第8話 決定的証拠

夜明け前に近い時間帯、騎士団の詰め所にはやけに落ち着かない空気が流れていた。夜間の捜査を進めた者たちが各々の書類を照らし、時折誰かが短く指示を飛ばす。そんななか、八雲とリアンは駅長室で見つかった運行ログをじっと見据えていた。


「駅長から預かった記録には、魔力転輪へ注ぎ込んだ魔力の数値が普段より多く計上されているそうですね。深夜0時台に急に高まった形跡がある、と」


八雲がログのページをめくりながら視線を落とす。駅長室には長年の運行データが保管されており、本来は車両整備や安全対策に活用される。それなのに、今回だけ妙に高い魔力加速の数値が示されていることが気になって仕方がない。


「ここに、深夜0時半から0時40分ごろにかけて“ブレーキ点検”と称した作業が記録されてるんだが、実際にブレーキの不具合は見つからなかったと駅員が言っていた。代わりに“魔力転輪の動作”を調整したメモが残っていてな。あからさまに怪しい」


リアンは眉を寄せながら、紙の端を指先でトントンと叩く。ブレーキ点検と称して、誰かが転輪に余分な魔力を注ぎ込み、列車を予定より速く走らせたのではないか――その仮説を裏付ける証拠としては充分に思えた。


「もし実際に列車が深夜0時50分に王都へ着いていたとしたら、到着予定が1時20分だったことと合わせて30分の誤差になります。これを利用すれば、ジャノスさんを殺害したあと『まだ列車は着いていないはず』と周囲を誤誘導できますよね。つまり、ボルデさんのアリバイ工作がここで成立する」


八雲はノートに線を引きながら、23時50分に郊外を出発した列車が本来は1時20分に到着するはずだったことを再確認する。そこを0時台のうちに王都へ着かせるためには、魔力転輪に相当な加速を加えなくてはならない。駅長室のログに残る“想定外の加速”が、その事実を示しているように見えた。


「現に、数名の乗客は『夜道を走行中、妙な振動を感じた』とか『ブレーキ点検とかいう話があったが、すぐ走り出したから不可解だった』なんて言っている。確たる証言ではないにせよ、誰かが夜半に転輪を触っていた可能性は高い」


リアンが言い終えると、奥のほうから声が上がった。捜査に加わっている別の騎士が、魔力に詳しい技術者を連れてきたらしい。技術者は書類にざっと目を通すと、「深夜0時半すぎに通常の倍ほどの魔力が転輪に注がれた記録がある」と難しい顔をして教えてくれた。やはり、この余分な魔力こそが“早着”の根拠にほかならない。


「となると、ボルデのアリバイも一気に崩れるんじゃないでしょうか。舞踏会へ1時前に姿を見せたのが本当だとしても、列車が0時50分に着いていれば、確かに1時に会場にいてもおかしくない。だけど、それは“列車が絶対に1時20分に着く”っていう常識を逆手に取ったから成立する話ですよ」


八雲の指摘に、騎士団員たちのあいだにざわめきが広がる。魔力転輪への加速量という決定的な証拠が出た以上、「1時20分にしか着かないはず」と主張していた側こそが怪しいというわけだ。その証拠はまさにボルデが仕組んだ時刻表トリックを示唆している。


「ジャノスが深夜0時30分から0時40分のあいだに殺害されたと考えれば、この加速が始まった時刻と重なる。殺害後、列車はぐんと速度を上げて0時50分頃に王都へ到着。ボルデはすぐ駅を出て、公爵夫人の舞踏会会場へ走れば十分間に合う。そりゃあ1時に会場へ入っても不思議じゃないな」


リアンは机を軽く押し払いながら視線を上げる。ボルデが「列車なんぞ乗っていない」と自信満々に語った理由が、ここへきて裏目に出始めた。正式ダイヤを信じこむ者にとっては「1時前に会場へ来られるはずがない」と錯覚させるが、実際には列車が0時台に着いていたのだとすれば、話は変わる。


「ただ、問題は公爵夫人だ。執事ボルデが自白しない限り、夫人が命じたと立証するのは難しい。彼女は自分が舞踏会のホストであることを強調して、列車の話など聞いていないと押し通すかもしれない」


別の騎士団員が苦い声を漏らすが、そこへイザベラが姿を見せた。父のジャノスがどんな状態で遺体となったかを確認し、捜査情報を共有してほしいと申し出ていたのだ。彼女の瞳には決意が宿っている。


「もし執事ボルデが裏工作していたとわかるなら、父の死は“正式ダイヤとの食い違い”に関係していたと証明できます。舞踏会の裏で公爵夫人がどんな動きを取っていたか、私も手伝います。……例の書類――新路線契約に関するメモですが、父の机に鍵のかかった小引き出しがあって、そこに不審な手紙の切れ端が挟まっていたんです。公爵夫人の紋章のような印がありました」


イザベラはそう言って、差し出してきた小さな紙片をリアンに渡す。そこに描かれているのは間違いなく夫人の紋章らしき図形だが、文面は破れていて読み取れない。ただ、「新路線が完成する前に抑えなくては——」という不穏なフレーズがかろうじて残っている。


「公爵夫人は自分の領地を通さずに列車が走ることを極端に嫌がっていた、という噂もある。何もかも合致してくる感じだ。……ボルデが自白しなくても、この魔力転輪のログとイザベラさんの紙切れを突きつければ、相当厳しい状況に追い込めるんじゃないか」


リアンの目が光を帯びる。捜査の進展がようやく夫人の足元を揺るがす段階に来たというわけだ。表舞台で華やかな舞踏会を開いていた彼女が、裏では列車を利用してジャノスを抹殺しようと画策し、執事に実行させた。その証拠が運行ログという形で示されたのなら、公爵夫人の陥落も時間の問題だろう。


「私には公爵夫人を断罪する権限はありませんが……もし父が殺された理由が“列車の利権”にあるのなら、せめてその事実を明るみにしたいのです」イザベラの声は小さいながらはっきりしていた。加速ログという決定的証拠は、ひとまずボルデの偽装アリバイを壊す。そこから夫人へ追及を伸ばせるかどうかは、騎士団の手腕にかかっている。だが、この場にいる八雲やリアンは、その流れをしっかり作ろうと心に期していた。


「では、次は公爵夫人にも正式に話を聞くしかないですね。もう“舞踏会で忙しかった”というだけでは済まされないでしょう。夜中に列車が早着していたなんて話、普通の貴族なら到底想像しない。それを利用した人物こそがボルデであり、ボルデを仕向けたのが夫人の可能性は極めて高い」


八雲は長く引き伸ばした紙の地図をふとたたみこむ。その先にあるのは、夜中に加速を仕掛けた者の姿。すなわち、ジャノスを殺害しつつ、短時間で舞踏会へ戻ることでアリバイを完成させた犯人像がくっきり浮かぶ。「最初から会場にいた」と言い張っているボルデだけが、それを成し遂げられる立場にあっただろう。


「夫人がどこまで関わっているにせよ、執事ボルデの立場は絶体絶命だ。新路線を阻止するためにジャノスを狙った証拠が、運行ログという形で示された以上、もう逃げ場はない。これで連中が裏で握りこんでいた“魔導列車を動かす権限”をも白日の下に引きずり出せると思う」


リアンが言い終えると、数名の騎士団員が動き始めた。公爵夫人への聴取を要請する手続きが整ったのだという。加速ログをめぐる疑義と、ボルデが終電に乗っていた可能性を改めて突きつけることになる。一方で、夫人がどう反応するかは未知数だが、このままでは逃げ切れまい。深夜の舞踏会を口実に利用できたのは、あくまで時刻表と現実の矛盾を周囲が把握していなかったからだ。


「父の計画が潰されるどころか、こんなにも悲惨な事件になるなんて、今でも信じられません。でも、私……必ず父の志を継ぎたいんです。夫人の命令で列車を歪めてまで利権を確保しようとする行為を許せるわけがない。たとえ私ひとりでは難しくても、あなたたちがいてくれれば……」


イザベラは拳を強く握りしめ、ゆっくりと頭を下げた。リアンがそれを受け止めるように短い言葉で応じると、八雲も静かにうなずく。すでに捜査は大詰めだ。夜間ダイヤの不自然な加速という“決定的証拠”を突きつければ、ボルデの舞踏会アリバイは崩落する。魔力を使って早着を図った痕跡は書類にも数値にも刻まれているのだ。


「仮に夫人が『そんな話は聞いていない』と突っぱねても、今回ばかりはそれが通用しないはずですよ。ボルデひとりが加速を仕掛け、殺人を犯す動機をどう説明するか……当然、誰かの指示があったと考えるのが自然ですから」


八雲はログを抱え、ノートをしっかり手に取る。深夜に列車が本来の予定を大きく外れた事実、そしてボルデが舞踏会に滑り込んだ時間。二つの要素が合わされば、公爵夫人が黒幕として関わっていると見なすのは難くない。今、捜査の前線ではボルデの追いつめと、公爵夫人の突き崩しが同時に動き始めている。新路線をめぐる争いが発火点となり、ジャノスを消し去った陰謀はもう隠しおおせない。その先でイザベラが父の遺志を守れるか否かは、夫人がどれほど徹底的に糾弾されるかにかかっている。列車の不規則な時刻表が、とうとう真犯人を引きずり出す証拠として効果を発揮する段階に来たのだと、八雲は深く息をついた。深夜0時50分着――その数字は公式の1時20分着とはまったく相容れない。だからこそ、そこにこそトリックの痕跡が集中していた。魔力による加速という一見ファンタジックな要素が、現実の事件を解き明かす鍵になるのだと、彼は改めて確信した。

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