エピローグ

 俺の日常は、すこし形を変えながら戻ってきた。

 以前よりも、カルバト教授の信奉者たちの態度が少しきつくなった。

 俺が選挙の場で教授を中傷したという噂が流れたらしいが、事実無根とは言い切れないので、反論もできなかった。ただ、カルバト教授自身がとりなしてくれたのか、噂はほどなくして鎮まった。

 カルバト教授は、最近よく病理学研究室に顔を出すようになった。愚痴をこぼしに来たり、くだらない泣き言を言ったり、あれこれ喋っていく。

やたらとコーヒーのストックを増やしていて、この調子だと次はソーサーセットどころか、ドリップマシンまで持ち込む気かもしれない。作業をしている隣で、ぐだぐだと話しかけられるのは、正直うっとうしいときもあるが、ためになる話もしてくれるし、俺がいない時にマーヴ先生がどこかへ逃亡しないよう目を光らせてくれるので、まあ許すことにしている。


 相変わらず周囲からは敬遠されがちだが、少しずつ講義にも出るようにしている。

赤目ごときで過剰に怯える連中のほうが悪い。俺は俺のやるべきことをやるだけだ。ただ必要以上にびびらせにないよう多少は気は使っている。

 ネグリスは釈放された。情状酌量の余地があると判断されたらしい。今は、別の道を探していると言っていたが、どんな道を選ぶのかはまだ分からない。けれど、あの院長との関係性を見る限り、これからはきっと大丈夫だろう。

 実家に顔をだすのはハードルが高い。けれど、まずは手紙を出すことから始めようかと思っている。あの時のことが、すべて過去のものだと簡単に割り切れるわけじゃないけれど、少しずつでも歩み寄っていければいいな、と願っている。



 アルバートの姿を見たのは、あの崩れた天井の下で、笑いながらこちらを見下ろしていた時が最後だった。

 それ以来、姿を見ていない。

 ただ、療養明けに訪れた病理学研究室の実験台の上に、彼のスケッチブックがポンと置かれていた。

 ページをめくるたびに、二人の道中が目に浮かぶような絵が並び、俺が瓶に口をつけて、飲もうとしている場面で終わっていた。それ以降は白紙のままだ。

 どれも下書きのままで、完成した絵は一枚もなかった。

 彼のことだ。死を求めて、どこかへ行ってしまったのだろう。

 あれだけ俺につきまとっていたくせに、俺から死の気配とやらがなくなると、あっさりいなくなった。

 けれど、きっとまた俺が死にそうになるときに、ひょっこり現れるような気はする。おかしな話だけど、その時が来ることを心のどこかで期待している自分がいる。

 まだ白紙のままの最終ページを見つめながら、静かに目を閉じた。

 そこに描かれる俺の姿が、穏やかなものでありますように。

 ただ、そう願った。

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緋色のロクス 沈黙の臓器はかく語りき ももも @momom-

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