04. 受け継がれる使命

 あれから疑問が晴れないまま、新しい一日を迎えようとしている。午後の仕事を終えて皆は自室へ帰るも、精神の居心地が悪い自分は夜食を平らげた今も《情報端末》を片手に居座っている。

 閲覧可能なデータベースやレポートには別の言語と思しき情報など見当たらず、《保存者》が公開する資料には古の文化や歴史と関連する古代言語の研究も僅かに記述されているが、そんな不便な言語を暗号や流行として使う理由はない。

 昼頃に聞いた声を軍人として仮定しているのが間違いなのか? あれは《保存者》のグループで、《フォルタグルンドゥ》の肉食動物を駆除する最中に《前人類》の遺跡か遺物でも発見して、今から《保存者》が現場へ向かうとか? しかし肉声を翻訳する意味は何だ? 対話可能な記録媒体が残っているのか・・・まさか《前人類》が生きていたのか?

 とにかく、何かしらの事情があるのは間違いない。もしかすれば、第1調査隊は《前人類》に助けられて全滅を免れたのかもしれない。虚しいほどの憶測だが―――その可能性は捨てられない。

 小皿にカトラリーを置き、人気の少ない《通行搬送帯道》を歩き、薄暗い明りに包まれた道を潜り抜けた先にあるのは、兵器開発1課の研究室。・・・本格的に調べなければ、その真相が何であれ、辿り着くまでは眠れそうにない。《科学者》が知る必要のない情報でも、それは自分の決意となる。

 知りたい。この失踪感、この違和感を埋めるために、IDカードを鍵へ翳す。灯りも付けず自分の机に《情報端末》を接続する。給湯室へ行ってはコーヒーにバター入りのミルクと大量のカフェインを加えて、それを飲みながらバックライトを放つ《ペーパー・モニター》へ血眼を走らせる。ブラウザーとノートを往来して約1時間―――日付が変わる寸前、ふと、一つの情報に目が留まった。




 「被験モデル・・・《再生者》の可用率・・・?」

 それは、《フォルタグルンドゥ》に生息する肉食動物の詳細な情報と、様々な兵器を用いた攻撃が与える威力の予想やシミュレーションが纏められた資料だった。軍事省のデータベースに保存されているものが、何らかの不手際で科学省の人間にも公開されている。

 その中に記されていた《再生者》という項目・・・そんな役職は初耳だった。《治療者》でもなく、《再生者》という単語で正しいのか? しかし《再生者》の注釈を発見したとき、謎は更に深まった。

 「これは能力に関わらず、全ての《旧人類》が獲得した・・・種族を表す別称である・・・?」

 ・・・《旧人類》とは何だ? ・・・《前人類》ではなく? これも誤字なのか・・・いや、綴りが全く異なる。生き残りの《前人類》を《旧人類》と呼んでいる? それも変だ、わざわざ区別する理由がない。それに、この資料が作成されたのはタイムスタンプからして20年も前だ。《旧人類》の存在は既に確認されていた? それなら、その存在を極秘にする意味は? 機会を伺って公開するつもりなのか、それとも、何か不都合があったのか・・・。

 ・・・《再生者》という単語を素直に受け取るのであれば、今日まで生き残った彼らは何かしらの特別な自己治癒力を持っている? 待てよ、前提が間違っているのかもしれない。《旧人類》とは、人間が持つ本来の能力を解放した《新人類》という・・・憶測の憶測など無意味だ。関連する情報を集めなければ。文字列が含まれる他の資料を――― カシャン シュッ

 「!? あ・・・すみません、残業中です。」

 突如として扉が開く音、そして微かな足音が聞こえた。暗闇の中で画面を眺める自分に、警備員が不信を抱いたのだろう。こんな説明も厳しい状況に・・・まずはIDを示さなければ―――

 「・・・サイロ?」 「そうだ。・・・こんな時間に、何をしている?」

 そこには、薄暗い姿の彼が僕を見下ろしていた。光を反射する眼鏡が、余計に不気味であった。

 「えっと・・・今日みたいなミスや不手際がないか、探していたんだ。何だか不安になってね。」 「・・・そうか。」 「逆にサイロは、どうしたの?」 「・・・嗚呼、オクディブ。君も〝その資料〟に辿り着いてしまったのか。」 「・・・!」

 迂闊だった。彼は既に、情報が丸見えの《ペーパー・モニター》を凝視している。自分が下手に法を犯している内容へ。しかし―――その口調は、嘘を吐いている僕を見透かしていた。

 「え?」 「《旧人類》の正体は、どこまで分かった?」 「え、いや 「隠さなくていい、スケプトほどの人情はないが、同じ仲間だろ?」 「・・・生き残りの・・・《前人類》か?」

 「疑っているのか、正解だよ。・・・《旧人類》は《フォルタグルンドゥ》の世界を生きる―――2000年前に《新人類》と別の道を歩んだ人類、それが答えだ。」 「・・・知っているのか?」 「そうだ。・・・2年前から、全て知っている。」 「・・・。」 「・・・知りたいか? 真実とか言われる、そんな情報を。」

 サイロは唐突に、自分の核心に迫った。平静を保ちたいが、謎だらけの情報に脳は混乱を起こしている。彼は陰謀論の信仰者ではなく、本当に何かを知っている? なぜ、知っている? そして彼は―――敵なのか。いや、彼は―――僕に何かを望んでいるようだった。

 「・・・知りたい。」 「そうだと思った。・・・初めに断っておくが、今から話す情報は誰にも話すなよ? 分かるよな?」 「・・・まあ、そうだよね。」 「独り言も、決して、口にするな。お前が必要になったら、その時はインカムを細工してやる。」 「細工?」 「ノイズを加えて音声の・・・それは後だ。覚悟して・・・黙って、俺の話を聞け。」 「・・・分かった。」

 サイロは唾を呑み、口を開け、話を続けた。その内容は社会や経済などの規模ではなく、これまでの歴史が覆るほどに大きな―――事実だった。《フォルタグルンドゥ》に隠された《旧人類》の過去と生態、《ティロディアクボ》に潜む賢者の謎、《移住計画》が持つ2つの目的、全てが―――脳に刻まれてしまった。その1時間は知を得る幸福よりも―――居所の分からない苦痛が続いた。


【 ☯ 】


 「話は以上だ。」 「・・・。」 「・・・泣いているのか?」

 これは、何を示す感情なのだろうか。今まで自分を欺いていた世界に対する恨みか、世界について何も知らなかった自分に対する恨みか。ただ、どうでもよく、ただ、悲しかった。

 御伽噺だと思いたい。しかし、その物語は映像や音声で記録されている。緑色に染まった大地と、そこで繁栄した《旧人類》の村々。その幻想は、衝撃を合図に崩壊を始める。その全ては、軍事コロニーが目撃していた。

 「・・・もう、遅いのか?」 「・・・いいや、計画の第2部が継続されるなら、彼らは今も奮闘している。」 「嗚呼・・・今にでも終わり・・・駄目だ、このまま・・・畜生ッ。」

 5人の賢者が〝誰〟なのかは完全に不明であり、サイロが賢者というわけでもない。ただ、賢者の名を継ぐ者は2000年前から《フォルタグルンドゥ》に住む《旧人類》を、魔法という力を普遍的に持つ《旧人類》を知っていた。そして、彼らは《旧人類》を排除するために《移住計画》を企て、同時に侵略を進めていた。それが、社会の指導者が持つ使命の一つであった。

 今日の世界が在るのは、過去に―――魔法が使える《旧人類》の迫害によって我々が《ティロディアクボ》へ辿り着いた故なのか、魔法が使えない《新人類》こそが本当の戦犯なのか・・・誰が悪いのか、何が悪いのか、それはサイロも知らなかった。―――誰も知らないから、今が在るのだろう。

 自分は何をしたい? 何を思っている? 信じられるのは自分か、賢者か、もしくは歴史か―――

 「・・・そうか! ・・・だから昨日、追加パッケージで武器を無効に――― 「無効? 昨日の入れたプログラムには、小細工も何もないが。」 「・・・え?」

 「武器を使えなくしたところで、どうなる?」 「・・・。」 「どうにもならない。・・・責任は俺たちが負うことになる、戦場では別の兵器が導入される、それで死者の数は変わらない。俺たちは・・・何もできない。考えもなしに動いたところで、迷惑が増えるだけだ。」 「・・・。」

 自分は何もできない? 何も思っていない? 戦争を知らない無知な自分は、意味がないのか?

 「・・・サイロは、どうしたい? この、今の状況を。」 「何だか、人任せだn 「違うッ! ・・・分からないんだ! 誰も悪くないのに、どうして争う!? 何が悪い!?」 「魔法。・・・魔法という概念が、悪の根源だ。」 「何故!?」 「力が大きすぎるんだ! 一人が持つには膨大すぎるエネルギー・・・それは〝神〟にも成れる、制御不能な〝神〟になッ!」 「・・・。」

 2人は大声で感情を投げていた。ふと、客観的な視点を取り戻し、同時に様々な恐怖を思い出す。

 今―――人工物に囲まれている全ての空間は、危険なのだ。・・・議論や行動は慎重でなければ。

 「・・・それは、消せないのか? 少なくとも、残酷な方法を避けてさ。」 「・・・無理だな。人間の意志ではなく、物理的に不可能だと云われている。そもそも、魔法という存在が謎に包まれている。」 「・・・これは〝弱肉強食〟なのか?」 「・・・。」

 理とは、何なのか。異端なのは賢者ではなく自分? いや、それを大衆に隠し続ける経緯には大衆の不満を予知しているはずだ。これも理? 正しさとは、個人の尺度に過ぎない?

 「・・・《新人類》と《旧人類》、どちらに付く?」 「・・・?」 「《新人類》が《旧人類》の家畜とは言わないが、少なくとも対等にはならない。文明人を気取る今の《新人類》も《旧人類》を〝動物〟として比喩している。」 「・・・何が言いたい?」 「自分は《新人類》だから、生き残るために《旧人類》を排除することは否定しない。手を汚そうと、身を守れるなら否定しない。」

 干渉するな―――と言えば【悪の根は早めに刈り取れ】と返されるだろう。この計画は自分の社会を守るため、あるいは未来の社会を保つために存在する。―――違う・・・《新人類》と《旧人類》は、異族でも―――同種のはずだ。

 「・・・本当に・・・本当に、彼らは脅威か?」 「・・・俺は、そう思う。」 「そう〝思う〟だけで、僕たちは《旧人類》に幻想を抱いてないか? 火炎を放射すること、物質を変化すること、それは科学を知る《新人類》にもできる。だから、今も両者は〝奮闘〟している。そうだろ?」

 「・・・魔法は、武器を持たない俺たちを脅す武器だぞ?」 「そうだよ! 魔法だって未解明の科学の一つだろ? 科学を知らない彼らも同じだ。何も、特別なことじゃない。」 「・・・。」

 宗教が廃れる中で科学が生き残り続けたのは、全ての結果が時間も場所も関係なく〝平等〟に実現するからである。この世界に確かな魔法が存在すれば、それを・・・科学が受け入れてはならない。

 「武器は、現実に存在する。問題は―――それを使うことだ。」 「・・・?」 「【武器が自他の運命を平等に扱う】意味は、使い方ではなく持ち方こそが本質なんだ。」 「・・・。」

 「互いに武器を構えれば、それでいい。それが、―――〝平等〟を成立させる。」 「・・・!」

 「・・・お前は賢いな。・・・そうか。・・・そんな未来も、悪くない。」 「〝恐怖〟なんだ。互いの武器を互いに知らないから、むしろ突き進んでしまう。科学を知る《ティロディアクボ》が、未知を恐怖に思うなんて―――滑稽だ。」 「・・・本当の恐怖を、見るべき・・・か。」

 「敵を知る―――それは戦うためではなく、守るために。」 「嗚呼・・・良い考えだ。俺たちは・・・俺たちこそが、科学を忘れていたんだな。」 「・・・そうだね。」

 世界が科学で説明されるのであれば、人間が存在する限りは諺も不滅なのだろう。数値や具体を持たない諺は、曖昧でありながら―――多くの問題を解決できる道具だと悟った。

 「それでも今、俺たちにできることは少ない。情報もなければ、解決も 「今からだ。ここで無理なら《フォルタグルンドゥ》で動けばいい。それは―――

 この時を、不意に望んでいたのだろうか。今の自分には、妙な決意が芽生えている。

 〝諺〟とは―――両親が自分に残した唯一の本であり、2人の会話に必ず登場するものだった。今なら、その意図が分かる気がする。時空を超えて伝えられた知恵、それを議論する父と母は―――

 「第1調査隊。彼らのように、自分は・・・《フォルタグルンドゥ》へ、行かなければ。」


【 ☯ 】


 口では物事を容易く言えるが、それを現実にするのは難しい。地上すらも見たことのない自分たちが、1億キロメートル彼方の惑星へ行けるのだろうか、そんな不安を憶えている。多少の宇宙工学を理解しようと、経験がなければ知識は本能的な恐怖に冒される一方である。

 命を危険に晒す覚悟、法の一線を超える覚悟、それらは決意と対峙する。例えば今、自分の全身に滴り落ちる水は、惑星の重力から解放されるとゼリー状で宙を漂うらしい。液体とゲルに境目は存在しないが、2つの状態には異なる名称が付けられている。自分は今、そんな存在しないはずの〝膜〟を無意識に求めている。

 日付が変わり数時間後、シャワーを浴び忘れていた自分の体は共用の入浴室で温水に叩き付けられている。汗の一つも出ない快適な環境で毎日のように体を洗う習慣には疑問を抱いているが、どうも、体を洗わなければ精神的に落ち着かないのが人間の性らしい。

 温水、洗体、温水、洗顔、温水、そして乾燥。―――次は、2つ目のフェーズである。《フォルタグルンドゥ》へ行くという目的は無謀に思えるかもしれないが、《ティロディアクボ》の軍は物資や武器を現地へ供給するために輸送船を定期的に送り出している。そして、《移住計画》の第2部では《FFF》や《MRG》を使用するために大型の輸送船を使用すると予想している。そこに潜り込めば、それだけで目的を達成できるのだ。・・・片道切符になるかは、状況次第となるが。 シャァァァ

 再び温水を浴びながら、その具体策を考える。船はどこにあるのか、そもそも、船の容姿すらも不明である。加えて出発日時も非公開とされているが、《双破空間飛行法》を駆使しても惑星間の移動に9日は掛かるというのだから、現状を考えれば明日にでも出発したいはずである。ただし、今日も《MRG》の最終試験に関する報告が来ていなければ、少なくとも2日後、それまでに侵入の目途を立てればいい。簡単・・・と憂いなく思いたいが、どうにも、その先の見通しは立ちそうにない。

 無謀な計画など人生で一度も立てたことはないが、素人目にも情報が不足しているのは明白である。サイロは世界の歴史や政府の現状に詳しい。しかし、全てを把握しているわけではない。更に言えば、情報のソースも曖昧である。確かに情報は真実を示しているが、それらは彼が収集したものではなく、名も顔も分からない―――〝ニーブ〟と名乗る者が、彼に提供したものである。 キッ

 それでは、サイロが選ばれた理由は? 確かに彼は一流のソフトウェア設計者だ。《広域通信網》から《幽霊線》を伝って彼女に出会ったのだろう。一方で、ニーヴが真実を教える理由は? 立場が弱いから他人を頼るのか、政府に革命を起こすための選別をしているのか、―――政府が革命を防ぐために戦犯を炙り出しているのか。・・・考えては駄目だ。誰かの思想ではなく、その【事実が自身の心を動かす】のだ。 シャァァァ

 鏡に映った心許ない自分の頬を叩き、上に向いた顔を手で洗う。今は、母船に乗り込む計画だけを考えるのだ! 2日後・・・いや、明日までに。自然な流れを意識しろ。―――兵士は《MRG》の扱い方を熟知していない。性能評価に伴い実際の威力を映像として残しているが、安全装置の解除が複雑で・・・いいや、それは顧問の仕事か。ならば、仕様の手違いが発覚したと報告を・・・すれば、自分が、それどころか1課の面目まで潰れてしまう。 キッ ブォォォォォ

 目立つような行動は禁物だ。全身に満遍なく纏わり付く温風のように、自身もノイズの一つとして振る舞えば、案外、気付かれないものである。・・・そうだ、科学省と軍事省が合同で使用する施設で在りながら度々、進入が禁止される場所―――工房。中でも〝F〟が含まれる個所は最近になって制限が多くなった。これが輸送船の入出と連動している可能性は高い。兵器の搬入は――― ウォン

 「ィ―――さぁん!」 「オクディブさん!」 「!? は、はい?」 「すみません、服を着てからで構わないので、個室から出てもらえますか?」

 温風が収まると、唐突に誰かの声が壁上の隙間から投げられた。入浴室から脱衣室へ移り、湿気が残る身体に袖を通して、扉を開けると―――そこには見慣れぬ、薄暗い制服を着て・・・後ろで腕を組む2人の男性が立っていた。

 「どうかしましたか?」 「嗚呼、こんな時間に申し訳ないです。貴方が開発している《MRG》について、幾つか聞きたいことがあると、至急の連絡を頂いたものですから・・・ 「あ、そ、そうですか。分かりました。」

 このタイミング・・・つまり、出航が一刻を争っている。おそらく、最終試験で発見した疑問点を払拭する段階だ。・・・好都合すぎる。ここで《MRG》の行先を追跡さえすれば、確実に乗り込むことができるのだから。

 「ああ、そうだ。同僚に連絡を・・・ 「必要ありませんよ。先程、サイロという方に伺って来たので。事情は話してあります。」 「そうでしたか、それなら――― 「大丈夫ですか?」 「嗚呼、最近、立ち眩みが酷いもので。ハハッ・・・。」

 自分は、今の違和感を見逃さなかった。洗面台へ向かう自分に対して、頑なに背後を見せない彼らを。組んだ手を崩さない彼らを。そして、対面の鏡には・・・銃を隠し持つ彼らの姿が、写っていたことを。顔を洗おうと屈んだとき、僅かに服の擦れる音が―――彼らは、銃を腰に仕舞った。

 「失礼しました、では、行きましょうか。」 「こんな時間に、ありがとうございます。」

 一人は案内のために先を行くが、対して別の男は自分の背か横を維持して歩く。嗚呼・・・これは逃走を阻止する態勢だ。彼らは自分が勘付いていることに勘付いている? 待て、サイロは無事なのか? 整合性を保つのであれば彼も他の用件で尋ねられているのか、それとも・・・。

 自身の平静な様子、その内部では、絶えず鼓動が響き渡る。こうして偽るということは、変に事を荒らしたくないのだろう。ただし、無暗に動けば酷い仕打ちが待っている。ついには1課の研究室を通り過ぎた。今は人気もない。

 彼らは何者か。考えられる最悪の想定は・・・今までの会話が筒抜けだった? 右耳に掛けているインカム―――しかし、研究室を出てからは何も喋っていない。あの空間は、物理的に全ての電波を遮断している。《通信網》にも強力な《防御点》を設置している。穴は存在しないはずだ。

 それとも、例の資料を閲覧したのが原因か? これは単純な取り調べなのか? 違う、あれこそが餌だった? ここから何処へ・・・嗚呼、ここから如何すればいい? 何か、行動しなければ。

 「それにしても、珍しい制服ですね。軍事省の方ですか?」 「これ、実は最近の《移住計画》に伴って作られた所属なんですよ。カッコイイでしょう。」 「なるほど、確かに、センスが良い。」

 彼らはプロなのだろう。その話し方は何の変哲もない、普通の人間と云えるものだった。しかし、何とも言えない視線を感じる。自分の行動は全て、読み取られている。今は、何もできないと―――

 「あら、オクディブじゃない。」 「・・・え?」

 その時だった。―――何故か、ストゥが正面を歩いていた。こんな夜中に? しかし理由を考える間もなく、彼女は一直線に、僕に抱き着いた。

 「もう! 部屋を尋ねても居ないんだから・・・今晩は〝逃がさない〟よ?」 「ほ、ほら、人前でそんな 「じゃあ、戻って――― 「すみません、彼には重大な用件があるので・・・今日は、お引き取りください。」 「ちぇ、仕方ないわ。ごゆっくり!」 「ま、また、明日・・・今日?」

 初めに断っておくが、ストゥとは濃厚な愛撫を交わす関係ではない。布越しにも伝わる柔らかい胸を押し付けられた今の出来事に・・・鼓動が高ぶる理由すらも分からなくなってしまった。妙な口調と耳元に囁かれる言葉が・・・もう! 今のは何だ? 帰ったら、無事に帰ったら問い詰めて―――

 「・・・。」 「・・・。」 「・・・お熱いな。」

 嗚呼、気まずい。・・・いいや、ストゥの行動には意味があるはず。同僚を茶化す様子ではない。その行動、その言葉に何か・・・、彼女が自分の腰に、白衣の内側に手を回したとき、何かをシャツとズボンの隙間に差し込んだ気がする。触感で確認はできないが、それが腰の違和感として伝わる。

 居ない、逃さない・・・ゆっくり。これも何かの暗示? そうだ、今の状況と妙に合致している。これはサイロによる指示なのか? それともストゥは今の状況を一瞬で悟った? 確実に、そうだ。

 『―――。』 「・・・。」 『―――。』 「・・・。」

 微かなノイズがインカムを伝い、小骨と小骨を震わせる。これは何だ、自分に宛てた音なのか、男の通信が漏れているのか、ただの偶然か。・・・次々と訪れる非常な現象に、もはや、考える気力も枯れてしまった。何一つ真面に予想ができない。・・・畜生。非力だ、無力だ。

 彼らの一転する警戒を恐れて《情報端末》にも触れられず、偶に無機質な言葉を交わしながら歩みを続けていれば、気付けば、自分は配管が張り巡らされた工房まで・・・違う、更に奥へ。色温度が変に高い照明と荒いコンクリートで包まれた、全く縁のない場所に辿り着こうとしている。

 「・・・えーっと《MRG》は工房に 「すみませんね、貴方を〝そちら〟ではなく〝あちら〟に向かわせろとの指示なので。」 「・・・その、〝あちら〟とは何処なのですか。」 「・・・誰も立ち入ることのない、〝特別〟な場所です。」 「・・・あ・・・ッ。」

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