第3話 王都の様子
古書店の扉を出て大通りへ足を向けたとき、遠くから鐘の音が微かに聞こえた。石畳の道をいくつもの馬車が行き来し、街角の屋台では旅行者らしき人々が異国めいた菓子を買い求めている。市門をくぐったばかりの旅人もいれば、魔導列車の時刻を気にしてせわしなく歩く商人もいる。ここが政治や商業の中心として栄える王都であることを、否応なく感じさせる光景だ。
「そういえば、王都の近くに何本か路線が伸びているらしいですよね。やっぱり中心だけあって、列車が多いんでしょうか」
店の帳簿整理を一段落させてから、アルノルト店主に向けて軽く尋ねた。彼は地下室から古い書物を抱えて上がってきたところで、机の端にそれを積んで息を吐いている。
「多いとも。いくつもの領地を跨いで、魔導列車が物資や人を運んでる。けれど夜間になると、予期せぬ遅延やら早着やらで、定時運行がうまくいかないことが少なくないんだそうだ。魔力が不安定になりやすいらしくてね」
店主の語り口はどこか楽しそうでもある。それはこの王都という都市が、単なる観光名所ではなく、各地を結ぶ交通の要衝でもあるからなのだろう。郊外に続く路線は特に魔力が乱れやすく、鉄道好きの人間には興味深い課題でもあるらしい。
「不安定……でも、それほどまでに列車が欠かせないんですか?」
問い返すと、店主は棚の奥からもう一冊、地図帳らしきものを引っ張り出した。
「王都で暮らす貴族たちにとって、魔導列車の運行は政治や経済を左右する問題だよ。遥か東の領地まで乗り入れてるから、そこを支配する人間にとっては路線拡張が死活問題になる。利権の匂いもぷんぷんするわけだ」
まさにこの世界の血脈とも言うべき列車の路線網。その最前線にいるのが、店主がしばしば名前を口にするトライス商会だ。そこの当主がジャノス・トライスという人物で、魔導列車を手広く動かしているのだという。夜間や郊外の路線をもっと広げたいという意欲を見せながらも、貴族の思惑が絡むせいで対立が絶えないそうだ。
「トライス商会の代表は、最近また新しい計画を打ち出したとか。うちの常連客が小耳に挟んだといって騒いでいたな。王都に大きな路線を増やすか、あるいは別の領地を優先するか――その辺りで揉めているらしい」
店主がそう話し終えたタイミングで、ドアがひらりと開き、見知った騎士のマントが視界に入った。リアンが「お邪魔じゃないかな」とちらりとこちらをうかがいながら、軽い会釈をする。その姿には王都騎士団の紋章がしっかりと刻まれている。
「前に話した王都の列車警備の件だけど、やっぱり妙な噂が増えてるみたいだ。貴族の誰かが裏で駅を牛耳ろうとしているとか、夜間ダイヤをわざと乱しているとか……いろいろ飛び交っている」
リアンは声を落として言う。どうも騎士団に届く情報のなかには、王都社交界の有力者――いわゆるリスレット公爵夫人の動きが怪しいという話も混ざっているそうだ。なにしろ王都にいる貴族たちは莫大な資金を握っている。しかも公爵夫人と呼ばれる彼女は、魔導列車の路線整備に影響を及ぼすほどの地位を持ち、列車事業を完全に掌握してしまおうとしている噂が尽きない。
「実際のところ、夫人の近くには執事のボルデという人物が控えている。男手一つで強引な交渉やら密談を仕切ってきたらしく、あまり表には出ないが相当な切れ者らしいな」
リアンはそう言いながら、目を伏せて小さく息を整える。そしてさらりと話題を移すように、ある名を口にした。
「……トライス商会の娘、イザベラという人がいるんだが、彼女は父親とは別の考えを持ってると聞いたことがある。商会に育てられながら、貴族社会を見限ろうとしているとか。舞踏会などでたまに姿を見かけるが、そう簡単に本心は話してくれないらしい」
どの勢力に与するかで、魔導列車の未来が大きく変わる。それだけ列車が王都にとって重要な存在だと証明しているようでもある。一方で、彼らの思惑は複雑に絡み合い、下手に首を突っ込めば厄介事を呼び込みそうだ。
リアンは廊下側に視線を送りつつ、ほとんどつぶやきのように続けた。
「もし列車が思うように動かせるなら、物資や人の往来は格段に増える。遠方の領主も儲かる。でも、誰が主導権を握るかによって勝ち組と負け組がはっきり分かれるのが現実だ。騎士団としては、平和に運用されるのが一番なんだが……そう簡単にはいかない」
彼がそう語るなか、店主はそっと地図帳を閉じた。その表情からは、どこか探索心をくすぐられるような雰囲気がうかがえる。やがて立ち上がり、店先を掃除しに向かいながら、後ろ向きにこちらへ言葉を投げかけた。
「王都に来たばかりの人間は、まずはこの場所がどれだけ多種多様な路線に支えられているか知るといい。表向きは華やかだけど、裏側にはいろいろな火種もある。ま、好奇心旺盛な旅人さんには面白い題材かもしれないな」
そう言われてふと目を移すと、店の片隅には魔導列車の古い路線図がかけられている。夜の区間は赤い線で引かれており、その説明には「深夜は魔力の流れが乱れるため要注意」と小さく書き添えられていた。夜間に列車を走らせるのがいかに困難かを実感させられるような図だ。
傍でリアンは腕を組んで思案している。「騎士団としても、あまり表立って貴族に口出しはできないけど、魔導列車は王都の血脈みたいなものだからな。利権だけじゃなく、技術的な問題も山積みだ」と短く漏らす。
それぞれの路線、夜間運行の不安定さ、そして王都を中心とした利権のぶつかり合い。歴史のある街でありながら、近代的な要素を孕むこの王都は、何やら事件を呼び寄せる空気が漂っている。八雲という転移者の存在も、その渦に引き込まれていくのかもしれない。
いずれにしろ、魔導列車がこの国の大動脈であることは間違いない。どんな経路を辿っても、いずれは公爵夫人やトライス商会など、列車をめぐる人々の思惑に行き着きそうだ。古書店の棚で見かけた分厚い技術書を眺めながら、八雲はさらなる資料に目を通すタイミングを図る。夜の路線がなぜ乱れるのか、魔力転輪とはどんな仕組みなのか……その疑問の先に、いつか大きな謎が解ける兆しがあるように思えてならない。
王都では日が暮れるとまた違った顔を見せるらしい。貴族が優雅に舞踏会を開き、商会や職人たちは明日の商取引に思いを馳せる。そしてその影では、誰かが列車を使って新しい企みを進めているのかもしれない。店主が棚卸しを再開し、リアンが王都の巡回へと戻っていく。彼らとの関わりが、魔導列車の行く末を左右する鍵になる――、そう思いながら、八雲はこの街で出会う人々を整理しようと思い立つ。
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