第6話 『じょうずに線をひきましょう』 いちふじ さん

p.52)えんぴつの太さがこれくらいだから……


定規で点と点を結ぶのが苦手だということが、この一文でよくわかる。実際、そこに集中すると定規がズレ、ズレないように定規を押さえている親指の輪郭をえんぴつがなぞってしまったりする。わたしも定規で線を引くのが苦手だ。



p.53)デビルーラー?


三世代にわたり受け継がれる真っ黒な定規。線を引く練習をする定規らしい。ワクワクする。



p.56)デビルーラーで線が引かれた言葉の対象は、線の向こうに移動する。テストの結果なんて、君の世界からなくなるんだ


一気にダークファンタジーになる。線とは取り消し線であり、区切るものである、という着想の連結が、この世界からの排除を導くのだ。それにしても母は娘にこの魔の道具を、なんという気軽さで渡したことか。それは信頼だったのか、それとも何かが欠落している結果なのか。「君の世界から」という断りは、重要だ。



p.56)「えんぴつで描いたから、普通の消しゴムで消すことができるよ。でも、慎重にね。中の文字も消すと」

「消すと」

「言葉の対象は完全に消えるよ」


マジカルな力を発動する状態を変更できるモノは、それがごく普通のモノであってもマジカルな効果に影響を与えられる。と考えることもできるが、それよりも、デビルーラーが登場した時点で、ここは、トワイライトゾーンであり、ウルトラQの異世界に変質してしまっているのだと思いたい。日常は変質し、その変質した日常が、ごく当たり前の日常になる。そのような非日常性がわたしは好きだ。



p.58)いつもやってることのはずなのに、どれもこれも初めてやることだった。


取り消すことと、取り消しを取り消すこととは対照的ではない。母は嫌な存在を消し去る日常を受け入れ、娘はその世界を生きていた。母もまたその母がそのように生きてきた世界を生きた。そこには、自分が受け入れられないものなど一つもなく、客観的にはどんなに不自然であっても、そこに生きる人々は、疑念を感じることはない。母が、線をひく練習として消してきた夥しい数の「嫌なモノ」。世界は既に多くが失われている。そして失ったことに気づくことはない。たとえそれを取り戻したとしても、取り戻したものであることにも気づけないのである。



p.58)そうか、あそこが胃なんだ。


この話の結末として、これほど適切でこれほど恐ろしいものはない。半透明で世界から消えかけているお父さん。という認識がありながら、そのような状態にしたのが自分だということり、それ以前に、母が父を除外していたことも、なんら引っ掛かるところではないという欠落。

取り消し線は取り消したことを明示するために用いられる。それは修正を記録しておくためである。デビルーラーの恐ろしさは、それを隠してしまうことと、それを取り戻そうとすれば、絶対に欠損が生じるよう仕組まれているという点と、その欠損を欠損と感じる者が誰もいない世界だということである。

そこに違和感がなく、したがって対話はなく、その意味では理解も連帯はない。

注意深く読めば、この世界の欠落はそこここに散りばめられているだろう。

これは、ドラえもんの「独裁スイッチ」よりもさらに残酷な道具である。

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