推しVtuberの魂である清楚お嬢様は、ぼっちの俺だけに懐いているらしい。

さかえ

時が、止まった

『おはふか、クランケの皆さん! 透野かふかの配信へようこそ!』


 窓からは夏の爽やかな朝日が射し込んでいる。学習机の上に置かれたノートパソコン画面の向こうでは、美少女アバターが配信を行っていた。


 ピンク髪のツインテールに、大きな垂れ目に童顔、ゆるふわピンクのナース風ワンピース。この娘こそ、新進気鋭Vtuberの透野かふかだ。彼女は溌溂とした笑みを浮かべて手を振った。

 声に、頬がついゆるんでしまう。


 『クランケ』――つまりかふかのファンである俺は、動画サイトのコメント欄をクリックして、とりとめのない愚痴を送信する。


「今日大雨なのに、休校にならなくて気分落ちてます。エール下さい、と」


『『コテツ』君、ありがとう! うんうん、最近は梅雨だものね! 雨の日の学校って憂鬱よね?』


 俺が打ち込んだコメントを目で追い、画面の向こうのアバターがこくこくと頷いた。 それからカフカはぱちんと華やかなウインクをしてみせる。


『そんなコテツ君にハッピーニュース! 今日、午後七時からかふかは雑談枠を開くわ! 今日一日頑張って、さっぱりした気持ちで配信に来てねっ!』


 まるで俺の呼びかけに応えてくれたかのように、かふかは画面の向こうでぶんぶんと両手を振る。

 その後数分の雑談の後、早朝のおはよう配信は終了した。恍惚のまま、身をどっかとチェアに預けた。


「はぁ……、かふか最高! 俺の推しになってくれてありがとう!」


 パソコンをシャットダウンすると、真っ黒な画面に俺の顔が映り込んだ。

 黒髪短髪に日焼け肌、目頭に泣きほくろ、中肉中背のブレザー制服。普通の男子高校生の姿だった。さっきの配信のおかげで、にやけ面が抑えきれていない。


 かふかは特定のタレント事務所には所属していないいわゆる『個人勢』である。

 華やかな容姿、ディープなサブカル知識、溌剌としたトークと異常なまでのゲームの上手さから、今ぐいぐいと人気を伸ばしつつあった。


 ――『コテツ』君、ありがと!


 かふかの透き通った声が脳内でリフレインする。推しが、おはよう配信で俺の名前を呼んで、コメントを拾って、わざわざ雑談枠を開いてくれるというのだ。こんなに幸福なオタクがいるだろうか?


 孤独な毎日を照らしてくれる微かな光……推しに改めて感謝し、家を出るのだった。



 さて、みなと高校二年二組。朝の校舎には眩しい光が差し込んでいる。

 教室には既にクラスメイトたちの姿があった。乱れた髪の毛をコテで直したり、宿題の答えを見せ合ったり、部活の朝練帰りの汗をぬぐっていたり、これでもかって青春のきらめきをまとっていた。 夏だけあって、制汗剤やデオドラントの匂いが充満している。


 そして、そのキラキラ青春空間から途絶された窓際の隅っこに俺の席はある。鞄を下ろして椅子を引きどっかと腰かけた。

 俺には友達がいない。今日も陰鬱ぼっちライフの始まり……のはずなのだが。左隣からじっとり湿った視線を感じる。

 ……気まずい。


 俺の左隣の席には、学年一――いや学校一と言っていいほどの、輝くような美少女が背筋を伸ばして座っていた。

 艶やかな黒髪ストレートロング、ぽってりした厚い唇に口元のほくろ。豊満な肉体をブレザー制服に包んでいる。

 隣の席に座る彼女は、清楚な微笑みを浮かべてこちらを見てきた。


「ごきげんよう! 虎徹君」


「あえっ? ど、どうも……と、豊浦さん」


 ――何かと俺に話しかけてくるクラスメイト、豊浦のどかさんだ。


 豊浦さんは一言で言えばクラスのマドンナ。完璧お清楚お嬢様だ。女優もかくやといった美貌、文武両道、品行方正、おしとやかでおっとりした性格。もちろん男女問わずから人気があり、学校では華やかなグループ――いわゆる『リア充』側に所属していた。

 つまり、ぼっちの敵である。


 遡ること一年前の春。入学式の日、俺は電車の中で痴漢に遭いそうになっていた豊浦さんを助けてやった。

 だがその影響で電車のダイヤが乱れてしまい、その事実と痴漢の噂が混ざり合って、『入学式の日、綾羅木虎徹が女子高生に痴漢したせいで電車が遅延した』というデマが広まってしまった。

 結局、俺は入学式初日から妙なあだ名をつけられ、孤立するはめになったのだった。半分イジメじゃないか? これ……。


 俺はため息をついて、小声で語り掛ける。


「豊浦さん。学校では俺に話しかけないでくれって言いましたよね?」


「じゃあ、一緒に下校するのはどうかしら?」


「校門の内外を気にしてるんじゃねえよ! ……と、とにかく俺に話しかけないでください」


「でも、虎徹君の勇気のおかげで、わたしは怖い目に遭わずに済んだのよ? 今年やっと同じクラスになって、こうして隣の席にもなれた! だから、恩返しがしたくて……」


 豊浦さんは眉根を下げ、俺に笑いかけてきた。


「そんな気遣い、いりません」


「どうして?」


「俺の噂はもう学校中で拡散されまくってます。俺なんかと仲良くしたら、豊浦さんまで色々変な噂を立てられますよ」


「そんなこと言わないで!」


 すると豊浦のどかはいきなり困り顔になった。形のいい眉毛をハの字にして、大きな垂れ目に涙の膜が張りそうになっている。やれやれだ。


「……俺は中学時代からずっとぼっちでした。変なあだ名をつけられるのも遠巻きに避けられるのも笑われるのも慣れてるんです。だから、別にこのままでいいんです」


 豊浦は唇を引き結んで、まだ何か言いたそうにしていた。


「豊浦さんが気にすることじゃない」


 だが俺は、彼女が言葉を続けるより前に机に突っ伏して視線を断ち切った。あんな『最悪の初対面』を果たした男にしつこく話しかけてくるのって、申し訳ないが頭がおかしいと思う。


 いいじゃねえか、ぼっち上等! 何も金を盗られたり殴られたりしてるわけじゃない、ただ居心地が悪いだけ。損したり困ったりしてるのが俺だけなら、俺は今のままでいい。ここから抜け出そうなんて贅沢なこと、とても願わない。孤独な生活の中にも楽しみはあるもんだ。例えば推しVtuber・かふかの雑談枠配信とかな。


 こうして俺のぼっちライフは平穏に過ぎていく……はずだったのだが。



 その日の帰宅時、窓の外はバケツをひっくり返したような大雨だった。真夏の台風が憎たらしい。

 クラスのリア充どもが携帯を見ながら大声で騒いでいる。


「うげ! 最悪、山陽線電車止まってんじゃん!」


 俺の家はちょっと辺鄙なところにあって、大雨が降るとすぐに電車が止まって帰れなくなってしまう。どうやら今回も、最寄り駅までの路線が完全に止まったらしく、俺は完全に立ち往生していた。


 時刻は既に十八時過ぎ。

 仮に今から家族に迎えを頼んだり電車が動いたりしても、かふかの雑談配信には到底間に合わない。

 イヤホンをつけて配信を見てもいいが、もしその光景をリア充どもに覗かれたら……俺のあだ名は『山陽線キモオタマン』になるだろう。それはあまり想像したくない。


「くそ! どうして今日に限って大雨なんだよ。見たい配信あったのに!」


 哀れな男子高校生の密かな嘆きは雨音でかき消され、リア充どもには届かない……はずだった。


「――あの、虎徹君?」


「うわっ、豊浦さん! 聞いてたんですか?」


「聞いていたというか聞こえたというか」


 豊浦は可憐な面差しを困り顔にしていた。


 しまった。隣席のクラスメイトの存在を忘れるなんて、俺はとんだマヌケ野郎だ。


 豊浦は慎重に俺の顔を伺い、話しかけてきた。


「今日、大事な配信があるのよね? なら、わたしの家で雨宿りしていかない? そうすれば、大きな音で配信を聴いても騒いでも大丈夫だから!」


 思わず口を噤んだ。

 かなり断りづらい。それほどまでに、俺はかふかの配信をリアルタイムで見たいと思っていたのだ。

 声も出せず逡巡している俺を前にして、豊浦は手を合わせてみせる。くそー、美少女のおねだりなんて、ズルい。


「入学式の日、助けてくれたお礼がどうしてもしたいのよ!」


「……分かりました。家族が車で迎えに来ると思うので、それまで時間つぶしをさせてください」


 すると豊浦は花のように柔らかく微笑んだ。


 というか、一度お茶でもごちそうになれば、豊浦も気が済んでこれ以上俺にちょっかいかけてこなくなりそうだからな。平穏なぼっちライフ(※周囲に避けられている)に彼女を巻き込むこともなくなり、かふかの配信を心置きなく見れる。俺にはメリットしかない。


 相変らず外では大雨が降っている。傘やレインコートに身を包んだ生徒たちが忙しなく行きかう中、校門の前には一台の黒塗りの高級車が止まっていた。

 運転席側にはメイド服姿の若い女性。コスプレか何か?


 すると豊浦はその車を指差し、


「あれがうちの車! さあ、乗って!」


「豊浦さんのかよ! もしかして豊浦さんってお嬢様?」


「ううん、普通の家よ? お父さんが豊浦病院の理事長ってだけ」


 じゃあお嬢様じゃん。


 メイドさんの運転するリムジンに乗り込んで連れていかれた先は、これまた目を見張るような高級住宅街に建つ豪邸だった。流石大病院の理事長の娘だ。門には『TOYOURA』と刻まれたネームプレートがかかっている。


「いいわよ! 上がって虎徹君」


「お、お邪魔します……」


 豊浦の案内で、広い庭を抜けて家に入る。

 玄関だけで既に俺の部屋より広い。エントランスは開放的な吹き抜けになっており、見上げればあまりの天井の高さに首が痛くなりそうだ。その中心には大きなグランドピアノが置いてあ。

 エントランスを抜けた先、とにかくだだっ広い廊下にはいくつもの絵画が飾られていた。全体的にナチュラルホワイトでまとめられていて、清潔感があった。


 やたら幅の広い階段を上がって二階の部屋に通され、貸してもらったタオルで体を拭く。


「飲み物は紅茶でいいかしら? 今、一階から取ってくるわね!」


「あ、ああ。お構いなく。何でもいいですよ」


 頷いて豊浦は席を立つ。俺は部屋に一人きりになった。


 部屋の内装はフリルとレース、ピンクと白で彩られた仕様だ。

 親しくもない女子の部屋に一人きりという気まずさから、自分の携帯に目を落とす……いや、落とそうとして、俺の目はあるものを捉えた。


 広い寝室の奥。半開きになったクロゼットから、ピンク髪ツインテにナース服を着た美少女イラストの抱き枕がはみ出している。見間違えるはずもない、俺の推し・透野かふかの絵柄だ。


「……もしかして豊浦、隠れオタなのか?」


 そっとクロゼットに近づいてみる。

 クロゼットの扉をそれ以上開かなくても、中は透野かふかグッズで埋め尽くされていることが分かった。

 ファンクラブ限定タペストリー、クラウドファンディングで作ったアクリルスタンド。かふかは個人勢中堅Vtuberだからグッズの生産数は少ないはずなのに、レアものから量産品までずらっと揃っている。壮観だった。


 その時、誰かが階段を上ってくる足音が聞こえた。俺は慌てて元の位置に座り込む。


 扉が開くと同時に、紅茶の良い匂い。


「ふふっ、お待たせしたわね! 今日の茶葉は、イングリッシュ・ブレックファストブレンドを使ったミルクティー。クッキーやスコーンなんかと相性が良いのよ!」


 部屋に入ってきた豊浦は、紅茶の茶葉を解説しつつ優雅にティーセットを用意していた。

 しかしやがてぱたりと手を止め、半開きのクロゼットと、俺の顔を交互に見やる。


「……こ、虎徹君っ、クロゼットの中身見た?」


「見てません」即答だ。


「う、嘘! そっ、そんな優しい嘘はやめてっ!」


 豊浦の顔は桃色に染まっている。俺はぽりぽり頬を搔きつつ、


「あー……うん。見た、『透野かふか』グッズですよね?」


 言うなり豊浦はゆでダコみたいに赤くなった。ぽってりした唇を開き、あわあわと声にならない声を上げている。

 俺も透野かふかのファンだ、と伝えようとしたのだが、それより先に彼女が口を開き、ぺこりと頭を下げてきたのだ。


「わっ、……わたしが『透野かふか』本人だってこと、お願いだから秘密にしてほしいんです!」


「……はい?」


 時が、止まった。

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