頑張りますから
目の前の豊浦はそりゃあ震えていて、台詞だってどもっていて、息も荒い。とても嘘をついているようには見えなかった。
……となれば、かふかファンの俺が言うことは一つだな。 息を吸い、笑顔で切り出す。
「はああああーーーー!? ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!」
「ひゃあ!?」
「そんなの認めねえからな! かふかはなぁ、明るくて元気で華やかでエキセントリックでディープなサブカル知識人でカリスマ性溢れるナースなんだよ! 一番星の生まれ変わりのバーチャル歌姫なんだよ! お前みたいなぼっちオタクの敵『リア充』女じゃないんだわ!」
机から身を乗り出して一気にまくしたてた。
くっそー、こんな女が『透野かふか』の中身だなんて認めたくねえ! リア充なんて、リア充なんて! どうせオタクに媚びながら裏では俺たちを嘲笑い、稼いだ投げ銭を使っておしゃれなカフェで彼氏とデートしてるんだろ(※偏見)!
「でっ、でも、わたしなんです……」
豊浦は唇を噛み締めて、恥ずかしそうに俯いてしまった。もしかふかなら小粋なジョークの一つでも返して俺の笑いを誘ってくれたところだろう。断じてこんな黙り込み方はしない。
「ええと……しょ、証拠! 証拠です、これが配信機材」
彼女は立ち上がり、半開きになっていたウォークインクロゼットの扉を開いた。中は防音仕様になっていて、配信機材がどっさり配置されている。
「信じて、もらえましたか……?」
彼女は振り返り、上目遣いで恥ずかしそうに話しかけて来る。
「なんでこんなものを?」
「う、うちの両親はいつも仕事で家を空けてて、一人っ子のわたしにかまえなくて……その代わりに欲しい物はなんでも買ってもらえるんです……。これも、高校合格のお祝いに買ってもらって……」
「さすがお嬢様……これが資本主義格差社会……」
べ、別に羨ましくなんかないんだからねっ!
「いっ、意外だって思いましたか? わたしが、Vtuberだなんて……」
「……まあ正直、リア充グループのお前のお清楚キャラとVtuberなんて全然似合ってないし、マジかよって思った」
にわかには信じがたい話だが、クロゼット内にある豪華な配信機材、膨大なレアグッズが、豊浦は嘘をついていないことを訴えかけていた。
そういえばかふかの顔立ちや声は豊浦のそれと似ている。キャラクターのコスチュームがナース服だったのは、彼女の実家が大病院だったからだろうか?
俺は腕組みして告げる。
「分かった、一兆歩譲ってお前が透野かふか本人だと認めてやる」
「……それもう地球から出ちゃいませんかあ……?」
だが、俺には一つ引っかかることがあった。
「でも、だとしたらどうしてVtuberなんて始めたんだ? 豊浦はオタクに見えないのに」
「う、ううん……、アニメも漫画も大好きです……。学校には趣味の合う友達がいないから、話す機会がなかっただけで……」
彼女は緩く首を振り、壁一面を覆う大きなスライド式本棚を指してみせた。
のどかが手前の棚を滑らせると、裏側に収納されていた膨大な数の漫画、ラノベ、アニメの円盤、ゲームソフトやフィギュアが顔を出す。
一目見てわかる、どれも俺の知っているタイトルだ。そしてなぜ俺がそのタイトルを知っているかといえば、かふかの配信で話題に上がっていて、俺が後追いで調べたから。
そういえば透野かふかは、萌え四コマ・往年のエロゲー・最新ヒット少年アニメ・尖ったマイナーサブカル漫画などありとあらゆる作品に精通していたことをぼんやりと思い出す。
「……信じるよ。お前の趣味のこと」
豊浦はこちらに向きなおった。落ち着かない様子で視線をさまよわせながら、
「わっ、……わたし、入院中、病院のベッドの中で見るアニメや漫画、ラノベが大好きだったんです。この子たちはわたしを胸躍る冒険に連れて行ってくれるから……」
彼女は蔵書の背表紙をなぞりながら呟いた。
「憧れてた。フィクションの中の皆に……」
「それは、俺もわかるよ」
沈黙の後、ぽつんと返した。少し湿っぽい返しになってしまったかもしれない。
夢と現実、フィクションとノンフィクション。俺もまた、現実にいながら夢を見るタイプの人間だから。
しかし彼女は振り向き、微笑む。
「でもっ、でも。中学時代に偶然、とあるゲーム実況配信を見つけて……」
病床の豊浦はその実況者に魅了され、自分も彼のように自由に表現できるようになりたいと強く思うようになった。
高校に入学した後、彼女は自分の夢を実現するために勇気を振り絞り、親に直談判して機材を購入。新進気鋭の絵師にアバターを依頼し、透野かふかとしてVtuber活動を始めた。インターネットなら素性がわからない。内気で病弱な自分じゃない理想の「明るく華やかな少女」になれることから、Vtuberとして「人と話す練習」をしていたのだという。
……今高校でリア充グループに属しているのも、その成果だってことか。まあ、推し活が良い方向に作用したんなら、いいことだよな。
俺がそう思っていると、豊浦は肩を震わせて続けた。 小さくガッツポーズを作り、
「今は作った仮面をかぶってるだけ。本当のわたしは弱くて内気……けど、『透野かふか』を通じて、いつか本当の自分を出せるようになりたいんです……!」
「はあ、そう……」
なるほどな、こいつの考えはわからんでもない。
しかし、人見知り克服のためにネットアイドル活動とか、随分遠回りじゃない?
何と返したものか。気まずい雰囲気の中で立ち尽くしていたら、俺の携帯のアラームが鳴り始めた。はっとして画面を見やると、『かふか雑談枠!』という文字が目に入る。
「あっ……! どうしよう」
同時に彼女も、焦ったような顔で壁掛け時計に目をやった。今朝予告していた配信予定時刻が近づいていたのだ。
「今日は雑談枠配信だったのに……」
「いいよ、俺の事は気にせず始めればいいだろ。邪魔はしない。『視聴者との約束はちゃんと守る!』のがかふかのポリシーだっただろ?」
「い、言わないでください……」
豊浦は俺の服をぽすぽすと叩いてきた。それをため息交じりに宥める。
「安心しろよ。これでも俺はかふかのファンだ」
「はえっ……?」
「いつもかふかを推して元気を貰ってきた。っていうか、俺が『見たかった配信』っていうのはかふかの雑談枠のことなんだよ」
真っ赤になって俯いたままののどかを励ますように、口を開いた。
「お前の『クランケ』は、目の前で視聴者との約束守ろうとしてる推しVtuberを妨害するような奴か?」
「ううん……しませんっ……」
「いい子だ。じゃあさっさとやれ、俺はクロゼットの外で黙ってるから」
すると豊浦は頷いて、クロゼットに手をかける。防音仕様の扉を閉める直前に振り向いて、はにかんだように笑った。
「……あのね、虎徹君」
「何だよ」
「何度も何度も、どうしてこんな事続けてるんだろう? って心が折れそうになることもありました。でもさっき虎徹君に『いつもかふかを推して元気を貰ってきた』って言われて、……その藍色がかった憂鬱が全部すがすがしいものに溶けていったんです。頑張ってきて、よかったって……」
照れくさそうな表情が、蕾が花開くかのように緩やかに、柔らかな笑顔に変わる。
「だから、ありがとう、虎徹君。頑張りますから」
豊浦のセリフに気恥ずかしくなって、俺は目を逸らした。……なんだこれ、告白みたいですげー恥ずかしい。
雑談枠の開始時刻が近づいて、機材を立ち上げて、豊浦は深呼吸をする。皆が『かふか』を待っている。俺だってそのひとりだ。
しかし次の瞬間、窓の外で一際大きな雷が鳴り、部屋の電気が全てパチンと消えた。
俺は慌てて携帯のバックライトで辺りを照らし、クロゼットの中に呼びかける。
「大丈夫か?」
「は、はいっ……! わたしは大丈夫ですけど……」
クロゼットの扉が開いて豊浦が顔を出す。どうやらパソコンの電源も一緒に落ちてしまったらしい。
彼女は悔しそうに唇を噛み締めていた。その理由は簡単に察することができた。『クランケ』の皆が今日の雑談枠を楽しみにしていたからに決まってる。突然配信が途切れてしまったことで、心配しているファンもいるかもしれない。俺はごくりと唾を飲み込んだ。
推しの魂は、ぼっちの敵である『リア充』だった。毎晩萌えアニメ声で配信している明るく華やかなサブカル知識人ナースの正体が、お清楚おしとやか気取りの隠れオタクリア充女子高生なんて動揺したし、とんだ解釈違いもいいとこだ。今まで嘘で騙しやがって、いい気味だと見捨てることができないわけじゃない。
それでも……推しのスタジオに入って、好きだって言って、裏話を聞かせてもらって。夢みたいな時間だった。そんな単純なことに今更気づいてしまった。
――だから、ありがとう。虎徹君。頑張りますから。
あんな笑顔を見せられたらほっとけなくなる。
推しの笑顔が見たい、かふかがピンチなら助けたい。だって俺もファンだから。お前の作った、偶像(アイドル)の。
「……豊浦。とりあえず携帯でリスナー向けに投稿しよう」
今ここで何ができるか、答えは単純。深呼吸してから呼びかけた。
彼女もまたハッとした顔で携帯を手に取り、SNS『ツブヤイター』を開いた。
『クランケの皆たち、ごめんね! 今の天気の影響でネット回線にトラブルが発生してて、完全な復旧まで時間がかかるみたい! ちょっと待っててね!』
「携帯の電波は繋がってるみたいです! 送信できました」
天候の影響でトラブルが発生している旨を告知。
恐ろしく早いフリック入力を見て、ツブヤイター廃人『かふか』の片鱗を感じてしまった。こんなところで推しを感じたくない。
数秒としないうちにいいねが集まり、いつもの視聴者たちが次々と励ましのリプライを送ってくれた。それを確認して、俺たちは部屋の外に出る。マイナーVtuberの配信をのんびり待ってくれるほど、現代っ子は暇じゃないんだ。
「豊浦、ルーターとかネット関係の機具はどのへんにあるんだ?」
「いっ、一階のリビングです」
音を立てて階段を降り、復旧作業を開始する。豊浦邸のネット回線を確認し、回線が正常に接続されているか、モデムやルーターのランプが点灯しているかなどを確認する。大雨による停電が原因である可能性も考えられるため、ブレーカーが落ちていないかを確認しリセット。
「……つきませんね、電気……」
それでも停電は続いている。豊浦は天井を見上げ、ゆるゆると首を振った。
「ああ……みたいだな」
ネット回線にバッテリーバックアップが装備されていたので、それを使用して一時的に電力供給を確保。
手順を順に試み悪戦苦闘していると、ふと豊浦家の電気が点灯した。
「うおっ? まぶしっ!」
眩しさで目を細めた。視界の端で、豊浦がほっとしたように微笑んでいた。
停電が復旧したおかげで、彼女は再び配信に戻ることができた。雑談枠を元気にスタートさせると、コメント欄は喜びの声で溢れた。視聴者たちは彼女の姿を見て安心したらしい。
俺はといえば、クロゼットの外側に体育座りしていた。イヤホンで配信を聴きながら、目の前で繰り広げられる配信風景をぼんやり眺めていた。
なぜだろう。小雨が降りしきる真っ暗な夜の中でも、不思議と心は晴れやかだった。
かふかの配信が終わってから、豊浦がクロゼットから顔を出す。目を逸らしたままで、ぽつりと照れくさそうに呟いた。
「虎徹君、ありがとう! また助けられちゃったわね」
病弱で内気なお嬢様、あるいは明るく華やかで元気なカリスマ萌え声Vtuberかふかの姿はどこへやら。またいつもの、自分の本性を覆い隠したお清楚キャラへと戻ってしまった。
安心するような、納得するような、けれど少し複雑なような。
そうだよな、これが俺の見慣れた豊浦のどかだ。明るく華やかなVtuberなんて全然キャラに似合ってない。
けれどその笑顔は、俺の好きなかふかに似ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます