第十話 意を得ば 須らく歡を盡くすべし

 怒るふりをしつつも、和気わきあいあいと言葉をけ合う縫と独去へ苦笑くしょうしながらセブは席をはずした。


皆様みなさま、しばしここでお待ちくだされ。何か口に入れられるモノをお持ちいたします』


 残された三人はセブに礼を言う。

 三千世は部屋にとおされた後もいまだに意識の朦朧もうろうとしている勘解由の汗をぬぐい、身なりをととのえていた。

 兄の看護かんこの他には関心がないようだ。

 セブが退席たいせきした後、縫が独去へ問う。


「そいで、市さん。ここはどこなんね?」

「この地の名前は聞いた、ルクブ地方ヒュマジ草原のツパルク村だそうだ。国はケンノサント。あの山はカリスラビント連峰れんぽう。だが、どの名も聞いたことがない。だから場所はいまもってわからん〝いすぱにあ〟〝えげれす〟ではない。〝えうろつは〟のどこかでもないようだ。さりとて唐天竺からてんじくでもない……とんと、わからんなあ」


 日本の津々浦々つつうらうらを歩き回り、海の向こうの国々についても知識をたくわえる独去が全く見当けんとうもつかないと首をひねる。


「さっきあばれとったとは、どこの国の何やったけ。あ、ケンノサントの武者か、ツパルク村の親方やね……で、こんど襲って来るとは、えーと司祭さんは、どこて言いよりなさったっておられた?」


 縫がめずらしく話を整理せいりしている。


「ガロツク、ですたい」


 嘉助の声に独去がうなずき、周りの国の位置関係を手控てびかえの帳面と※矢立肇やたてふで(※携帯筆記具)を出して描く。


「さてさてここは肥前ひぜんからどれくらい離れた場所、なんじゃろうな」

「勘解由様は三千世界さんぜんせかいの別のばんに行くて言いなった……海を越えて別の国に来たとじゃなかと?」


 縫が独去の筆を取ろうと手を伸ばす。


「……おそらくは、違う。ここは外国とつくにではない」


 ただの外国ではないと聞き、伸ばした手を止めた縫は怪訝けげんな顔を向けた。


「そいなら、市さんは、ウチたちは海ば渡ったとじゃかて言うと?」

「ああ。ここはおそらく日の本から海をへだてた外国とつくにというわけではないな。勘解由様の忍法では多くの者を無事ぶじに飛ばす場合には、場所が選べないと聞いたことがある」

「そうやね。ウチも勘解由様の忍法は行く者の命をたせんで良かなら、はてでん飛ばすって聞いたよ」


 独去は、窓から見えるやま見据みすえている。


はて……すら越えておろう。恐らくここは、我らがいた世界とは大元おおもとから違う場所────」


 〝異なる世界〟じゃ。


 独去が指差す空へ顔を向けた嘉助は昼間でも煌々こうこうと光り、カリスラビントと教えられた高い山並みからわずかかに上にある大小三つの月を見た。

 山々の向こうからは針のような細い線が空へ伸びてキラキラとかがやいていた。


「あいは月ね、嘉助さん」

「……わかんません。昼間からいもんごたる形の月が浮かんどっとですけん。そいも三個あるて……ここは、あたまえの国じゃなかですばい。あの天に続く針んごたっとも、わけがわからんです」


 そう言ったきり、二人はしばらく言葉がげなかった。息をむだけだ。


そげんそんな……うっすらごとうそやろ」

「ほんに勘解由様のお力は、凄まじかぁ」


 目をすがめた縫が独去へ向きなおる。


あいばそれじゃここは……せ、仙境せんきょうとかの別天地べってんちてことね?」


 縫のいに〝なにも断定はできない〟と言ったきり、独去は考えこむ。みなが口をつぐんだ。


「はぁ……いろんころんいろいろ、めんどうかねぇ」


 考えあぐねていると、セブ司祭から忍びたちへ声がかかった。


『皆様よろしければ、こちらで食事にしませんか?』


 手にした木のわんを三千世に差し出す。


「起きられない方は横になられたままで、お召し上がりください。わんの中身は、まあ乳でいただけの麦粥むぎがゆですが」


 大きな一枚板の木の食卓にはうつわさじがならべられていた。

 壁際かべぎわの岩で仕切られたかまどにはなべが掛けられて、クツクツと音をたてている。

 なにかの動物の乳で煮られた甘い匂いがただよう。


「良か匂いですね」

「本当やね」


 大皿には薄く切った野菜の焼き物が重ねてあり、その上から溶かした乾酪〈チーズ〉がかけてあった。

 その隣りには煎餅せんべいに似た薄いパンもえてある。


皆様みなさまのお口に合えばよろしいのですが、なにぶん貧しい村なうえに、私は不調法ぶちょうほうなものでして。お恥ずかしいかぎりです』


 セブの言葉が終わる前に、縫は歓声かんせいをあげて食器を受け取り、嘉助とともに独去と三千世のまえにも配膳はいぜんする。


「スゴか……ご馳走っそうやねッ」


 流れるような動きが、突然とつぜんに止まる。

 食前の祈りが始まったのだ。

 微笑ほほみながら、セブも自身の祈りの言葉を口にする。


 異なる宗教のとなえる文言は、奇妙に調和ちょうわしていた。

 食前の祈りが終わると同時に、縫と嘉助が手前のわんきこむ。


うまッうまいうまいうまい」

美味うまかねッ! ずぅっと、海藻かいそうごたるのようなもんば湯がいたを口にしとったけん、腹に染みるねぇ」

さぶ味気なかったですもんね。こんなばやら、南瓜ぶなやら焼いてなんやらのタレばかけたもんも、やっちゃとても良か味ですばい」

「そげんねぇ」


 嘉助と縫は、ホクホク顔で焼き野菜をほおばっている。

 くばられた器には酒ががれていた。


『よろしければどうぞ。麦の酒です』

般若湯はんにゃとうですか、なんとも、良い香りですな」


 独去は木のさかづきを受け取ると破顔はがんする。


「坊主んクセに酒ね。はー、生臭かねぇ」

「ワシは坊主じゃないと言うておろうが。僧の格好なりをしておるだけなんじゃ」

なんでん良かけん。こっちにも、おもやいせんね配慮して分け分けせんばわけあわないとね

『同じものでよろしければ、またお待ちします。酒も料理もまだ用意がありますから』


 食卓につかず勘解由の食事の介助かいじょをしている三千世にも声をかける。


「お嬢、セブさんがおわりはどげんねって?」

三千世みちはもう良か。兄ちゃんの水だけ、もちっとくれんね」


 勘解由も上体を起こして乳粥ちちがゆすすっている。


「そうね、明後日あさってでんガロツクていう国が、ここに攻めてくるとね」

『ええ。ですから皆様もできるだけ早く、ここから逃げてほしいのです』


 夕餉ゆうげの際に振る舞われた麦酒のさかずきを、食事が終わった後も縫が傾けている。

 嘉助は先ほど、ケンノサントの騎士たちからぎ取った武具をいて、縫と自分の装備として組み直していた。


「嘉助さん、その手甲しゅこうばウチの喉当のどあてと鉢金はちがねにしてくれんね」

「わかいました、ちっと後で寸法すんぽうば合わせてください」


 縫にいわれるまま器用きように防具をゆがませる。

 道具も使わず、鉄板が柔らかい粘土の板でもあるように指で難なくじ曲げていく。

 驚異的きょういてきな嘉助の指の力である。

 それに拵えている部品の形も端正たんせいととのええられている。

 まったく器用な男である。



いくさなんよね。お国は? ケンノサントの殿さんは兵ば出して、おじいさんたちを助けんとですか?」


 嘉助に事情をかれた司祭は、むすんでいた口を開く。


『この先のとりでに、兵は集められているといううわさです。しかしガロツクからルクブ砦までの通り道に、この村が……ツパルク村がありましてな。いずれにせよこの村の田畑や建物は無事には済みますまい』

「運の無かことでしたねぇ。身着みきのままでんとりでに入れてもらうしかなかですね」

「あん人らの言う通りに、なんでん差し出せば、そのルクブ砦とやらには逃げられんと?」


 顔をくもらせたセブは、首を横に振る。


こばまれました。村人は山中にでも逃れていろと言われております』

「そ、そいじゃ食い物を渡すだけそんじゃなかですかッ! ひどかなッ」


 声を上げた拍子ひょうしに力を入れすぎた嘉助は、折りたたんだ鉄片を大きくひねってしまい、急いでまた曲げ直している。


『ここは元はと言えば流民が寄り集まって暮らしていた場所でした。それで土地の持ち主が私のぞくします教団でありましてな。ケンノサントからも自国の土地とも言い難いと、捨てて置かれております』

「なんね。ふだんは鼻も引っ掛けんとあいてもしないのに、いきなり食いもんと女を残らず差し出せて言うてきたとでしょ。そいで助けてもくれんとですか。ケンノサントって国は、やり口のよそわしゅう汚くて、はがいかねくやしいッ」


 縫が鼻息荒はないきあらく立っては、また腰を下ろす。


「ハハ。えらいヤツらのやることはいっつも同じだわい。どこの土地でも、おえらい様は勝手なもんだろうて」


 縫の脇の酒壺さかつぼに手を伸ばした独去は手の甲を縫の人差し指でしたたかに打たれる。


「なんじゃそれは。嘉助の飲まなんだ分の酒じゃろッ。ワシにも少しくらい分けんか!」


 素早く独去へ舌をだしてセブ司祭に向きなおる。

 独去は空の盃を回して縫にしかめ面を見せる。


「あー嫌だ嫌だ。嫌な話しか聞かんしッ酒はもらえんし」


 独去のようすが可笑おかしいらしく、セブは、しばし笑っていた。

 そののち、思いだしたように話を継ぐ。


『やがて通るガロツクの兵に殺されなくとも、たくわえも春にたねまでもルクブの砦の騎士らに取りあげられては、私たちはいずれえ死にするほかは、ないのでしょうな』

「遅かれ早かれ、村ん人らは死ぬとですか……」

『まぁ、遅くなることはないでしょう。先ほどの兵隊が言うことには……とりでを攻めに来たガロツクの魔法騎士団。二千人の軍勢がこの場所へ向かっているらしいですから』 

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