異世界時刻表ミステリー - 魔導列車30分の壁
三坂鳴
第1話 転移の衝撃
大学の講義を終えて帰ろうとしていたあの日。いつものようにスマホで時刻表を確認して、「あと5分で電車が来るな」と当たり前に思った瞬間に――あれは、ほんの一瞬の出来事だったはずなのに、いまや何もかもが遠い記憶だ。
僕の名前は八雲。世間から見ればいわゆる「鉄道オタク」で、電車の走行音やダイヤの変化にやたらと興奮する大学生だ。仲間と集まって乗り鉄の計画を立てたり、ミステリ小説を読み漁ったりするのが日課。大学のサークルでは研究室の隅に転がっているような古い路線図を見つけるだけでテンションが上がる。そんな僕が、あの日もいつも通り電車に乗ろうとしていたのに……。
「うわっ――」
ホームを歩いていたはずの僕は、視界の隅で何かが猛スピードで迫ってくるのを感じた。音もなく、気づいたときには身体ごと弾き飛ばされていたらしい。反射的に、これはまずいぞと思ったけれど、そこで意識は途切れてしまった。
どれくらい時間が経ったのか。目を開けると、見覚えのない街並みが視界に飛び込んできた。レンガ造りの建物が並んでいて、どう見てもヨーロッパ風の中世都市のような雰囲気。しかし、ところどころにやたらと近代的な設備を感じる。街の石畳に沿う形で線路らしきレールが敷かれ、人々が「魔力だ」「転輪がどうの」と言いながら列車を見送っているではないか。
「何だこれ……。映画のセット、にしては手が込みすぎだろ」
目の前には、蒸気機関車のようなフォルムだけれど、先端に不思議な紋章があしらわれていて、煙ではなくうっすらと淡紫色の光が立ち上っている車両が止まっている。車両の側面には見慣れない文字が刻まれているが、どうやら「アルト・エレヴィア行き」と読めそうだった。英語でもローマ字でもない文字なのに、不思議と意味がわかるような感覚がある。
「お兄さん、もしや旅人かい? ここは王都行きの魔導列車の発着所さね」
急に声をかけてきたのは、腰にエプロンのようなものを巻いたおばさん。僕が呆然と立ち尽くしているのを見て親切心で教えてくれたのか、にこやかに微笑んでいる。彼女の背後では、荷車に大量の野菜が積まれていて、どうやら出稼ぎに行く準備をしていたらしい。
「ま、魔導列車……? それって、えっと、何なんですか?」
しどろもどろに返事をすると、おばさんはまるで僕が当然のことを知らない子供でも見るように目を丸くした。
「おやまあ、変わった人もいるもんだよ。魔力を注ぎ込んで動かす列車さ。ほら、見えるだろう? 先頭の魔導転輪に刻印された紋章から魔力が流れて、車両を引っ張るってわけさ」
確かに、車両の先頭には車輪のような形をした金属パーツがあって、中心部に奇妙な光が収束している。蒸気ではなく、魔法で走る列車――聞いたこともない代物だ。つい先ほどまで僕は日本の駅で電車を待っていたはずなのに、こんなファンタジー全開の世界が現実にあるなんて理解が追いつかない。
熱を帯びた視線を送ってしまったのか、おばさんはちょっと照れたように「もし乗るんなら駅員に相談してみるといい。私も同じ便に乗るからさ」と言って去っていった。僕が呆然としている理由もわからず、彼女はただ善意で言葉をくれたのだろう。
周囲を見回すと、そこら中で人間だけじゃない“何か”が普通に歩いている。人間の姿をしているけれど耳が尖っている、いわゆるエルフのような種族。毛並みのいい動物の姿をした獣人もいる。どこかの冒険者風の集団が、剣や槍を携えて駅のホームらしき場所へ向かっているし、ナイト風の鎧を着込んだ兵士が列車を警護している。
「ここ、どこだ……マジで……?」
ぼそりとつぶやいたものの、答えてくれる者は誰もいない。まるでゲームやラノベの世界観をそのまま持ち込んだような場所で、自分が生きていることすら信じられない。手や足を動かす感覚ははっきりあるし、夢とは思えないリアリティがある。むしろ日本にいた頃の記憶が夢だったのかと錯覚しそうだ。
焦って財布を探し、スマホを確認してみたが、電池残量も表示もまったく出ない。ただの黒い板切れのように反応がない。仕方なくバッグを覗いてみると、大学の教科書と時刻表の冊子だけがちゃんと入っていた。だがこの「時刻表」は日本の電車のもので、ここの“魔導列車”にはまるで用をなさないだろう。
「ハハ……。どうするんだよ、これ」
駅舎の端にある丸い時計台を見上げて、軽くため息をつく。見れば時計の数字もこの世界独自のものらしく、読み方すらわからない。でも奇妙に惹かれるのは、時間を刻むという行為そのものが、僕の中で特別な意味を持っているからだろう。鉄道オタクとしては、ダイヤと時刻表があってこそ世界が回るように思えてならないのだ。
時を刻む世界で、僕は生きている。そんな当たり前のことが心の支えになるなんて、思ってもみなかった。今ここでじっと立ち尽くしていたって、誰も助けてはくれない。とにかく動こう。そう決めて、僕は魔導列車の発着所と書かれた看板の方へ歩き出した。
まだわけのわからない異世界に放り込まれたばかりだが、まずは情報を集めるしかない。そして――見慣れない列車に一目惚れしてしまった自分がいるのも事実だ。この不可思議な鉄道を知りたいという純粋な好奇心が湧いてくる。混乱と戸惑いの最中にあるはずなのに、どこかワクワクしている自分が不思議だった。
いつまでたっても現実だと信じられないけれど、目の前にあるこの駅と魔導列車はごまかしようのない事実だ。日本で慣れ親しんだ線路やダイヤのことを思い出しながら、僕は心を落ち着けようとして深呼吸をする。ここがどこであれ、電車――いや、列車が走る世界ならば、何かの偶然で俺の知識が活かせるかもしれない。
そう考えたところで、ふと一人の青年がこっちを気にするように目を向けているのに気づいた。光沢のある鎧を身につけ、腰には剣を携え、制服のようなマントをまとっている。その瞳には真面目そうな色が宿っていた。彼は騎士だろうか。 「迷子なら、俺が助けるけど」
短く発せられた言葉には人を安心させる響きがあった。今の僕の境遇を全然知らないはずなのに。
こうして僕、八雲の“異世界生活”は静かに始まった。右も左もわからないが、とにかく列車があるなら調べたい。そう思うと、心の奥底に火がついた気がする。世界が一変してしまったのは間違いないけれど、今はまだ混乱するより、前に進む選択のほうが僕には向いている。
何が起こっているのかはわからない。けれど、もうホームに立っていたって電車は来ないのだ。ならば僕が探しに行くしかない。魔導で走るという、不思議な列車の謎を。引き寄せられるように僕は魔導列車のホームへと足を運んだ。そこにはどことなく、見たこともない世界が詰まっている気がしたからだ。
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