第3話 『七つの断章』

 "魔術王"ソロモン。

 かの賢王は自身の魔術を以てこの世界に渡ってきた異界の者。

 彼の最大の功績はもちろん、魔術を体系化し学問として広めたことだ。

 しかしながらソロモンが遺した物はそれだけではない。生前、彼は多くの魔導書を所有していた。

 中でも"鍵"として厳重に保管されていた二冊の魔導書がある。

 『七つの断章』と『王の鎖骨』だ。


 前者はある一人の弟子に受け継がれた。

 だが後者はソロモンの遺物を求める弟子たちの争いにより、五つの分冊となって世界に散らばってしまった。

 あらゆる神秘の担い手であったソロモン。

 そんな魔術王が所有していた魔導書たちは、彼の死後もなお世界に影響を与え続ける。




――――――――――




 眼前にそびえる巨大な外壁と大仰な門。

 宿駅で一泊し、朝から駆動馬車に揺られて時刻は夕方。ようやくユートラスに到着した。

 門前で衛兵による手荷物検査を受ける。一度、荷物を全てひっくり返されて隅々まで調べられた。

 問題なしと判断され、無事に入国を許される。


「お、おお?」


 ユートラスの街並みを見て、思わず変な声が漏れる。

 理由は簡単。僕が思っていた以上にユートラス王国の文明が発達していたからだ。外の世界の記憶は八年前のカルムメリア王国で止まっている。だから余計にこの風景に感動してしまった。


 街の至る所に街灯があり、暗い場所が見当たらない。

 地面にはレンガが敷き詰められていて、通路として区別されている。

 そして最も驚くべきものが、この国全体を覆う巨大な結界だ。師匠も家に結界を張ってくれていたが、これほど大規模な魔術結界は初めて見る。

 きっと、高度な腕を持つ魔術師がいるんだろう。


 ひとしきり驚き終えて。

 僕はこの街での最優先事項を思い出した。それは宿探し。

 寝泊まりする場所を早々に確保しなければ、今後の動きに支障が出る。

 早速、宿探しを始めよう。




 ――結構、歩き回っただろうか。

 すっかり日が沈んだ頃、やっと宿屋を見つけることができた。

 どうやらずっと見当違いな場所を探していたらしく。恰幅の良い商人に宿屋の場所を尋ねたら一発で見つかった。

 でかでかと"宿屋"と記された看板が掛けられている。

 もっと早くにこっちの方を探せばよかった。


 ……っと、あれは?

 宿屋の前で立ち尽くしている少女が目に入る。

 あの亜麻色の髪と黒猫には見覚えがある。森で上位魔術を放っていた少女だ。

 あんな去り方をした手前、ここで再開するのはどうも気まずい。

 彼女が立ち去るのを待とう。


 ……。

 …………。

 ………………。

 ……物陰に隠れてどれくらい経っただろう。

 少女は一向に宿屋の前から動こうとしない。それどころか、さっきから微動だにしていない。

 このまま根競べをしていたら朝になってしまう。

 僕はそろりそろりと宿屋の入り口に向かい、そして何事もなく中へ入ろうとした。


「あの」


 左腕を掴まれた。

 意外に力が強い。

 仕方なく足を止め、首だけで振り返る。


「あ、やっぱり! いつぞやのお兄さんじゃないですか!」

「いつぞやのって、会ったのは昨日だけど……」

「あれ、そうでしたっけ?」


 少女は首を傾げる。

 間違いない。彼女は昨日出会ったあの少女だ。

 偶然にも同じ場所を目指していたらしい。


「この宿屋に泊まるんですか?」

「まぁ、そうだな。見たら分かる通り、既に僕の身体の半分は宿屋の中に入ってる。今すぐにでも空き部屋を確認したくてたまらないって感じだ」

「そうですよねぇ」


 何だか含みのある声音。

 本能が、これから面倒なことが起きると言っていた。


「じゃあ僕はこれで……」

「え、あ、ちょっと待ってください!」


 腕を掴む力がさらに強くなる。

 幻聴か、骨の軋む音が聞こえたかもしれない。


「その……私、今日の夜、泊まる場所が無いんです……」

「は?」


 少女は僅かに俯いている。

 それとは反対に、足元の黒猫は僕の方を見て目を爛々と光らせていた。

 泊まる場所が無い?

 目の前に宿屋があるというのに?

 新手のなぞなぞか?


「お金が無いんです……。楽をしたくて駆動馬車に乗ったら無一文に……」

「そっか、どんまい」


 少女を見捨てて宿屋へと向き直る。


「待って! お金貸してください、絶対返しますから!」

「おい離せ! 恩を仇で返そうとしてる奴の言葉なんか信用できるか!」

「恩って、格好つけてお礼はいらないとか言ってたのそっちでしょ!?」


 くっ……、中々痛いところを突いてくるじゃないか。

 道行く人々がこちらに好奇の視線を向けている。

 まずいな。"煉獄の魔女"の逸話がどれだけ影響を持っているか分からない以上、あまり人の注目を集めたくない。


「……分かったよ。今日分の宿代は貸すから一回静かにしてくれ」

「えっ! 本当ですか?」

「今日の分は、だ。その後のことはまた明日話そう」

「ありがとうございま……すぅ……」


 ぱたり、と。

 少女はお礼を述べる途中で倒れた。

 嫌な記憶が思い出される。が、僕はそれを振り払い、その場に屈んで彼女の容態を確認する。


「おい、大丈夫か?」

「……すみません、魔力切れを起こしたみたいです……。ユートラスに来る途中、何回も魔物に襲われてしまって……」


 不運な奴だ。

 道中で僕が出会ったのは、あの理不尽なウィルオウィスプのみ。他の魔物とは一度も遭遇していない。

 魔力切れを起こすなんて、よっぽど魔物の数が多かったのだろうか。


 少女はさっきまでの気力が嘘のように疲弊している。

 宿が確保できたことに安堵して完全に糸が切れたか。


「立てるか?」

「無理です、身体に力が入りません……」


 弱々しく少女が言う。

 仕方ない、ここは僕が彼女を抱えるしかないな。

 いつまでも入口を塞いでいては宿屋にも迷惑だ。

 僕は意を決し、彼女を持ち上げた。


「よし。行くか」

「あの、持ち方とかって……」

「何だ? 文句があるならここに置いていくぞ」

「あ、何でもないです……」


 少女からの文句を封殺する。

 僕は今、ほぼ同世代と思しき少女を小脇に抱えていた。

 傍から見れば、人攫いの最中だと思われそうだ。

 あらぬ誤解を避けるため、さっさと宿屋の中へと入る。


 この人攫いスタイルを見ても、店主は動じることなく接客してくれた。

 部屋を二つ貸してもらい二階へと向かう。

 一番奥の部屋に入ると、そこには充分な広さを有した客室があった。しっかりとしたベッドにテーブル。壁には花の描かれた絵画が飾ってある。

 流石は大国ユートラス。宿屋のレベルも高いみたいだ。


 部屋の質に感心しつつ、少女をベッドに寝かせる。


「ありがとうございます、えっと……お名前を聞いても?」


 澄んだ青色の瞳を向けてくる少女。

 そういえば、僕たちはまだお互いの名前すら知らない仲だった。

 今更格好つける義理も無い。僕は素直に名乗る。


「ゼーレ・アーキファクト。ゼーレでいい」

「私はロミア・フラクスって言います。この子はベルです」


 少女――もといロミアは枕元に座っている黒猫の名前も教えてくれた。

 ロミアとベル。僕の数少ない知人に一人と一匹が加わった。その数がこれから増えていくことを祈ろう。


「じゃあ、何かあったら呼んでくれ。隣の部屋にいるから」

「はい。ありがとうございます」


 ロミアも限界が近そうだし、実を言えば僕自身も結構疲れている。

 今日の所は早々に休もう。そう思って扉に触れたとき、背中にロミアの声が掛かった。


「おやすみなさい、ゼーレさん」

「……ああ、おやすみ」


 その会話を最後に僕は部屋を出た。

 "おやすみ"なんて言葉、師匠とグレースさんにしか言ったことがない。

 他者との交流が少ない僕にとっては、単なる挨拶も貴重な経験だった。




 自室のベッドに倒れ込む。

 大半が駆動馬車での移動だったとはいえ、それなりの疲れが溜まっていた。

 気を抜くとすぐにでも眠ってしまいそうだ。


「にゃあ」

「わっ!」


 耳元で鳴き声が聞こえ、反射で飛び上がる。

 いつの間に入ってきていたのか、そこには黒猫がいた。


「えっと、確か……ベルだったか?」

「にゃあー」


 ベルが首を傾げて鳴く。


「飼い主の代わりにお前がしっかりしないと駄目だぞ」


 冗談交じりに忠告する。

 魔力切れに資金切れ。

 ロミアには危機管理能力が欠けている。

 ベルが何のために使役されているのか僕には分からないが、せめて危機に陥るよりも前にロミアを止めて欲しいと思う。

 まぁ、猫に言っても意味はないだろうけど。


「ああ、その節はすまなかった。感謝している」

「いいよ。宿代くらいなら」


 言いながら仰向けに寝転ぶ。

 四肢を投げ出して目を閉じ、少し頭の中を整理する。

 ……今、返事があったか? 会話が成立していた気がするぞ?

 いや、きっと疲れているんだ。

 目を開けてもう一度ベルを見る。


「どうした? そんな間の抜けた顔をして」

「うええええー!?」


 馬鹿みたいな声を上げながらベッドから転げ落ちる。

 床に打ち付けた肘が痛い。


「おい、あまり大声を出すな。他の客の迷惑になるだろう」

「猫が人に配慮するな! それよりお前、何で喋れるんだ……!?」

「魂を食べるような猫が喋れないとでも?」

「いやまぁ、それもそうだけど……」


 猫に論破される僕。

 昨日妖精に叱られたばかりだというのに、不思議なことばかり起きる。

 しかし今思えば、ベルが本当の猫という証拠もない。

 ロミアは猫の使い魔だと言っていたが、他の生物が猫に化けている可能性もある。


「悪いが、私が喋れることはあの子には黙っていてほしい」

「理由を聞いても?」

「あの子はまだ私を単なる猫だと思ってるからな」

「魂を食べるのに?」

「魂を食べるのに、だ」


 どこか呆れたような声音でベルは答えた。

 使い魔からしても、ロミアはかなり抜けている人物として映っているんだろう。


「では、宜しく頼むぞ人間」

「あ、ああ……」


 ベッドの上から軽快に飛び降り、部屋を出て行くベル。

 僕はそれをまた、呆然とした眼差しで見送ることしかできなかった。


 ベルが部屋から出て行った後。

 時間を持て余していた僕は自分の荷物を整理していた。

 整理が一通り終わってベッドに腰を下ろすと、一冊の本に手が触れた。

 分厚く、見るからに古びた本。これは八歳の誕生日に『この魔導書はきっとゼーレを守ってくれる』と師匠から渡されたものだ。

 だが、中の文章は全て異界の言語で書かれていて、何一つ読み取ることはできない。結局、僕はこの魔導書を単なるお守りとして扱っている。

 ベッドで横になりながらページを捲っていく内に、いつしか眠りに落ちていた。




 気が付くと目の前に白い空間が広がっていた。

 上下左右の感覚や奥行きすらも判別できない白い虚無。

 感覚的にこれは夢だと理解する。

 見渡す限り白一色。十六歳になった僕の脳では、こんなにも淡白な夢しか見られなくなってしまったんだろうか。


「主様のことを、ずっとお待ちしておりました」


 突然、背後から玲瓏な声がした。

 振り向くと、そこには輝かしい金色の髪に同色の瞳を持った女性がいた。

 戦乙女のような姿をした彼女は傅いて頭を垂れている。

 ……誰だ? 僕の記憶の中には存在しない人物だ。

 そもそも頭の中に入っているのは三人と一匹の情報のみ。考えるまでもない。


「あの、どちら様でしょうか?」


 その女性が神々しい雰囲気を纏っていたので、とりあえず丁寧に尋ねてみる。


「私はこの『七つの断章』の案内人、エイルと申します」


 戦乙女は頭を垂れたまま名乗った。

 エイル――当然ながら知らない名だ。

 また一人、僕の記憶に名前が刻まれる。

 ――というか、『七つの断章』って何だ?


「『七つの断章』とは主様の所有する魔導書のことです。ようやく主様との同期が完了し、こうして姿を現すことができました」


 声には出していないはずなのに、僕の疑問にエイルが答えた。

 まるで頭の中を覗かれたみたいだ。


「言い忘れていましたが、ここは主様の精神世界です。この場所では主様の考えていらっしゃることは全て、従者たちに共有されます」


 なんて恐ろしい世界だ。

 やましい考えも筒抜けになるのか……いや、やましいことなんて一度たりとも考えたことはないのだけれど。本当に。


「そしてもう一つ。この精神世界にはあまり長居することはできません。ですが、主様が危機のときには私たちをお呼びください。いついかなる状況でも、お力添えすると誓います――」


 エイルはそう言い残し、光の粒子となって消えてしまった。

 刹那、白い空間が崩壊を始める。

 なるほど。どうやら僕の精神世界とやらはひどく脆い造りらしかった。

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