06. 歴史を紡いだ遺産

 目の前には、暗黒の空間が・・・古びた施設や建設中の廊下とは別の、異質な空間が広がっている。それは薄暗いというよりも―――黒を貴重とした一本の道だった。

 「・・・ここから先は一人で、お願いします。」 「・・・え?」 「そういう指示なのです。私たちは〝賢者〟と対話できない掟なのです。」 「・・・尋問は?」 「何か心当たりでも? 残念ながら私たちは〝賢者〟の使者ですよ。」 「・・・こんな自分が、何故?」 「それは、彼らから聞いてください。」 「・・・。」

 不幸中の幸いか、彼らは秘密警察ではなかった。しかし・・・この時期に〝賢者〟が自分を呼び出すのは、明らかに変だ。《MRG》の詳細などは仕様書や実物を見れば済む話である。・・・いや、今は考えるべきではない。たとえ《旧人類》の根絶やしを企む者々であろうと、ここまで導いてから粛清するとは考えにくい。―――友好的であれば損害はなく、敵対的であれば自分が有利な〝何か〟を握っている。シンプルな条件だ。

 二重の扉を通り抜ければ、遂に外界と隔離された。先程よりも視界は役立たず、その明暗ではなく雰囲気に恐怖を覚えながら、角に浮かぶ光を目安に歩き続ける。

 ・・・誰かに見られている、そんな感覚が恐怖の正体だと気付いた。赤外線カメラ? 生物的な眼光? とにかく、歩行が加速する。ストゥが腰に挿した棒状の何かを手に取り、走り続けた。無造作に握ってみるが、どうやらボタンは存在しない。

 次第に眠気が、感覚の麻痺が、そんな―――意識が曖昧になったと気付いた、が、その刹那に視界が暗黒ではないことに気付いた。




 「・・・何だ? ・・・何が起きた?」

 確かに、先程まで暗闇を歩いていた。しかし、そこ・・・〝ここ〟は一面が・・・そうだ、地平線の先まで、浅い水面が地に張っている。その上には青空が、横雲が、それらを照らす―――太陽が、視界全体に広がっている。・・・その光景に見惚れていたせいか、目の前に立つ少女へ気付いたのは最後だった。黃緑色の髪と瞳・・・左右非対称な瞳に、黒いワンピースを着た、裸足の少女が。

 「・・・君は、誰?」 「うーん、説明しにくいね。・・・賢者といえば違うし、でも、そういう立場だから・・・ね。」 「・・・じゃあ、この景色は、何?」

 「好奇心旺盛で何より。貴方は現実世界から別の世界に意識が移ったの。大丈夫、死んだわけじゃないよ。」 「・・・ど、どうやって? どうして?」

 「そういう種類の気体や機械が存在するのよ。どうして失神させたかって? これが手っ取り早いの。対話とか、判断とか。」 「・・・そうなのか。」

 この体験は、決して容易くはない―――貴重なものだった。・・・だからこそ、疑いは深くなる。〝これは高度な尋問ではないか〟と。

 「それじゃあ、本題を教えてよ。どうして僕を〝連れて〟きたのか。」 「そうね。・・・でも、〝今の貴方〟に用事はないの。・・・〝他の貴方〟が教えてくれたから。」 「・・・え?」

 「貴方の意識は、並行してホストされている。つまり、貴方は何度も〝ここ〟に訪れては私と対話している。」 「・・・そんな、それなら、その記憶は?」 「あら・・・鋭い質問。そうよ、現実に帰ると〝今の貴方〟だけが、記憶を持ち帰ることができるの。幻想的な体験と、懐疑的な自分だけね。」 「・・・そうか。・・・それなら、 「私が敵か否か? 別に、気にしなくていいの。現実が答えを教えてくれるんだから。ここは〝マトリックス〟じゃないの。」

 何故、いや、どうやって彼女は自分の質問を予想した? 嗚呼、自分の意識を読み取っているのか・・・違うッ、この解答は彼女が自分に〝直接〟書き込んでいる! この思考は声として出力されている。貴方の素として。呪文で謎を解き明かすことも―――

 「止めろ! 僕の思考を弄るな!」 「フフッ、可愛い性格ね。―――私の友達として傍に置こうかしら。どう?」 「・・・!?」

 ふと、彼女の横には僕がいた。これも、彼女が造っている。そうだ、自分は既にデジタルなデータとして取り込まれている。だから―――全ての辻褄が合っているのだ。

 「帰してくれ! 現実世界に!」 「本当に? 他の貴方は、この景色を更に――― ブッ


【 ☯ 】


 「・・・ッ!?」

 自分は、直前の自分を思い出した。・・・ここは、現実世界か? ・・・嗚呼、そうだ、他の自分が彼女に、名も知らぬ賢者か誰かに尋問されていたのだ。・・・何もかもが―――分からない。

 ここは赤色の光に包まれた、異質な空間だった。八角形の天井から、視点を下げると―――自分は仰向けで寝ていた。頭が〝動かない〟のは、謎の半球体が頭を覆っていたからだ。それは医学で使われる《抽象機器》か―――おそらく、更に進んだ技術で作られている。

 自由な手足でヘルメットから抜け出して、視覚よりも触覚を頼りにベッドから降りる。幾何学的な形をしたベッドだが―――それは、地面から〝生えて〟いた。それ以外に、幾つか棒状の―――地面に収納されていたであろう機材が姿を表している。・・・全てが赤色に染まっているが、おそらく全ては白色のオブジェクトだ。

 自分は同じ白衣を着て・・・だが、ポケットの違和感が消えていた。自分の《情報端末》とストゥから貰った棒・・・インカムまで盗られている。それらしい戸棚もないため、探す宛はない。―――そもそも、扉が見当たらない。自分は何処から入った? ガスで眠ったらしい自分の身を、誰が運び入れた?

 「おーいッ! 誰かーッ!」 「・・・。」

 発した声は壁に反響するばかりであり、何かを期待するのは無駄だと予想する。・・・つまり自分は飢え死ぬまで・・・ここに閉じ込められて?

 「ッ! ・・・落ち着け、・・・落ち着こう。」

 ひとまず、壁に仕掛けがないか隅々を調査する。戦場まで乗り込むには短い時間だが、命が尽きるには長い時間である。指に力を込めたり、IDを翳したり―――2面、3面と次々に進むが、何れも何も見つからない。

 「・・・現実が答えを教えてくれる・・・現実が・・・。」

 これは、意図して閉じ込められている? いや、確か、彼女が喋った最中に〝何か〟が起きた。今の状況は・・・想定外だ。自分が異常な行動をしたわけでもない。それなら別に、自分に罪はない。

 彼女は、何者だったのだろうか? あれは賢者に似た・・・賢者全員の意識が融合した姿? それとも賢者とは異なる人格? 少なくとも別の世界・・・〝仮想世界〟とでも名付けようか、その世界を制御している言動だった。

 他にも数多の訪問者が対話を行い、そして彼女を忘却したのだろう。だから誰も賢者の実態を知ることができなかった。おそらく、直前の自分も本来は〝存在しない〟はずだった。・・・そもそも賢者は5人なのか? もはや、何の情報も信頼できない。

 そんな《上級社員》が求めていた情報―――自分は、別に《フォルタグルンドゥ》と《ティロディアクボ》の真実を知ったぐらいだが・・・大した情報だな、嗚呼。ただ、それなら情報源のサイロを・・・ニーヴを尋問するべきでは? 彼らよりも警戒心が薄いから? 彼らこそが〝真の敵〟で、自分に駆け引きを? 駄目だ、誰の情報も信頼できない。

 虚無に感傷する最中、謎の機械音が空間に響き始めた。飛び出していた機材が次々と地面に戻り、自分が調べたはずの壁に穴が―――扉が開く。ただ、照明は赤色を保ったまま。

 「オクディブ! 行くぞ!」 「え・・・サイロ!? 荷物が――― 「止む無しだ。時間がないぞ。」 「ぁ、ああ、分かった。」

 原因も理由も分からない。しかし、状況が変わった今、信頼できるのは不気味な空間から逃がしてくれるサイロだけであった。

 2人は一直線に道を走る。104メートルはある道を―――白色の通路を駆け抜ける。

 「なぁ! どうなっている!? どうして、走る!?」 「お前は、〝消される〟はずだった! 真実を隠す奴に狙われている!」 「・・・そうなのか。・・・そうだよな。」

 彼の話を信じるならば、これは尋問ではなく葬儀だったらしい。情報を確認して、確実に粛清する・・・まさに、完璧な方法だろう。

 「―――どこへ!?」 「どこでもいい! とにかく《廃線》へ行くぞ!」 「分かった。」

 馴染みのある廊下へ戻れば速度を落として、彼は《情報端末》を片手に経路を辿る。賢者の使者は既に居らず、表示されないはずの《廃線》を把握しているサイロは・・・特別な存在なのだろう。

 ここが軍事省だろうと構わず、彼のIDで扉が開く。それよりも彼が気にしているのは、全ての廊下に設置されている監視装置だった。区間は閉鎖されないため、今は機能していないらしいが。

 「・・・話してもいいか?」 「俺も聞きたいことが山々だ。」 「サイロは、あの後に何を?」 「お前が何も言わずに消えたから、追跡したんだ。」 「嗚呼、ストゥが持ってきた装置は、それだったのか!」 「・・・いや、お前の《情報端末》だぞ? ストゥが何だって?」 「え・・・突然、棒状の何かを渡されたけれど。サイロの指示じゃないのか?」 「あいつは何も知らない。畜生が、状況は更に複雑か。」 「・・・僕は黙っておくよ。」

 ストゥの立場は? 彼女が僕を通報した? それとも第三の勢力? いや、彼女こそがニーヴなのか? ―――無駄な仮説だ。サイロが把握していなければ、信頼するべきではない。

 筋肉を追求する軍人と擦れ違うことも少なくなり、ついに居住区域を通り抜けた。しかし・・・気は抜けない。人気の少ない廊下で良い噂は聞かない。稀に、立証不能な事件が起こるものだ。

 「お前は、あんな場所で何をしていた?」 「そう、変な奴に連れて行かれてさ。何かと思えば賢者に対話させられたよ。」 「・・・は?」 「賢者か分からないけれど、意識を仮想世界にコピーされて、多分、他の自分が――― 「ちょっと黙れ。情報量が多すぎる。」 「ああ、ごめん。」

 「つまり、お前は賢者に追われているのか?」 「うーん・・・少なくとも、味方っていう立場ではなかった。」 「クソ・・・じゃあ、賢者が敵だよ。お前のIDが全て〝消されている〟んだからな。」 「え・・・え?」 「話は後だ、行くぞ。」

 気付くと、2人は工事中の廊下へ足を踏み入れていた。鉄柵を飛び越えて、サイロに続いて作業室の用具を拝借して、再び紆余曲折する道を進めば、そこには明かりも何もない虚空が―――賢者の部屋よりも薄暗い廊下が続いていた。

 「・・・これは、スケプトが逃げ出しそうな場所だな。」 「ハハッ・・・僕は既に克服したよ。酸素が切れるのは、御免だけれど。」 「・・・行くぞ。」

 マスクを被り、ランタンを垂らして、吸い込まれるように闇を進む。ここで何か問題が発生すれば、それは即ち死を意味する。子供時代には必ず〝灯りがない場所へ行くな〟と教えられる、そして《空間恐怖症》や《暗闇恐怖症》の大人が誕生する。・・・経験しなければ、恐怖は消えないというのに。

 前後は区別できなくなり、サイロの《情報端末》だけを頼りに難なく進む。最適化される以前に建設された分岐点、沈黙するエスカレーター、更に奥へ行けば―――前世代の言語で書かれた看板も出現した。今日の言語よりも文字種が少ない代わりに、濁音が付属している。・・・歴史が正しければ、これが《フォルタグルンドゥ》で話されていると、そんな思考を巡らせていれば、ついに《セーフ・エリア》へ辿り着いた。―――ここは、災害時に利用できる頑丈な空間である。

 『ここで、休む。』 (了解。)

 端末と手話で合図を取り、機械式の引戸に設置されたバルブを全力で回した。錆び付いた油圧の音が刻まれると、その隙間から空気が流れていく。内側のバルブを回せば音は静まり、傍の非常装置を作動させればレトロなランプが点滅を繰り返す。これは―――化学的に酸素を補充しているようだ。

 「―――ふぁ。・・・臭いな。」 「・・・久しぶりに、足が痺れたよ。」

 粗い地面に腰を下ろすと、一斉に気が抜けた。緊張が解けた自分は様々な感情に刺激される。元の生活に戻れないという不安、後には退けないという焦燥、それはサイロも同じだった。

 「・・・どうして、自分を助けてくれた?」 「そりゃ・・・オクディブが釣られると、俺も釣られるからな。これが〝運命共同体〟ってやつだ。」 「・・・ハハハ、ありがとう。」 「な、何が可笑しい?」 「何か、サイロの嘘は分かりやすいなぁーって。」 「ハァ!?」 「普段は冷静な声色が、すぐに変わるんだもん。」 「・・・。」

 「・・・ここから、どうやって生きる?」 「安心しろ、何とか〝亡霊の手配書〟さえ取り消せば自由に行動できる。俺は軍事省まで侵入した〝ハッカー〟だぞ?」 「・・・頼もしい。」

 サイロが腰からガジェットを取り出す間、自分は今後について考えてみる。・・・むしろ、失うものがないからこそ、今こそ《フォルタグルンドゥ》へ行けるのかもしれない。両親や妻子も居ない身で・・・兵器開発1課の保障は、饒舌なスケプトが何とかしてくれるだろう。

 結局のところ、何が正しいのかは分からない。しかし、正義を放棄するのは正しくないと考える。既に僕たちは賢者と小さな戦争を起こしている。それが何の罪かは知り得ないが、死に値する情報を得なければ、その死に納得すらできないのだ。

 「駄目か・・・ここは完全にオフラインだ。」 「・・・戻るしかないか。」 「それしかない、が・・・その前に、情報を整理する。」 「そうだね。」

 自分は武器を持った使者に連行されたこと、ストゥが意味深長な何かを渡したこと、そして、賢者と奇妙な形式で対話したことを伝えた。彼もまた、自分が〝何も言わず〟姿を消したこと、後にIDが抹消されたこと、しかし、その全貌が掴めないことを教えてくれた。それ故に、輸送船の正体や場所を調べることはできなかった。

 「問題は、オクディブが賢者を敵に回した理由だな。」 「・・・《移住計画》の真相を、知ったから?」 「あの空間は盗聴できない。他に訳があるはずだ。」 「うーん、賢者の使者が言うには《MRG》の詳細を聞くためとか・・・。」 「もしかすると、結果的に前者が該当したのかもな。頭を覗かれて。」 「・・・なるほど。それなら、本来の目的は何だったのか?」 「賢者は全ての情報を閲覧できる否に・・・そもそも、賢者の実態が曖昧で嫌になる。ストゥも、何が目的で夜中に――― 「ああッ! 〝基礎技術〟だ! ・・・《MRG》に使われている、駆動原理が原因だ。」 「・・・俺の専門外だが、強力な磁力でエネルギーやら弾丸やらを発射するんだろ?」 「そう、電磁気力は古典的な機構が要らないからね。でも、更に効率性と耐久性を高めるために―――未知の原理―――ストゥが書いた簡易論文を基に、設計しているんだ。」 「・・・そうか。《MRG》のレポートに簡易論文〝以上〟の情報を書いたんだな。」 「・・・かも、ね。」

 《MRG》のコンポーネントを設計したのは自分でも、そこに新しい理論を応用できること、その最適な仕様を教えてくれたのはストゥだった。彼女の話を基に仕様書も併せて作成したわけで・・・それが論文に〝矛盾〟したらしい。そもそも、電磁気力を利用する大型武器を企画したのも彼女だ。

 ストゥは常に、知らない〝フリ〟をする。それは理解が許されない天才の宿命なのか、例えば論文では〝理解不能な現象が存在する〟という結論で綴られている―――が、本当は全て、知っているのだ。いや、自然理学を知りすぎている。それを共有しないのは、彼女が世間を恐れているのか、悪用を恐れているのか・・・おそらく、後者なのだろう。

 基本的に、ストゥは大凡の情報をオフラインの端末で纏めている。それ故、氷面下部に潜む情報は科学省も軍事省も、賢者すらも入手できないどころか、存在すらも知らない。それこそ、賢者の部屋に彼女の意識でも―――

 「・・・ストゥの身が、危ない?」 「・・・。」 「ほら、自分が知らない高度な原理を彼女が教えてくれたのだから、その記憶が――― 「目的の手掛かりになると? ・・・それは憶測の憶測だぞ。賢者が求めていたのは『知識の共有』か『真実の隠蔽』だ。」 「目的が一つじゃない可能性だってある。」 「お前も俺も、賢者に立ち向かえるほど万能じゃない。ストゥシィスティの立場が何であろうと、その前に自分の安全を確保しろ。欲張りは一匹も云々・・・そういう諺を知っているだろ?」 「・・・。」

 どうにも、行動が纏まらない。何をするべきか分かっているはず、なのに―――

 戦う、何と? 逃げる、何から? ・・・そうだ、それを求めて《フォルタグルンドゥ》へ行くのだ! 危険なのは承知している。その決意を忘れてはならない・・・憶え続けなければ。

 「今は、何も分からない。だから―――知りたい、賢者やストゥの目的をッ。・・・戦うかもしれない、逃げるかもしれない、それも―――覚悟している。」 「・・・それが、お前の決意でいいんだな?」 「・・・初めから、そうだった。」

 自分は、ただただ本当の歴史を知りたい・・・いや、第1調査隊に所属していた父と母の最期を、知りたいだけなのかもしれない。もはや、高尚な目的など関係なかった。

 太陽の裏に隠れる2つの地球は、互いに沈黙する。本来は、そうあるべきなのかもしれない、が。


【 ☯ 】


 安置で多少の仮眠を摂った2人は、07時のアラームに、脳が溶けると噂のケミカルな音楽に叩き起こされる。備蓄されていた高濃度のレーションを平らげた後、準備を整えて《セーフ・エリア》に別れを告げる。ここから先には一切の保証がない。安全も権限も、酸素すらも。おそらく、サイロのIDも消されている。

 「いいか、まずは電波が届く距離で権限の復元を行う。そこから先は狩人が来ても〝手違い〟だと示せばいい。輸送船の場所を特定して、そのまま向かう。もしも《廃線》を抜ける前に狩人と会えば―――それまでだ。」 「・・・工房まで近いのが幸いだね。・・・結局、サイロも《フォルタグルンドゥ》へ行くの?」 「相手が悪すぎるからな。何度でも手配書は発行されて、何れは捕まる。それに・・・お前が一人じゃ輸送船も翻訳機も、何も用意できないだろう?」 「・・・ありがとう。本当に。」 「・・・。」

 昨日の助言を気にして声色を整えているが、やはり彼の嘘は分かりやすい。その瞳は、仮想世界に映った自分と同じ―――恐怖と興味が入り混じっている。今の自分も、そうだ。

 マスクとランタンを装備した2人は、力の入った拳でバルブを回す。それは昨日より軽くも、そう感じることはなかった。暗闇が怖いわけでも、狩人が怖いわけでもない、―――敗北を恐れている。それが、何よりも未知だった。

 昨日よりも遠回りで、果てには違う出口へ向かっている。《広域通信網》から一切の情報が手に入らないという不便、そして不安を改めて知った。【闇は静寂という平和を齎す一方、無常という恐怖を与える】とも言える。全ての情報が失せた環境に隠れると安心するが、安心できない。そういう矛盾こそが、闇の正体なのだ。

 既に監視装置の記録から逃走経路が割り出されて、未完成の廊下、そして《廃線》を複数の狩人が徘徊している頃合だろう。目的は生け捕りか、そうでないかは分からない。

 (武器を拾う。) (護衛は任せた。)

 自分は床に落ちていた配管の一部を手に入れる。これで狩人が携帯する《単式経銃3号》に対抗できるとは思わないが、ないよりはマシだ。対物用の《統銃》よりは圧倒的に威力が低いうえに、上部の管を変形すれば使い物にならなくなる。この暗闇では暗視眼鏡を装着していると思うが、その場合は照準を合わせにくい。近距離であれば、対等に――― カンッ カンッ カンッ カンッ

 「・・・!」

 突如として、天井の照明が順々に点灯した。電気が復旧した、それは、つまり―――

 (隠れろ!) (駄目だ、引き返す!)

 周囲を見渡すも、身を潜められるような空間や部屋は存在しない。息を潜める、すると道の先から微かな足音が、複数人の重装備が響き渡る。姿は見えない、しかし逃げれば足音で気付かれる。突き当りまで、そこまで音を殺して歩くには遅すぎる。どうする・・・どうすればいい!?

 (・・・走れ!)

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