第十二話 人を殺してその血を心に負ふ者は墓に奔るなり

『十二万……』


 嘉助と縫の言う、途方とほうもない数字にセブが息をのむ。

 異邦人いほうじんの言葉をそのまま受け取ることは、とてもできなかった。


 十万人の住む都市さえ、セブの知る限りケンノサントの国にはない。

 それだけの数の人間がみんな兵隊である軍隊とは……信じられない。

 そんな大人数おおにんずうの軍勢ならば、一日移動するだけで周囲から食べ物がなくなるのではないか。

 おそらく嘉助たちの話は、誇張こちょうされているのだろう。

 しかし先ほど、ケンノサントの騎士を苦もなく退しりぞけた手並てなみは見た。戦いに不慣ふなれれで、戦話いくさばなし大袈裟おおげささにせられたとも思いがたい。

 二人が兵数へいすう誇張こちょうする意図いともわからない。

 兵数の事は、どう考えて良いのか判断できないまま、セブは話をぐ。


『嘉助様は、十二万人を退しりぞけけたのですか?』

いんにゃいいえけました」


 はにかんだのか嘉助は所在しょざいなさげにほおく。


「さすがに十二万人には、かなわんかったですね」


 縫は雨に降られたという話をするくらいの気楽きらくさで負け戦の話をする。


「ばってんオイたちは、人殺しが仕事みたいなもんですけん。死ぬ気になれば三人でん二千人くらいは、始末しまつでくっやろとは思います」

『なにを……されていた方々かたがたなのですか? 騎士様のようなお役目、だったのですか?』

方々かたがたって、オイたちゃそげん立派な者じゃなかです。ただの下人げにんですたい」


 苦笑くしょうしてたなごころで顔をあおぐように横に振る。

 縫も二人の近くに寄って、笑いながら会話に混じる。


「ねー。なにてかれてもねぇ……ウチ達はいろんころんいろいろと呼ばれとったとですよ。乱波らつぱかまり細作さいさくしのび。ようは人を困らせるとが、仕事やったとです。うわさを広めたり人をケガさせたりかどわかしたり……あとは、殺したりも、しとぉたですもん」

「オイたちごたっもんたちは、百年よか長いあいだ争うて、ずっと殺し合っとった人でなしの集まりですけん、人様ひとさまに胸張って言うほどのことは、なんもしとらんかったとです」


 耳に入った言葉の意味がセブには理解できなかった。

 百年……親から子へ世代をいで、なく戦い続ける一族など聞いたこともない。

 異なる世界の日本という国には、そんな惨い生き方をする人間たちがいるのか。

 命を命とも思わない、名誉もない戦いだけに生きる人間たちがいるのか。

 だとしたら、なんという血にまみれた世界だろう。

 想像するだけでセブの背中を冷たい汗が伝わった。

 気がついて目線を戻したセブの面前には、縫とともに正座し、平伏した嘉助がいた。


「頼みがあいます。オイとお師さんがガロツクとの戦で死んでん、そん後も勘解由様と御嬢様の二人をセブ殿たちツパルク村の人たちと、らせてくれんですか」


 言い終わる前に三千世が飛んできた。


「なんね嘉助ッ。ひけしかことば言うねッ! 三千世も一緒にやるけん、誰〈だい〉も死なんよ」

「お嬢はダメ」

「ダメじゃ無か!」


 縫がにべもなくたしなめるが、三千世は納得しない。


『待ってくだされ。アナタ方は仲間二人を保護してもらうためだけに、余所の国の諍いで命を捨てるおつもりなのですか……』

「そげんですたい。オイたちは、それしかできんとです」


 嘉助の言葉に少し笑って縫も頭を下げる。遠くを見るような目をしていた。


「死ねとは良かけど。そいも欲得づくやし殺生すっし、じぇんじぇん〝まるちり〟には、ならんね」

「命の使いどころとしてはマシですよ。自分の勝手に出来でくるとですけん」

「そげんね? そうねぇ。そげんかもしれんね」


 うなずきあう面々めんめんを見ていて、不安にられたセブが嘉助に声をあらげてう。


『命をかけるには割に合わない報酬ではないですか?』

「いつものことです。オイたちはいつも無理なことば言いつけられて、死にかぶっとそうになったとですけん」

「良かと。ウチたちが勝手にやることだけん、構わんです」


 セブは二人の考え方が怖かった。

 縫や嘉助の見せた絶大な格闘能力よりも、いま目の当たりにしている自分の命に執着しない考え方の方が、よほど怖いと思った。


 セブは二人へガロツクの軍勢に出向かうのは止めて、いますぐに逃げてくれと頼む。

 しかし、二人は勝手にやることだと取り合わない。何度も押し問答が続いた。

 噛み合わない話合いをさえぎるように独去が口を開く。


「セブ殿の懸念けねんは、わかり申す」


 背を向けたままだ。麦酒の入った素焼きのつぼかたむけている。


「さりながら、ちまたには自由に生きられない者もおるのです。ずっと誰かに従って生きていたので、コイツらは普通の暮らし、命が尽きるまでただ生きるということがわからん者なのです。まぁ簡単に言えば、頭がですな、おかしいのです」


 苦々にがにがしい顔で麦酒を飲み下す独去をセブは悲しげに見つめていた。


「主の指図さしずに従うほかには、どう生きて良いかわからんのです。アイツらは、人を殺すのは上手いが、自分たちが人がましく生きるのは下手なので────」


 いっそここで終わりにしようとしておるだけなのです、と麦酒を口に含んだ。

 この場の誰もが言うべき言葉を探していた。

 普段ならすぐに罵詈雑言ばりぞうごんを言い返す縫も押し黙って、独去へ優しい眼差まなざしを向けている。


「ワシは嫌だ。成すことなどなくても、異国にあっても、生られるだけ生きますわい。わざわざ他人のために痛い目にあって死のうとするのは阿呆あほうのやることじゃ」


 吐き捨てるように言うと壷を抱えて壁際に寄りかかり、目をつむった。

 また経堂の広間に言葉が絶えた。

 嘉助がケンノサントの騎士から剥ぎ録った鎧を捻じり組み上げるカチカチとした音がなるだけだ。

 ついには司祭が口を開いた。


『わかりました。残された方は、このセブが必ず暮らしの立ちゆくように致します……』

「あいがとうございます」


 縫と嘉助は居ずまいを正して、また頭を下げる。


『また言いにくいことではありますが。もしも御二人が戦いに倒れた時に後のとむらいは、どうすればよろしいでしょうか?』

「ん? こんおじいさんは、なんば言いよっと?」

「ああ。お師さん、セブ殿も信心のある御方ですけん。オイたちのむくろ始末しまつんことをきかれとっとですやろ」

「なんね。そげんことね。死んだらどげんなと、してくれたら良か。てとってくれて良かよ。元から非人ひにんの屍や拾うもんもおらんとやけん」


 胸がまる思いがこみ上げたセブが、言いにくそうに提案する。


『私達の作法さほうで構わないのなら……という話ですが、私が埋葬まいそうとむらいをしてもよろしいでしょうか? 少なくとも埋葬は致したく思います』

「墓ば作ってくれるとですか!」


 急に嘉助が身を乗り出す。


「そぎゃんなら、小さか木切れにでも何でんよかですけん十字に組んでオイたちを埋めた地べたの上に立ててくださいッ」


 嘉助は喜色を浮べて人差し指を交差させた十字を作って〝こいですッ、こいですッ〟とセブへ見せた。


『はい。お受けいたしますが……それだけでよろしいのか』

「良かですよッ、良かばっかいです!」

「ウチたちは人の内には入れてもらえんかったけん良かったぁ墓やらなかもんね。なんせ徳川の世ん中じゃ非人の身の上やったとやもん。まして古帳の望みの墓は絶対でけんもんね」

「そげんですよ。オイたちはたいてい墓やら無かですもんな。セブ殿、よう言うてくれました。墓は良かったです」


 嘉助は床を叩いて喜んでいる。

 セブは、ますますわからなくなった。

 異国の者たちは、何をもって喜んでいるのだろう。


 おそらく戦えば死ぬと言われているのに。

 墓が嬉しいという意味がセブには、まったくわからなかった。

 困惑するセブをよそにこしらえてえていた防具を枕にして嘉助がゴロリと横になる。


「ひさしぶりに腹一杯ですけん、眠うなりました。戦支度いくさじたく腹支度はらじたくんだけん、一刻いっときばっか、温々ぬくぬくしとりますばい」


 そう言い終えていくらも経たないうちに、大きな寝息を立てだした。


「セブ殿、無礼をお許しください、みな少々疲れておりましてな。しばし、この場で休ませてくだされ」


 独去が頭を下げる。


『もちろん構いませんよ。すぐに夜具を持ってまいりますので、しばしの間お待ちください』

「いえ、どうぞお構いなく。何とぞこのまま寝させて置いてくだされ。恥ずかしい話ではありますがワシらはいつも着の身着のままで横になる暮らしでしてな。地べたではなく板の上にいられるだけで十分なのです」


 あたりまえように語られるすべての事柄があまりに不憫ふびんであった。

 思わずセブは、言葉に詰まる。


『……そういうことならば、承知しょうちしたしました。どうぞ、このままでお休みくださいませ』


 セブの言葉を合図にしたようにすぐさま大口をあけてイビキをかく嘉助。穏やかな顔で三千世に寄りそって目を閉じる縫。寝息も立てず身を横たえる独去と勘解由。

 セブを信頼しんらいしていると考えたとしても、この村を押しつぶすであろう軍勢が刻一刻こくいっこくと迫っていると伝えたのに、誰も警戒などしていない。


現状げんじょうが、わかっておられないのか……』


 この五人が本当に戦いれている熟練じゅくれんの戦士なのかうたがわしくなる。

 しかしセブは、彼らが無謀むぼうな戦いを仕掛けて死ぬよりも、ガロツクの軍勢を見て戦うことを諦めて逃げてくれた方が良いと思っていた。


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