第10話 『日星邦代の場合』 右左上左右右 さん

p.82)そこに入れるのは図書委員だけの秘密の場所的な、ちょっとした特権だった。


わたしも、わたしが所属する場所に必ず部外者の入り込まない空間を確保したがる癖がある。そこは結界であり、自分が安心して自分でいられる場所だった。



p.83) 仲良くなった気がしていた自分も悪いのだ。


中学校三年生の冬休み前、わたしにもそういうブームが訪れたことがある。ゼロより悪いマイナスだった対人関係が、この期間だけプラスになった。幸い、というかわたしはそれを「友人ができた」とは考えなかったので、受験を終えてマイナスにもどってもダメージはなかった。それがよいことなのかどうかは別として。



彼女達に追い付いたらマズイと思い、咄嗟に手近な店へと入った。


異次元へ迷い込む瞬間の描写が、それぞれの作品にふさわしい形で挿入されている。自然な場面転換の演出は作者の腕の見せ所だ。

ここで主人公には「サァと冷たい風が顔に当た」る。異次元へいざなわれたときの不思議な高揚と陶酔とは逆に、主人公はここで醒めたのだろう。友達ができたわけではなかった、ということを改めて認識させられたのだと思う。



p.85)どれにも『夢叶う』とある。


その前の部分に『これでアナタも!』という煽り文句があったと示されている。ここに並んでいる文具を使えば、といいう意味にとれる。続けて読めば『これでアナタも! 夢叶う』だ。それは、ここにある文具であなたの夢が叶う。ということだろうか。

なぜ『合格』ではないのか、と主人公は訝る。『合格』は具体的な目標だが『夢叶う』は漠然としている。と思われる。しかし、今後の人生を考えた時より具体的なのは目先の『合格』などではなく、よりパーソナルな『夢叶う』の方ではないか。『合格』はゴールではない。しかし、主人公が置かれた立場と時期としては『合格』が第一なのだろう。



p.85)耳の遠い店番の老婆


このような「属性」はひじょうに気にかかる。後に明らかになるが、販売してる文具の特徴に気づいていない、という意味なのか。それとも文具の特徴の結果、耳が遠くなってしまったということなのか。それならダークな趣もでてくるな。などと勘ぐってしまう。もちろん、別れたばかりの同級生と鉢合わせしなくてもすむよう、気を使ってくれた、という穏当な可能性もある。



p.90)「お母さん、私、文房具から歌が聞こえるの」


不安でどうしようもなくなった主人公の悲痛な告白だ。

「新・耳袋」というシリーズに、めくるたびに、ひゅ~~~」という音がする本というがあったと記憶している。

神社のおみやげ物屋で買った文具は、使うとき陽気な歌を歌う。つまりこれは「妖怪的な話」なのだと思う。特定の人にだけ聞こえ、しかもそれが一体なぜなのか、何を意味するのか全く分からない。通常の因果関係では説明のつかない怪異。それでいて、なにかホッするような、世界は自分の知っているだけの世界ではないと思い知らされる、爽快感を含んだ何かを感じる。主人公は一度は自らの精神状態を疑い、医者にもかかる。それを主人公自身は「病気」と位置づけた。それは「文房具から歌が聞こえる」ということのみならず、もっと広い意味での「病気」なのだと思う。


歌声が、聞こえる。からこの話は始まる。

病院へ行った日の夜、主人公は、新しい友達ができた、とはしゃいでいた日の日記を、消しゴムで消し去る。その間、消しゴムは陽気に歌い続け、彼女はその歌に噴き出してしまう。この時点で、彼女は怪異を怪異と恐れなくなり、その歌を、自らのものとして受け入れたのだ。

文具の歌は止んだ。しかし主人公には愉快な歌が聞こえ続けているのだと思う。それは主人公、日星邦代自身の歌だ。

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