第2話 リア銃システムは彼を選んだのじゃ

 止まってしまった世界の中で、充の他に動くことのできる人々が、とあるビルの一室に集まっていた。否、その一室にいた者たちだけが動くことができた、というのが正しい。


 彼らはとある組織である。その組織の名を、『リア充銃士団』という。


 彼らは一様に怪しげな仮面をつけていた。時代が時代なら、そして場所が場所なら、ここは仮面舞踏会の会場ではないかと思われるかもしれない。


 だが、違う。それぞれ赤と青でコーティングされた仮面は、この世界において存在するための――この世界を認識するための道具なのである。


「ついに始まってしまったか。博士の言っていた通りだ」


 部屋の中、一段高くなったところに仁王立ちする男が言った。彼も例にもれず仮面を装着していた。ただし、学ランのように角ばった黒のジャケットを羽織っていたり、アクセントに金のチェーンがぶら下がっていたりと、なんとなく偉そうな出で立ちである。その衣服の上からもわかるほど、その体は筋骨隆々であった。肩幅がジャケットをぐいと押し上げているようだ。


 そしてその場所から眺めると、部屋の様子が一望できる。部屋の壁にはモニターがズラリと並べられていた。『作戦指令室』という単語がふさわしいだろう。それぞれのモニターが外の様子を映し出している。


 歪んだビル街、歪んだキャンパス、歪んだ緑地、歪んだ住宅街……赤と青の、ぶれたような世界がモニターに映し出されている。

 そのモニターに向かう人影が十ほどある。全員がせわしなく手元のコンピュータを操作している。


「ふむ、『仮面』を付けているとはいえ、やはり『リア充エナジー』の足りない者はこの世界に耐えられなかったか」


 男は独り言を続ける。

 そう、この部屋には本来、十五人の人間がいた。しかし世界の変動に伴い、五人が消えてしまったのである。


「『2.5次元空間』へ移行してから五分ほど経過したが、モニター上に何か変化はないか?」


 モニターは誰もいない外の世界を映し出し続ける。


「異常ありません」

「異常ありません」

「異常ありません」


 同じ回答がつづく。しかし一人の監視員が叫び声を上げる。


「だ、団長! 異常あり! 市内、中央公園上空に空間のゆがみがあります!」

「中央のモニターに映し出せ!」


 さきほどの男――団長が指示する。


   ◆モニター映像


 緑の木々で囲まれていたはずの中央公園は、今や赤と青で置き換えられている。平面が不器用に重なり合ったような、充の見た例のいびつな空間である。


 その上空に、まるで卵の殻が割れるように、ひびが入り始める。

 卵の球面を、内側から見ているようだ。

 バリバリと、空が欠片となって落ちてくる。

 空に穴が開いた。


   ◆リア充銃士団指令室


 指令室の人々はただその様子を見つめるしかなかった。

 誰かが息をのむ音すら聞こえた。

 今や皆、コンピュータの操作を忘れて、呆けた顔で、その異形に見入っている。


   ◆モニター映像


 空にぽっかりと開いた穴から、何かが落ちてくる。


 べちょり、という不快な音を立てて、ヘドロのようなその何かは、公園の広場に着地する。

 そのままモゴモゴと蠢き、やがて形を整えていく。巨大で無骨な球体だ。

 球体の底から、無数の触手が飛び出した。それを足として、その『何か』は移動を始める。

 びたびたと粘着質な音を立て、触手が不器用にのたうつ。


 ――びたん。ずずず。びたん。ずずず。


 触手を前方に貼り付け、巨体を引っ張る。大地に打ち上げられたタコのように。


 ――びたんびたんびたん。ズズズズズ。


 それはあまりにおぞましく、グロテスクな動き方であった。その見た目だけで、邪悪そのものを表現しているかのようである。


   ◆リア充銃士団指令室


「あ、あれが『次元超越体‐Dimension Transcender‐』……その頭文字をとって、通称DTだ!」


 団長が興奮して叫ぶ。

 その他の団員は驚愕と恐怖のあまり声を発することができない。


「この『2.5次元空間』は、奴らDTの存在する2次元が、この3次元のリアルな世界に干渉する――いわば狭間の空間なのだァ!」


 団長の独壇場に、相槌を打つ者はいない。

 しかし、団長は構わず進める。


「奴らが現実の世界に干渉する前に――この『2.5次元空間』から出てしまう前に――我々はあのDTを倒さなければならないィ!」


 演説する団長の後ろで、自動ドアが開く。


「いわゆる童貞の妄執――すなわち『非リアエナジー』が集合して形成された『次元超越体(DT)』――奴らに対抗し得るのは、リアルの充実した者が潜在的に持っている『リア充エナジー』だけである!」


 自動ドアの向こう側から、一つの台が現れる。


 このためにわざわざ設置されたと思しき照明装置が起動し、台の上を照らす。

 さらに、同時に『ババババーン』と荘厳なBGMが鳴り響く。団長が後ろ手に組んだ手のひらに音響の再生スイッチを持っているのだが、皆の視線は台の上に釘づけで気がつかない。


「その『リア充エナジー』を物理的に有効にするシステム――それを、我らがみのる博士が開発した! その名も、『リア銃システム』‼‼」


 団長はバッと手をひろげ、台の上を指し示す。これでもかというほどのドヤ顔である。開発したのはあくまで実博士なる人物であり、彼ではないのだが。


「…………」

「…………」

「…………」


 重すぎる沈黙が部屋を支配する。団長をのぞく人間たちの目は、台の上に釘付けになっている。

 しかしそれは、『リア銃システム』のあまりの神々しさに畏敬の念を覚えている眼差し……ではない。


「だ、団長! 恐れながら申し上げます!」


 一人の団員が思い切った様子で声を上げる。


「なんだ!」


 団長は流れを遮られたことに多少立腹しているようである。


「台の上に、何もありません!」

「ぬぁにぃ?」


 サッと振り返る団長。

 台の上には、確かに何もなかった。

 どう考えても何かが乗っていたと思しき形状をした台の上に、何もなかった。


「ま、まさか、このシステムを視認するには、我々のリア充エナジーが足りないというのかぁあああ!」

「それは違う」


 大興奮して絶叫する団長に、落ち着いた声をかける者がいた。

 団長がいるところとは反対側のドアがひらく。そこからあらわれた声の主は、白衣をまとった老人だった。背骨はすっかり曲がり、小柄に見える。それが普段着なのかと思えるほどに白衣が似合う老人であった。


 そして、この場においては異様なことに、彼は仮面をつけていない。たてがみのような白髪と、しわの深い顔が外界にさらされている。仮面を付けずともこの世界に耐えうるということは、それだけ二次元の干渉に対抗するリア充エナジーが膨大だということを意味する。


「は、博士!」


 団長が助けを求めるようにその老人に声をかける。


「うむ、わしの『リア銃システム』は正常に機能しておる」


 実博士はうなずきながら言った。

 団長は、件の『リア銃システム』が保管されていた小部屋をチェックする。


「む、これは……⁉」


 小部屋の天井に、穴が開いていた。鋼鉄の鳥が天井をぶち抜いて飛び立ったかのような跡。『リア銃システム』が、自らの意志で天井を突き破り、どこかへ飛んで行ったのだ。


「だ、団長! 別のモニターに生体反応があります!」


 その時、一人の監視員が叫ぶ。


「な、何だと⁉ まさか二体目のDTが?」

「いえ、違います! 人間です! 一台のロードバイクが猛スピードでDTのいる中央公園へ向かっています!」


 一つのモニターがその人影を映し出す。


   ◆モニター映像


 ロードバイクを颯爽とこぐ、一人の大学生である。


 団員ではないので、もちろん仮面はつけていない。しかし、カメラのアングルの関係上、彼の顔をしっかりと判別することはできない。


 だが彼が大学生であることは、その風貌から容易に想像された。背格好からして二十代。細身のジーンズにシンプルな白のTシャツを合わせた、清潔感のある服装に身を包んでいた。体格は細めだが、不健康な細さではない。おそらくは体力と筋力、そして運動神経を身につけた、洗練された細さだった。


   ◆リア充銃士団指令室


「馬鹿な! 我々の他に、これほどのリア充エナジーを有する者がいるとは‼」


 部屋中の目が、いまやDTという巨大なまがまがしい存在ではなく、その一人の大学生に注目していた。


「見よ、彼は仮面を持っているぞ」


 博士の言葉に、皆が彼の手元を見た。

 その大学生は中央公園の入り口でロードバイクから降り、懐から一つの仮面を取り出した。団員たちが身につけている赤と青のいびつなカラーリングではない。混じりけのない純白。翼のようなシルエットである。


 博士と呼ばれる老人が告げる。


「あれが『リア銃システム』――『リア銃システム』は彼を選んだのじゃ!」

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