第5話 再会

 机の中にA4サイズのコピー用紙が入っていて、その紙を取り出すと、そこには『キモデブ』と大きな文字で書かれていて一瞬息を止めて目を瞑って急いで紙をクシャクシャに丸めた。この紙は俺が入れた紙じゃない。過去の俺のことを知っている誰かが俺の机に入れたのだ。もちろん俺を攻撃するために。


 自分の席に帰った近藤絵梨花を見た。彼女と目が合って、軽く手を振られる。俺も反射的に手を振り返す。たぶん奴が入れたんだろう。

 お前の正体はわかっている、と俺に伝えたいんだろう。

 あの頃のようにイジメを再開すると脅しているんだろう。

 過去の俺をバラすと脅しているんだろう。


 お前が俺の正体を知っていようが、それが何だって言うんだ? 俺の過去をバラしたからって、昔は太っていてイジメられたんだよ、って笑って乗り越えてやる。つーか、そんなのも小学生の時に転校してから乗り越えてきたのだ。昔はイジメられていたけど今は頑張ってイケメンしてます、欠点があるから人間の魅力が増すことも俺は知っている。だから過去をバラされても俺は別にかまわない。俺なら乗り越えられる。

 今の俺を近藤絵梨花はイジメれないはずだった。 

 でも頭ではわかっているのに怖ぇー。

 アイツより今の俺の方がスペック高いし、人望も厚くてイジメることは無理のはずなのに、アイツが俺をターゲットにしてイジメを開始したら俺は過去のキモデブに戻ってしまうんじゃないか? そう思ってしまう。


 そもそも、この紙は近藤絵梨花が俺の机に入れたのか?

 他の人だったらどうする?

 犯人を特定しないといけないんじゃないか?

 もし仮に、この紙を入れた犯人が近藤絵梨花として、証言がほしい。

 この紙を入れた犯人が近藤絵梨花じゃなかったら、他にも敵がいて、俺は他の敵とも戦わなくちゃいけないのだ。そしたら戦略とか作戦とか色々と考えなくちゃいけないのだ。ウヌヌヌヌヌヌと俺は思い悩んで1時間目の授業が始まって、次の休み時間に近藤絵梨花に喋りかけに行こうと思っていたけど、なかなか一歩が出なくて男子達と過ごしてしまう。そして次の休み時間も次の休み時間もお昼休みも近藤絵梨花と喋ることなく過ごしてしまって、紙を入れた犯人の推理で頭がいっぱいになって、もうクラスメイトの全員が容疑者のように思えて頭がパンクしそうで、エスケープするために教室を出て図書室に行く。



 宮本輝の『星々の悲しみ』を探した。

 昔読んで面白かった記憶があるけど、内容を鮮明に思い出せない。だけど、あの作品を読んだら心が落ち着くような気がした。今はラノベじゃなくて文芸の気分だった。内容はあまり覚えてないけど星々の悲しみ、と題がついた絵が喫茶店に飾られてあって、その絵がタイトルと合っていないように主人公は思って……みたいな内容だったような気がする。今は宮本輝を読んで心を落ち着かせなくちゃいけないような気がして図書館の本棚のマ行を探していると本棚に夢中で女の子とぶつかってしまった。


「あっ、ごめん」と俺は謝った。

「ごめんなさい」

 と女の子も頭を下げた。


「文香」

 とその子を見て、俺は呟いた。

 

 ぶつかった女の子は丸メガネもかけてなかったし、オカッパでもなかったけど、俺は文香だと気づいた。

 髪は真っ黒のストレートで、少し切れ長の目。白くて細い指で本を大切そうに持っていた。


「……ナオトくん?」

 彼女が俺を見て、尋ねた。

 文香には痩せてイケメンになっても俺だとわかるらしい。


「やっぱり文香?」

 と俺が確認するように尋ねた。

「ナオトくん?」

 と彼女も俺のことを確認するように尋ねた。


 あんなことやこんなことがあって、いっぱい嫌な思いをして喋らなくなったけど、俺達は小さい時からずっと一緒にいて、もうあの頃のように友達以上兄弟未満の関係じゃなくなってしまったけど文香が普通に生きていてくれて嬉しい。

 行きたくない戦争に一緒に行ってお互い殺されたと思っていたけど別の場所で再会できたのだ。

 あの時は俺も上靴とか一緒に探せなくてごめん、とか謝りたかったし、……彼女も謝りたいこともいっぱいあるんだろう。

 わかっている。みんなアイツが悪いのだ。


「文香だよね」と俺は綺麗な女性に成長した彼女に、また尋ねた。

「ナオトくんなの? ナオトくんなの?」

 と彼女も何度も尋ねていた。


 俺と文香は近くの席に座った。 

 色々と喋りたいことがあったり言わなくちゃいけないことがあるのに、うまく言葉が出てこなくて、「なに読んでるの?」と俺は尋ねた。

 読んでる本の内容なんてどうでもいい。小5の時に文香の靴が無くなったのに一緒に探せなくてごめんと謝りたいのに、俺が転校してから文香はどうしたのか聞きたいのに、必要な言葉を避けるようにして俺は文香が持っている文庫本に視線を向けた。


「舞城王太郎の『煙か土か食い物』」

 と彼女が言う。

「面白いの?」

「すごく」と彼女が言って、本のページをペラペラペラとめくると文字がギッシリと書かれていた。

「うわぁ。文字がすげぇ書かれてる」

「だって小説だもん」と文香がクスッと笑いながら言った。

「いや、尋常じゃなく一ページの文量多くねぇ?」

「舞城だから」と文香が言う。「でも意外とサラサラ読めるんだよ?」

「高級なお肉みたいな感じ?」

 と俺が尋ねると文香がクスッと笑った。

「そうだね。舞城は高級なお肉だね」

 と文香が言う。

「そんなに面白いんだったら俺も読もうかな」

「ナオトくんは何を読んでるの?」

「あっ、これ?」と俺は言って、手に持っていた文庫本を文香に見せる。

「宮本輝の『星々の悲しみ』」

「センスいい」

「あざぁーす」と俺が言って、次の言葉が見つからずに沈黙。


 沈黙って言っても何十秒も2人で黙っていたわけじゃない。次の言葉が生まれるまでの時間、あの事を言おうか? みたいな時間が2人に流れた。


 俺が喋り出そうと口を開けた時に、

「ナオトくん、変わったね」

 と文香が言った。

 そうかなぁ、と嘯きそうになって、俺は言葉を飲み込んで、「うん」と頷いた。

「俺、変わったんだ」

「頑張ったんだね」

「そうだよ」

 と俺が言う。

「文香も変わったね」

「うん」と彼女が頷く。

「すごく綺麗になった」

「ありがとう」

 と彼女が言う。

「俺が転校した後……文香はどうだった?」

「私も転校したよ」

 と彼女が言う。

 私も転校したよ。

 その言葉には、俺が転校した後に、俺の代わりにイジメられたのは彼女であることを示唆しているような気がした。 


「ごめん」

 と俺は謝った。

 逃げてごめん上靴を一緒に探せなくてごめんイジメられていたのに助けてあげれなくてごめん助けに入っても完璧に助けてあげれなくてごめん。


「ナオトくんが謝ることじゃないよ」

 と文香が言った。

「それに私も……ごめん。ナオトくんに嫌なことしたよね」

「文香が謝ることじゃない。悪いのは、全部アイツだから」

「ナオトくん」

 と文香が何かを言おうとした時にキンコーンコーンとチャイムが鳴り響く。


「ん?」

 と俺が続きの言葉を促す。

「また」と文香が言った。

「……それじゃあ明日休みだから」

 俺は慌ててスマホを取り出す。

「部活終わってから会おう。連絡先教えて」

「うん」

 俺達は連絡を交換して教室に戻った。








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読んでいただきありがとうございます。

明日から投稿は18時にさせていただきます。

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