第6話 王冠

 ゴブリンは魔物の中でも弱い種族と位置付けられている。

 小さく、非力。それが多くの人が持つゴブリンのイメージ。

 だがそれは完全に正しいとは言えない。

 人間にも強者と弱者がいるように、ゴブリンたちにも個体差が存在する。


 ほぼ人と同じ体躯を有する"剛腕ホブ"。

 精霊の力を以て術を用いる"術師シャーマン"。

 獣に騎乗して各地を駆ける"騎手ライダー"。

 知性と戦闘能力を併せ持つ"精鋭レンジャー"。


 恐らく、ついさっき戦ったのは精鋭レンジャーのゴブリンだろう。

 あの弾幕の中で生き伸びていたのが何よりの証拠だ。

 けれど、いくら精鋭レンジャーでもゴブリンが単独で行動するだろうか。ゴブリンという種族の強みはその数だ。群れることでその真価を発揮する。

 どうにも、不可解な点が多い。


 考えを巡らせながら走っていると、途端に開けた場所へ出た。

 そこにあったのは最低限の文明を感じさせる集落。見渡すと、藁と木を組み合わせた簡易的な家や井戸などがあった。

 当然、その住人は全員ゴブリン。

 人間の街並みと比較すれば粗末なものだが、それでも魔物の集落としては中々規模の大きい集落だった。


 集落の中心で、ロミアがゴブリンたちと戦っているのが見えた。

 いるのは剛腕ホブ精鋭レンジャー。見た所、術師シャーマン騎手ライダーは確認できない。

 一般的なゴブリンたちは奥の洞窟付近に退いている。

 僕は護身用である短剣を携え、ロミアのもとへ駆けた。


「――大丈夫か?」


 【氷礫アイスキーズ】でゴブリンたちを牽制しつつ尋ねる。

 ロミアの顔には少なからず疲弊の色が滲んでいた。


「完全に罠でした……! あのゴブリン、私たちをここまで誘き出すために襲い掛かってきたんです!」


 なるほど、囮役だったか。

 だからわざわざ単独で……。

 突撃してくる剛腕ホブの足元を凍らせ、体勢を崩した隙に首元を短剣で引き裂く。

 体術はグレースさんから教わった。

 彼女は外見だけで言えば聖職者のようなお淑やかな女性だが、その実、僕の世話係になる前は戦闘職に就いていたらしい。魔術と格闘を組み合わせた"魔術闘技マジックアーツ"の使い手で、僕も彼女の戦闘スタイルを真似している。

 まぁ、僕自身魔術が得意ではないのでその練度には天と地ほどの差があるのだが。


 それでも冷静に、確実に、一匹ずつ殺していく。

 ロミアが魔術を放ち、討ち漏らしたゴブリンを僕が処理している状態。

 今は何とかそれで耐えられているが、如何せん数が多い。時間が経てば押し切られてしまうだろう。


「ロミア、魔力はまだ残ってるか?」

「そろそろ限界が見えてきそうな感じです!」

「なら、次で勝負を決めるぞ」


 僕はロミアを抱えてゴブリンたちから距離を取った。

 ロミアを地面に下ろし、すかさず魔術を発動する。


「神罰、鳴動、孤高の瞬き。雷よ、澄んだ虚空を駆け巡れ! 【猛り狂う雷ドナーヴート】!」


 口早に詠唱。

 放たれるは使い慣れた中位魔術。

 紫色の魔法陣がゴブリンたちの足元に浮かび上がった。

 そして、放電。

 青白い閃光が駆け巡る。

 ゴブリンたちの身体を伝い、暴れ回る。

 激しい雷撃を浴びてゴブリンたちの動きが止まった。

 その隙を見て、僕は「今だ!」とロミアに呼びかける。


「溶ける淡雪、零度の誓い、白銀の彼方。生きとし生ける全てを終着へと誘え。【永久凍墓ゲフリーレングラープ】」


 上空に出現した巨大な青色の魔法陣。

 それはロミアの詠唱が終わると同時に下降し始めた。

 魔法陣が静かにゴブリンたちの身体をすり抜けていく。

 雷撃によって麻痺してる彼らは抵抗もできず、ただ自身が凍り付いていく様を見つめているだけだった。




「ごめんなさい、私が軽率に追いかけたばっかりに……」


 ロミアが申し訳なさそうに頭を下げる。

 討伐は初級冒険者の区分外。

 本来なら、最初の一匹に逃げられた時点で撤退するべきだった。

 だが、衝動的だったとはいえ他の冒険者を思っての行動だ。

 そう強くは責められない。


「こればっかりは仕方ない。怒られたらその時だ」


 僕がそう答えると、ロミアはその場にへたり込んでしまった。

 魔力を行使するには精神力と体力が必要だ。ロミアの場合、複雑な術式の構築が必要なくとも、上位魔術を連続で使用すれば大きく魔力――即ち体力を消耗することになる。


「とりあえず、一回この場所から離れよう。立てるか?」


 僕はそう言って手を差し伸べた。


「なんとか……」


 ロミアが僕の手を取ろうとしたとき。

 ――ズドン、と、地面が大きく揺れた。

 異様な雰囲気を感じ、集落の奥にある洞窟へと目を向ける。

 退避していたゴブリンたちが洞窟の前で跪いている。


 怪物の口のような大きな穴から二体の術師シャーマンが出てきた。

 襤褸布を頭から被り、その手には術杖を握っている。

 術師シャーマンに続いて姿を現したのは、鎧で身を固めた剛腕ホブたちだ。


 ……どうなってるんだ?

 ドワーフじゃあるまいし、ゴブリンがあんな武具を作れるとは思えない。

 冒険者たちから奪った?

 ――いや、それにしては数が多すぎる。

 あれだけの数を奪ったとしたら、ギルドに被害報告が行っているはずだ。こんな手つかずで集落が放置されている訳がない。


「ゼーレさん、あれ……!」


 切迫した声で我に返る。

 ロミアの指さす先。

 新しく現れたゴブリンたちの隊列の最後尾。

 剛腕ホブよりも遥かに巨大な個体がいた。


「おい、嘘だろ……!?」


 ――"王冠キング"。

 それは一つの群れの中で稀に誕生する王の器。

 精鋭レンジャーよりも遥かに高い知性と戦闘能力を持った上位種。この個体が現れた群れは、そうでない群れとは比べ物にならない統率力を持つと言われている。


 不味いなんてもんじゃない。

 考え得る限り最悪の遭遇だ。

 今のロミアはまともに戦える状況に無い。

 しかも相手は軍勢。僕個人で相手できる範囲を優に超えている。

 もとより、選べる道は一つだ。

 撤退。それしかない。

 僕がそう決意したとき、王冠キングと目が合った。


「見ツケタ…………」


 その醜悪な顔がぐにゃりと歪む。

 ぎこちない発音が、不気味さをさらに際立たせていた。

 脳内で警鐘が鳴り響く。


「ロミア、掴まれ。逃げるぞ!」

「わっ……! ベ、ベル!」

「にゃおう」


 僕たちは、ゴブリンの軍勢からの逃走を図った。




 森の中を駆ける。

 両手にはロミアを抱え、背後からはゴブリンの手勢が迫っている。

 強化魔術で身体能力を底上げしているが、かなり厳しい状況だ。騎手ライダーがいたら、とっくに捕まっていただろう。


 走りながら、頭の中では打開策を考える。

 どうする?

 どうすればいい?

 混乱した頭では、何も思い浮かばない。


「このままじゃ追い付かれます! 置いて行ってください!」

「無茶言うな……!」


 足に更なる魔力を込めた。

 木々の間を通り抜け、全力で走る。

 街に向かえば他の冒険者たちがいる。でも、そうすれば民間人に被害が出るかもしれない。

 王冠キングはまるで僕たちを知っているかのような反応を示していた。

 理由が何であれ、狙いが僕たちだというのなら、迂闊に人の多い場所には近付けない。


「……くそっ! どうすればいいんだよ!」


 八方塞がりな現状に悪態を吐く。

 ――ヒュンッ、と、空を切るような音が聞こえた。

 聞き覚えのある音。

 それは、矢を放つ音。

 神様も意地が悪い。

 ゴブリンの放った矢は、精確に僕の背中へと突き刺さった。

 木の根に足を取られて転ぶ。

 両手からロミアが投げ出され、肩に提げていた荷物が地面に散乱する。


「ゼーレさん!」


 ロミアの悲鳴。

 背中が熱い。

 全身が痺れ、指先が氷のように冷たい。

 変な汗が全身から噴き出している。


「逃げ……ろ……!」

「……い、嫌です! 今、回復魔術を……」


 ゴブリンたちが追い付いてきた。

 一体の剛腕ホブが、ロミアの細い首を掴み上げる。


「かっ……は……」

「シャーッ!」


 主を守ろうとベルが剛腕ホブに向けて飛び掛かった。

 けれどそんな攻撃は意味を為さず、軽々と殴り飛ばされてしまう。

 吹き飛んだベルの身体は木の幹に激突し、力なく地面に落ちた。


 徐々に体温が下がっていくのを感じる。

 本当に、死んでしまう……。

 僕だけじゃなくロミアまで。

 嫌だ。

 もう誰も、失いたくはないのに。

 まだ何も、成せていないのに。

 身体が動かない。立ち上がることが、できない……。


 必死に手を伸ばす。


 ぼやける視界の中、握り返してくれる手なんてない。

 しかし代わりに、僕の手は一冊の本の表紙に触れた。

 これは……。

 ざらついた感触が、夢の記憶を思い出させる。


『――主様が危機のときには私たちをお呼びください。いついかなる状況でも、お力添えすると誓います』


 エイル。

 あの輝かしい戦乙女はそう名乗っていた。

 だったら、助けてくれ……。

 この状況をどうにかするにはこれしかないんだ。

 人任せだと嗤われたって構わない。

 今はただ、僕を僕として認めてくれた少女を助けたい。

 だから、力を貸してくれ……!



「主様の呼び掛けとあらば、いつ何処へでも駆け付けましょう!」



 声が響いた。

 同時に、地面に転がっていた魔導書が光り輝く。

 眩い光の中から、槍と盾を持った戦乙女が出現した。

 金色の髪をなびかせ、凛と立つ彼女の姿は威厳に満ち溢れている。


「――行くぞ、悪鬼共。我らの主に傷を負わせた罪を償わせてやる」

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