rule
「一週間もしたら、嫌になって帰るだろうと思ってた」
マツバは一度だけ、協会の話をしてくれた。わたし達はあの満月の夜、マツバのアパートに行って荷物をまとめた。準備があると言ったマツバがどこかへ行き、朝になって帰ってきた彼女とそのまま町を出た。電車とバスを乗り継いで辿り着いたのは、取り立てて魅力もない、東側に竹林が広がる小さな町、竹ヲ町。マツバの手引きで六畳一間のアパートを借りた。
「でも、もう三ヶ月になる。カシギが私と一緒に生きていくなら、そろそろ協会のことを知るべきだ」
「協会は普通、人間には手を出さない。でも吸血鬼に傾倒している場合は別なの。説得できないと判断されるとカシギも危ない」
「マツバはずっと見つからずにやってきたんでしょ」
「そうだけど、今回は人間を殺してしまったし、こんな風に誰かと行動するのは初めてだから。下手を打つかも」
この時すでにマツバはミスを犯していた。そしてそれは自覚していたに違いないのだ。だってマツバはルールを破っている。わたしだ。わたしがいなければ、マツバの命はもっと長かったと、分かっていたはずだ。
「カシギは、家族に会いたいとは思わないの?」
それまで意識的に避けていた話題が、突然投げかけられる。古い床板の上、二人で膝を突き合わせて、真剣な面持ちで。なんだか親に悪事を告白しているような気持ちになった。マツバは探るようにわたしを見ている。
「……どうだろう。自分でもよく分からなくて。家族のことは嫌いじゃないけど……いやなところがたくさんあって、この先ずっと会えなくて、困るのかって考えたら」
困らない。日常に両親がいなくても、わたしの心に波は立たない。それがあの夜以降の生活で分かったことだった。愛情がないわけではないがヒステリックな母と、そんな母に時々冷めた視線を向ける父の姿が思い出される。わたしはまだ子供だから、後先考えずに今この感覚に、衝撃的な出来事に流されているだけかもしれない。そんなこともぐるぐる考える、けれど。
「でもね。わたしやっぱり、マツバともう二度と会えないって思った時の方が、すごく怖かった」
「…………」
マツバは何も言わない。しばらく考えるようにコンタクトをしていない赤い目を彷徨わせてから、やっと口を開く。
「カシギのこと……今のご家族や、学校のみんなには、思い出せないの。私では狭い範囲にしかかけられないし、何年かのうちに、ううん、協会が関与すればもっと早くボロが出ると思うけど……そういう人の認識を歪ませる呪文や、私みたいな吸血鬼……カシギの知らない悍ましいものが、この世にはたくさんある」
「じゃあ、協会の人にも呪文を使ったら? そうしたらマツバはもっと自由に生きられるんじゃないの?」
「それは無理。協会の人間なんて、子供の頃から呪文の跳ね返しや解除くらい教育されてるから」
「そう、なんだ……」
「だからつまり、何が言いたいかっていうと……カシギがもし日常に、家族のところに帰りたいと思ったら、その時はこれを持って行って」
数少ないマツバの私物が収められた箪笥から、小さな手帳が取り出され、正座するわたしの目の前に置かれた。使い込まれた古い革の表紙。
「これ、なに?」
「私と先生の知識が書いてある。カシギの住んでいた地域にかけた、呪文の打ち消し方も」
「……先生って、だれ?」
「私を救ってくれた吸血鬼」
大都議先生、とマツバは言った。
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