冷たいつま先
ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中
つま先
寒風吹き荒ぶ中、ブラッドは町から出てすぐの森の中にある自宅へと向かっていた。
服の前を掻き合わせ少しでも暖を取ろうとしてみるが、効果はさほど感じられない。外套は所々が破けており、古くなった生地は固くて冷たさを感じる。ズボンの膝や裾は破れており、ほつれを直せる限度はとうに超えてしまっていた。
そして極め付けが、大事に大事に履いていた靴だ。父の遺品の中で一番役に立ってくれた革靴は、元々つま先部分が削れ落ち、指先が直接地面に触れそうなほど底がすり減っていた。それが先程とうとう底が抜けてしまって、これ以上使い物にならなくなってしまったのだ。
地面に足をつく度に小石が指に当たり、痛む。
「はあ……」
深い溜息が溢れた。もう何もかもがうんざりだった。
ブラッドは、裕福でも貧しくもない家に生まれた。
革職人であった父の下には、出来のいい弟子がいた。父は弟子をとても可愛がっていたと思う。そんな弟子の子供で同い年の男の子と作業場に顔を出しては、働く父の手元を見て目を輝かせる。ブラッドは、そんな子供だった。
だが、元は寡黙で真面目な男だった父が、ブラッドの母が突然血を吐き倒れてこの世を去ってからは、人が変わったようになってしまった。最初は母の死を訝しみ、仕事をせずに聞き込みをしていたのだ。それが次第に飲んで帰ってくるようになり、やがては酒場で酔い潰れてはブラッドが泥酔する父を連れ帰るのが日課になっていった。
この時にまだ弟子が側にいてくれていたなら、ひょっとしたら父はここまで落ちぶれなかったのかもしれない。だが弟子は母が倒れる少し前、独り立ちしたいという夢を叶えるべく、家族と共に別の町に引っ越してしまっていたのだ。
父に残されたのは、ブラッドひとり。父はブラッドのことをまるでいないもののように扱い、いなくなった者の存在だけを惜しんだ。父にとって大切だったのは、母と弟子だけだったのだ。ブラッドが悲しい事実に気付くまで、そう時間はかからなかった。
それでも、大人しく飲んでいる分にはまだよかった。
きっかけが何だったかは、ブラッドは知らない。
ある日を境に、父は酒場で暴れるようになってしまった。店から追い出されると、今度は道ゆく人に絡み暴力を振るう始末だ。
警ら隊に捕まり留置所に迎えに行く度に、ブラッドを見る周りの目が憐れみから憎しみに変わっていくのを感じ取っていた。
警ら隊の隊長だけは、ブラッドに好意的だった。「お前も大変だな」と大きな手で頭を撫でてくれた。隊長は気が良く立派な体格の持ち主で、酒場の女性に人気だという中年男性だ。
酒場に父のことをとりなしてくれたのも、酒場に顔がきく隊長だった。ブラッドは彼に感謝してもしきれない恩を感じていた。
だがある日、ブラッドの中の感謝の念がガラガラと崩れる出来事が起きる。
「もう奴を彷徨かせないでくれないか? 連日文句を言われる俺の身にもなってくれよ」
当時はまだ未成年だったブラッドを心配してくれていたと思っていた警ら隊の隊長から、溜息と共に告げられたのだ。次いで、「どうしても困っているなら、ブラッドだけ俺の家に来ればいい。困った親父はお前が頼むなら俺がどうにかしてやるぜ?」と腰を撫でられて、ゾッとする。
「う、彷徨かせないよう頑張りますからっ」と愛想笑いを浮かべて距離を取ると、ブラッドは隊長に必要以上に近付かないことを己に誓った。ブラッドが好意だと思っていたこれまでの隊長の態度には、色欲が混じっていたことに今更ながらに気付かされたからだ。
父は家の中で暴れ騒ぎ、ブラッドも無傷ではいられなかった。隣近所からは「黙らせろ」と怒鳴られる毎日。飲ませれば勝手に外に出ていき問題を起こし、飲まさねば飲まさないで騒いで家で暴れるものだから、日銭を稼ぎに父の元を離れるのもひと苦労だった。
ブラッドは次第に追い詰められていく。住んでいた借家の大家は、更新時期が来た時にこれまでの三倍の値段を吹っかけてきた。そんなお金はない。ブラッドの少ない稼ぎは、殆ど父の酒代に消えていたからだ。
困り切ったブラッドは、嫌々ながらも警ら隊の隊長の元を訪ねた。そこで、町から出た先にある森の入り口に、今は使われていない警備小屋があると教わった。そこならタダで貸してやれる、父が叫ぼうが暴れようが町に迷惑はかからないだろうと。
実質町からの追い出しだった。ここでもまた隊長に「ブラッドだけなら俺が面倒を見てやるぞ。あの親父を森の小屋に閉じ込めてしまえばいいんだよ」と囁かれ、この男がまだブラッドを諦めていないことを知り悲鳴が出そうになった。
「と、父さんの面倒は僕が見れますからっ」と必死で愛想笑いを浮かべると、隊長は「いつまで保つことかねえ」と顔を歪めて笑っていた。絶対にこの男の手には落ちたくないとブラッドは思った。
それからは、父の手足を柱に縛り付け、町に日雇いの仕事に向かう日々が始まった。父は酒を与えさえしていれば大人しかったから、飲んでる限りは縄を解けとは言わなかった。
これでもう人様に迷惑をかけない、頑張って働いて酒代を稼げばいい、家賃もかからないのだからと、少し前向きになれた。
だが、束の間の凪いだ日々は、長くは続かなかった。
いつものようになけなしの給金で買った酒を与えてブラッドは仕事に出かけた。だが家に帰ってみると、いつもなら聞こえる父の大イビキが聞こえてこない。おかしいと思い床に敷いた絨毯の上に寝転がっている父の肩を揺すると、口から泡を吹き、白目を剥いた青白い顔が見えた。
父は死んでいた。
ブラッドは驚いたが、悲しみよりも安堵の方を強く覚えた。これで解放されたのだと。
翌日、父の死を、この時も嫌々警ら隊の隊長に届け出た。するとなんと、親を縛り付けるなどとんでもない親不孝者だと非難されてしまったのだ。だったらどうすればよかったのかというブラッドの問いに、隊長はニヤついたまま答えでない答えを返す。
「俺の言うことを聞いていればよかったのにな。なあにまだ遅くない。俺のところに来るか?」
ブラッドのお尻をむぎゅりと掴む手を振り払い、ブラッドは逃げ出した。
その後、教会を訪ねたが、墓地に空きはないと断られてしまう。ブラッドは仕方なく、警備小屋の裏に穴を掘り、そこに父の遺体を埋めた。
穴の上に土を被せ終わった時、ブラッドの心にはぽっかり穴が空いた感覚が残った。こんな父でも、昔は尊敬できる人だった。幼い時分の思い出が蘇り、ブラッドは少しだけ泣いた。
だけど父がいなくなった今、もう堂々と町に戻れる。隊長に狙われようとも、人質に等しかった父の存在はもうない。誰からも蔑まれずに自分の人生を生きることができる。これからは自分の為だけに自由に生きよう。待っているのは明るい未来だと、高揚する気持ちを抑えることができなかった。
だがその考えが甘かったと知ったのは、何故か日雇いの仕事すら与えてもらえなくなってきた頃だった。
ブラッドに与えられるのは、誰もがやりたがらない仕事だけ。「どうして!?」とブラッドが職業斡旋所の担当員に詰め寄ると、「け、警ら隊からのお達しで……」と申し訳なさそうに小声で教えてくれた。
父亡き後も、隊長はブラッドを諦めるつもりはなかったのだ。幸い、無理に押しかけ襲われることはなかった。彼の立場が、最後の蛮行を抑止していたのだろう。隊長は蜘蛛の糸を張り巡らし、ブラッドが落ちて囚われる瞬間を虎視眈々と待っていたのだ。
町を出ていこうとも考えた。だが手に職もない、町の外に出たこともないその日暮らしのブラッドが町の外に出たところで、数日で立ち行かなくなるだろうことは目に見えていた。
仕方なく、ブラッドにも割り当てられる所謂「誰もやりたがらない仕事」をこなしていくしかなかった。
今日の仕事もそうで、この冬の寒い中での井戸掃除だった。寒さに震えながら頑張ったのに、渡されたのはパンひとつすら買えない賃金のみ。その上、地面に投げられた小銭を拾わされた。小銭を投げた依頼主の「こうするしかない、仕方ないんだ」といった弁明だらけの顔を見て、隊長への憎しみだけが募った。
今日の依頼者の男は、最後に「もういい加減隊長の親切を受けたらどうだ? 隊長に借りを作りたくなくて意地を張ってるからこうするしかないんだと隊長が寂しそうに言っていたぞ」と言った。町の人間は隊長の表の顔に騙され、ブラッドの為だと言う隊長の言葉を信じ、言われるがままにブラッドにこんな仕打ちをしていたのだ。
このまま隊長のモノになれば、衣食住に困ることはなくなるのだろう。だが、ブラッドは身も心も自由を失う。裏で舌舐めずりをしているであろうあの中年男の男娼になることなど、絶対御免だった。虫唾が走る。
だけどもう限界だった。もう嫌だった。
泣きそうになりながら、凍えた身体に鞭を打ち家路につく。もう、頭は上がらない。かじかんで赤くなったつま先だけしか見えない。
寒い、ひもじい、――楽になりたい。
明日も町に行って仕事をもらう気力は、もうなくなっていた。だったらいっそ、最高に温かい状態でこの世を去ってみようか。隙間風の吹くあの小屋ならば、よく燃えるんじゃないか。
ふと思いついた案は、案外悪くないと思えた。もう寒いのは嫌だ。凍りつきそうなのは身体だけじゃない。心も、今にも凍りついてしまいそうだった。
炎だ。炎なら、自分を何もかも温めてくれる筈だ。
仄かな期待を胸に、ブラッドは家に急いだ。
なのに、そこには予想だにしない者がいたのだ。
「! だ、誰だ!」
殆ど物のない、内側からしか鍵がかからない小屋の中には、いる筈のない先客がいた。
「――えっ! どうしてそんなボロボロに……!?」
目を見開きながら立ち上がったのは、値の張りそうな毛皮の外套を羽織った、金髪を後ろに撫で付けているキリリとした顔立ちの青年だった。
ブラッドには悪漢に対し抗えるような知恵も力も備わっていない。身構えて警戒するしかできない己が情けなかった。
「お前は誰だ! 勝手に人んちに入るなよ! 出ていけ!」
精一杯相手を睨みつけても、青年は驚いた顔のまま突っ立っているだけで立ち去る様子はない。
こんな見目麗しく身なりのいい若い男は、町では見たことがない。この男の目的は何だ。盗む価値のある物は、この家には何もない。だとすると、ブラッド本人が目的か。隊長に雇われた人間かもしれない。
その可能性に気付いた途端、先程まで高揚していた気持ちが奈落の底に落ちていくような錯覚に襲われた。
――自分が何をしたというのか。ただ必死に生きているだけなのに。自分の何がそんなにいいのか。ただ痩せ細ったひとりの男に、何故こうも執着する。
絶望が心に満ちていった。
「……隊長に雇われた?」
歯を食いしばりながら尋ねると、男は慌てた様子で首を横に振った。
「は? ち、違う!」
「嘘を吐くなよ。この場所は誰に聞いた? 攫ってこいって? それとも、一向に僕が隊長に靡かないから殺してって言われた?」
青年が、ポカンとした表情を浮かべる。
「は……? ブラッド、何言ってるんだよ。俺だよ、アルヴィンだよ!」
「は? アルヴィン?」
聞き覚えのある懐かしい名前の響きに、恐怖が少しだけ引き始める。
アルヴィンは血相を変えて詰め寄ってきた。
「なんだよその隊長って!? あのばかでかいおっさんが何だって……はっ、まさかあいつ、『俺のブラッド』に懸想してるのか!?」
「……隊長とは関係ないの?」
「ないってば! 『ブラッドのアルヴィン』だよ、覚えてないのか!?」
「俺のブラッド」と「ブラッドのアルヴィン」いう言葉に、ああ、こいつは本物のアルヴィンだと確信を得る。何故ならこれは、幼かったブラッドたちが互いに信頼し合っていることを相手に伝える為に二人きりの時だけ口にしていた呼び方だからだ。
アルヴィンは、ブラッドの一番であり唯一の友人だった、父の弟子の息子の名だった。
「……アルヴィン、格好よくなって分からなかった」
ブラッドの素直な感想に、アルヴィンがパアッと嬉しそうな笑顔に変わる。両手を広げると、一歩近付いてきた。
「そうだよ! ああ、凄く会いたかった! 『俺のブラッド』に会えない日々は辛くて悲しかった! やっと、やっと会えた!」
アルヴィンはそう言うと、躊躇なくボロ切れの塊のようなブラッドを長い腕で包み込む。質のいいふわふわな毛皮が冷え切った頬に触れて、温かい。
アルヴィンがブラッドの頭に頬擦りしながら続ける。
「なあ、町に行ったらブラッドの家に他の人が住んでた。森の監視小屋に住んでると家の人間に言われて訪ねたのに、今度は何故か親父さんがいない。俺が離れていた三年の間に、何がどうなっちゃったんだ? 『俺のブラッド』に会う為に必死で修行して、親父さんの弟子にしてもらうつもりで来たのに」
アルヴィンの腕の中で細かく震えるブラッドに、アルヴィンが優しい声色で懇願する。
「ブラッド? 頼む、分からないんだ。教えて?」
言ったらきっと、巻き込まれてしまう。この町で暮らす為に来たというなら、知らない方がいいに決まっている。
だけど、ブラッドは悪意のない人の温もりに飢えていた。ブラッドの心は、とうに限界を迎えていた。これまで、ブラッドの窮地を知りたがる人間なんてひとりもいなかったのだ。だから思わずポロリと溢してしまった。
「父さん、死んじゃったんだ」
「えっ! どういうこと!?」
ひとつ話したら、もう止まらなかった。アルヴィンに優しく背中を撫でられながら、ブラッドはアルヴィンたちがこの町を去ってから後のことをつぶさに話して聞かせていく。
隊長に狙われて素直に身を差し出さなかったせいで窮地に追い込まれたことも、全部話した。父が残した革靴のつま先が剥き出しになったのを見て、もう耐えられなくなってこの家ごと燃えようと思ったことも。
泣きじゃくるブラッドの涙を拭うと、アルヴィンが固い表情で言う。
「もしかして……実は、うちの親父がよその町で独り立ちしようと思ったのは、隊長の斡旋があったからなんだよ」
「え、どういうこと?」
「元々親父は、この町で師匠であるブラッドの親父さんが作るものとは被らないもので商売していこうと考えてたんだ。だけど隊長が『あそこの町は革職人がいないから狙い目だ、知り合いがいるから紹介する』と言って」
「え……」
どういうことだろうか。隊長が斡旋した? そんな話は一度も聞いたことがない。
アルヴィンが眉間の皺を深くする。
「おかみさんの死因は?」
「え、母さん? 買い物をしていたら突然倒れちゃったって隊長が母さんを連れてきて……」
そうだった。あの時は警ら隊だからと不思議に思わなかったけど、隊長がぐったりした母を連れてきたのだ。母は幾度も血を吐き、その日の晩に息を引き取った。
遺体には気味の悪い斑紋が浮かび上がり、何か毒物でも口にしたのでは、と父は疑っていた。だが、結局どこで何を口に入れたのか判明しないまま、土葬されてしまった。
父が酒を飲み始めたのは、調べ歩いている途中からだったと思う。「隊長に一杯奢ってもらった」などと、はじめの頃は言っていた記憶がある。……あれ、ここでも隊長が?
「親父さん、人が変わったようになったって言ってたよね?」
「うん……」
まさか、という考えが侵食してきた。そうだ。母の死後直後は、父はブラッドにも普通に話しかけていたじゃないか。その後の記憶が辛すぎて忘却の彼方にあったが、あの頃の父は以前の父のままだった。
なら、おかしくなったのはいつからだ――?
不安でいっぱいになったブラッドに、アルヴィンが辛そうに告げる。
「……親父さんは薬物を使われていた可能性があるな」
自分の考えを読まれたかのような発言に、ブラッドはバッと顔を上げた。真剣な眼差しのアルヴィンと目が合う。
「で、でもそんなのどうやって……っ」
「隊長にいつもとっ捕まってたんだろ? 機会なんていくらでもある。それに親父さんは最後、泡を吹いて亡くなっていたんだろ? 普通泡を吹いて死ぬなんておかしい。毒を飲まされたんじゃないか」
「そんな……っ」
それじゃまさか、隊長が初めからブラッドを孤立させる為に周りの人間を排除してきたということにならないか。
背筋をゾクゾクッという悪寒が走り抜けていった。
「あの人は確か、うちが引っ越す少し前にこの町に赴任してきた人だ。だから外にコネがあると言われたから間違いないと思う」
「え? ごめん、意味がよく」
「紹介してもらった人が言ってたんだ。隊長にはちょっと悪い癖があって、そのせいで一箇所に長くいられないんだって」
「悪い癖……?」
まさか、という言葉しか、もう思いつかない。
アルヴィンが、低い声で答えた。
「綺麗な男の子が好きで、あちこちで手を出してしまい問題にされ、居づらくなって転々としていたそうだ。悪い奴じゃないんだけどなって笑ってたけど、まさかこんなことになっていたなんて……」
「……それってまさか……」
アルヴィンがこくりと頷く。
「ブラッドを狙っていたんだろう。だから親父さんもおかみさんも、ブラッドを庇護するだろううちの一家も排除したんだと思う」
「そんな……っ」
恐怖のあまりアルヴィンの毛皮に縋り付いていると、突然背後からパチパチパチ、という拍手の音が響いてきた。
ブラッドとアルヴィンが、バッと振り返る。ボロボロな玄関扉を開けて小屋の中に入ってきているのは、ニヤニヤとした笑いを浮かべている隊長だった。
「追い出したと思ったあのクソガキが、まさかぜーんぶ暴いちまうとはなあ」
隊長は手に持った剣を軽い仕草で構える。何気ない仕草だが、彼の腕が立つのは知られている事実だった。
「やはりお前がブラッドをこんな目に遭わせていたのか!」
アルヴィンの怒声にも、隊長はどこ吹く風だ。
「あーあ、せーっかくもうちょっとで可愛いブラッドが『隊長助けて!』って俺のところに落ちてくるところだったのになあ」
「ぼ、僕はお前になんか落ちない! 今日だってこのまま家と一緒に燃え死ぬつもりで……!」
「あ?」
ギロリと隊長がブラッドを睨んだ。
「お前は俺のもんなんだよ。いい加減一箇所に腰を落ち着けようと思って、育っても俺好みになりそうな奴をようやく見つけたっていうのにさあ、ちーっとも落ちて来ねえ」
「な……っ」
精一杯睨みつけたものの、勝てる気がしなくて小刻みに震える。と、アルヴィンがブラッドを庇うように包み込んでくれた。ほ、と身体の力が抜けていく。
隊長は二人の姿を見て、こみかみにビキキッと青筋を立てた。
「……お前何なんだよ? あとちょっとってところで余計なことを喋りやがったクソガキは、ここでぶっ殺すしかねえなあ!?」
隊長が剣を正面に構える。ブラッドは咄嗟にアルヴィンを庇うように抱きつき、隊長に向かって怒鳴った。
「そ、そんな風に脅しても、僕はお前になんか靡かないんだからな!」
「はん! バレちまった以上、もうテメェを長く飼うのは諦めてやるよ! その代わり、この小屋で正義感ぶったソイツの死体の隣でテメェが死ぬまで犯し続けてやるよ!」
「は……っ」
あまりの内容に言い返す言葉が浮かばず、ブラッドははくはくと口を動かす。するとブラッドとくるりと位置を入れ替え隊長に対峙したのはアルヴィンだった。
咄嗟にブラッドはアルヴィンの毛皮を掴む。
「アルヴィンダメだ! こいつは強いんだ、勝てっこない!」
「もう遅い! 死ねえクソガキが!」
隊長が剣を振りかぶった、次の瞬間。
目を見開いて笑っている隊長が、笑顔のまま動きを止めた。
「……え?」
隊長の眉間に突き刺さっているのは、革細工に必要不可欠な、歯が水平になっている特徴的な革包丁だった。
「あ……あ……」
革包丁の下側から、鼻筋にかけて血が伝い落ちていく。隊長の目が次第に虚になっていった。
「アルヴィン……っ」
「見なくていい。俺にしがみついていろ」
「……!」
申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、結局はどうしていいか分からずブラッドは言われるがままアルヴィンの身体に顔面を押し付ける。
背後で、ドサッという重い物が地面に落ちる音がした。
◇
ブラッドは自分が履いている真新しい革靴を見下ろし、嬉しくなって笑った。
「わあ……っ!」
「どうだ? キツくないか?」
「ピッタリだよ! 凄いよアルヴィン、ありがとう!」
ブラッドの為にと新たな革靴を作ってくれたアルヴィンに、ブラッドは抱きつく。
「ふふ、どう致しまして――『俺のブラッド』」
アルヴィンはブラッドを軽々と受け止めると、そのままぎゅうと抱き締め、ブラッドに唇を重ねた。
アルヴィンの熱いキスに、ブラッドは幸せいっぱいになって身体の力を抜いていく。
「アルヴィン、大好き……!」
「俺だって……!」
二人が抱き合っているこの場所は、以前ブラッドの父が構えていた工房だ。
家こそ元の場所とはいかなかったが、工房のすぐ近くに丁度いい広さの家を借りることができた。現在、アルヴィンは革職人として工房を構え、ブラッドはその手伝いとして働いている。家業は順調そのものだ。
アルヴィンが投げた革包丁に眉間を割られて死んだ隊長は、森の奥にある谷底に二人がかりで投げ捨てた。その後、アルヴィンはブラッドを連れて実家に戻り、ブラッドの体調が戻るまで手厚く看護してくれた。
父の弟子であったアルヴィンの父は、隊長により引き起こされた惨事に憤慨し、かつて隊長に教えられた伝手を辿ってこれまでの隊長の悪事を片っ端から暴いていった。
隊長は、各地でただ居心地が悪くなったのではなかった。拉致監禁に時には強姦後殺害まで引き起こしていた彼は、名を変え逃亡しているれっきとした犯罪者だったのだ。
暴かれた事実は、遅ればせながらブラッドのいた町にも伝わっていく。
やがて体調が戻り一度父と母の墓参りをしたいとアルヴィンと共に町を訪れたブラッドを待っていたのは、隊長の口車に乗せられてしまい申し訳なかったと頭を下げる人々だった。
嫌なことは沢山された。だけどここには父の残した工房があり、なによりブラッドの故郷でもある。
「革職人がいなくて困っている」という嘆願もあったことで、二人はこの町に戻り暮らしていくことにした。
父の遺骨は掘り返し、今は母と一緒に地中に眠っている。掘り起こした際、父の骨には不気味な斑点が浮かんでいた。
「親父さんはブラッドを大切に思っていたよ。おかしくなったのは、薬物を使ってあの男が洗脳していたからだ」
「うん……そうだね」
隊長の家を家宅捜査した結果、様々な薬物が発見された。その中に、相手に少しずつ望むことを吹き込んで盲信させる薬も発見されていた。
父が飲まされたのは、きっとこの薬だったに違いない。だからもう、ブラッドの身も心も、寒くはない。
頑丈な革で包まれたつま先を見て、ブラッドは微笑む。
「そんなに気に入ってくれた? 嬉しいな」
「だって、温かいもの」
もう一度、今度は自分から唇を重ねる。幼馴染みで周りが羨むほど幼い頃から仲のよかった二人を、男同士だからと蔑む者はいない。
隊長の悪事を暴き愛する人を救い出したとして、二人は町に受け入れられた。
ブラッドは思う。
もしもこの先アルヴィンに危害を加えようとする者がいたら、次は自分が手を汚してでもアルヴィンを守ろうと。
炎以外の温かさをくれたアルヴィンの為ならば、今の自分ならば人ひとりくらい殺せるから。
アルヴィンとのキスを堪能しながら、ブラッドは幸せな気持ちで微笑んだ。
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