第21話 少女カレンと毒龍ジニー
カレンは次の日も当然のように毒龍の目の前に立っていた。最初の緊張感はそれほどでもなくなり余裕が出て来た。その余裕を使って今度は周囲の領域に気を張る。何かあるはずだ、絶対に何か手掛かりが。
常識外れを考えるとき頭ではダメだ。ここから先は感覚と子供の頭を使うしかない。他人とは違う道を選択したのであれば別な方の理を使うしかない。どんな世界で生きることだって簡単な話しじゃない。だからこっちで生きるなら別の何かを持ってくるしかない。自分が人であるという事、それとそれに準じた本質を使うしかない。
「考えること、感じることを使うしかない」
カレン
「・・・」
「少女カレンに戻れ」自分の中へそう言い聞かせる。純真無垢な心を持っていたあの時代に戻れ。戻ればこの土地の違和感が出てくるはずだ。どこかがおかしいのであれば世の中に毒されていないあの一番自然だった頃に戻れ。目を閉じて深呼吸をする。大きな音は何も聞こえてこない。耳を澄ますとその中で一筋だけ音か聞こえて来た。
カレン
「どこかで水の流れる音がする」
カレンが目を開けると目の前の毒龍がこちらを見ていたようで目を開けていた。綺麗な瞳がカレンを捉えている。
カレン
「あら?あなたも私が気になるの?」
緑のドームから体を出して周囲を見て回った。ドームの形状は少し歪んでいる大きな円形。生えている木々を頼りにその周りを歩いていく。しばらく上や下を見ながら回っていると一部分からは毒素の紫が、ある一部からは小川のように水が入り込んでいる場所があった。まるで農地に水を分ける円形分水のような感じで。
カレン
「・・・少し規則的ね」
カレンがこの場所について当初考えていたのは、毒龍が魔法ではない何かの原因でここに住むことになり、やがてその垂れる毒が足元の土を侵食していって毒沼を形成するようになった。と見ていた。
しかし、それだと毒龍の居る場所全体が侵食されていないとおかしい。毒龍は毒沼の中に居なければならないが、彼は地面のある沼の真ん中にある小島に居る。
カレン
「まるでどこかの誰かが人為的にここに龍を置いたみたい・・・」
水が入る場所は1か所。毒素が出ている場所は11か所あった。故意に円を12等分している。水が入れば当然毒沼の水位というか毒位は上がる。そうするとその11か所から沼地の収量限界になれば勝手に水は流れていく。小川からの水は常に流れている為、常に毒素が外へ漏れ出ていることになる。
カレンはその小川から入る水を止めようかと一瞬考えたが、手が止まる。確かにそれで毒素の流出は収まるかもしれないが、雨が降れば同じことが起きる。しかも常に一定の速度で毒素が流れているという事は沼の中の毒の濃度は薄まっていることになる。
つまり水を止めると毒の濃度は必然的に上昇し、雨が降ったときにその高濃度の毒素が同じように流出していく。今の毒沼の状態で下流の集落への影響が最小限にとどまっていると考えた時、毒は希釈効果や生物ろ過によって弱められていると考えるのが自然だろう。人は何もしていないのだから。
ここで一気に高濃度の毒沼を生成したら希釈や生物ろ過が追い付かず新たな被害が集落を襲うことになる。カレンは再びドームの中に戻ると今度は壁を作っている周囲の木やツタを触る。
カレン
「クレイジー・ジャッカル」
マメ科の植物。過酷な環境を好むと言われている彼らは生える土地を選ばない。そしてそれを可能にしているのがマメ科特有の根っこにある菌。根粒菌。彼らが密かに蓄えて住まわせることが出来るその菌はおそらくこの土地で長年に渡って進化した菌なのだろう。その菌がこの土地の毒素を分解することで宿主に栄養素を提供している。としか考えられない。
カレン
「・・・・ここまで大きくなれるのならそういうことになるわよね」
クレイジー・ジャッカルと見たことも無いおそらくマメ科のツル。そしてドームの中に生えているのは地面を緑に覆う苔だけ。動く生き物はほとんどいない。昆虫の1匹くらい居てもいいもののそれすらいない。
じっと腕組みをして毒龍を眺めていた。するとガサガサと外の方から音が聞こえて来た。さっきまではしていなかったのにどこからともなく音がドームに響くとカレンはしゃがんで持っていた銃を構える。
カレン
「・・・・」
息を殺してその音に耳を傾けるとその音はドームの上の方へと伝っている。何かがこの上によじ登っているらしい。足音は規則性をもたず、どこかふらついている。その音が天井付近になってくるとカレンは上を見上げた。
その先には気が付かないほどの小さな穴が天井に開いているのが見えた。するとその足音をさせていた何かが陰になってその穴に落ちる。手足をばたつかせて自由落下していった先は龍の頭の地面。そこに叩きつけられるとイノシシのような魔物は気を失った。すると毒龍は目を開けてゆっくりと首を動かす。その様子をカレンはまじまじと見つめていた。
龍は魔物の臭いをかぐとその大きな口を開けて一口。口の中に入れるとかみ砕いていく。骨が砕ける音がドームに響き渡っていく。やがてそれを飲み込むとまた龍は定位置に頭を置いて目を閉じた。
カレン
「・・・」
握っていた銃を手から離し立ち上がって天井を見る。光が差し込んでいて葉っぱが数枚ひらひらと落ちて来た。
カレン
「・・・どこから来たのかしら」
有毒ガスが充満するこの土地に住んでいるはずは無い。確かにそれに耐えられる種類が進化していたとしてもおかしくはない。
それから毎日カレンは毒龍の元へ向かった。風の日も雨の日も。やがて雪が降り積もるとバギーをスノーモービルに乗り換え、防寒着を着こみ緑のドームへと足を運ぶ。全く風景は変わらない。相変わらず毒龍はその場に鎮座し続けている。
カレンはそうやって毎日毒龍を見ていると名前を付けたほうがいいと考えた。
カレン
「・・・ジニーねあなたの名前は」
そうやって勝手に名前を付けると言葉も通じないのに呼び始める。
カレン
「ジニー?どう今日の調子は?」
当然向こうからの返答はない。しかし、カレンがこの場所へ来ることは何となく習慣づいていたためジニーはその都度目を開けてカレンの様子を伺っていた。
冬が去り、春が来た。
この場所に通い続けて約半年。積もっていた雪が全て溶けて気温が上がり始めるとまた緑の大地が顔をのぞかせる。
カレン
「・・・苔」
雪が解けると一層足元の緑が際立った。カレンはその変化を見ているとそれまで気が付かなかった当たり前のことに目が行き始める。
このドームの足元には苔しか生えていない。
外に生えているシダ類やマメ科の植物はドームの内側には一本も生えていないのだ。
植物が芽を出すのには条件が有る。それが温度、水、酸素、光。この4つの条件が適切に揃う事で勝手に生えてくる。このうち条件としてこの場所に足りないのはおそらく光。何せ上空をドームのように木々が覆っているからである。しかし人工物のように完全に光を遮断しているわけではない。場所によっては光が差している場所もある。不思議に思ったカレンは持って来た金属の棒で足元の苔を剥がしてみた。
カレンが今までこの土地の物に触らなかったのは絶妙なバランスをとっていたためあまり触りたくなかったからである。苔を剥がすと直ぐに金属棒がカチンという音を立てた。
カレン
「・・・まさか」
場所を変えて同じことをする。また音がした。どこをやっても同じ音がする。
カレン
「なんてバカだったんだ私は」
今度は毒沼の縁に立つと金属棒を毒沼に突っ込む。およそ20センチの深さがあり、棒が沼の底につくと同じように金属音がする。縁からどこをつついても同じ音が聞こえてくる。
カレン
「・・・ここは」
それまで土の上とばかり思っていたが実はこの場世は大きな岩の上に苔が厚く生い茂っているだけの場所だった。そこを取り囲むように木々が生えていたのだ。
カレン
「だから内側には木が生えて無いのか・・・そりゃ岩には根っこは張れないわよね・・・なんてこんな単純なことに気が付かなかったのかしら」
防毒手袋をはめるとカレンは縁にある苔を取り除く。するとそこには岩を削り取ったような跡が見える。その縁の苔を取りながら進んでいった。
カレン
「これ明らかに人為的なものよね」
そこには削岩機の先端で削り取ったような直線的な特徴ある削り跡が見える。おそらく11か所の毒素が流れ出ている場所も故意に削ってあるのだろう。
カレン
「・・・さすがにあそこの苔を取る勇気はなかったわ」
この場所が誰かが故意に作ったのだけはわかった。しかしその目的が分からなかった。どうしてわざわざこんなことをしたのか?
カレン
「毒素を何とか薄めようとしたのかしら・・・」
ジニーから垂れている毒素をそのまま垂れ流すのではなく、岩を削って受け皿を作って水を入れることで確かに希釈される。それを狙ってこの場所を作ったのだろうか?
屋敷に戻るとユイが自室で掃除をしていた。
ユイ
「カレン様・・・さすがに半年も掃除をしないのはまずいと思いまして勝手に書類をまとめさせていただきましたよ?」
床に散らばっていた紙や本が綺麗に束ねられて並べられていた。
カレン
「あら、ありがと」
デジカメを机に置き、ポケットからライターを取り出そうとすると手が滑ってそのライターが落ちた。
カレン
「・・・今、軽い音がしたわよね?」
ユイ
「ええ」
ライターの落ちた場所を近くにあった長い棒でつつくと「ぽこん」と軽い音がする。他の場所は「コンコン」と詰まった音がした。
ユイとカレンは顔を見合わせた。
ユイ
「・・・もしかしていつかの・・・クロム様のおじいさまの書斎のようなものがここにあったのでしょうか?」
引き出しを開けてマイナスドライバーを持ちだすとフローリングの切れ目に突き刺す。そしてテコの原理で抉ると確かにそこには空間があるようだ。
カレン
「・・・バールとかなかったかしら?」
カレンが床面に這いつくばってもがいているとユイは「お待ちください」といってガレージからバールを持ってきてカレンが持ち上げている板の隙間に滑りこませた。
ユイ
「よっ」
体重をかけるとメリメリと音を立てて徐々に板が浮いていき、最後にはその板ごと取れてしまった。どうやら接着剤で止めていたようだ。
カレン
「・・・箱ね」
ユイ
「ええ、箱ですね」
中に収められていたのは段ボールが1箱。
掃除機を持ってきて箱やその中を綺麗に掃除してから中を開くと一冊のとんでもなく古い紙束が出て来た。
ユイ
「・・・これは?」
一枚一枚めくっていく。どうやら言葉自体はこの国の物らしいが文体が古くて読めない。しかし、その中から数字の書かれた表が出て来た。
カレン
「たぶん、取引表だと思うわこれ」
それは随分と古かったがクロムの屋敷で見たものと酷似していた。おそらくこのアレストでかつて取引されていた物品が書かれているのだろう。
ユイ
「ですが読めませんねぇ・・・・これ」
文字は読むことが出来なかったが同じような文字が羅列されているのだけはわかる。
カレン
「・・・何かの魔物から採取できるものが多いってこと?」
ぺらぺらと資料をめくっていくと殴り書きの絵が出てくる。それを見た瞬間、カレンの頭の中で何かが繋がる音がした。
カレン
「・・・そういうことね」
そこに書かれていた絵はあのジニーがいる場所を示していた。中央にジニーを置き、そしてその周囲には岩が書かれている。しかし、今のような緑のドームや削られた岩肌は描かれていない。そのジニーに矢印で龍を表す昔の文字が書かれていて、その文字は取引内容に大量に書かれていたものと一致する。
カレン
「信じられないかもしれないけど、多分アレストは龍を飼いならしていたんだわ」
ユイ
「え?」
カレン
「龍の体から採取できる鱗や牙、それから血液、唾液。全て使用用途の有る高級品。それがこんなにも取引されているってことはそういうことになる」
龍の素材の安定供給。当時にそんなものが出来たのなら国の1つや2つ簡単に運営できるほどの資金を集めることが出来る。香辛料が金と同等の価値があった時代と同じ。それを可能にしたシステムがこのアレストに存在したのだ。資料だけでは信憑性に欠けるがカレンが見て調べて感じたことを照らし合わせるとそれが可能だったことを示していた。
龍の住む領域に足を踏み入れその主に見つかった上、半年もその生活を続けていられるのはおそらくジニーが人馴れしているためだと思われる。文字を読み取ることは出来なかったが数枚の絵から察するにどうやら幼龍の時代にジニーはあそこに置かれた。そして成長するにしたがって当然体は大きくなり、そしてそのうちに
ユイ
「毒を出すようになっていったと・・・?」
カレン
「・・・そのようね。でも人間が故意にやったとは考えられない。金になる元を台無しにしてしまうとは考えられないわ。龍が必要なくなったという時代でもないし」
故意ではなく人の意志とは関係なくジニーは毒龍に変化した。それはおそらく人がかかわったことが原因。そこで何かが起きたのだ。生き物は人間が思っているよりもずっと賢い。もし、人が故意にジニーを痛めつける為に何かをしたのであればカレンに襲いかかってきてもおかしくはない。
カレン
「でも、それの原因とどうやって彼を飼いならしていたのかが・・・全然わからないんだけど?」
ユイの方を見ると少し困った表情をする。
ユイ
「それを私に聞かれましても・・・」
ジニーが故意にあそこに据えられ、龍が死なない程度に採取を行われていたことは明白。大きな生物にくっ付く寄生虫のように人間が集まり、龍を殺さないようにエサを与えて飼いならす。しかし、人間はただエサを与えているだけで他は何もしない。寄生虫の真似事をしても穏やかな共生関係を築くことが出来なかった。やがてジニーは毒龍へと変化していった。
カレン
「おそらく岩を削ったのは単純に毒素に対処するためだけにやったこと。それ自体はジニーを救う事にはならなかった」
あの場所でジニーの足元だけ地面が存在している理由がこれである。足元の岩は今のジニーにピッタリであることから今のサイズに成長した後に削られたことが分かる。龍の寿命は数百年と言われているが成長にはさほど時間が掛からない。悠長に成長していたらあっという間に他の魔物のエサになってしまうためである。そのため龍は所々で成長に無理をしている部分もあるらしい。
人間も急激に筋肉を付けたり、脂肪を付けて太ることで肉割れと言われるものが起きる。これは皮膚の成長が下の肉の肥大に追い付かなくなったことの証拠。このような箇所を隠すために龍は鋼のような鱗を身にまとうようになったと言われている。
カレン
「今までの龍の資料と私が見たもの。そしてこの取引資料が気持ち悪いくらいに整合性を持って繋がっていくわね」
しかし、最も知りたい情報であるどうしてジニーはああなったのか?が出て来ない。可能性として考えられることが多すぎる。人為的に龍を飼う事で起きる不具合など考えればきりがない。
カレンは椅子に座ると机のヘリに足をかけて天井を見ていた。
カレン
「・・・あそこはもう自然の生成物と人工物が入り混じる場所・・・そこで毒素が出てくる・・・うーん」
それから1週間ほど経過したある日の事。カレンはジニーの元から戻ってくると小屋の補修を頼まれて手伝っていた。ミラが主導となって直していたためカレンは子供たちと木材を運搬することになった。リヤカーに森から切り出された木を使って作られた板を乗せては運んでいく。
一通り作業が終わるとカレンはその場に腰を下ろして煙草に火を付けた。
カレン
「ふぃー・・・・」
のどかな春の午後。青空が頭の上に広がり、トントンと金槌の音が響き渡る。するとカレンの元に小さな影が近づいてきた。
カレン
「・・・あら?リナじゃないの。どうしたの?」
近づいてきた少女はリナ。彼女はカレンがこの地にやってきたとき山いちごをスカートをいっぱいにしてもてなしてくれた。あのあとユイやローレルからこの地にあるものが毒を含んでいることを教えて貰うとリナは泣きながらカレンに謝りに来てくれた。それから屋敷によく遊びに来るようになっていた。
リナ
「うん。カレン様にこれをあげたくて」
彼女が手にしていたのはツルや春の花を使って作られたティアラだった。毒素に侵されたイチゴをカレンに食べさせたことをかなり後悔しているらしく、彼女なりに会う時はこうやって何か贈り物を作ってくる。
カレン
「・・・いいのよ?リナ。私は気にしてないわ。あなたは私を歓迎してくれたんでしょ?」
そうはいうもののリナは耳を貸さない。カレンはため息を付くと黙って頭を下げる。
カレン
「じゃあありがたく受け取るわ。頭に乗せて頂戴な」
リナは満面の笑みになるといそいそとカレンの頭にティアラをのせた。
リナ
「うん!やっぱり似合ってるよ!それはねカトレアって花なんだ。ローレルお姉ちゃんが教えてくれたの」
あしらわれていたのは見事なカトレアの花。しかしこんな綺麗な花が咲いている場所をカレンは知らなかった。
カレン
「このカトレアは・・・どこに咲いていたの?」
そう聞くとリナはカレンの手を掴んで引っ張る。
リナ
「あっち!みんなで遊ぶとっておきの場所があるんだ」
カレンをひっぱりながらリナは集落の端の方へ連れて行く。ジニーに会いに行くための通路がある方とは逆の方。そこは魔の領域の入り口付近だった。山が近くにあり、川辺も無いこの場所は普段からあまり近づく人がいない。どうやら子供たちの遊び場になっているようだった。
カレン
「・・・凄い甘い匂いがする」
案内されて進んでいくと甘い匂いが周囲に立ち込めてくる。むせかえることも無い、どこか心地よい香り。カレンは足元を見ながら注意深く歩いていく。茂みを抜けると広場に出た。リナは手を離すと「ここだよ」といってカレンの方を見る。
そこに広がっていた光景にカレンは驚いた。
カレン
「・・・ドラゴン・ツリー・・・忘れたわ・・・こいつの存在を」
魔の領域の象徴であるドラゴン・ツリー。人々はこれの有無によってそこがどんな場所なのかを判断するのだが、この地域にはそれが見当たらなかった。この植物はとても背が高く、幹が太い。うねるような枝にはドラゴン・ヘッドと呼ばれる巨大な果実が実っていた。しかしこの場所に生えているツリーの数は尋常ではなかった。数十本のツリーがまるで果樹園のように生えていたのである。
カレン
「ありえない・・・」
カレンがドラゴン・ツリーを見つけられなかった理由がここにある。
文献に書かれている事や、この他の地域でもツリーは見ることが出来るが植物の特性上、単独で存在することが常識的に考えられている。カレンもそう考えていた。
この植物は養分の吸収力が他の植物よりも強い。そのためこのツリーが生えている周りには本来植物はあまり生えないのだけれど、ここにはきちんと生えている。
カレン
「・・・どこにも無いとは思っていたけど、まさか密集して生えているとは・・・」
どうやら甘い香りの正体は無数に咲いている花が出しているらしい。風が吹くとより一層甘い匂いが立ち込める。その異様な光景を唖然として見つめていると、カレンの服をリナが引っ張る。
リナ
「ここにカトレアが沢山咲いてるんだ」
そういうとツリーの脇に沢山の花が咲いているのが見えた。
カレン
「・・・どうしてこんなに花が?」
咲き乱れる花たち。本来であればあり得ない。この花が使うための養分ですらこのツリーがとってしまうからだ。しかし、咲いている物は咲いている。それ以外に理由が見つからない。言い訳の出来ない光景だった。
それからカレンは屋敷に戻るとドラゴン・ツリーの文献を探し出して読みふける。やはりそこに書いてあることはカレンの知っていたことと違わなかった。でもこれではリナに案内されたあの場所を説明することが出来ない。
カレン
「・・・これって・・・まさか」
その現実を作っているのは誰だ?人ではないことは確かに言える。ここは誰も管理していないどころか子供たちの遊び場としてしか使われていない場所。
ではこれは何だ?この魔の領域において信じるべきは人の常識や固定概念ではなく、自然の生成される姿そのもの。カレンはこの時感じたのは
「どこかで自然はバランスを取ろうとしている」という当たり前のこと。
カレン
「疑ったほうがいいのは自分の頭の中・・・」
世界は循環しているということは多くの人が知っていること。水の循環、空気の循環。全てが循環の輪を描いているからこそ全てが丸く収まっていることはもう事実だ。であればその他の自然物。樹木や草、虫や動物に至るまで全て循環されていることになる。
人はその循環から「人が利用できるもの」を取り出して生活している。
近年では王都でも田舎でもコンクリート建築が主流となっているが一昔前は木造建築が一般的だった。山や森から木を切り出してそれを板状にして乾燥させて建材として使用する。それは人が利用するためでその他の価値は無い。
人は自分たちが利用するためだけに木を切る。しかし、自然の側から見てみると木を乾燥させて建築するというのは実は「循環を一時的に止めている」という事になる。切り倒された樹木をそのままにすればカビや細菌。キノコや虫たちによって分解されていく。これは生きている樹木であればそうならない。そうなるのは倒木したり、病気になって弱っている樹木になる。
自然の物を使って人工物を生成することは循環を一時止める。それで人の世は発展してきている。つまり、自然側に立てば「その循環を戻そうとする」というのが何も疑問符の付かない普通の流れになる。人が住まなくなった家がいとも簡単に古くなったり、白アリが来たり、何か動物が住み着いたり、カビが生えたりするのは
「元々の循環に戻そうと自然がそうするから」
カレンはこの地でこの領域で暮らすことでそれを知った。生えている物や起きること。全て自然はそうやって出来ていることを知った。有機物を分解する能力が低いからこそ分かったことも有る。だからこそ「人」である彼女がやることは一つ。
カレン
「これが自然の答えなら私は・・・」
そう思ったカレンはジニーの場所と合わせてツリーの場所にも通うようになる。ジニーの方は相変わらず変化が無かったが、ツリーの方は日が経つにつれて変化が起き始める。花が落ちるとだんだんと実の部分が膨らみ始め、実は黄金色に染まっていく。まるで木に丸い金塊が付いて輝いているように見える。
その光景へと変化していくのをカレンはリナと一緒に見に来ていた。その実が良い頃合いになったとき、ある行動を起こす。
カレン
「リナ?悪いんだけどクロムを連れてきて貰えるかしら?」
リナ
「う、うん」
その言葉を受け取るとリナは来た道を駆け足で戻っていく。カレンはツリーの上に到達すると腰に下げていたマチェットを抜き取り、実って大きくなった果実を切り落としていく。「ドンッ」と鈍い大きな音が響き渡る。次々と頃合いの良い果実を切り落としているとリナに手を引かれたクロムが現れた。
クロム
「ひゃーすごいね」
クロムが来た頃には足元にいくつかの果実が転がっている。カレンは咥え煙草でまだツリーの上で奮闘していた。
カレン
「クロムー!悪いんだけど、これを屋敷まで運びたいの!だから出戻りで申し訳ないけどリアカーを持ってきてくれないかしら?」
クロムは落ちている一つの果実を拾い上げるとその重さに驚愕した。重量は5~6キロは平気であるだろう。ドラゴン・ヘッドと言う名を冠するだけのことはある。返事をするとクロムとリナは再び茂みに消えていった。
カレンは取りあえずの量を切り落とすと軽やかに木を下って実を眺めた。
カレン
「手触りは・・・キウイフルーツみたいね」
若干黄色っぽくもあり、オレンジ色っぽくもある。その実はとても固く、持っていたマチェットで試しに切ろうとしてみたもののまるで岩肌に刃を付けているかの如く動かない。重厚な繊維質の皮が刃を阻んでいる。
カレン
「人が食べるには適していないって言われているだけはあるわね」
実はこの実の大半がその繊維質の皮であり、中身にたどり着くには熱湯で長時間煮詰める必要がある。たどり着いたとしても実際の実は握りこぶしくらいの大きさしかなく、しかもほとんどが種であり食べられる部分はライチくらいしかない。
3人協力して採った実を全てリアカーに押し詰めると引っ張って屋敷のガレージに運んでいく。その途中でローレルが話しかけて来た。
ローレル
「あら?カレン。それ食べられないわよ?」
リアカーに乗っている沢山のドラゴン・ヘッドを指さした。
カレン
「知ってるわ。私が食べるんじゃないのよこれは」
ローレル
「?」
ガレージに留め置いてあったバギーの荷台に5つほど実を乗せると一杯になってしまった。
クロム
「・・・どうするの?こんなのジニーの所に持っていくの?」
カレン
「そうよ?それ以外ないじゃないの」
次の日、いつものようにジニーの元へ行くと積み込んであった実を一つだけ抱えて緑のドームへ潜り込んだ。すると彼の様子がいつもと違う。いつもなら目を開けてカレンを見ているだけに過ぎなかったのだが、首を持ち上げてこちらを見て来たのだ。
カレン
「もしかしたら、今日が私の命日になるのかもね」
そんな冗談を言いながら持ってきた特注の「防毒チェストハイ」と呼ばれる靴のようなものを履く。これは漁師さんや釣り人がよく使う物に似ており、胸まである長い長靴のようなものである。つまりこれを履いて何をするのかと言うと毒沼の中に入ってジニーに実を届けようという考えである。
カレンは実を抱えると慎重に毒沼に足を入れる。岩を削岩機で削って出来ているため、底は硬く、そして深さも無い。一歩一歩確実に足元を感じながらジニーに近づいていく。
カレン
「この臭いに反応してる」
どうみてもジニーは実が発している香りに鼻を鳴らしていた。彼はこんな硫化水素の臭いが立ち込める中でも感じることが出来るらしい。ジニーの目の前に来るとカレンはその近くに実を置くつもりだったのだが、彼はこちらに頭をうごかしてくる。
紫の液体がしたたり落ち、カレンのすぐ目の前に口が来た。
カレン
「・・・私ごと?」
するとジニーはその大きな口を開いた。「あ、終わった」とカレンは感じとっさに目を閉じたが何も起きない。恐る恐る片目を開けるとそこには牙や舌がある口の中が見えた。
カレン
「・・・・この中に入れろってこと?」
カレンはその舌の上に実を置くと直ぐに体を口の中から外し、静かに後ずさりをする。ジニーは口を閉じるとその強靭な歯と顎でいともたやすく実を砕いた。その作業を繰り返し、持ってきた全ての実をジニーに食べさせるとカレンは一言いう。
カレン
「今日はこれだけしか持ってきてないわ!明日も持ってくるから!」
とそういうと彼はそれを理解したのかまばたきをして頭を定位置に戻した。
それからカレンは毎日実を取りに行き、ジニーに与え続ける。1ヶ月、2か月、3ヶ月。それだけの期間与えてもツリーの実はまだ無くならない。
そして秋も見え始める頃合いになるとジニーに変化か訪れ始める。体表面の紫の色が薄くなり、ところどころ緑色が見え始めたのだ。
カレン
「・・・・・」
カレンはその変化が現れ始めた時に全てを悟った。
カレン
「やっぱり、あなた。病気だったのね」
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