第6話 トリック仮説とアリバイ崩し

深夜の駅舎に人けは少なく、外灯の淡い照りが線路沿いをうっすら染めていた。騎士団の詰め所はその一角に仮の指揮所を構え、八雲は資料を並べながら、帰りの列車が数十分ほど王都へ早く着いたのではないかと頭を巡らせている。気になるのはダイヤ表にある「1時20分到着」という数字と、複数の乗客が口にした「0時50分ごろには駅へ着いていたらしい」という話の隔たりだ。


彼が一枚の紙に目を凝らしていると、扉を押してリアンが戻ってきた。腕のなかには深夜ダイヤに関する書類が束ねられている。彼が椅子に身を預けると、積み上げた書類がかすかな紙のこすれる音をたてた。「駅員が言うには、本来のスケジュールだと1時20分着が妥当だそうだ。でも昨夜の便に乗っていた者の何人かは『やけに早く駅に着いた』とか、『あれは1時じゃなく0時台だった』みたいに言っている。さすがに全員が勘違いとは思えないんだが、正式な記録にはそこまで載っていない」リアンの口調は区切りがはっきりしている。八雲がノートを開き、日の入りからの時刻を頭のなかで組み立てようと試みる。21時発の列車が23時30分に郊外へ着き、23時50分にまた出発したと確認されている以上、1時20分頃に王都へ戻るのが表向きの予定だった。そこへ噂の「0時50分到着」説が混ざると、誰かが意図的に到着を早めた可能性が見える。


「もし昨夜の便が0時50分に駅へ着いていたとしたら、30分の誤差が生まれますよね。その差は大きい。ジャノスさんを誰かが列車内で襲い、わずかな時間に舞踏会へ戻った…そんな流れを作り出すには充分かもしれない」八雲は言いながら懐中時計を軽く指先で弾いた。この世界の夜間運行では、魔力に左右されて予定通りに走らないことが少なくないと聞いている。それでも公式には「1時20分着」となっていれば、周囲は「それより早くは着けない」と思い込みやすい。そこへ「実は0時50分」に到着していたのなら、舞踏会へ移動しても矛盾しない人物がいるかもしれない。


「舞踏会というと、公爵夫人がホストだったんでしたよね。執事ボルデは最初から会場にいたと言い切っているけれど、会場の参加者が『1時前にあの人を見かけた』と証言しているらしいです」リアンが机の隅にあるメモを指先で示す。ボルデがずっと王都にいたのなら列車に乗っていないことになるが、それならばジャノスを殺す機会はなさそうに思える。ところが、列車が30分ほど予定をくつがえすほど早着していた可能性が出てくれば、「1時前に舞踏会へ現れる」という行動自体が実行できるかもしれない。


「公爵夫人のほうは『夜の列車なんて知らない』と繰り返しているみたいで、イザベラさんは父の行き先を知ってはいましたけど…そこに深く踏み込む気配を見せていない。父が23時50分に郊外を出て、1時20分に王都へ着くはずだったのに、0時台にもう到着していたなら話が変わる。ダイヤと実際が食い違うことを知っていた人物が、ジャノスを狙ったのかもしれません」八雲がノートに書き込んだ数字をなぞる。特別室で姿を隠すこともできる夜間列車だ。そのうえ眠りかけている乗客も多く、正確な時刻感覚をもたない人ばかりかもしれない。そうであれば、列車を出たあとわずかな空白で舞踏会へ移動しても、周囲は「どうやってそんな早さで戻ったんだ」などとは思わず、単純に「最初からいた」と錯覚するに違いない。


「列車の車両そのものにも不可解な点があると聞きました。車掌が夜中に『ブレーキ点検』をしたという報告を残していたらしい。魔力転輪を調整する行為だった可能性もあるかもしれない」リアンの手元にある書類には、ところどころ空白がある。確認不足なのか、あるいは誰かが意図的にごまかしたのか。八雲はこの世界に来たばかりで、全容を把握するのは難しい。それでも、もし深夜便のダイヤを人為的に変えられるのならば、その裏に利権や命のやり取りが潜んでいてもおかしくない。


「ジャノスは21時に王都を発ち、23時30分に郊外へ着いて急いで交渉を済ませ、23時50分の便で戻る。そこまで確認されているのに、終着駅で刺殺体となった姿を誰も目撃できなかったのは変ですよ。終点近くで列車を降りるはずが、その前に殺されたのか、あるいは誰かが周りに気づかれないよう工作したのか…いずれにせよ時刻表の矛盾を突かないと解き明かせない感じがします」八雲が声を落とし、リアンもうなずくように眼差しを落とした。捜査隊が列車の内部を調べ始め、翌朝にはさらに詳しい検証が行われる予定だ。それで魔力転輪の不審な痕跡や車掌の奇妙な報告などが浮かべば、誰がその誤差を利用したかも少しははっきりするだろう。


「列車の運行を変えれば、到着時刻に逆らって“アリバイ”を捏造できるかもしれない。それが夜間、半分眠っているような乗客だらけの状況ならなおさらか…」リアンが息をつくように言い残す。八雲のノートには0時50分、1時、1時20分と三つの数字が丸で囲まれており、その間に線が引かれている。どれが虚構で、どれが真実なのか。そこを解き明かすことで、ジャノスがどの時点で命を奪われたかが浮き彫りになるかもしれない。


加速や時刻の操作といったミステリめいた発想が、ここではリアルに関わっていそうだ。もし夜間ダイヤの誤差を仕組んだ者がいるなら、公式には「1時20分着のはずだから、1時前に舞踏会にいるのは不可能」と周囲に思わせられるだろう。執事ボルデが本当に列車になど乗っていなかったのか、それとも裏で魔力を使って到着を早めた張本人なのか。実態を突き止めるために、八雲は帳票を片手に立ち上がり、次の調査に備える。時刻表を虚飾に変えてしまうほどのトリックがあるならば、列車の本質を知る者こそが事件を解明する鍵を握っている。もしその鍵を手にできるのなら、夜間の闇に沈んだ誤差を白日の下に晒せるはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る