第4話 『魔術記憶庫』

 朝、目を覚ます。

 身体を起こして枕元に置いてあった本を見た。

 昨日のは一体、何だったのだろうか。

 本を手に取り、色褪せた表紙を指の腹で撫でる。ざらざらとした感触が伝わってきた。

 昨日の出来事が本当なら、これは『七つの断章』と呼ばれる魔導書だということになる。同期が完了したとか何とか言っていたが、僕はもうこの魔導書を使えるんだろうか。

 エイルと名乗っていた戦乙女の顔が頭に浮かぶ。


 コンコン。


 回想の最中、部屋の扉が叩かれた。

 本を置いてローブを羽織る。そしてフードを目深に被ってから扉を開けると、廊下にロミアが立っていた。


「おはようございます、ゼーレさん!」

「おはよう、どうした?」

「朝食を食べに行きましょう!」


 ロミアは満面の笑みを浮かべながら言った。


「朝から元気だな。もう体調は良くなったのか?」

「はい! 一晩ぐっすり眠ったおかげでバッチリですよ!」

「そうか。ところで、食事するにも金は必要なんだが」


 笑顔のままロミアが硬直する。

 そう、昨日僕が支払ったのは宿泊代だけだ。

 そこに食堂の利用料は入っていない。食事をするなら、別途で料金を支払う必要がある。


「やだなぁ、もう。そこは私とゼーレさんの仲じゃないですかぁ」

「どんな仲だ。まだ会って三日だぞ」


 突っ込むと、ロミアの腹がぐぎゅるるるる、と大きな音を立てた。


「お腹空きましたぁ……。絶対返すのでお金貸してくださいぃ……」


 腹をの音を響かせながら頭を下げるロミア。

 不憫極まりない姿だった。

 僕は溜息をつく。仕方ない、ここまでくれば朝食代なんて些事だ。


「分かったよ。食べに行こう」


 僕はロミアとベルと共に一階に向かった。




「ふぅ。ごちそうさまでした」


 ロミアが満足げな顔で手を合わせる。

 彼女の前には大量の皿が並んでいた。その小柄な体躯には似つかわしくない食事量に、僕も店主も驚きを隠せなかった。


「意外と食べるんだな……」

「いつもは普通ですよ? 今回は魔力切れを起こしたので、その分エネルギーを補給しないといけなかったんです」

「僕が金を払うから沢山食べたとかじゃないよな?」

「まぁそれも半分あります」

「おい」


 そんなあっけらかんと罪を認めるなよ。

 せめて隠そうとはしてくれ。

 それにこれは貸付けているだけなので、結局は自分の首を絞めていることになっている。


「これからどうするつもりだ?」

「んー、とりあえずは働き口を探さないとです。貯金も無いので」

「ロミアの旅は随分と無計画だな」


 見た所、僕と近しい年齢。

 人間領の国家では十六歳で成人だ。家業を継いだり旅に出たりと進む道は様々だが、どれを選ぶにしても準備は必要だ。

 旅に出るなら、当分の間は困らないくらいの貯蓄がいる。

 僕だって修行と並行して、魔導具作成の内職をしたり薬草栽培をしてコツコツ稼いでいた。

 資金は命に直結する。

 だから準備するのは当然なのだが、どうやらロミアはそうじゃなかったらしい。


「まぁ、計画も何も無いですけどね。私の場合、旅に出たというより脱走したって表現の方が正しいですし」

「脱走……? どこから?」

「魔術協会です。ゼーレさんも聞いたことはあるでしょう?」


 僕は頷く。

 魔術協会。それはカルムメリア王国に本部を構える組織の名だ。

 昔、師匠から教えられたことがある。

 "魔術王"ソロモンが開いた学問としての魔術を広く普及させ、その発展を使命とする管理団体。彼らは各地に魔術学校という形式で支部を構えており、その影響力は人間領のほぼ全域に及んでいるらしい。

 そんな場所から脱走したとは、一体どういうことだろうか?


「私は生まれた時から『魔術記憶庫ライブラリ』っていう、魔導書を一度見ただけで全部記憶できる魔法を持っていました。これに目を付けた魔術協会が私を誘拐して監禁。長い間、色々と研究され続けて、それに嫌気が差した私は協会の研究施設から脱走したという訳です」


 ロミアは流暢に自身の略歴を語った。

 ……突っ込みどころが多すぎる。むしろ、スルーできる余白が一つも無い。

 『魔術記憶庫』に誘拐、監禁。研究施設からの脱走。

 この短時間で要素を詰め込みすぎだろ。

 とりあえず、一番明確な部分から確認しよう。


「……要するに、お前は今絶賛逃亡中ってことだな?」

「はい! その通りです!」

「追手とかは大丈夫なのか?」

「そこはご安心を。カルムメリアからユートラスまでの道中、常に感知魔術で追手がいないことを確認してます。やたらと魔物には遭遇しましたけど、人には追われてません!」


 自信満々に告げるロミア。

 きっとその魔物たちは魔術協会の人間の使い魔だと思うが、本人は気付いていないようだ。

 ――それより、これまでの話で謎が解けた。


 無計画とかそういう話じゃない。

 そもそもロミアには計画を立てる余裕なんて無かったんだ。

 施設から脱走してきたなら金が無いのは当然だし、移動中ずっと感知魔術を使っていたのなら魔力切れは避けられない。

 全て、必然的な結果でしかなかった。


「にゃあお」


 すとん、と、ベルがテーブルの上にやってきた。

 とことこと歩いてロミアの右手に頬を擦り付けている。


「そういえば、ベルと出会ったのも魔術協会から脱走している最中でした。とても衰弱していたので、魔力を分け与えて使い魔にしたんです」

「にゃーう」


 ゴロゴロと喉を鳴らしながらじゃれているベル。

 昨日のこともあって、僕はそれを複雑な感情で眺めていた。

 可愛いより頑張ってるなという印象が先に来てしまって居た堪れない。


「まぁ、そういうことで私はカルムメリアには戻れません。あの国に戻れば、また魔術協会に捕まっちゃいますから。それに、一旦ユートラスまで逃げてきましたが、本当はもっと遠くまで逃げたいくらいで……」


 出会ってから初めて、ロミアは暗い表情を見せた。

 ――なるほどな。

 考え無しの間抜けな少女は、命からがら研究施設から逃げ出した孤独な少女だったらしい。


「お前の事情は何となく分かったよ。それで、これからどうするつもりだ? 魔術協会から逃げるにしても、金が無いんじゃどうしようもないだろう?」

「そうなんです! 問題はそこなんですよね。私は魔術以外に取り柄が無いので、冒険者にでもなろうかと思っているんですが……」

「大丈夫か? 冒険者なんて不遇職の代表格だろ」


 師匠から聞いたことがある。

 冒険者は「きつい、汚い、危険」の三拍子揃った職種だと。

 報酬が高い依頼は比例して危険度も高い。

 金に目のくらんだ冒険者が、実力に不相応な依頼を受けて命を落とすなんてことはよくあるらしい。


「でも、頑張って高ランクの冒険者になればギルドの後ろ盾を得られます。そうすれば、いくら魔術協会でも手が出しづらくなると思いませんか?」


 腕を組み、得意げに語るロミア。

 確かにその言い分は一理ある。冒険者組合は魔術協会にも引けを取らない規模と影響力を持つ組織だ。様々な依頼を冒険者に斡旋し、その仲介料などで稼ぎを上げている。つまり、高ランクの冒険者たちはギルドにとって重宝する存在だ。魔術協会も迂闊には手を出せないだろう。


「じゃあロミアはこれから冒険者として生きていく訳だ」

「はい! いっぱいお金を稼いですぐに借金を返します!」

「そうか。まぁ頑張ってくれ、応援してるよ」

「え?」

「ん?」


 僕とロミアの間に不可解な空気が流れる。


「一緒に来てくれないんですか?」

「どうして一緒に行く必要がある?」

「だってゼーレさんがいないと私、ギルドへの登録料が払えません」

「他の冒険者にでも借りればいい」

「嫌ですよそんなの! 全員がゼーレさんみたいな良い人とは限りません。一度借りたが最期、多額の利子を押し付けられる可能性だってあるんですから」


 ぶんぶんと首を横に振るロミア。

 借りる側のくせに何だか偉そうな口ぶりだ。

 それに僕は善良な人間じゃない。自分自身そうありたいと願ってはいるが、この緋色の目がある限り、他者から疎まれることになるだろう。

 ロミアの勘違いを正してやる必要がある。


「これを見ても、僕がまだ良い人だって言えるか?」


 僕はフードを外し、緋色の双眸をロミアへと向けた。


「その目……!」


 ロミアの顔が驚愕の色に染まる。

 ずっとフードを目深に被っていたんだ。彼女が僕の目をしっかりと見るのはこれが初めてだろう。

 次の反応は既に予測できていた。

 敵意を向けられ、嫌悪される。あの時と同じだ。


「すごい綺麗ですね!」

「――は?」

「吸血種とはまた違った色味の赤で素敵です」


 予想を完全に裏切るロミアの言葉。

 戸惑いつつも僕は問う。


「ロミア、お前まさか"煉獄の魔女"を知らないのか?」

「知ってますよ? 五百年前の大戦で人魔問わず全部を燃やし尽くした人ですよね」

「じゃあ、なんで……! この目はそいつと同じ色だ。僕は狂った魔女の末裔かもしれないんだぞ?」


 言うと、ロミアは心底不思議そうな顔で首を傾げた。


「それが何か?」

「いや、だから僕は――」

「あなたはゼーレさんです。ゼーレ・アーキファクト。お金と魔力が尽きた私を助けてくれた恩人。私が知り得るのはたったそれだけですよ」


 快活な笑顔を浮かべて彼女は言った。

 そのあっけらかんとした態度に毒気を抜かれてしまう。


 自分でも理解していたはずなのに。

 "煉獄の魔女"と僕は何の関係もない。

 ただ瞳の色が同じというだけだ。

 それなのにいつしか、自分から魔女と同一視されるように仕向けていた。無意識のうちに、楽な方を選んでいたんだ。

 被害者でいることに甘んじていた。

 そっちの方が抗うよりも楽だから。


 だが、ロミア・フラクスはそれを許してはくれない。

 彼女の澄んだ青い目は、他の情報を一切遮断して、ゼーレ・アーキファクトという個人だけを見据えている。

 ロミアは僕がゼーレ・アーキファクトであることを強いている。

 僕は僕であることを強いられている。

 その事実が、とても嬉しかった。


 背もたれに全体重を預け、大きく息を吐く。

 胸の内に溜まっていた重いものが抜け出ていく感覚があった。


「ゼーレさん」

「何だ?」

「一緒に来てくれますか?」


 小首を傾げるロミア。

 亜麻色の髪がふわりと揺れた。


「……分かったよ。返済の目処が立つまでは協力する」


 僕の貯蓄も無限にある訳じゃない。

 生きていくには金が必要だ。

 本来は別の職に就くつもりだったが、このままロミアを放っておく訳にもいかない。


 結果、僕はロミアに付き添う形で冒険者組合へと向かうのだった。

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