夢の扉
翌日、みなと高校の教室にて。
休み時間こそぼっちにとっては天敵だ。楽しそうに雑談したり次の授業の課題を急いで進めたり、賑やかなクラスメイトを横目に、孤独を持て余す俺がとれる選択肢は三つ。
一つ、机に突っ伏して寝る。王道にして王道だが、昼休みは周囲の声がうるさくて安眠には不適だ。
二つ、ラノベを読む。最近発売されたばかりの新刊が手元にある。だがブックカバーを家に忘れて激エロ表紙をクラスメイトにお披露目することになりそうなので、これもナシ。
三つ目はトイレや図書室で時間を潰す。
さてどうしようか――?
「じ、じゃあ虎徹君。四つ目、わたしとお話しませんかっ……?」
「しねえよ! 心を読むな!」
左隣から思わぬ声がかかったのでつい絶叫を返してしまった。
四つ目。俺に話しかけてくる隣席のクラスメイトと慣れない雑談をする。
いやナシだろ! 緊張するし。会話の間が持たねえわ。
昨日の一件から、豊浦は俺にやたら話しかけてくるようになった。
「虎徹君、ごきげんよう!」
「虎徹君、お昼一緒に食べない?」
「虎徹君、一緒に帰りましょ!」
……ご覧の有様である。
「あのさぁ! 俺に話しかけるなって言ったよな。恩返しなら昨日で終わっただろ」
「う、うう……」
すげなく言うと、のどかはしゅんとしょげかえり、豊満な肉体を縮こまらせた。
「だって、アニメやラノベや配信の話ができる相手、虎徹君だけなんです……。も、もしよかったら、かふかとして一緒に活動をするの、手伝ってほしくて……」
深くため息をついた。 都合よく扱うつもりか?
俺は『明るく華やかで元気なVtuber・かふか』のことを誰よりも推していたはずだ。
だが中の人の本性がこうなのだから、自分はかふかの表向きの姿――『ガワ』しか見ていなかったんじゃないか? そう思い知らされてしまったのだ。
「分かってるだろ? 俺は今、入学時の噂のせいで学校中の笑い者にされて遠巻きにされてる。そんなのと一緒に行動したら、お前まで変なあだ名をつけられるぞ」
「そっ、それは……虎徹君が『山陽線痴漢マン』『おしゃべり脱糞』『親に合わせる顔がない』『うんチカンスレイヤー』『イキリオタク』とか色々酷いこと言われてるのは知ってますけど……」
「俺の蔑称そんなにあったの? 知りたくなかったんだが!」
最後のはただの中傷だろ。 訴えたら金取れるよな?
「とにかく、俺は豊浦のこともかふかのことも応援したいと思ってる。だから昼飯一緒は勘弁してくれ」
「そ、そんなこと言わないでくださいっ。わ、わたし……虎徹君ともっと仲良くなりたいし、もっと配信の話がしたいんです……」
「俺と一緒にいるせいで変な噂が立ったらお前が可哀想なんだよ。クラスメイトの視線が痛い」
そう迫られて豊浦の方を一瞥した。その理由は彼女がうざったいからでも、はたまた嬉しかったからでもない。純粋に不思議だったのだ。
――どうして彼女はこんなに真っ直ぐでいられるんだろう?
どうしてそんなに自分の夢に自信が持てるんだ? 他人の目が気にならないのか? 人は願ったものにしかならないとはよくいうけれど、大きな願いなんか抱えて、達成できなかった時の事が怖くならないのか?
俺は自分の夢なんて、口が裂けても他人にいえない。高校デビューを目指していた時もそうだった。だから人前で堂々と夢を語っている人が理解できない。夢なんか、叶わないものなのに。
繊細な彼女の、それでもひたむきに前向きな姿勢が、俺には――少し眩しい。
気が付いたら、そんな疑問をつぶやきとして発していた。
「……豊浦は、怖くないのか?」
「怖い……?」
そこで豊浦は、たぬきみたいな垂れ目をぱちくりさせた。俺はため息をついて続ける。
「豊浦はさ。アマチュアVtuber活動を通して本当の自分を出せるようになりたいんだろ?」
「はっ、……はい」
「大きな夢や高い理想を掲げることが怖くなったり、不安になったりしないのか?」
高い理想を掲げれば、現在の未熟な自分から崇高な夢までの道のりの遠さを実感して、かえって努力する意欲をそがれてしまう。自分が心から信じられない大きな夢を口に出していると、自分自身やその夢に対して嘘をついているような気になってくるんじゃないだろうか。
「傷つくことが怖くないのか」
俺は机の上に乗せた拳を握り締めた。
「身の丈にあわない大きな『夢』を抱いて、それが叶わなかったときに敗北者になるのが怖くないのか? 実力もないのに勘違いして一丁前に『夢』なんか見ちゃってる痛い奴ってバカにされるのが怖くないのか?」
身の程知らずにも『友達を作って青春したい』なんて夢を抱き、結果ぼっちになっている俺の、惨めな現状みたいに。
豊浦は黙って俺の話を聞いていたが、やがて目をすがめた。
「……そうですね、そんなことを考えた時もありました……」
豊浦は目を伏せた。か細い声で切り出す。
「でも、でもっ。そもそもわたしがVtuberになろうと思った理由は、人気者やプロになりたかったからじゃないんです」
「承認欲求の他に何があるんだよ?」
「『自分以外の誰かになれる素性のわからないインターネットで、人見知りを治したい』『わたしを勇気づけてくれたあの人みたいに、日々何を感じて生きていたのかを共有したい』って理由だったんです……」
……確かにそれは、この前聞いたけれど。
「それぞれの目標や夢に向かって皆で配信をするVtuber界の雰囲気も、まるで文化祭前夜みたいで、わたしも頑張ろうってやる気をもらえて。もし運良くバズったら、好きな配信者さんとコラボできたら、それはそれで嬉しいですから……」
豊浦がこっちを見つめる。ぱっちりした垂れ目は、キラキラとした憧れの光で満ちていた。
眩しいと、純粋に思う。
「わたし、はっきり言って才能なんかありません。けれどどんなに才能がなくても、憧れは止められない!」
豊浦は唇を噛む。
「子供の頃に読んだ短編小説に、『掟の門前』ってお話がありました。虎徹君は知っていますか?」
「フランツ・カフカの短編か。読んだことあるぜ」
オタクだからな。
その短編のあらすじはこうだ。
ある男が門を訪れる。その門はいつも開いているが、そばに番人が立っている。番人は「今はこの門を通ってはいけない。この先には延々と門が続き、奥にはさらに恐ろしい番人がいる」という。男は恐ろしくて中に踏み入ることができない。
男は何日も何年も門の前で立ち尽くし、番人に許しを得るために賄賂を渡して頼みこむが、番人はいっこうに許しをくれない。
老人となり、死に際に男は考える。門があるからには、誰かが入るために作られたはずだ。しかし、自分以外には誰も門に入ろうとしない。いったいこの門は何のためにあるのか?
そう問い詰めると番人は答える。「この門は、お前一人のためのものだった。さあ、この門はもう閉めるぞ」と。
読み終わった時、全体的に抽象的で哲学的で、有名な文豪が書いた割にはよく分からない小説だなという感想を抱いたのだった。
「その小説がどうしたんだよ?」
「わたしはこう解釈しました。男が門を通るために必要だったのは、番人の許しではなく、番人を無視して中に足を踏み入れる勇気と覚悟だけだった。夢の扉はそれに向かって進もうとする人にだけ開かれる」
のどかの瞳が、真夏の光を受けてきらめいた。ごくりと唾を飲み込む。いつのまにか彼女の話に感情移入しちゃったのか、感動でちょっと目頭が熱くなっていた。
「怖くても、憧れは止められないの……!」
「……そうか」
俺は勘違いをしていた。
確かに俺は今までかふかの『ガワ』だけを見ていたのかもしれない。でも今のやり取りで気付かされてしまった。懸命に夢を叶えようともがいている過程も含めてかふかなのだ。夢を懸命に追う発展途上のいびつな姿も含めて丸ごと、かっこよくて愛しい。彼女はもう立派なVtuberであり、俺はそんな彼女のファンだった。
人と仲良くなるのって怖い。自分の中身をさらけ出して相手の心の中を覗くことは恐ろしい。
でもこんなに怖くて恐ろしいことが、こんなにも幸せな気持ちを授けてくれるだなんて、俺は知らなかった。
やれやれとため息をついて、彼女を見やる。
「……分かったよ、のどか。どうせ俺もぼっちだし、一緒に下校するのだけはOKしよう。ただし学校最寄り駅の前までな」
「ふふっ……やっと名前で呼んでくれたわね? これからよろしくね、虎徹君」
そう言うと、彼女は細い指をぎゅっと握りしめ、健気な微笑みを見せてくれた。
そうして高二の春、俺は入学して初めて、話しかけられる相手ができたのだった。
――どうやら、推しVtuberの『魂』である清楚お嬢様は、ぼっちの俺だけに懐いているらしい。
◆
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