生徒に手を出したりはしない。塾生および保護者との私的な関わりは御法度である。連絡先を交換するだけでも厳重注意……あるいは代えの利く学生バイトなんて簡単にクビになってしまう。こちらから手を出そうものなら一発退場というか、ワイドショーや週刊誌の格好の餌食である。性犯罪者として有名になりたくなんてない。


 とはいえ性癖である。無防備な脚、成長途中の胸元に、何も思わないわけではない。そんなときは、帰って二次元に逃避である。ゲームやマンガがたくさんネット上に転がっている。ということはそれを供給する者、それを享受する者が少なからず存在するということで、それは彼の孤独をいくらか埋めてくれるのだった。


「まったく、小学生は最高だぜ」


 それは高山の独り言……ではなく、信号待ちをする彼のすぐ近くから聞こえた。


「誰だ?」

「同志だよ。ロリコンの高山くん」


 電柱の暗がりからぬっと横スライドで現れたのは黒いフードで顔を隠した怪しい男。


「な、なぜ俺の名を?」


 男はすっと木製のステッキでもって高山の胸元を指し示す。そこには『進学塾イーナ 講師 高山』という名札が。


「うわ、恥ず!」


 名札つけっぱ退勤という、たまにやってしまうあるあるだ。このプライバシーにうるさいご時世、小学生だって通学路では名札をつけない。


「貴様は名前を知られたことより、ロリコンであることを知られた方を気にすべきだ」

「た、たしかに!」

「自覚があるということだ。だから気づくのが遅れた」

「くっ……」

「だが安心しろ。先ほども言った通り、私は味方だ。同志なのだよ。私も幼女が好きだ」

「ほ、本当か? 引いてないか?」

「もちろんだとも」


 黒づくめの男はステッキを構えたまま、高山に近づく。


「だから、その力を我に寄越せ! 非リアエナジー解放!」


 ステッキから黒き稲妻が飛び出し、高山のぽっちゃりした身体を貫く。


「ぐあああああああああああああああああああああああ!」


 人気のない夜の横断歩道に、ある一人のロリコンの声が響く。

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