第7話 『文妄具屋さん 全3話』 杉野圭志 さん

p.60)そんなことをぐつぐつ考えながら歩いていると、いつのまにか見たこともない路地に迷いこんでいた。


異世界へは、こんな風に迷い込んでいくのだ。自らの思念に囚われ、ある状態に煮詰まって、堂々巡りを繰り返すときの、際限のないねじの回転が世界を突き抜けてしまうように。そこはいつだって迷宮で出口は見当たらない。そこで、誰かが手を差し出してくれるのだ。



p.62)「これは『縁切りバサミ』と言いましてね、


文具とは想いを伝える補助具に位置づけられる、という仮定の下、この縁切りバサミもまた想いを現実化する道具ととらえることができる。ただし伝えたい想いには、つながりたい場合と離れたい場合とがあり、つながりたい場合の道具より、離れたい場合の道具のほうが性急で直接的な傾向があるようだ。離れたい場合は「問答無用」という感じがする。そして、その道具で離れた想いは、復旧できない。

即効性があり不可逆な効果の生じる行為にたいして、躊躇を感じるのは当然のことだ。たとえ縁を切ったことそのものが記憶に残らないと分かっていたとしても。



p.62)上の方からニャアと聞こえたので見上げたら、茶トラの猫がこっちを見ていた。


チェシャ猫はニヤニヤ顔を残して消えたが、この帰り道にいる茶トラは銀の鈴を鳴らして魔を払ってくれたのだと思う。異世界からの帰還には、金属的な響きがよく似合う。



p.63)『修正ゆき』というその文具は、仲たがいしていても、真っ白にその関係性を修正できるもの


修正液の用途と、白い、という特徴を生かすため、ファンタジーの語法を導入すること。ささいな喧嘩を収めるには、共通する大事件を共有すればいい。と、このような見込みがあって、修正ゆきは着想されたのかもしれない。それは真夏の雪として、リョウと裕太の前にだけ実現した。これは、軋轢を忘却させるものではなく、わだかまりを消して静かに素直に話し合える状況を生み出してくれるものだった。そして役割を終えたゆきは速やかに消え、しかし二人だけの思い出としてより絆を深めてくれたのだった。



p.64)ない。僕は窓の外を見ている土岐さんの横顔を分度器越しに見た。

 あれ?矢印が反応しない……壊れてる?と思っていたら、


マジカルアイテムが通用しない相手の出現。後にあきらかになるこの分度器の効能から考えると、彼女は超鋭角な人だという解釈が成り立つが、あえてここは、分度器が機能しない場合、というこれもまたマジカルアイテムものに定番の「ルール」制を勘ぐってみたい。では、どのような「ルール」であれば、この話にふさわしくなるだろう。とそんな課題を保留しつつ読み進む。



p.64)これは『心分度器』といいまして、相手の心が鋭いか鈍いかがわかってしまうのです


感性が「鋭い」と「鈍い」の指標で示すのはなぜか。鋭敏な感覚、研ぎ澄まされた感性。それは繊細かつ先鋭的に対象の急所を射貫くイメージがある一方で、儚さ、壊れやすさをも表している。一方、鈍い人、鈍感な人とは、つまり「察しの悪さ」を指すと思う。智クンは「鋭角」=空気を読む。他人に気を使い、自分の意見を言わない。「鈍角」=空気を読まず、言いたいことをズケズケ言う。と考えている。



p.65)男子の学級委員は立候補した僕ですぐに決まったけど、女子は誰もいなくて、だったらと手を挙げたのが土岐さんだった。


智クンはなぜ、学級委員に立候補したのだろう。分度器は学級委員になった後であるように読める。そして分度器のおかげで「全員がちゃんと意見を言えるような雰囲気の学級会にしなきゃ」と思うようになったという。青春展開にありがちは「好きな子と同じ学級委員になる」という理由も当てはまらない。人間は運動の反射がは始まった後で、認知が起こりその理由付けはさらに遅れて辻褄合わせをするという。智くん自身、まだ一連の行動の理由に気づいていないのではないか、と推測してみる。それはずいぶんと鈍いのではないかと。



p.66)すれ違いざまに土岐さんが僕の耳元で囁いた。


こんなことをされたら「惚れてしまう」土岐さんが学級委員になった理由は、前述した青春展開に属するものと思う。(p.65の土岐さんが、学級委員になる過程を考えると、そこにはひじょうな繊細さと大胆さが同居していることがうかがえる)と同時に、智くんはやはり鈍感だということが明らかになる。心分度器が、相手の感性を客観的に測定するものなのではなく、測定者の主観を反映するものであったならどうだろう。

智クンは、(意見をいわない人は)「思った通り」敏感な人が多かった。と書いてある。つまり、先入観があったのだ。だから、冒頭で土岐さんの角度が測れなかったのは、彼女の心が智クンにはわからなかったからだと思う。そして、土岐さんが計測した智クンが180度だったことも、同じ理由で納得できる。しかし、180度というのは非常に安定した鈍感さなのではないだろうか。おおらかであり平和であり、少々のことでは動じないような安心感がある。それは長所でもあるだろう。土岐さんは、智クンのそんなところが好きなのかもしれない。



p.66) 「へ」と僕は口をへの字に開けたまま、


だが土岐さんからのアプローチによって、智クンの鈍感力は、180度を超えてしまった。この先には波乱がある。

そんなみずみずしい青春的展開が心地よい作品だった。



p.66)銀の鈴をつけた可愛い猫を追いかけている


おなじみのあの猫だ。異世界へいざなうチェシャ猫のように。猫が人を呼ぶのではなく人が猫を生み出すのだ、とそんな気がする。衝動とその理由のように。



p.67)赤いインクの糸がまるで生き物みたいに、ペン先にぐるぐるっとらせん状に巻きついた。


マジカルなペンとインク。ペンは持つ人の記憶を引き出すアンテナで、インクは引き出された記憶に群がり、むさぼる。無論、この話全体にはダーテイーなイメージはないのだが、この描写にはダークファンタジー要素を感じる。この魔力に魅入られたら破滅が待っているかのような不穏さがある。



p.68)これはメモリーグラスペンといいましてね、使うとその色に込められた大切な思い出がよみがえるペンなんです」


色に象徴される記憶。ペンが誘因する本人の思い出の中から、それぞれのインクが好物とする思い出を吸着することによって、その思い出が優位となる。いわば、色はチャンネルであり、周波数であり、解読コードなのだ。思い出はつねに受動的にしか表面化しない。そして表面化した思い出に、人は現実を離れて没入するしかない。



p.68)全ての色が鮮やかに五感によみがえった。どれも楽しかった思い出ばかりだ。


思い出は必ず過ぎ去ったもので、二度と現実には蘇らない。全ての色に対して、楽しかった思い出がラインナップされる「私」は、幸せな人なのだと思う。だが、引きずり出されたくない悲しい記憶を、潜在意識によって封印しているのだともいえる。西瓜のとき、おばあちゃんが出てこずその味だけがよみがえったように。



p.68)【紫】のインクをつけたペン先を紙につけたとき、ぽとりと紙の上に水滴が落ちた。


その封印をこじ開ける色が「紫」であることは象徴的である。ここでは「藤の花」が上がっているが、七色とは虹の七色lであり、慣用的に「虹の橋を渡る」は死別を意味することから、これらのインクは冥府との連絡用であるともとれる。「紫」は高貴な色とされ、破邪の色でもある。「紫」はトラウマを解放する色としての位置づけをもつ。だから、ペン先を付けただけで、カタルシスが起こるのだろう。



p.69)天の川……。そう思ったとき、星の中の一つがひときわ大きな光を放ち、わたしをあたたかく包みこんだ。


この結末を「マッチ売りの少女」や「フランダースの犬」になぞらえてみたくなる。それは悲劇であり、、ダークファンタジーとして結末を迎えることだ。しかし、あえてそのような読みをする必要はないのだ。「私」は文具によって、祖母との死別という悲しみを乗り越えて、懐かしい思い出に癒されたのだと。


文具とは、使う人の心を映し出すものなのだ。その際、拡大投影したり、歪めてしまったり、自らの気づかない部分まで克明に伝えてしまったりもする。それが文具のマジカルな力、なのかもしれない。



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