第2話

 平凡な毎日というのは、劇的な出来事が起きても簡単には変化しないらしい。

 実際、他人はどうか知らないが、高校一年の俺、中乃園なかのぞの圭斗けいとはそうだ。

 俺が天使を見たと言っても周囲の反応は乏しく、他愛のない話だとして変わらぬ日常である学校生活が続いていた。毎朝決まった時刻、八時に学校に到着し、いつもの友人としょうもない話をし、面白くない授業を聞いて休み時間を迎え昼休むに弁当をつつき、再び授業があり、終われば放課後だ。

 放課後後は部活をしたり、友人たちと遊びに行ったりと、やはり変わらない毎日だ。

 むしろ、ここで劇的に変わるとしたらどんなだろうか。俺が世界の救世主にでもなるのか?

 なんて、阿呆なことを考えていても仕方なかった。


 ともかく。


 何か特殊で、非日常的な出来事が一度あったところで俺のそれからの生活が非日常に変化するはずもなかった。そんなもんだ。

 帰りのホームルームでの先生からの伝達事項をぼーっと空を眺めながら済ませた。先生の話が終わり、教室のみんなが帰りや部活に行こうとしている最中だった。


「何ぼーっと考えこんでんの?」


 隣の席の女子、逢沢あいざわ佳織かおりが声をかけてきた。頭の後ろをポニーテールのように見せかけてなぜか二又にしている変わったやつだ。眼力が強いので、いつもよりしっかり見られると睨まれている気分になった。

 小学校からの長い付き合いだが、この妙な威圧感だけはなんか苦手だった。


「いや、別に」

「別にって……。授業中もさっきの先生の話もうわの空だったじゃん。何言ってたか、覚えてる?」

「なんだっけ……?」


 とぼけたつもりはなく、本当に覚えていなかった。

 逢沢は不満そうな顔になった。


「ほらあ。全く聞いてない。最近、街で不審者の話が増えてるから気をつけろ、って話でしょ」

「あー、そっか」


 聞いてなかった。


「あのさ。悩み事でもあんの?」


 唐突だが、逢沢が俺を気にかけての発言なんだろう。ただ、その睨むような目つきは止めて欲しい。ちょっとだけ、びびってしまう。


「あー。逢沢は今日も可愛いな、って思ってただけだよ」

「ふざけんな」


 ごつん、と頭頂部を拳で軽く殴られた。痛くはないが、そうやって反応するあたり照れていると見ていいだろう。

 実際、逢沢は可愛い部類に入る。ただし、性格は割と難ありだが。

 まあ、うまくやれば簡単に彼氏なんて作れるだろうが、その手の話を聞いたことはなかった。


「隠さず言ってよ。なんかあったでしょ?」

「……いや、言いにくいんだけど」

「言いにくいったって…………。どうせ、天使を見たって話のことなんでしょ?」

「わかってるならきくなよ」

「くだらないこと言ってるからでしょ」

「くだらなくなんて……」


 ない、と言いたかったが、ここまで周りから否定されると自信がなくなっていた。

 あの時の出来事は、本当にあったことなのか。

 鳥か何かを見間違えたのかもしれない。


「見間違え、だったのかなあ」


 俺は雲だけが浮かぶ空を見た。さっき目に映っていた雲はいなくなり、新しく見た雲が浮かんでいた。

 数秒の出来事なんて、簡単に流れていってしまう。


「何それ。自分で言ってて自信ないの、あんた」


 逢沢の語気が少し強くなった。


「別にそういうつもりじゃないけど」

「じゃあ、どういうつもりよ。あれだけ天使天使って言ってたのに」

「そんなに連呼してたか?」

「同じようなものよ。最近のあんたの話、半分以上それなんだから」

「そんなにか」

「そんなによ」


 全然気づかなかった。そんなに天使のことばかり話してたのか。アホみたいだな。

 手で顔を覆い、深くため息をついた。


「意識してなかったの?」

「全く……」

「……あんた、最近うわの空なことが多いし、重症ね」

「かもな」


 逢沢の睨みがさらにキツくなった。

 そんなに怒らなくてもいいじゃないか、とも思ったが、悪いのは俺だから余計なことは言えなかった。


「とにかく。授業は良いとしても、お願いだから部活くらいはちゃんとやってよね」

「……わかってるよ」

「本当にわかってる?」

「もちろんだよ」

「…………」


 逢沢は黙ったまま俺から視線を動かさなかった。

 何も言い返すことができず、俺の方が目を逸らしてしまった。

 授業どころか、部活も集中できていないことは事実だった。


「圭斗――」

「ごめん」


 逢沢の言葉をぶっきらぼうに遮り、俺は鞄を持って教室を出ていった。

 これ以上あの場にいたら、余計なことを言いそうだった。何も考えず、部活をやるだけだ。

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