私、完璧ですから
「というわけで、今日の授業はここまでさ。分からないところがあったら、次のテストまでに質問に来るんだよ」
担任がチョークを置くのとほぼ同時に、チャイムが鳴った。一気に賑やかになった教室を見回して眉をひそめ、席を立つ。
昼休み、ぼっちの俺が向かうは図書室。
図書室といったら普通は飲食禁止のイメージだが、うちの高校は違う。『読書に親しむため』という名目で図書室の閲覧コーナーが開放されており、休み時間のみここで昼食を摂っても良いことになっているのだ。図書室にはリア充どもも寄りつかないし、皆だいたい一人で利用しているので、俺のようなぼっちでも浮かないありがたい制度である。
閲覧コーナーの隅を陣取り、鞄からパンを取り出した。
「いただきまーす。うん、おいしい!」
出来合いの焼きそばパンをいただき、片付けをしたら残りは読書タイムと洒落込もう。
本棚のライトノベルコーナーを物色していると、とある一冊にふと目が留まった。背表紙だけで分かる、数年前に絶版となったレアもの百合ラノベ。俺はそっと手を伸ばす。
背表紙を掴もうとした時、同時に、俺の指に誰かの手が触れた。 細くて白くて、ひんやりと冷たい、女の子の手。
「わあっ! す、すみませ……」
ぱっと手を離して十センチ後ろに飛び退く。
しかし、その華奢な掌の主を確認して、俺は目を見開いた。
光を受けて藍色に輝く黒髪ボブヘアー、猫のようにぱっちりした吊り目にアンニュイな笑み。小柄でほっそりしたスレンダーな体つきに、タイツに包まれたすらりと長い足。クール系美少女だ。
そして俺は――こいつのことをよく知っている。
「お久しぶりですね、従兄さん。いえ、先輩とお呼びしたほうが良かったですか?」
「こ、小鞠……」
彼女の名前は
「お前……うちの高校に入学してたのか!?」
「はい、丁度一年生です。びっくりさせたかったので伊吹ちゃんと協力して秘密にしてました」
小鞠は悪戯っぽく目を細めてみせた。引き締まった顔立ちが綻び、口元だけでくすくすと笑う。
伊吹といえば俺の妹である。小鞠と伊吹は従姉妹同士仲が良かったはずだ。あの二人、共謀して隠してたのか。
まさか従妹が、同じ高校の後輩になるとは思ってもみなかった。
小鞠はまだ幼稚園児の頃から絵を描くことが大好きで、ちびたクレヨンや丸くなった色鉛筆で、よく俺の似顔絵を描いてくれたものだった。『こてつにいさん だいすき』と鏡文字混じりのひらがなで描かれた似顔絵が懐かしい。
成長した今でも絵を嗜んでいると聞いていたから、てっきり美術系の高校に進学したものだと思っていたのだが。
そんなクール系従妹後輩は吊り目を悪戯っぽく細めて、内緒話のポーズで囁く。
「ところで……相変わらずぼっちなんですか? 先輩♡」
にやにや俺を弄る小鞠。くそっ! 殴りたい!
こいつは幼少期から何をやらせても器用にできる天才児で、その上親戚どもとは似てもつかぬ百年に一人の美少女ときた。まあ高圧的な態度もしょうがない。
「そういうお前だって図書室に逃げ込んでるだろ、同じ穴の貉じゃねーか!」
「残念、私完璧ですから。先輩と違って社交能力もありますし、溢れる人望から学級委員を任されています」
話している隙に、小鞠は先ほどのラノベをさっと引ったくって自分の懐に仕舞い込んだ。くっそー、したたかな奴め。
「今日はこの絶版百合ラノベが図書室に置いてあると知ったので、借りに来ただけですよ」
「お前もその本に興味があったのか?」
「はい。私、成績優秀でしたのでこの高校に入学はしましたが、将来の夢はイラストレーターなんです。この作品はラノベ挿絵の歴史を語るなら欠かせません。古今東西の名作は把握しておきたくて」
「熱心な奴だな」
「勿論です。私、完璧ですから」
そう言って小鞠は不遜に微笑んだ。
ふと目線の端で、彼女の利き手の指に大きなペンだこができているのを見つけてしまった。腱鞘炎防止だろうか、手首にはサポーターをつけている。
俺は知っている。長門小鞠は毒舌でプライド高くて生意気で自信家で鼻につく才女で――誰よりもまっすぐな努力家であることを。
「イラストねぇ。小鞠、最近どんな絵描いてんだ? ちょっと今描いてみせてくれよ」
「絵描きに向かって『へー絵描いてるんだ。ここで描いてみてよ笑』は禁句ですよ、従兄さん。私以外にやったら嫌がられますよ」
「そうなのか? 俺は詳しくないんだ、すまん」
この場合複雑なのは小鞠かクリエイター気質か乙女心なのか判別つかない。
ため息まじりにそんな台詞を言いつつも、彼女は懐から携帯を取り出してくれた。画面をスクロールし、ある場所ではたと指を止め、画面を俺に突き出してきた。
「見てください、これです。私の作品」
「えっ? このイラスト……本当にお前が描いたのか?」
俺は目を見開いて携帯に釘付けになり、目を白黒させた。 それとは対照的に、小鞠は薄い胸を自慢げにそらす。
「勿論です。私、完璧なので」
画面に表示されたSNSアカウントは、フォロワー四十三万人の超・神絵師アカウントだった。というか俺も知ってる有名絵師だ。
確かに小鞠は絵が上手いってのは知っていたが、まさかここまで人気だったとは。
「そーかそーか。んじゃま、その本は特別譲ってやるよ、天才絵師様。適当に頑張れよ」
俺はへらへらと媚びたような笑みを装い、そそくさとその場を後にしようとする。
小鞠はふふんと誇らしげに笑い、懐から先ほどのラノベを取り出して表紙を見せつけてきた。
「あ、私が読み終わったら先輩もこのラノベ読んでいいですよ」
「お前の許可なくてもそうするっつーの!」
小鞠に突っ込みを返し、俺はすごすご退散するのだった。
◆
帰宅準備をしていると、前の席からプリントが配られてきた。目を落とすと、プリントには『進路希望調査票』というタイトルが、太い明朝体ででかでかと印刷されている。
担任の秋吉台先生が声を張り、
「いいかい、模試の結果が返却され次第、進路指導を行うからね。期限までに進路希望を提出すること」
女教師・秋吉台紅葉。うちの担任であり、小鞠の所属する美術部顧問であり、進路指導担当も兼ねている。
黒髪のショートヘアに、真っ赤なルージュを塗った唇が印象的。いかにもパワフルで気の強そうなアラサー美女だ。
みなと高校はどちらかといえば進学校の部類に入り、高一から熱心な進路指導が行われる。まだ高二の四月なのに進路指導とは随分気が早いものだ。
将来の進路ねぇー、特に思いつかないんだよな。自宅警備員希望とか書いたら、流石に親にケツぶっ叩かれそうな気がする。
頭の中でぶつくさ呟きながら、進路希望の紙をクリアファイルに突っ込むのだった。
すると、隣席に座るのどかがやけに不満そうな顔でこっちを見てきた。子供みたいにぷっくり頬を膨らませて半目でこちらを見つめている。
「こ、虎徹君っ。き、今日、お昼休みにお話ししていた女の子は誰なんですかっ……?」
「はっ?」
思わず硬直してしまう。こいつ、あの時図書室にはいなかったはずなのに、いつどうやって俺の動向をチェックして……? コワー……。
「お前に関係ないだろ!」
「関係ありますっ。だ、だって……と、透野かふかの正体を誰かに話されたら困りますからぁっ!」
「心配しなくてもそんなことしねぇって! あいつ、ただの従妹だから!」
のどかはやけにほっとした表情で胸を撫で下ろした。だがすぐにはっとまじめな顔になり、
「でっ、でも、……日本の法律上はいとこ同士でも結婚できるんですよ?」
「できたら何なんだよ! あんなドS女俺の方からお断りだわ!」
全く……こいつの考えてることはよくわからん。のどかも、他にラノベや配信の話ができる友達がいたら俺にべったりにならないんだろうが、生憎紹介できるような宛は俺にはなか……いや、いる! あいつだ!
俺は凛々しい表情を作り、彼女に向き直る。
「そうだ、のどか。紹介したい知り合いがいるんだ」
「紹介したい知り合いって……誰ですか? まさか……虎徹君の彼女……?」
いきなりのどかの顔が険しくなった。
あのさぁ、ただでさえ友達ゼロ人ぼっちなのに彼女だけ都合よくできるわけなくない?
「いいから来てくれよ」
「こ、虎徹君が、そこまで言うなら、分かりましたぁ……」
のどかは健気に頷いた。
のどかと連れ立って学校を出て、校門前に向かう。
ひまわりの咲き誇る綺麗な校門の前に立っている少女の姿を見て、のどかはすぐに半目になった。少女――小鞠は自分の携帯画面を見せつけてきた。そこには某有名通話アプリの画面が表示されている。
「先輩。私の知らない人を混ぜたグループトークルームを勝手に作らないでください」
涼しげな表情の小鞠と、半目ののどか。
「虎徹君。どうしてその娘がここにいるのかしら?」
「紹介が遅れたな。こいつは長門小鞠、俺の母方の従妹だ」
「初めまして、一年一組の長門小鞠と申します。いつも虎徹先輩がお世話になっております」
「『いつも』……?」
小鞠がぺこりと頭を下げると、のどかの表情が一層強張った。全く、いつもの人見知りを発動しているのだろう。
だが今日はそれでは終わらせない。のどかに『本物の自分を出せる』友人を増やしてやるべく、俺は小鞠を招いたのだから。
「ごきげんよう! わたしは二年二組の豊浦のどかよ」
のどかは可憐に微笑みながら自己紹介をした。いつもの『お清楚お嬢様』の仮面である。
しかし小鞠は目をぱちくりさせて、それからふっとアンニュイな微笑みを浮かべた。いつもの自信満々な笑顔だ。
「成程。こののどか先輩が、『透野かふか』さんの中の人という訳ですね」
「ふぁっ!?」
のどかが身を竦ませ、それからきっとこちらを見詰めた。
「虎徹君! やっぱりわたしのこと、この娘にも話したのね!?」
「話してねぇよ!」
「いえ、先輩からは何も聞いていませんよ。喋り方やジェスチャーの特徴から看破したまでです。私、完璧ですから」
小鞠は勝ち誇ったように笑い、薄い胸を張った。流石目ざとい。一方ののどかは肩を小さく縮こまらせてフルフル震えていた。
「安心してください、のどか先輩」
そんな小鞠は、鞄から携帯を取り出して画面をのどかに見せる。そこに映っていたのは、――透野かふかの立ち絵データだった。小鞠はいたずらっぽく笑う。
「これを描いたのは私です。こんにちは、赤ちゃん。私がママですよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます