一億分の一の偶然
佐倉千波矢
一億分の一の偶然
目が覚めたとき一番最初に思うことは、いつも同じ。また、「明日」が「今日」になっちゃったんだなってこと。こうやって毎日毎日がむなしく過ぎてしまい、わたしはいったい何をしてるんだろうって、なんだか悲しくなる。
「ぶらいんどヲ、開ケテモヨロシイデスカ」
わたしが起きたことを感知したハウスコンピュータが、抑揚のない声で物思いを中断させた。
「開けて」
「ハイ、カシコマリマシタ」
ゆっくりとブラインドが左右にわかれて開き、黄色っぽい朝の光が部屋に入ってきた。
今日もいい天気。空の青がとても濃い。
「窓も開けて」
「ハイ」
サーッと風か吹き込む。少し寒いけど、いい気持ち。
ああ、こんな日には、公園にでもピクニックに行きたいな。お弁当と、スケッチブック持って。お弁当と、スケッチブック持って。
「間モナク7時ニナリマス。支度ヲ為サッテ下サイ」
「わかってるわ」
語気が粗くなる。けど、コンピュータ相手に怒っても仕方無い。機械は、天気がいいからって、突然ピクニックに行きたくなったりはしない。
溜息をつきながら、ベッドを這い出た。
毎日毎日、同じことの繰り返し。七時に起こされ、八時のバスに乗り、八時半には学校が始まる。日中は退屈な授業でつぶされて、三時に帰りのバスに乗る。
学校と家との、往復運動。型にはまりきった生活。
そんなのうんざりだってこと、コンピュータにはわからない。
ううん、そうじゃない。わたし以外の人にはわからないんだ。
……みんなほんとに、何も感じないんだろうか。心から満足してるんだろうか。なんの変化もない毎日に。昨日とまったく同じ今日を、過ごすことに。……わたしは叫びたくなるほどイヤなのに。
でも、叫ぶことは出来ない。このもやもやした気持ちを、他人に言うことすら出来ない。言ったってしょうがないから……。
以前、一度だけ言ってみたことがある。小さい頃、両親と当時の担任教師に。だがその結果は、半年間のカウンセリングだった。
大人たちは言う。これだけ十分なものを与えられ、自由と快適さの中にいて、何が不満なの、と。これ以上を望むのは、高望み。反感を持つのは、反社会的。自分を合わせられないのは、社会不適応。他の子はみんなうまくやっているのに、どうしてあなたたげそんなふうに思うの? などなど……。
わたしは何も言えなくなった。他人とは、当たり障りのない、どうでもいいようなことしか話さなくなった。本心は自分にしか打ち明けられない。
顔を洗うために洗面台の前に立ったわたしは、たった一人の理解者に話しかける。
「おはよう。今朝もまた、誰かを捜してる夢を見たわ」
今日は真っ先に、朝方見た夢のことを話した。
「シティの第8地区のビルの群れの中にいて、やっぱり人っ子一人いなくて、わたしが一人でさ迷ってるの。遠くに誰かの影を見つけて、追いかけるんだけど、どんなに必死に走っても追いつかなくて、いつまでたっても影でしかないの。そのうち、影すら見えなくなって、それでもわたしはその人を捜し続けているの」
鏡の中の少女は、静かに答えた。
「きっとあなたは捜しているのよ。自分と同じふうに感じる人を。こんな鳥籠の中の生活から、抜け出たいと思っている人を。ひとりでは抜け出すだけの勇気が持てなくて、でも誰かと一緒なら、飛び立つことができそうな気がして」
「そうね、たぶん。今のままでは、わたしはずっと独りぼっちだから。誰かにそばにいて欲しいんだわ。わたしの感じることを、わかってくれる人に」
「見つかると……いいわね」
「ええ。でも、そんな人いるのかしら。やっぱりわたしがおかしいのかな? わたしだけが、違う感じ方をするとしたら──」
不意に感情が高ぶって、喉元に何とも言い様の無いものがこみ上げてきた。いつもならなんとか飲み下すのに、それができなかった。
青白い顔を少し歪めて、頬に涙を伝わせた少女が、鏡の中から黙ってわたしを見返していた。
明け方の寒さで目が覚めたおれは、そのまま起き出して、夜明けの街を歩き回った。
夜と朝の境目の、淡い青の靄の中に沈んだ街路は、すごく幻想的だ。まだ眠っている「善良なる一般市民」たちは、きっと一生、こんな素敵な時間があることを、知らずに過ごすんだろうな。睡眠すらコンピュータに監督させて、起床時間までぐっすりと安らかな眠りを提供してくれる、あんなカプセルなんかで寝れる連中は。
途中自動販売機で、コーヒーとハンバーガーを買った。食べながら、寝起きしている公園に戻る頃には、街もようやく目が覚めて、一日の活動を始めようとしていた。
そろそろのRPO(ロボットポリスオフィサー)が巡回にやってくる。早めに隠れとかないといけない。
家出も四回目ともなると、RPOの巡回時間や遣り過ごし方もわかってきた。だいたい、おれみたいに家出なんてするような人間は他にいないから、直接カメラに映りさえしなければ捕まりはしない。街中とは違って、公園内の木の上や叢の熱反応などは、小動物として見過ごされるようだ。御多分に漏れず、この公園にも各種の動物を放し飼いにした区域がある。もちろん獰猛な種は、コントロールを受けてだが。
そう言えば、家を出てから今日で六日目になる。今回は随分と順調だ。
初めてのときは、AM3:00の巡回で捕まって、たった一晩で家に連れ戻された。二回目は、三日目の夜にレストランでIDカードを使ったため見つかった。三回目に五日で帰宅となったのは、学校へ行っているはずの時間に、街をうろついてたから。
で、今回が四回目。食料に缶詰めや保存食を、あらかじめ家から持ち出しておいた。なんとかあと一週間くらい、持ち堪えたい。
隠れ場所の一つである大木によじ登った。よく茂った葉のお蔭で、周囲からは姿が見えなくなる。太い枝に腰掛け、幹にもたれて、遠くのビル群を眺めた。
あの中に、時間に追われてせかせかと動き回る人たちがいる。死ぬまでずっと、毎日毎日、同じことを繰り返して生きる人たち。物理的にはとても安楽で、規則正しい、良い(とされている)生活を送り、それに満足しきって。ひょっとしたら心の底に不満を持っても、それを表に出すのはいけないことだと無意識に思い込むか、人生なんてこんなものだと割り切るかして。おそらくはそんな感情に気づきもせず。
おれは、「生活している」というよりも、「生きている」と感じたい。だから、あんなのはいやだ。息が詰まる。時々、気が狂いそうに思える。
それで、おれは家出する。
だけど……。
だけど、こんなんじゃいけないとも、思う。これではただの逃げだ。逃げてるだけじゃ、何も変わりはしない。
わかってる……。
わかってるけど、だからってどうすればいいのかわからない。
ほんとに、おれは、どうするべきなんだろう。
誰か答えを教えてくれる人が、いないだろうか。誰か……。
土曜の午後には、わたしはたいてい公園に来る。人工物ばかりのシティのなかで、唯一自然を感じる場所だから。
もちろん市街地の公園である以上、かなり人の手が加わってはいる。でも圧迫感しか感じさせない建造物と違って、地面に植わってる草木というのは、安らぎを与えてくれる。 空の下、広々とした空間。なんだかほっとする。開放されたような感じ。おもいっきり伸びをした。
今日は、楡の並木から、東側の森へ行こう。
それから数時間、ゆっくりと東の森を巡って、木々にあいさつして回った。常緑樹の濃い緑も、まだ疎らな若葉の淡い緑も、よく晴れて白い雲がくっきりと映える青い空とともに、わたしの目と心を和ませてくれる。
散歩を終えて、家に戻るため、公園の中央部にある噴水の脇を通り過ぎようとしたとき、四時の鐘が鳴った。
立ち止まって、時計台を仰いだ。また1日が終わろうとしている。何事もなく、いつもの土曜日と数分違わず。こんな風に一日づつ、一週間づつ過ぎて行き、一月になり、一年になり、一生になってしまうのかしら。
ううん、このままじゃいけない。何とかしなくては。そう、捜すんだ。「誰か」を。わたしと同じように感じる人。無理して合わせる必要なんて要らない人。そんな人が一緒にいてくれたなら、わたしみたいに流されて行くばかりの人間でも、何か出来るかも知れない。何かが、変わるかもしれない。
……でも、どうやって?
休日なら真っ昼間もおおっぴらに外を歩ける。今日は朝から街に出た。でも人込みはあまり好きでないから、結局午後には、自然と公園に戻ってきていた。
公園の中も結構人がいるけど、煩わしさを感じるほどではないし、メインストリートを少し外れれば、人影はぐっと減る。
木漏れ日を浴びながら、目的もなく森の中を歩いた。
時折、鬼ごっこをしてる子供たちや、犬を連れた老人散歩を楽しむアベックなんかを見かけた。そういった人たちは、不思議に周囲の風景となじんでいるように思われた。
おそらくそれが、人のほんとにあるべき姿だから何だと思う。ゆったりとしていて、和やかで、とても自然な緩やかなテンポ。余計な騒音などなく、聞こえるのは、ただ、風と木々、小鳥たちが奏でる豊かなハーモニーのみ。
シティの人口と比較すると、ほんの僅かしかいない……。 でも、休日だけでもそんな中で過ごそうとする人は、大方が、シティの提供するレジャー施設やなんかで過ごす。
森を出て、中央広場へ向かいながら、ふと思い当たった。それならひょっとして、おれに答えてくれるような「誰か」は、この僅かな人々の中にいるかも知れない、と。
どうしたらいいのか、どうするべきなのか、おれに教えてくれるような誰かを、いや、教えてくれなくても、一緒に考えてくれるような誰かを捜したいと、今では真剣に思っている。以前、この国の一1億人の人々の中に、せめて一人くらいは、おれと同じ様に考える人だっているかもしれない、とか考えたりもした。その一人を捜すにしても、ひとまず、範囲を決める必要はある。それなら、少しでも自然と触れ合おうという気持ちを持つような人なら、それだけおれと近いんじゃないだろうか。
後はどうやってその人の考えを知るか、だ。まさか一人一人に聞いて回るわけにもいかないし。何かいい方法って、ないものだろうか。
噴水の周囲を回りながら、考えた。
けどそんな方法、見つかるはずもなく、溜め息をつくばかりだ。
突然、鐘が鳴った。反射的に、時計を見上げた。午後4時。そろそろ戻るとするか。おれはゆっくりと時計台振り返った。
時計台の鐘が鳴り止み、少女は視線を落とした。唇をキュッと噛み、何かを決心したような面持ちで、手にしていたスケッチブックを抱え直すと、足早に歩き始めた。
少女の前方から、一人の少年が歩いて来た。
少女は目を伏せたまま、少年は噴水に目をやりながら、徐々に近づき、擦れ違おうとしたとき──。横合いからボールを投げ合いながらワーッと走ってきた数人の子供たちが、二人を取り囲んだ。その一人にぶつかり、少女はスケッチブックを取り落とした。
「ごめんなさい」
子供が言い残して、走り去った。
少年はスケッチブックを拾い上げた。
「はい、これ」
微笑みながら差し出した。
「あ、ありがとう」
はにかんだ笑みを浮かべて、少女が受け取った。
……それは、偶然の出会い。
了
一億分の一の偶然 佐倉千波矢 @chihaya_sakurai
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