第2話 新たな暮らしと好奇心
翌朝、雑踏のなかを歩いていたら、昨日ちらりと視線を交わしたあの騎士がひょっこり姿を見せた。襟元に王都騎士団の紋章をあしらったマントを纏っている。彼はやや警戒しながらも近づいてきて、まるで合図でもするように浅く頭を下げた。
「昨日は悪いことをした。いきなり声をかけたせいで、驚かせてしまったかもしれない。俺はリアンといって、王都騎士団に属している。何か困っているなら案内をしようと思ったんだが……どこか宛は決まったか?」
リアンという名前らしい。こちらとしては藁にもすがりたい状況なので、まずは誠意を感じさせる彼の態度にほっとする。
「ええと、実は泊まる場所も見当たらなくて。こちらの世界の仕組みもわからないから、手探り状態なんです」
正直に話すと、リアンはほんの少し考え込むように視線を伏せ、頬に手を添えた。
「王都の外れに、面倒見の良い古書店の主人がいるって話を聞いたことがある。噂だと部屋を間借りさせてくれるらしいから、紹介するのはどうだろう?」
ここで選択肢を迷う余裕はなかったので、その提案にすぐ乗ることにした。だがせっかくだから少し周囲を見回して、この街の雰囲気を肌で感じておきたかった。駅を出ると、大きな噴水を囲む円形広場があり、その先には立派な大聖堂がそびえ立つ。広場から何本も放射状に伸びる石畳の通りには、屋台がぎっしり並んでいる。夜だけでなく朝からも活気があるのが印象的だった。
リアンが先導してくれるおかげで、迷わず目的地へ到着できた。古書店の看板には、筆記体のような文字で「アルノルトの蔵書房」と読める銘があった。店の扉を開けると、埃っぽい紙のにおいと、狭い店内に所狭しと積まれた本の山が目に入る。思わず息を呑んでしまった。
「あら、いらっしゃい」
奥の方から落ち着いた声が響き、やせ型の白髪混じりの店主が姿を見せる。やわらかな笑みを浮かべた表情からは、頑固さよりも好奇心旺盛な雰囲気が伺えた。
「こいつは八雲。宿を探しているらしくてな。アルノルトさん、話を聞いてもらえないかな」
リアンが紹介してくれたおかげで、僕の境遇を何とか説明する機会を得た。店主はとくに怪しむ様子もなく、「なるほど」と頷いて本棚の隅を指さした。
「二階は物置にしてたが、布団を敷けば寝るくらいは可能だ。代わりと言ってはなんだが、うちの帳簿整理や店番を少し手伝ってくれると助かるね。古書店なんて客も少ないし、君がゆっくり過ごすには悪くない」
なんだかすんなり話がまとまってしまった。利害が一致したと言うべきか、あるいは店主の人柄なのだろう。僕としては家賃が要らないなら大助かりだ。そうして僕は、この店の二階で寝泊りすることが決まった。
「そうそう、ここにある本はほとんどがこの国の文字で書かれている。読むのには少し慣れが要るかもしれないね」
アルノルト店主が苦笑交じりに言うと、僕はふと日本の時刻表を思い出した。そういえば、この世界の文字がなぜか一部だけ理解できる気がするのは何故だろうか。昨日目にした列車の行き先表示といい、まったく学習していない言語に触れているとは思えない。
リアンもその点が気になったらしく、肩をすくめながらこちらをちらりと見る。
「言語の壁があるはずなんだが、もしかすると転移者には特殊な魔力が付与されるって話もある。ときどき神殿の偉い人がそう語っていると聞いた。詳しくは俺にもわからない」
転移者、という言葉はさすがに耳が痛い。本人に自覚はないが、現にこうして見知らぬ世界にいるのだから否定はできない。アルノルト店主は突拍子もないことにも慣れているのか、特に驚きもしないで店の奥にある書架を指さした。
「そこに魔導列車関連の古書がまとまっている。好きに読んでいいぞ。興味があるなら、言語に慣れるためにもなるだろう。俺が仕入れたはいいものの、需要が低くてね」
立ち読みしてみると、やはり完全には理解できない。だが見出しには「転輪」「魔力循環」「安全機構」などが書かれているらしく、なんとなく意味を推測できる箇所もある。
「こんなに資料があるなんて意外です。僕は日本――じゃなくて、元の世界でずっと鉄道を見てきたんです。ここでも列車に関わることができたらと思います」
呟くように言うと、リアンが目を輝かせる。
「君は列車について詳しいのか? まあ形は似ているかもしれないが、魔導列車は魔力で走るぞ」
まるで先手を取るように言われたが、それでも何かしら僕の知識が応用できるかもしれない。日本の鉄道は物理的なエンジンや電気で動いていたが、ここの列車だって一定のルールがあるはずだ。そう考えるだけで、頭の中にいくつもの疑問が浮かんでくる。
もし魔力を使って加速するなら、時間の見積もりはどう管理しているのか。ダイヤはどう組まれているんだろう。停車駅での発着時間は? そうしたデータをきちんと整備しているなら、おそらくこの街には“時刻表のようなもの”が存在するはずだ。そう思うと、自然と笑みがこぼれてくる。
「ねえ、リアン。魔導列車の運行表みたいなものってある? 運賃表や到着時刻をまとめた書類なんか」
問いかけると、彼は少しだけ考え込んでから首を傾げた。
「駅務担当ならきっと持っていると思うが、どこで手に入るかな。あまり気軽に開示される資料でもなさそうだ」
“資料”という言葉に胸がくすぐられるような感覚が走る。それを察したのか、アルノルト店主が微笑ましそうに言い添えた。
「なら、王都の大図書館に足を運んでみるといい。あそこには古い書類から最新の技術書まで何でも揃っているからね。貴族や騎士団以外は閲覧を制限されている棚もあるけれど、一般向けの文献も豊富だよ」
それは僕にとって、かなり魅力的な情報だった。日本ではネットで検索すれば多くのデータが得られたが、この世界では足を使って現地へ出向くほかない。
さっそく次の日、リアンに頼み込んで大図書館に連れて行ってもらうことにした。通りを一本奥へ進むと、重厚な石造りの建物が視界に迫る。中央には大きなステンドグラスが嵌まった扉があり、そこを抜けると吹き抜けのホールが広がっていた。
「いらっしゃい。こちらはどのような資料をお探しですか?」
カウンターには落ち着いた雰囲気の女性司書がいて、やわらかな声で尋ねてくれる。そこで魔導列車に関する書物を読みたいと申し出ると、彼女は目録を確認しながら棚の位置を教えてくれた。閲覧席には静かな空気が漂い、まるで寺院のようだ。
目当ての本を数冊抱えて席に着くと、ページをめくるたびに見慣れない単語が目に飛び込んでくる。「魔導転輪」「魔石バッテリー」「保護結界」……しかし構造図や挿絵からある程度イメージを補えるのがありがたい。どうやら列車の先頭部に魔石を装着し、そこへ魔力を流し込むことで動力を得ているらしい。その魔力がレールを通して前後に伝わり、速度を制御する仕組みもあるようだ。
夢中になって読みふけっていたところ、リアンがぼそっと言った。
「これだけ熱心に調べるなんて、よほど列車の仕組みに興味があるんだな。こっちでも力になれるかもしれない、という感じか?」
その問いかけに、僕は視線を上げる。言葉は乱暴ではないが、何となく探りを入れられている感触があった。
「自信があるわけじゃない。ただ元の世界で、時刻表や路線図ばかり眺めてたっていうだけなんだ。だからこちらでも、列車にまつわる情報を集めれば何かできるかもしれない」
正直な気持ちだった。リアンは口の端をわずかに緩めて、そのまま図書館の壁のほうへ視線を向ける。
「この国でも魔導列車は重要な交通手段だが、専門知識を持っている人は限られている。工房の技術者か貴族の召使いが大半だ。その中に、君みたいな外部の視点を持つ者が加わるのは面白いかもしれない」
ただ褒めているわけではないように聞こえた。彼の瞳には、王都のために役立つアイデアを期待している様子が伺える。まるで「働きたいなら歓迎するぞ」と言わんばかりだ。もちろん、僕にはまだ何も成し遂げていないし、下積みどころか出発点にすら立てていない。
それでも、こうして古書店で寝泊りし、図書館で調べ物をする毎日を続けていけば、いつか新しい発見があるだろう。そう感じながらページをめくると、ある記述に目が止まる。王都から離れた地方の駅では、夜間に魔力が乱れやすいため待機時間を長くする、という運行ルールが書かれていた。日本の電車でも深夜帯にはダイヤを変動させたりするが、まさか魔力の揺らぎを考慮するとは。
「こういう運行表があれば、列車がどのタイミングで遅延するか、どこで停車するか、全部わかるかも。すごいな、この世界」
興味だけが先行して、思わず声を落として呟く。リアンが小さく肩をすくめた。
「それを“すごい”と捉えるのは面白い。貴族や学者連中はそれを“厄介”と呼ぶことが多いからな。魔力の不安定さのせいで思わぬ事故も起こるし、警備面で問題が出ることもある。実際、路線の拡張計画にも障害が多いのが現状だ」
路線拡張という言葉に、思わず胸が騒いだ。日本で言えば新線開通のようなものだろうが、魔力という要素が絡むと想像を超えた課題が生まれそうだ。
「こんなに便利そうなのに、問題も山積みってことか。なら……僕にも手伝える部分があるかもしれない。全然保証はできないけど、少なくとも興味はある」
さらに数冊を引っ張り出し、しばらく没頭した。魔導列車の歴史から各地の駅の概要まで、まるで知らない世界の宝庫みたいに感じる。時間が許すなら何日でも読み込んでいたいが、夜が近づいてきたことを示す鐘が図書館の中庭から聞こえる。司書が閉館のアナウンスを始めたので、仕方なく僕は本を棚に戻して席を立った。
店主の古書店へ戻る道すがら、リアンがさりげなく切り出す。
「日中のうちに騎士団の詰め所へ寄って、許可を取ってきた。お前が調べ物を続ける分には問題ないそうだ。……急に怪しまれるかと思ったが、意外とあっさりだった」
どうやら騎士団への根回しまでしてくれたらしい。僕がこの世界で何か悪さをしないか、上司が一応確認したのだろう。信頼の証とまではいかないだろうが、通りが良くなったのはありがたい。
「助かるよ。ありがとう、リアン」
礼を述べると、彼は複雑そうに首を振った。
「いや、感謝されるほどのことではない。俺も、もし君の知識が役立つならむしろ望ましいと思っているだけだ。……じゃあまた、必要なら声をかけてくれ」
そう言い残すと、リアンは王都の中央通りをゆっくりと去っていった。大通りには人々の喧騒が続いており、食堂や宿の看板に明かりが灯り始める。それを横目に見ながら古書店に戻ると、二階の小さな部屋で書きかけのノートを開いた。図書館で集めた情報を整理しつつ、「魔導列車」という単語に線を引いてみる。そこから幾筋も疑問が派生していく。魔力の充填量は? 駅同士の距離は? 運行コストは? どれも気になる要素ばかりだ。
王都での生活は未知だらけだけれど、調べたいことがあるのは悪くない。アルノルト店主の古書は読めるものが限られるから、少しずつ言葉の壁を崩していく必要があるし、図書館にもまだまだ蔵書が眠っていそうだ。情報が集まれば、もしかすると「この世界でしかできない鉄道の活用法」が見えてくるかもしれない。
手探りの日々だが、書棚に並ぶ分厚い本を目にするたび、心のどこかで妙な期待が募っていく。遠い国から飛んできた旅人のような身分の自分が、この王都でどう立ち回るのか。列車だけではなく、きっと他にも踏み込むべき場所があるはずだ。
夜風が入り込む小窓を閉じて、ランタンを少しだけ明るくした。真新しいノートの一頁目に「魔導列車研究:八雲」と書き、少しだけ笑ってしまう。いま始めたばかりの些細な作業だけれど、何かの突破口になると信じたい。もっと知りたいことが多いのだから、明日もまた早く街を歩き回ろう。そう思いながらインクを置き、ノートをそっと閉じた。
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