第20話 龍という生物
数日が経ちカレンのガレージには沢山の資材が集まっていた。1つ1つ可能性と必要性を加味したものを確認しながら新品のバギーの荷台に必要なものを積み込んでいく。
カレン
「・・・これはお守りね」
ローレルから貰った信号弾を積み込むとロープで縛って全て固定した。防毒服とマスクを首から掛ける。煙草に火を付け、エンジンキーを回すと勢いよくマフラーから排気ガスが出てくる。
見送りは無い、たった一人の世界へ。
アクセルを入れて魔の領域へ入っていく。この間エメットに案内された道を一人で進んでいく。当たり前だが森に変化はない。
カレン
「・・・・」
鼻を衝く腐敗臭いがしたころにマスクを付けてさらに奥地へ進んでいく。しばらく進むとエメットと来た監視小屋の場所まで来ていた。そこから見える鉄柵の扉に掛けられているワイヤーを切断するとさび付いた蝶番が悲鳴を上げて動き出す。
カレン
「ここから先・・・・」
その先は誰も到達したことが無い割にはきちんと道っぽいものが出来ていた。カレンは一応数メートルおきに赤い色短く切ったロープを木に括り付けていく。
カレン
「まるでヘンゼルとグレーテルみたい」
そんなことを思いながらゆっくりと森の奥へと進んでいく。道は平坦な場所もあったが多くは登り道。高度計は1300mを示していた。だんだん緑の濃いドームに近づいていく。今までは森の様子もそれほど変わることは無かったが奥に行くにつれてだんだんと足元の植物に変化が見られ始めた。種類は変わらないもののもっと原生的な様子に変化してきている。
やがて何事もなく緑のドームの付近に到着した。そこは木々の茂みが若干弱まっている場所。少し抜けた空間で周囲を一望できる抜けた場所に出た。カレンはバギーを停めてサイドブレーキを掛けるとそこから見える緑のドームのような場所を見つめる。よく見ると木々の間にぎっちりとツタや草が絡まっている。
カレン
「・・・やっぱり龍が居るのはこのドームの中かしら?」
足元を確認しながら周囲よりも高い位置にあるドームへ足を進めた。木やツタによって壁が作られており、当然のことながら入口なんかは用意されていない。持ってきた鉈とマチェットを振りかざすとその音だけが森の中に響き渡る。カレンは周囲に目をやりながら慎重に入り口を作っていく。しばらく奮闘しているとツタが落ちて中を覗き込むことが出来た。
その木々の隙間から中を見たカレンは息を呑んだ。
カレン
「・・・あれが」
エメットの話通り毒龍が確かにそこに居た。体長は軽く300mを越えており、その巨体をうねらせて鎮座して眠っているように見える。カレンはその姿にも驚いていたのだが、それ以上に驚いたのがその居る場所だった。
木々は毒龍をまるで太陽光や雨から守るかのように包み込む形で成長している。そのためか中は若干薄暗く、木々の隙間から見える太陽光が神秘的に毒龍を照らしていた。照らされた龍の体表面は鮮やかな紫色。よく見ると龍からその紫色の液体が滴っている。
カレンは視線を落とすとそこに有ったのは紫色の毒沼。ちょうど龍の周囲を取り囲むように紫色の液体が溜まっている。毒沼はドームの中全域ではなくあくまで毒龍の周囲5mほど。一応陸地が有るようでそこには苔が生えていた。
カレン
「あの体液が毒なのかしら?」
もう少し近づかないとわからないと判断したカレンはのこぎりを使って隙間を広げようと試みていく。毒龍の様子を伺いながら時間をかけて慎重に入り口を作っていく。しばらくすると人が一人やっと通れる空間が出来がった。持ってきた鉄の棒を中に入れて地面がある事を確認する。
カレン
「・・・・苔の上は大丈夫そうね」
ゆっくりと左足を苔の上に置いた瞬間、カレンに戦慄が走る。それまで全く動かなかった毒龍が目を開けてこちらを見て来た。
カレン
「・・・流石にまずいかしら?」
冷汗が体を伝い、そのままの姿勢で停止する。猫に追い詰められたネズミにように体を小さく丸めていた。明らかにカレンはこの森に侵入した異物。すぐさま排除されてもおかしくはない。しかし、毒龍はカレンの姿を見ると再び目を閉じてそのまま元通りに戻った。冷たい汗を感じながら左足を苔におき、手で入口のツタを掴んで体を入れる。
両足が苔の上に乗っかり、カレンの体は完全に緑のドームの中に入り込んだ。しばらくあっけに取られてこの風景を眺めていた。雄大な自然、神秘的な世界。そんな安っぽい言葉では表現しきれない。圧倒的なもの。
カレン
「・・・これがこの国の、この土地の」
カメラを持ってきたことを思い出すと気になった物を一つ一つ写真に収めていく。カレンはこんな状況でも若干テンションが上がっていた。見たことも聞いたことも無いだろう。この中の状況は。誰も知らなかった。とんでもなく近くにあるはずなのに誰も来なかった場所。
一通り写真を撮り終えるとじっとその場に立ち尽くして毒龍を眺めていた。静かに体が上下をして、鼻で息をしているように思える。目は完全に閉じており紫色の体液は静かに体表面を流れていき、ぽたぽたと下の毒沼に落ちていく。
「この地に住まう龍という存在」
その研究や観察記録は数が少ないが、現存されている資料を繋ぎ合わせるとどうやらこの地に元々居た種族であるという事はわかっている。
彼らの研究が進んでいない理由としてあるのは彼ら自身が獰猛で人にとって脅威になることもあるが、もっとも難しい部分は生物としての揺らぎが大きいことでもある。
過去の研究者たちは龍と言う種族を表すために様々な表現がされてきた。
「龍は地球と言う惑星の化身のようなもの」
「特別な鵺(ぬえ)のような性質をもつ生物」
「解釈の変わるクラシック音楽のような生物である」
龍は学術的に「環境順応生物」と区別されている。
彼らの特徴はケタ違いに環境を取り込むことが可能であること。龍には地龍、翼竜、海龍などのそれぞれの環境に特化した種類がいるが、実は生まれた時の姿は人間のように一律で同じ形をしている。
普通なら親から受け継いだ遺伝子の中にその環境に適合した能力を伝えているはずなのだが、彼らにはそのシステムは存在しない。
彼らの祖先はこの土地に住んでいたもっとも古い龍である原龍(げんりゅう)であるとされている。
研究の結果この原龍が魔法によって魔の領域へ追いやられていった先に進化したことが分かってきている。原龍は非常に温厚で大人しい性格だと言われており、その証拠として見つかる化石からは攻撃的な牙や爪と言った部位などがほとんど見つからない。逆に身を守るために鱗を厚くし体を大きくさせて襲われないように進化したとみられている。
しかし環境が一変するとそれだけでは身を守れないことに気が付く。体が大きいだけではやられてしまうため彼らはその性格を一気に獰猛に変えただけではなく、自分を変化させる方法を編み出した。
それが食物摂取による変化。
人間は基本的に何を食べたとしても体に変化があまり起きないが生物の中には食べるものによって体の色が変わるものがいる。ザリガニが赤いのはカロチンを元に作られるアスタキサンチンという色素のせいである。この材料となるカロチンは植物に含まれているため、ザリガニに植物性ではなく動物性のエサばかり与えると赤い色素は失われて青色、白色へと変化する。
それと同じような感じで龍と言う種族は「幼少に親から与えられた食べ物」の種類によって自分の体を変化させる。これは魔の領域の環境が急激に揺れ動いたため遺伝子的な進化ではなく食物的な進化を選択したのだろう。
人間が子供に勉学を教えるのが教育であれば、龍は我が子にその場にある食物を与えることが教育になる。
足に地を付けたものを食べれば体が大きく、太い足で地上を闊歩する地龍
羽が生えたものを食べればシャープで動きの速い翼竜。
エラや鱗が付いたものを食べれば水中で生活する能力を持った海龍。
と変化する。これらは植物のエチレン効果と同様に幼龍の時期に行わないと変化が訪れない。大人の翼竜が魚を食べても海龍にはなれないのである。
カレン
「この龍はそのどれにも適合しない種類になってる。・・・マニュアル的解釈をすればこの龍は幼龍期に毒のある生物を食べたってことになるけど・・・・」
龍という種族がどうしてこのような進化が出来たのか?という議論になればそれはもう「龍はそういうポテンシャルを秘めていた」としか言いようがない。
カレンは腕を組んで考えていた。もし、この目の前に居る毒龍が幼い頃に毒のある生物を食べていたとしたら、それは親龍が与えていたという事になる。魔の領域には確かに強力な毒素を持つ魔物や植物がいることは確認されている。確かに幼い時代にそれをやれば毒龍に成長するという理由にはなりうるがこの場所を見るに与える食物として適切なものは地龍か翼龍のもの。わざわざ選んで毒性のあるものを与えるとは考えにくい。
その理屈通り毒龍の見た目は地龍そのものである。
カレン
「・・・体表面の突然変異なのかしら?それとも別の理由が?」
しばらくうなっていたが答えが出て来なかった。カレンは取りあえずバギーの場所まで戻ってくると茶色いカバンを取り出して再び毒龍の元へ帰っていった。
苔の上でカバンを開くと中からスポイトとメスシリンダーを取り出す。そして鉄の棒を使いながら慎重に足元を確認しながら毒沼へ近づいていった。毒龍はカレンの存在に気が付いている。しかし彼はピクリとも動かない。
そろりそろりと近づいて毒沼の際に来るとカレンはしゃがみ込み、そこにたまっている紫色の液体をスポイトで少し取った。それをメスシリンダーに入れると後ずさりをしながら慎重に下がっていく。
カバンの位置まで戻ってくるとピンセットを使い毒の試験紙を付ける。見事にピンク色に変化した。
カレン
「やっぱりね、この紫の液体がここら一帯の毒素なんだわ」
次に中和剤を取り出すと別のスポイトで慎重にメスシリンダーに落としていく。もしかしたら何か激しい化学反応が起きて爆発するかもしれないと考えたカレンは出来るだけ体から遠ざけながら入れていった。
毒液と中和剤を1:1で混ぜて再び試験紙を入れる。しかし紙はピンク色のまま。そうやって紙がピンク色にならない対比を探してカレンは次々と中和剤を投入していった。するとようやく紙の色が変わらなくなった。
カレン
「10:1・・・・」
毒素1に対して必要な中和剤は10。カレンは顔を上げると毒沼の面積を見た。
カレン
「王都に居た時に金庫番と仲良くなっていたほうが良かったかしら」
ラメルから渡された中和剤の小瓶は100㎖。金額にするとおよそ王都に勤めるサラリーマンのボーナスくらいである。しかも毒は1年で変質してしまうためその都度新規開発が必要になる。
カレン
「・・・これはここの土地を捨ててもしょうがない理由」
カレンは一応まだ王族だったためやろうと思えば国の資金を動かすことは出来る。しかしそれにはこの土地がその価値があることを説明できなければならない。良い資源が採掘可能であることや将来的にここに隣国とのトンネルを掘って要所にするなどの政策が絡めば可能になるかもしれない。
カレン
「そんな旨味はございませんってね」
資源に関しては大規模な調査が必要だがそれも毒素を取り除いてからという話になるし第一なんのアテもない。おまけにこの境界領域の先にある国はレトリック王国とは外交的にあまり仲が良くない。トンネルを掘るなどと言う計画自体が立案不可能だろう。
しばらく考えては見たものの資金を調達することは不可能に近い。
カレン
「やっぱり封鎖しておいてこのままってのが良いのかしらね」
持ってきた道具をカバンにしまい込むとカレンは毒龍の方を振り返りしばらく眺めている。紫色に滴る液体はとめどなく土地に降り注いでいる。
カレン
「まあ毒龍の位置が分かったことだけでも成果だわ」
去り際にカレンは自分がドームに開けた穴を見ていた。
カレン
「これ、一応ふさいでおきましょうか」
バギーの荷台からロープを持ってくると隣同士の木やツタを絡ませて縛った。
カレン
「これでとりあえずはいいわね」
来た道を赤い目印を見ながら帰っていく途中も注意深く周りを見渡していた。毒龍を見つけたという興奮も確かにあったが、それ以上にカレンはあの足元の毒沼の存在が気になっていた。あれを何とかすれば集落に毒素が来なくなる。しかし、それをやる必要は一切カレンには無い。そんな義理は無いのだ。このまま誰も寄り付かない土地で今まで通り生きていければそれで全員幸せなのだから。
しかし何かの違和感がカレンを貫いていく。
バギーは集落にほど近い川辺にやってきた。つけていたマスクとゴーグルを外すとカレンは煙草を咥えながら川で毒素を洗い流す。
カレン
「・・・・」
屋敷のガレージに帰ると来ていた服を干し、道具を片づけてシャワーを浴びる。一応毒素を洗い流しておくことにした。そのあと自室に帰ると今日撮影したカメラから映像データをパソコンに移して印刷する。
印刷された数十枚の写真を眺めていると部屋にユイが入ってきた。
ユイ
「今朝は大分早く出かけられたようで・・・どこに行かれたんですか?」
カレン
「・・・ここ」
持っていた写真を渡すとユイの顔は驚きの表情に変わった。
ユイ
「これって・・・」
カレン
「毒龍よ」
ユイ
「・・・・これがですか」
カレン
「そう、それでこれがこの集落を苦しめている毒素の正体。毒沼ね」
ユイ
「・・・」
その日の夜、カレンはローレル、ミラ、エメットを夕食に招待すると、そこで今日撮ってきた写真を見せた。
ローレル
「・・・これがあそこに住んでいるの?」
3人は驚いた表情をしていた。それもそうだろう。これがこの先に住んでいると言われれば信じられるはずがない。居るとは言われていた物の、実際に見ると聞くとでは大違いになる。
ミラ
「・・・すごいですね。見事に紫です」
クロム
「それに凄い大きさだね」
カレン
「それが毒龍の出す毒素みたいな感じ。ここら一帯に流れ出ている大元よ」
カバンから中和剤を取り出すとカレンはその金額や必要量などについて話していく。
ローレル
「・・・要するに誰も到底ここを救うことは無いってことでしょ?金額的にも政治的にも」
そんな会話をしているとユイが料理を運び込んできた。
ミラ
「やってしまってから言うのもあれなんですけど、よく行きましたねカレン様。普通ならいけませんよ?こんな場所」
ユイ
「それはカレン様に言ってもしょうがないです。だってカレン様ですから」
カレン
「それは誉め言葉として受け取っておくわ」
ローレルは運ばれた料理にナイフを入れるとカレンの顔を見た。
ローレル
「それで?これを監視するだけがあなたの仕事ってことでいいの?」
カレン
「・・・まあそういう事になるわね。これの監視月報を上げ続ければ私は国からお給料が貰える。本日も異常なしってね・・・内容は別にでっちあげでも構わないわけだけど」
食事を楽しみ終えると3人は屋敷を後にしようとした。その時にカレンはローレルを呼び止める。集落の収益や今後の事業について話がしたいと嘘をついて。
ローレルは再び屋敷のダイニングに戻ってきていた。テーブルの上には灰皿とグラス。ラム酒とビール。それにチーズや生ハムが置かれていた。
カレン
「楽しみながら話すのも悪くないでしょ?」
ローレルがため息を付くとクロムが椅子をひいて案内をした。椅子に腰を下ろすとユイがグラスにラム酒を注ぐ。
ローレル
「それで?何用なの?さっきのは噓でしょ?」
カレン
「もちろん」
カレンはローレルに3人がここに来た経緯を全て話した。王族の事や魔法の事。儀式でやったことや現状の状態。余すことなく全て話した。ローレルはその話を黙って聞いていた。話が終わると注がれたラム酒を全部飲み干してカレンの方を見た。
ローレル
「・・・それで?どうするの?」
カレン
「あら?意外と物分かりが良いのね」
ローレル
「別にそんなんじゃないわよ・・・私はそもそも魔法なんか信じていないし、そんなものないって思ってたから。だって見て見なさいよ。ここの人たちは苦しんでるわけでしょ?それを救えないのなら魔法なんかないって思うじゃない」
ローレル
「無いものを今さら無いですって言われても驚かない」
クロム
「んまあ確かにね」
カレン
「だから魔法の本当の所を私は知りたいって思ってる」
ローレル
「・・・勝手にやれば?別に私に許可なんかいらないでしょ?あなた達がここに来たのも私がここに居るのも。各々の理由があるってそれだけじゃないの?」
この集落の人たちにとって魔法の実態がどうなのかはすごくどうでもいいこと。それを突き止めたところで明日食べるご飯を用意してくれるわけでもない。むしろその魔法が元凶でこの土地が毒素に侵されているのは確かであるが、同時にその毒素の恩恵を受けていると言っても過言ではない。
ローレル
「探ろうが探るまいが私はどっちでもいいの。私はここに生まれて住んでるだけなんだから」
カレンは煙草に火を付けた。
カレン
「そう、確かにそう。だけどあなただけはこの集落に住んでいる人とは違う。だから知っておいて欲しかったの」
ローレル
「・・・・」
カレン
「あなたはこの集落を良くしようと変えようとした。だから私もあなたに言う必要があったの。これからここで何かをするってことをきちんと伝える義理がある」
カレン
「本来ここは監視元である王族が、本来ならあなた達のような人たちを受け入れてはいけなかった。全部前任者から続くグダグダの管理があなた達をここに住まわせてしまった」
域龍の監視人の業務の中には「むやみに魔の領域の近くに人を寄せ付けない」という取り決めがある。それを怠ったがためにこうして集落を形成していることになる。カレンは監視人と言う権利を利用すればこの集落の人達を追い出すことは法的に出来る。しかしそれは同時に王族の職務怠慢を外に知らせることになってしまう。
カレン
「私は王族の職務怠慢なんて今に始まったことじゃないと思ってるし、隠す必要が無いとも思ってる。恥ずかしいことで表に出すべきだとも考えてる。それを隠すからこそこんなー」
ローレル
「・・・こんな差別の土地を作ってしまった。でしょ?」
・王国の約束事
・アレストで生まれた人間は人間ではない。人の言葉を上手く操ることが出来る魔物がたまたま誕生しただけだ。
ここは人が住むような場所ではない。ここにしか住むことが出来なくなった人たちがたどり着くゴミ捨て場。でも、それはその本人達だけ。そこで生まれた子供たちには何の罪もない。だからそこから出ていこうとするのは当たり前。
この土地から出ていこうとしたのはエメットだけではない。過去を振り返れば沢山の人達がこの土地から出て働こうとして街に繰り出していった。
本来ならそこは人の居ない領域。そしてその領域から人が来るという事はあり得ないこと。それが起きるという事は王宮がしっかり管理できていないという証明になってしまう。
カレンは知っていた。だからこそこの土地の出身者が街で差別を受けて安い賃金で働かされていることも、全てにおいて差を付けられて軽蔑の目線で見られていることも。この土地の出身者は住民票も取れないことも、何の権利書も手に入れることが出来ないことも。この地に生まれて生きていることを誰も証明したがらない現実がそこに有る。
そしてそれを最も痛感していたのはローレルだった。彼女が一番苦労したのがこの集落の農作物を買ってくれる人を探すこと。断られて来た理由は品質が悪いとかそういう話ではなく、単純にここの土地だからという事だった。だからそれを助けたミラはこの土地で採れたことは公にしない形をとった。その口止め料として通常よりも安い価格で業者に売り渡すことにしたのだ。
カレン
「元をただせばここが毒で侵されている原因は私の遠い爺さんの残した遺物。そしてローレルはこの土地に来た両親が残した子孫。それで今の私たちがここに居て困っているのは明白だけど、その原因はずっと昔に出来たもの」
ローレル
「・・・・」
カレン
「未来に残された私たちが出来るのはこの土地を前に進めることだけ。それだけしか出来ない。だから私はこの土地を何とかしたいって思ってる」
ローレル
「出来るはずない・・・」
ローレルは左手のこぶしを強く握りしめるとカレンの方を見た。
ローレル
「あなた正気なの?目の前で毒龍を見て、それで写真を撮ってきた。見たんでしょ?あの脅威を。それを何とかしたいだなんてあなた一人じゃ不可能よ。そもそも魔法とそれが何か関係あるの?」
大きな声を出してカレンを問い詰める。
カレン
「ええ、だからあなたに協力して欲しいってお願い」
カレンは真っすぐな視線をローレルに送っている。
ローレル
「・・・だから何も出来ないって・・・何も出来ないのよ・・・数百年も放置されてきたここで・・・今さら何をするの?」
カレン
「絶対に何か手立てはあるはずよ・・・・だってあの龍は無いはずの魔法であそこに居るんだからきっと何か別の理由があるはず。その毒素についての秘密もね」
ローレルは自分のグラスにラム酒を継ぎ足し、それを一気に飲み干すと立ち上がってカレンの方を向いた。
ローレル
「・・・少し考えさせて」
カレン
「わかったわ・・・クロム?お家まで送ってあげて?」
クロム
「うん」
そういうとクロムはローレルの手を引いて彼女の家に向って行った。2人がいなくなるとユイはカレンの方を見た。
ユイ
「・・・素直に〝ローレルが好きだから一緒に助かる方法を探しましょう〟じゃダメだったんですか?」
ユイはカレンのグラスにラム酒を注ぐとカレンもユイのグラスに注いだ。
カレン
「そう言えれば私はもう少しうまく生きてるわよ」
煙草の煙が部屋に漂っていく。
カレン
「それに・・・多分、彼女は自分の自由を自分の牢獄に閉じ込めてしまっている。そんな気がするの」
クロムは酔いが回っているローレルの肩を抱くと彼女の家に急いでいた。
クロム
「弱いんだったら無理しないでよ・・・大丈夫?水飲む?」
ローレル
「・・・ええ」
クロムはポケットに入れていたペットボトルの水を渡すと勢いよくローレルは飲み干した。
ローレル
「・・・色んなこと・・・頭の中に入れすぎた・・・」
家に付くとクロムはローレルをソファーに寝かせてお湯を沸かし始めた。
クロム
「まっててね、今酔い覚ましを作るから」
煙草を咥えると震える手で火を付ける。吸い込んだ煙が勢いよく口から出ていくのをクロムは眺めていた。
クロム
「・・・色々ごめんね?謝っても許されることじゃないとは思うけど」
ローレル
「別に怒ってない。あなた達は別に悪いことをしているわけじゃない・・・助けたいって気持ちがわかるから」
カレンのいう事を頭ごなしに否定しているわけでは無い。それはわかっている。しかし、それでも彼女は何か自分の中にあるものと戦っていた。
クロム
「・・・でもその気持ち。何となくわかる」
ローレルはクロムの方を見た。
クロム
「私もね?昔カレンに救われたんだ。私も・・・まあここの人達よりもマシだとおもうけどね。街ではのけ者。嫌われてたんだ。同じように自分の親や周りに居た大人達の残したモノでね」
クロムはお茶を入れるとテーブルに並べて自分がどうやってここにたどり着いたのかをローレルに話した。
クロム
「自分ではどうしようも出来ないことをカレンはどうにかしてくれた。すごくありがたかった半面、どこかの自分が悔しかったのも確かにあるんだ」
ローレル
「・・・・どうしてあの人は・・・カレンはそういうことをするの?」
クロム
「それはわからないよ。でも、多分きっと、それがカレンなんだと思うんだ。それをやらないカレンは多分彼女じゃないってことだけはわかる」
ローレル
「よくわからない」
クロム
「私もわからない。でも、彼女は私やユイは間違いなくカレンに手を貸してもらった。それでその先にあった・・・大げさに言うと未来を変えられた」
ローレル
「クロムは後悔してないの?貴女だって魔法の儀式とやらを黙って受け入れれば贅沢な暮らしが出来たんじゃないの?」
クロム
「それはその通りだと思う。否定は出来ないよ」
ローレル
「・・・」
クロム
「でもね、私たちの周りに居た大人は〝安全圏から石を投げて笑っている〟ような人達。安定や成功、困らない生活をしているってことがステータスでそこに居たほうがいいんじゃないかって口を揃える」
クロム
「それだって間違ってない。でも、将来の自分の未来がアレなのが嫌だったんだ」
人の世界で身を守り、ある程度の保証を貰える生活を奨励する。匿名で誰かの悪口を書いて、他人の成功に嫉妬する。安全圏から物を投げ〝当たり所が悪かった時〟それを誰がやったと聞かれれば「自分の権利」だと主張する。
誰かの陰に隠れてて、誰かの権威に身を寄せて、誰かの言葉に酔いしれる。お前もああいう「大人を目指すんだ」と言われ続けてそれに従う。
皆がやっているからという大義名分を掲げればこの世は丸く収まっているように見えるけど、そんな世界に憧れて精神をすり減らすことに憧れるのか?
ローレル
「嫌・・・」
クロム
「でもそれを受け入れることが出来る人を大人って言うんだと思う。自分の先に見えた未来がどんなに惨めだったとしても、どんなにゴミだったとしても何かの大義を得て、それを甘んじて受け入れることが出来るなら何も困ることなく生きていける」
クロム
「私たちはそういう意味ではまだ子供。そこら辺に居る小学生とか中学生とかと同じ」
ローレルの方を見て少し笑った。
ローレル
「安全圏に居たほうがはるかに楽じゃない・・・あんたたち馬鹿じゃないの?」
クロム
「でも彼女は〝安全圏に居るからこそ最も危険を冒さなければいけない〟って考えみたいだよ?安定しているから、立場があるからこそ出来ることがあるって。そいうものに胡坐をかいて座っているのは死ぬ間際のベッドの中でいいって言ってた」
ローレル
「変わった人」
クロム
「でも本来はそうなんだと思う。私たちのもっと昔のご先祖様は狩猟をして世界を生きていた。でもそれって生活が全然安定しないから固定した場所で農業をし始めた。そしたら食料が安定してきた。だからなんか権力争いとかが出て来たわけでしょ?」
ローレル
「・・・・」
安全圏の中にいたとしても「考える」ということは別に変なことではない。自分の今の生活が誰かに支えられているという当たり前のことが分かれば、それに感謝をして自分の手を進める。
匿名で誰かの悪口を書けばそれを見て人がどんな気持ちになるのか。当たり所が悪ければその人は自殺してしまうかもしれない。それは自分の権利かもしれないが同時に書くことは当然「自分の責任」にもなる。
他人の成功の裏には血のにじむような道が見えるはずだし、一筋縄ではこの世の中で名を上げることが出来ないのも知っている。だからこそ見習おうと思う。
安全圏の中は確かに楽だ。でも楽だかと言って考えなくても良いっていう話ではない。そこに胡坐をかいている人たちはもうすでに「頭が取れている」
この地の水を飲んでいる状態になってしまっている。
その後もローレルとクロムの会話は夜遅くまで続いていった。ローレルは自分の今までののこと、エメットのこと、この集落の事。全部を酔いに任せたつもりになってクロムに話していく。それをクロムはただ黙って聞いていた。
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