vampire
わたし、小津原カシギと大都議マツバは高校二年生で同じクラスになり、それなりに早い段階で仲良くなった。マツバは知的で落ち着いていて、けれど笑った顔は誰より幼く、他の同級生とはどこか違って見えた。初めて話した時から、わたし達はただの友達で終わらないだろうと感じていた。この感覚が何か未だに分からない。運命とでも言えばいいのかな。
三年生になったばかりの春、塾の帰り道でわたしは暴漢に襲われた。家に向かう最後の坂道で、突然脇道から男が飛び出してきた。道路に転がされ、手のひらで口を塞がれた時、死ぬ、と思った。男の後ろに満月が見えたけれど、すぐに隠れた。男と月の間に割り込むように、学校のものではないジャージを着たマツバが立っていたからだ。
マツバはゆっくり身を屈めて、男の首筋に噛み付いた。椀に口を近づけるのと同じ、綺麗な動作だった。道路と男に挟まれて身動きの取れないわたしは、声を出すこともできず、至近距離でマツバの目が開くのを見ていた。まつげが震える。血が垂れて、マツバの唇が汚れる。喉が上下して、生きていることを訴えている。しばらくして、すっかり血の気が失せた男の体を横倒しにして、マツバが前髪ごとわたしの額を撫でた。
「カシギ、ねえ、大丈夫? こっち見て」
「やめて、消さないで」
「なにを?」
「吸血鬼は目を見たら記憶を消せるんでしょ」
「カシギってオカルト好きなの?」
マツバは曖昧に笑ったけれど、否定はしない。曲がった唇の隙間から牙が見えた。学校にいる時はあんなものあったっけ。分からない。何も分からない。
「正体がばれたら記憶を消す。そして他の町へ行く。それがルールなの。そいつもうっかり殺しちゃったし……元気でいてね」
手を引かれて立ち上がる。ぴり、と走った痛みで手のひらを擦りむいていることに気付いた。けれどそんなものより、マツバに言われた言葉の方がずっと痛む。
マツバが両手でわたしの頬を挟んだ。ひどい冷え性だと言っていたのは嘘なのか。人ではないから、マツバの体はこんなにも冷たいの?
赤い目がわたしを見る。頭の中を、優しい手つきでかき混ぜられているような感覚。いやだ。お願いマツバ。わたしの記憶は、この感情は、私のものなのに。
「わたし、マツバが好き」
今言わなければ二度と言えないと、わたしの細胞一つひとつが、心が叫んでいた。
頬を冷たいものが伝う。
†
結局、あの後マツバは諦めの悪いわたしを連れて町を出た。記憶も綺麗に残っている。ルールを破ったわたし達がどうなるか、お互いなんとなく察しはついていたのかもしれない。
マツバが本当は何歳なのか知らないけれど、言動からわたしより遥かに年上だと想像がついた。それだけの時間の中で、誰の記憶にも残らないのが、さみしかったんだと思う。だって死んでいるのと何が違うの?
けれど、マツバは本当に死んでしまった。
わたしが、忘れたくないなんて、一緒に連れて行ってなんてわがままを言わなければ、マツバはわたしの知らない世界でまだ生きていたかもしれない。わたしがマツバを殺したようなものだった。
洗面台に放置された度なしのカラーコンタクト。BCは8.6、まだ二ヶ月分残っている。静かになったアパートで、マツバがそうしていたように、黒い色素が閉じ込められたレンズを眼球に乗せれば人間と変わらない。中学の時、酢酸カーミン溶液で玉ねぎの表皮を染める実験をした。今、わたしの目はあの細胞核によく似ている。マツバと揃いの赤。
マツバは陽のある時間も平気な顔で動いていたけれど、めでたく吸血鬼になったわたしは朝起きることが不可能になった。イブキにどうしたらいいのか聞けば「そんなの慣れるしかねえよ」と言っていた。わたしはバイト先を変え、マツバが働いていたレンタルショップで夕方からのシフトに就いた。
その日もマニュアル通りに仕事をこなし、
人がまばらになってきた頃、レジに立ちながら先輩と他愛のない話をした。仕事の合間に雑談もそれなりにしてくれる、派手なネイルをした女子大生。カシギちゃんの前に働いてた子が飛んじゃってさあ、と先輩が零す。
「いやあ、なかなか欠員補充されなくて困ってたんだよね。カシギちゃんが入ってくれて助かったよお」
「あの、私の前にいた方は、どんな人だったんですか」
「うーん、あんま積極的に喋んないけど、飛ぶようなイメージはなかったかも。真面目な子だったしなあ、大都議さん」
「……そうですか」
「そうそう、カシギちゃんと同い年だったけど、たまにめちゃくちゃ古い映画借りてってさ。渋いな〜!って思ってた」
その映画をつまらないと言って途中でやめてしまったあの日は、とっくに過去になっていた。あれから何日経ったんだろう。あの映画は、マツバにとってどんな思い出があったのだろう。
どれだけ知りたいことがあっても、マツバはもう何も答えてくれない。
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