第8話 寡黙屋と悪魔

 薬草採取の依頼に出かけ、その先でゴブリンキングと遭遇。

 何とか勝利を収めた後、僕たちはユートラスの東街に帰還した。


 "王冠キング"の討伐直後、エイルがやって来て「……複数人に取り囲まれています。認識阻害を行いますので今すぐ離脱を」と言われたときは流石に焦った。

 まさか魔術協会の人間がロミアの存在に気付いたのかと思ったがそんなことはなく。騒ぎを聞きつけた冒険者たちが集まってきただけのようだった。


 しかしながら、それもまた僕たちにとっては問題な訳で。

 初級冒険者が依頼に無い"王冠キング"討伐を勝手に行ったとなれば、何かしらのペナルティを負う可能性がある。

 ギルドへ報告される前に、僕は意識を取り戻したベルに"王冠キング"の死体処理を頼んだ。

 ベルは死体を見て驚いていたが、すぐにそれを消してくれた。

 完全な証拠隠滅を図った後で、僕たちは早々にその場を離れ、この東街へと戻ってきたのである。


 街に辿り着き、依頼の結果を報告するためにギルドへと向かう。

 ――が、その前にロミアを宿屋まで運ぶべきか。


「では、このまま私がロミア様をお送りしましょう」


 召喚してから未だに顕現したままのエイルが言う。

 森から街までの道中、魔力切れで意識を失ったロミアを運んでくれたのは彼女だった。

 僕が宿屋の場所を教えようとすると「必要ありません。私は既に知っていますから」と言って颯爽と去っていく。

 何だか、言動が一々格好いいな。

 僕も見習う部分がありそうだ。

 ……よし、じゃあロミアはエイルに任せてギルドに向かおう。




 朝に森へ出発したはずが、ギルドへ着く頃にはもう夕方になっていた。

 依頼の手続きをしてくれた受付嬢には、一体、どこまで薬草を取りに行ってるんだとか思われてそうだ。

 重々しい木の扉を開く。

 朝に来たときとは打って変わって、中は沢山の冒険者で溢れていた。

 陽気に酒を酌み交わす者、一心不乱に食事を貪る者、依頼の報告をしている者など様々。

 他の冒険者たちの間を縫い、僕は受付に向かう。


「あ、お疲れ様です! 薬草の納品ですね?」


 僕を見るなり、あの眼鏡の受付嬢が声を掛けてくれた。


「すみません遅くなって。これ、お願いします」


 薬草がパンパンに詰まった麻袋を手渡す。

 土と薬草特有の匂いが鼻を掠めた。

 受付嬢は袋を受け取り、それを計測機の上に乗せた。提示された数値を確認して記録している。

 その様子をじっと見ていると、彼女は不意に顔を上げた。


「依頼の達成条件をしっかり満たしていますね。お疲れさまでした。報酬はあちらの受付で貰うことができます」


 手で示された方を見ると、色黒で屈強な男がこちらの様子を伺っていた。

 その鋭い目つきは完全に獲物を見る捕食者のもの。


「あの……、あそこだけ他と雰囲気が違いませんか?」


 比較的若い女性が多く働いているギルド内部にて、その報酬受付だけは様相が違った。


「ああ、"寡黙屋かもくや"ボブさんですね」

「寡黙屋?」

「はい。報酬に関しては色々と揉め事が多いので、元上級冒険者のボブさんが受付をしてくれているんです。受付が変わってから、報酬に関するクレームが激減して負担が軽くなったので、受付嬢一同ボブさんには頭が上がりませんね」


 "寡黙屋"ってそういうことか……。

 まさか本人の性格じゃなく、文句を垂れる冒険者を黙らしているからだったとは。

 あの丸太のような腕で何人も黙らせてきたのだろう。

 背筋がぞっと冷える。

 ……いや、でも話を聞く限り、普通に報酬を貰う分には何の問題もない。

 言いがかりをつけなければ、黙らされる心配もないのだ。


 僕は受付嬢にお礼を言って、報酬受付に足を運んだ。

 目の前に立って分かったことだが、ボブさん、身体がデカすぎる。

 まるで山を前にしているみたいな圧迫感だ。


「報酬を受け取りに来ました」

「…………」


 声を掛けたが、反応がない。


「……あの、報酬を」

「…………」

「受け取りに……」

「…………」

「……来たんですけど……」

「…………」


 ――って、普通に寡黙なんかい!!

 という魂の突っ込みを何とか内に留める。

 "寡黙屋"の二つ名は伊達じゃない。

 こっちが何を言っても、ボブさんは何も答えてくれなかった。

 僕が途方に暮れて困っていると――。


「冒険者証明書を渡してくれと言っているぞ?」


 足元から声が聞こえた。

 見れば、目を爛々と輝かせたベルがいた。


「お前、怪我は大丈夫なのか?」

「心配ない。お主の従者のおかげで回復した」

「そうか、なら良かった」

「それより、さっきからこの大男は証明書を渡してくれと言っているが、いいのか?」

「――え?」


 僕はボブさんへと視線を戻す。

 しかしどれだけ耳を澄ましてみても彼の声は聞こえない。


「ベルには聞こえてるのか?」

「ああ。それにしてもこの男、図体に似合わずめちゃくちゃ声が高い。人間に聞こえるか分からない高音だ」


 ベルが興味深そうにボブさんを眺めている。

 猫にしか聞こえない高音って、それはもう人間が発していい音じゃない気と思うが……。

 まぁいい。僕はベルに言われた通り冒険者証明書を渡してみる。

 するとボブさんは小さく頷いてそれを受け取り、慣れた手つきで処理を行ってくれた。

 冒険者証明書と共にソロン銅貨十枚が差し出される。


「…………初の依頼達成、おめでとう…………」


 蚊の鳴くような声。

 僕は驚いてボブさんを見た。

 その歴戦の猛者らしい厳つい顔を穏やかに緩めて、彼は微笑んでいた。

 なんだ、色々と癖があるだけで良い人じゃないか。

 ふと、ロミアからの言葉を思い出す。


『あなたはゼーレさんです。ゼーレ・アーキファクト。お金と魔力が尽きた私を助けてくれた恩人。私が知り得るのはたったそれだけですよ』


 今の僕が知り得るのは、ボブさんは初級冒険者にも労いの言葉を掛けてくれる人だという事実だけ。

 僕もまた、その態度を大切にしなきゃならない。


「ありがとうございます!」


 親切には礼を。

 ボブさんに対して深々と頭を下げて、僕はギルドの建物を後にした。




 宿へと向かう道中。

 僕の少し先を行くベルを見つめる。

 黒猫の使い魔。ロミア曰く、魂を食らうらしいが未だに謎が多い。


「そういえば、ベルの声って僕以外にも聞こえてるのか?」


 少し前のギルドでのことを思い出し、僕は尋ねる。

 するとベルは不思議そうに首を傾げた。


「いいや? お前以外の人間には聞こえてないぞ」


 発覚する新事実。

 じゃあなんだ、他の人から見た僕は"報酬受付で突然猫と会話し始めた人"になってたのか?

 ……嘘だろ。

 あの場で僕を変人扱いしなかったボブさんが、より良い人に思えてきた。


「なぁベル、今後そういうことは早めに言っておいてくれると助かる」


 様々な感情を声に込めて懇願すると、ベルは「す、すまなかったな……」と申し訳なさそうに言った。


 近道なのか、ベルが人気の無い通りへと入る。

 僕もそれに続く。

 遠くから聞こえる喧騒が、自分の足音を異様に際立たさせていた。


「お前が魔物の魂を食べるのには、何か理由があるのか?」


 狭い路地を埋める沈黙に耐え兼ねて、そんな質問をする。

 特に意味の無い間を埋めるだけの問い。

 唐突な問いに驚いているのか、すぐには答えが返ってこなかった。

 僕は待つ。足を動かしながら耳の神経を研ぎ澄ます。

 少しの間を置いて、黒猫は口を開いた。


「私が悪魔だからだ」


 ――。

 ――――。


「…………悪魔?」


 足を止めてベルを見る。

 すると小さな黒猫の身体から黒い靄が噴出し、全身を覆い隠した。

 薄暗い空間とベルとの境界が分からなくなり、そのまま霧散して消えてしまうのではないかという不安が過ったとき。

 靄が晴れ、そこには黒い衣服に身を包んだ猫耳の少女が立っていた。


「あれ、すみません。さっきここに黒猫がいたと思うんですけど見てませんかね?」


 僕は少女に尋ねてみる。

 話の途中で勝手にどこかへ行ってしまうとは。

 ……全く、躾のなっていない猫だ。

 心の中でベルを少しばかり罵る。


「早死にしたいようだな、人間?」


 失礼な考えが透けて見えたのか、実に悪魔らしい言葉が聞き覚えのある声で発せられた。

 流石におふざけが過ぎたみたいだ。

 けど、本当にこの少女がベルなのか?


《解答。魔素量及び魔力量、魂の性質から見ても個体名"ベル" と目の前の少女は同一存在だと言えます》


 急に脳内で音声が響いた。

 無機質的な音声が淡々と疑問への答えを述べる。

 これも『七つの断章』の機能か。

 どうやら権能は従者の召喚や投影だけじゃないらしい。


 まじまじと人間体のベルを見る。

 ロミアと同じくらいの背丈とあどけなさが残る顔立ちからは、悪魔的な要素は一切感じられない。むしろ頭に生えている猫耳のせいで可愛らしい感じになっている。


「おい、あんまりじろじろ見るな。今は不完全だからこんな見た目だが、完全体の私はもっと格好いいんだ」


 自慢気に語るベル。

 しかしそんなことを言われても、今の姿だと子供が見栄を張っているようにしか聞こえなかった。


「それで? 人間に変身できる悪魔が魔物の魂を食らう理由は何だ?」

「――私の完全復活には多くの魂が必要だからだ」


 猫を思わせる爛々とした瞳。

 僕はそれを見据えたまま問いを重ねる。


「完全復活したい理由は?」

「あの子を守るため」


 あの子、というのはきっとロミアのことだろう。


「今は人間体になるだけで精一杯だが、完全復活さえすればあの子を守る力が得られる」

「おい待て、お前は悪魔なんだよな? どうして悪魔がロミアを守らなきゃならない?」


 使い魔と悪魔は似て非なるものだ。

 精神世界の住人である悪魔は、正式な召喚の儀式と契約によって呼び出される。

 が、ロミアはベルを使い魔としてしか見ていなかった。

 契約どころか召喚の儀式すらしていない可能性がある。

 そんな無関係な人間を守る理由は一体何だ?


「あの子は私を助けてくれた」


 はっきりとベルが告げる。


「ロミアと同じように、私も魔術協会に捕まっていたんだ。私を召喚したのは悪趣味な魔術師で、そいつは"悪魔の願望器化"を目論んでた。悪魔という存在を解析し、その力だけを抽出する。その第一段階として私は無害な猫に受肉させられた」


 ベルが服の裾を強く握る。


「研究が進むにつれて、段々と自分の意識が薄れていくのを感じた……。このまま自我が消えて、完全な願望器へと成り果てるんだろうって諦めかけた時、とある騒ぎが起きた――。一人の研究対象が施設から脱走したんだ」

「……まさか」


 僕の言葉にベルが頷く。


「――そうだ。ロミアは『魔術記憶庫ライブラリ』を使って施設を滅茶苦茶にした。その混乱の中で私たちは出会ったんだ。魔力が尽きかけて走る事もできない私に、ロミアは魔力を分け与えて使い魔にしてくれた。自分も追われているのに、見知らぬ死にかけの猫を抱えて走ってくれた。私はそんなロミアの恩に報いたい」


 ……なるほど。

 恩義を果たそうとする悪魔か。

 僕自身、そんな律儀な悪魔とは初めて出会ったけれど、ロミアとベルの関係もある種の契約と言えるのかもしれない。

 助けた者と助けられた者。

 下手な契約よりも繋がりが強いだろう。


「そこで、だ。人間、私と協力してくれないか?」


 ベルは硬い表情で言う。

 そして僕が問いを返すよりも早く、彼女は言葉を続ける。


「"王冠キング"との戦いで人間――お前の能力を見た。あれはロミアの持つ『魔術記憶庫ライブラリ』にも匹敵し得るもの……いや、それ以上かもしれない。だから力を貸してくれ。私と一緒に、ロミアを守って欲しい」


 そう言って頭を下げるベル。


 確かに『七つの断章』は強力だ。

 自律する従者の召喚に投影。魔導書としては最上位のものだろう。

 けれど、僕もその力の全容を引き出せる訳じゃない。

 魔術協会が相手なら、僕の実力不足は否めない。


 それに――。


「本当にいいのか? まだロミアと知り合って間もない僕なんかに協力を頼んで」

「ああ、別にいい。まだ知り合って間もないロミアを助けようとしてくれたのはお前自身だからな」


 そう言って、穏やかに微笑むベル。

 小癪こしゃくな猫……いや、悪魔か。

 他者を信頼しづらい僕は他者からの信頼には滅法弱い。


「分かった、協力する。どのみち宿代を回収するまでは一緒だからな」

「ありがとう」


 無垢な笑顔で彼女は頷く。

 悪魔とは程遠い無垢な笑顔がとても印象的だった。

 すると、途端にその顔がぐにゃりと歪む。

 ……ん? 視界がぼやけて……?

 ここまで耐えてきた疲労が一気に押し寄せたのか?

 頭の中に靄がかかっているみたいで、うまく思考できない。


「おい、人間!? どうしたんだ!?」


 薄れていく意識の中、ベルの慌てた声だけが頭に響いていた。

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