屋根裏農園 ~ちっさい神様と咲~

夏笆

屋根裏農園 ~ちっさい神様と咲~





「もうっ。むっかつくっ。何なのよ、あの嫌味女!」


 さきが、ほぼリモートで勤務している会社には、とてつもなく面倒な先輩がいる。


 咲の方が後輩なのに、仕事が分からないからという理由で電話をしてきては、教わった後は礼を言うどころか、必ず咲を貶すのだ。


 曰く、咲という名は裂けるに通じて響きも縁起も悪い、お風呂はシャワーだけにして時間は15分以内にしろ、趣味が聞香もんこうなんて地味で辛気臭い、等々。


 同居している訳でもない、ただ同じ会社に勤務しているというだけで、どうして私生活まで管理しようとするのか、咲にはまったくもって理解できない。


 ましてや名前など、咲の両親が愛情と共につけてくれた、大切なものである。


 それなのに、自分の一方的な感覚、感情だけで咲を全否定して来るのには、辟易してしまう。


「もしかして。私で、日頃の鬱憤を晴らそうとしているとか?」


 そう考えても仕方のないほど、先輩は電話をしてくる。


 今日も、長時間に渡って、終業時間ぎりぎりまで同じような質問をされ、さんざん説明をさせられてから、例の如く延々と嫌味を言われていたかと思えば、唐突に、ぶちっと電話を切られた。


 なんというかもう、咲の邪魔をしたいだけなのではないかと思うレベルである。


「ああ、やめやめ!買い物でも行こう」


 咲の邪魔をしたいのでは、という推測が当たっているならば、先輩の意図には反するだろうが、幸い仕事も終わっていることだし、気分転換には出かけるのが一番と、咲は愛用のエコバッグと財布を手に家を出た。


 咲が住んでいるのは、郊外の一戸建て。


 とは言っても、咲が所有しているものではなく、咲の祖父母の家なのだが、ふたりは今、仲良く世界一周旅行の最中で、その間の留守番も兼ねて、相続予定の咲がひとりで住んでいるのである。


「さて。今夜は、なに食べよっかな。お惣菜買っちゃうでもいいかな」


「ああ!最悪だ!」


 ひとりだし、簡単なものでもいいかと、手抜き夕飯のメニュウを考えつつ歩いていた咲は、突然聞こえた声に驚いて、辺りを見回した。


「え?誰もいない?」


 かなり近くで聞こえたのに、日暮れ前の道には誰もいない。


 もう少し、早い時間でも遅い時間でも、それなりに人通りがある道だけれど、今の時間だと、丁度出歩いている人も少なくて、ご近所付き合いは大事と思いながらも、人付き合いが余り得意でない咲には有難い。


 有難いのだが、夕暮れも近いこの時間、人の姿は見えないのに声は聞こえるなど、誰そ彼時、もしもその相手がひとでなかったら、などということまで考えてしまう。


「空耳?でも、あんなにはっきり・・・ってことは、やっぱり?」


「最悪、最悪だ!」


「ひゃあ!」


 本当にすぐ近くで聞こえたのに何故、となればやはりと思ったところで再び声が聞こえ、咲は思わず悲鳴を上げて飛び上がった。


「なんじゃ!我を化け物のように!」


「え!?ご、ごめんなさい!・・・けど、どこにいるの?」


 不満げに言われ、やはり誰か居るのかと、安堵の思いで再び周りを見るも、ひとの姿は見当たらない。


「じゃあ、やっぱり?」


 本人に自覚が無いだけで人ならざる者確定かと、咲の背筋を寒いものが奔った時、目の端で何かが暴れているのが見えた。


「くっそう!こんなに濡れて汚れて!おまけに化け物扱いまでされるとは!あやつ、絶対に許さん!」


 叫びと共に両手を振り回しつつ、小さな人と見える何かが、水たまりに嵌っている。


「・・・コロポックル?」


「違う!我は、少彦名すくなひこなだ!」


 小さいながらも、きちんとした装束に身を包んだ彼に胸を張って言われ、咲は、ぽんと手を叩く。


「ああ。あのちっさい神様ですね」


「ちっさい言うな!・・・まあ、合っているが」


「ごめんなさい。この口がつい。それより、折角のお衣装が汚れてしまいましたね。良かったら、うちに行きませんか?きれいにして乾かさないと、風邪をひいてしまいます」


「おお。頼めるか?」


「もちろんです。では、ちょっと失礼しますね」


 そう言うと咲は、ささっと小さい彼を水たまりから掬い上げ、来た道を引き返す。


「乗り物にしている蛙に、振り落とされてしまってな。幸い、顔は出る深さであったが、どうにも抜けられなくて、難儀しておったのじゃ。面倒をかけた。そして、世話になる」


「気にしないでください。困った時はお互い様って言うじゃないですか・・・はい、ここが私の家です。名前は、さきといいます。ようこそ、我が家へ。歓迎します、少彦名様すくなひこなさま


 言いつつ家にあがった咲は、小さい彼をまずは洗面所へ連れて行った。


「ちょっと、ここで待っていてくださいね」


「あい分かった」


 こくりと頷くのを可愛いと見つめ、可愛いものを見ると自然と微笑みが浮かぶ、などと思いつつ、咲は小さな風呂・・・洗面器に湯を張ったものを用意した。


「これは。いいな」


 こぼれてもいいように、簡易風呂とした洗面器を洗面台に置けば、それだけで小さい彼の瞳が輝く。


 そして、体や髪は湯船の外で洗ってから小さな風呂に入れるよう、洗面器の脇に硝子製の平たいペーパーウェイトも設置した。


 これを踏み台とすれば、よじ登って入れそうかと咲が問えば、少彦名すくなひこなは、可能だと笑顔で頷きを返す。


「あと、これ。タオル代わりにどうぞ。それから、ボディソープとシャンプー、コンディショナーも、小さい容器に入れておきましたので、遠慮なく使ってください」


「ぼでぃそおぷ、に、しゃんぷう、それに、こんでぃしょなあ、か。何から何まであいすまぬ」


「いえいえ。あとお湯、足りなかったら言ってくださいね。掛け湯用の洗面器は、これでいいでしょうか?」


 身体を洗い、湯をかけるのに使うだろうと、咲はペットボトルのキャップを渡した。


「ああ、充分だ。礼を言う」


 そうして、いそいそと衣を脱ぎだした小さい彼をその場に残し、咲は自分の部屋へと急ぐ。


「ええっと、確かこの辺に・・・あ、あった!」


 以前、人形用の洋服を作ろうとして頓挫した、その暗い過去が払拭される思いで、咲はいそいそと布を取り出した。


「ええと。着ていたのは、神話の神様が着ているみたいな衣だったから。真似をして作ればいいよね?」


 布を裁断するのも、裁縫するのも久しぶりと、わくわくする気持ちで布を開いた咲は、そこではっと我に返った。


「か、簡単なものにしよう。時間も無いし。うん、うん。無理は禁物」


 小さい彼が纏っていたような、きちんとした衣など、己の実力では作れるはずも無いと早々に諦め、咲は、自分の実力に見合った服を作成することとした。








「はい。こちら、着替えです。簡単なものですみません。あと、これで身体を拭いてください」


 何とか小さい彼がお風呂を使っている間にと、頑張って作成した服と身体を拭くための布を持って、万が一にも見えないように顔を余所向けて手を伸ばし渡せば、小さい彼は嬉しそうな声をあげて受け取った。


「なんと着替えまで!咲は優しいのう」


「か、簡単なものですから」


 貫頭衣なので、本当に簡単でごめんなさいと咲が言うも、小さい彼からうきうきとした様子が消えることは無い。


「うん、いい具合だ。着心地もいい。咲は、器用だな」


「あ、ありがとうございます。あと、髪はみずらですよね!では、髪はこちらで」


 今は解いているが、確かにみずらだった、本物初めて見た、と咲がその結っている所を見せてもらおうと瞳を輝かせて鏡台の方へいざなえば、小さい彼もまた、ぱっと瞳を煌めかせた。


「みずらまで結えるとは、咲は本当に凄いな」


「え?」


「ん?」


 そしてふたりは、互いのすれ違いに気づき、顔を見合わせた。








「・・・本当に世話になった。咲が来なんだら土座衛門だったわ」


「髪は、みずらもどき、ですけれど」


 ネットを見ながら懸命に結いはしたが、今一つの出来だと苦笑する咲に、小さい彼は首を横に振る。


「何を言う。初めてでこれだけ結えれば立派なものだ。ところで、咲は、心のなかで我を何と呼んでいる?」


「え?」


「咲には世話になったからな。少彦名すくなひこなと、名を呼ぶことを許す」


 特別だぞ、と胸を張り言われて、咲は自然と笑顔になった。


「ありがとうございます。すくな様」


「いや。礼を言うのはこちらの方だ」


「すくな様、ちっさいですから仕方ないですよ」


 水たまりに嵌って身動きが取れなくなっていた姿を思い出し、咲が言えば、少彦名が、むぅ、と膨れた。


「ひと言余計なのだ、まったく。して、礼がしたいのだが何か願いはないか?」


「願い、ですか?」


「何かひとつくらいあるだろう。何かが欲しい、とか」


 言われ、咲は憧れているあるものを思い描いた。


「農園が欲しいです、けど」


 自分で作った野菜を食べてみたい、というのは、テレビの園芸番組を視る度に思うことだが、いかんせん土地が無い。


「農園か。空いている部屋はあるか?」


 ふむ、と頷いた少彦名すくなひこなに空き部屋の有無を聞かれ、咲は首を傾げた。


「庭じゃなくてですか?」


 小さいとはいえ花壇もあるし、洗濯物を干せる場所もある。


 土地と言えば庭しか無いのに、少彦名は何を言っているのかと思いつつ言葉にすれば、少彦名が、庭ではないと、当然のように言い切った。


「ここの庭は、農園にするには狭かろう」


「確かにそうですね。すくな様の大きさなら、大丈夫そうですけれど」


 狭いが故に家庭菜園にすることは諦めたが、少彦名すくなひこなの大きさなら、農園と言ってもいい広さだと咲が言えば、少彦名が顔をしかめた。


「庭にて、我が農業か。雨が降れば、即座に水難一直線だな。あちらこちらで、溺れる未来しか見えぬ」


「確かに」


 神妙な顔で咲が納得すれば、少彦名が大きなため息を吐く。


「はあ。まったくもう。少しは否定せい・・・それで?空き部屋はあるのか?」


「そうですね。あるにはありますけれど、物置と化してしまっていますから。完全に空いてるとなると屋根裏部屋になります」


「物置、って。お主、堂々と言っておらんで片付けろよ・・・まあ、いい。連れて行け」








「ここですが」


 屋根裏部屋とはいえ、一定時間陽もあたるので黴臭さなどとは無縁のその場所は、しかしやはり狭い。


 とても農園が作れるとは思えないと、咲が少彦名を見れば、彼は何処からともなく小槌を取り出した。


「まあ、見ておれ」


 にやりとした笑みを浮かべた少彦名がすっと姿勢を正し、真顔になって何かを口ずさみながら小槌を振る。


 すると、畑の畝が作られ、囲いが作られた。


「え?え?」


 それらを咲が信じられない思いで見つめるうち、屋根裏部屋の床に様々な物が次々と出現し、あっというまに立派な農園の箱庭が完成した。


 そう。


 大変に立派ではあるが、咲からみれば、それは箱庭の農園。


 それでもその精巧さに咲は驚き、息を呑んで見つめてしまう。


「何を呆けておる」


「え、だって凄いです。ほんとに農園です。動いている鶏も居るなんて、驚きです。不思議。私の農園と言うには、ちっさいですけど」


「そうか、ちっさいか」


「あ、箱庭としては大きいと思います。でも、これだと、すくな様は入れても、私は入れないですから」


 それが残念なのだと咲が言えば、少彦名がまたもにやりと笑う。


「なら、咲も小さくなれば良いのだ。ほれ」


「え?え?えええええ!!??」


 少彦名が咲に向かって小槌を振った瞬間、周りの物すべてが巨大化して咲はパニックになりそうになった。


「いいから落ち着け。ここはあの箱庭農園だ」


 少彦名に言われ周りを見てみれば、確かにあの農園が咲の目の前に広がっている。


「わああ、ほんとだ。凄い」


「この小槌を使えば、小さくなることが出来るし、もう一度振れば元の大きさに戻ることが出来る。まあ、最初の大きさが分からなければ無理だがな」


「え!?じゃあ、私は!?私は、どうなるんです!?」


 大体の身長体重は分かるけれども、と叫ぶ咲の頭を少彦名すくなひこながぽんぽんと叩いた。


「お、いいな。この大きさなら、咲を小突ける」


「ちょっと、莫迦なこと言ってないで!」


「大丈夫だ。この小槌には、咲の情報を入れてあるから安心しろ。それと、この後咲が他の物を小さくして持ち込むのも可能だ。だが、他の者には使わせるなよ?これは、咲だけの小槌だ」


「分かりました。ありがとうございます、すくな様」


 大切にする、と小槌を胸に抱き、咲はきらきらとした目を農園へと向けた。








「おーい咲、今日も来たぞ」


「あ、すくな様いらっしゃい!今日は、とまとの花が咲いたんですよ!」


 それから、咲は空き時間には農園で作業をし、遊びに来る少彦名に農園を見せて回ったり、一緒にお茶をしたりして過ごすのが楽しみになった。






「・・・ほう。風呂の時間まで。鬱陶しい輩が居るのだな」


「そうなんです。この間は、リモート会議の後、箱庭のことで他の人達が盛り上がったのが面白くないらしくって、私にも、持っているなら見せろって煩いんです。誰が家に呼ぶかってのよ」


 苛立たしさを隠すことなく言い、ばりんっ、とせんべいを齧る咲の前で、少彦名が小さな湯呑を口に運ぶ。


「いっそ見せてやればいいではないか。自慢できるぞ」


「例え凄いと思っても、貶すことしかしないと思います。嫌な思いをさせられるだけです。それに、あの農園はすくな様がくれた私の宝物だから、もし貶されたら仕返ししちゃいそう」


 先輩、っていう枠を越えて仕返ししてしまいそうよと、咲が笑った所で、来客を知らせるインターフォンが鳴った。


「奴だったりしてな」


「すくな様ってば、やめてくださいよ・・って。げっ、ほんとに先輩」


 モニターに映る人物を見、思い切り顔をしかめつつ、それでも咲は玄関へと向かう。


「来てあげたわよ。で、箱庭はどこ?」


 扉を開けるなり、挨拶もせずに上がり込んだ先輩は、咲が僅かに見てしまった階段をつかつかと昇り出す。


「ちょっ、先輩!祖父母の部屋もあるので、そっちは・・あっ、ちょっと!」


「二階?あら、もっと上があるのね・・・って、あった!まあ、ちんけな箱庭ねえ!」


 咲が止めるのも聞かず、屋根裏の扉を勝手に開けた先輩は、目をらんらんと輝かせて嫌味を言い始めた。


「大体、箱庭なんて、実生活に満足していないから空想したくなるものなのよ。可哀そうにねえ。あら、これは?」


 勝手に決めつけ、意地の悪い笑みを浮かべた先輩が、大事に棚にしまってある小さな箱に手を掛けた。


「あっ。それは、ほんとに駄目です!」


 布張りで丁寧に仕上げたその箱には、少彦名が贈ってくれた小槌が大切に仕舞ってある。


 まったく信用のならない相手に触れさせるものかと、咲は慌てて手を伸ばすも、先輩の動きの方が早かった。


「何が『それは、ほんとに駄目です』よ。一体何が入って・・って。まあ、打ち出の小槌?これぞ夢物語ってやつね・・・きゃあ!!」


 咲を嘲笑いつつ、指先で摘まんだ小槌を振った先輩は一気に小さくなり、悲鳴と共に放り出された小槌を、ぴょんと飛び上がった少彦名すくなひこなが空中で受け止めた。


「すくな様!小槌、大丈夫でしたか!?」


「ああ。大事ない」


「良かった・・・」


 ほっと胸を撫でおろす咲の足元で、小さくなった先輩が、何かを喚き暴れている。


「凄い雑音だな。叫び過ぎて、何を言っているのか分からん」


「まあ、悪態ついていることは間違いなさそうですけどね・・・って、あ!」


 苦笑して言った咲は、はっとしたように少彦名を見た。


「私、先輩の身長体重なんて知らないです」


「よっ、はっ、ほっ」


 『元に戻せない』と焦る咲を余所に、少彦名は、楽し気に辺りの棚や物を順繰りに飛び移ると、最終目的である咲の肩へと乗った。


「すくな様、運動神経いいですよね」


「我は運動神経”も”、いいのだ。先輩のことは、その万能な我が何とかしてやるゆえ、今は我の食欲を優先させて欲しい」


 そう言って自分の腹を押さえてみせる少彦名に、咲は耳を寄せる。


「どれどれ?」


「腹の音を聞こうとするな!まったく」


「ふふ。ごめんなさい。じゃあ、ごはんにしましょうか」


「おうよ!我は鮎が食いたい!鰻でもよいぞ!」


「お昼から、贅沢過ぎです!」


「ならば・・・」


 などと楽しく会話をし、咲の気持ちを先輩から引き離すことに成功した少彦名は、咲が屋根裏の扉を閉める際、小さくなった先輩が走って来ようとする動きを止め、声を止め、それでも何かを喚いている先輩に向かって、にやりと笑いかけた。


「咲をいじめるからじゃ。少し反省せい」








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