第8話 はじめてのお風呂
「お風呂は、凄く心地がいいものだよ。温かいお湯に浸かると、ぐっと体の疲れが抜けるんだ。二人は泥とか汚れがあるから、まずは落とさないとね」
雪之丞はまた小さく笑うと、
「さぁ、ついておいで」と手招きした。
お風呂は初めてだけど、ようは、いつもやっている水浴びみたいなものかな。
とりあえず、雪之丞に着いていくことにした。お風呂は川でやるものなのかな、歩きながら考えていた。
「ついたよ」
雪之丞が指し示している先にあったのは、家よりも小さな小屋だった。
これがお風呂……?
想像していたのと遥違っていて、開いた口が塞がらない。
「さぁ、二人とも入って。志水くんは入ったら、服を脱いでね」
雪之丞に押し込まれるように、僕とシロは小屋の中に入って互いに顔を見合わせた。
「ボク、たのしみ! おふろ!」
はしゃぐシロを横目に、言われた通りに服を脱いでいく。脱ぎ終わると同時に、閉じていた扉が開いて、雪之丞は顔だけのぞかせた。
「そしたら、その扉を開けて中に入ってみて」と、言うだけ言ってまだ扉を閉めた。
雪之丞が言うように僕たちがいる部屋の先に扉があった。
「どうやって開くんだろう……?」
だけど、扉の開け方が分からない。
扉を押したり引いたりするけど、びくともしなかった。
「よこじゃない?」
「横に……?」
シロが言うように、横に動かしてみるとガラッと、扉を動いた。
「あいた! って、わぁあ!」
「なんだ、これ……。霧?」
扉を開けた瞬間、霧みたいな白いものが入ってきた。手で追い払っても、消えない。これじゃあ、前に進めない。
と思ったけど、あっという間に霧が晴れた。こんなに早く晴れるものだろうか、と思っていると、ぽつん、と四角い形をしたものが現れた。
なんだろうと、思って近づいて中を覗いてみる。
「水……?」
水が四角の半分目あたりに入っていた。中に指先をちょんっ、と入れると、ひんやりした感じはなくて、ほかほかとしていた。
「あったかい……」
「それがお湯って言うんだよ」
声が聞こえたから振り返ると、服を着たままの雪之丞が立っていた。
「扉は閉めないとね。寒くなっちゃうから」と、静かに扉を閉めた。
「雪之丞は、服を脱がないの?」
「まぁね。俺は、君たちの汚れを洗い流さないといけないからさ。さて」
雪之丞は、四角の端に置かれている丸いものを手に取った。
「まずは、かけ湯だね。志水くんから、いくよ」
「かけ湯?」
かけ湯ってなに、って言おうとした瞬間に、バシャっとお湯を掛けられた。濡れてしまったせいで、顔に張り付いてくる前髪を手でずらす。
「かけ湯は、全身にお湯を被ることだよ。次は、シロくんだよ」
雪之丞は、四角の中からお湯を汲み取ると、シロの頭のてっぺんからお湯を掛けた。お湯を浴びたシロは、普段よりも一回り小さくなったけど、かけ湯を気に入ったのか、アウ! アウ! と吠えた。
「もう一回いくよ、二人とも」
雪之丞は、お湯を汲み取るとシロにかけて、次に僕にかけた。お湯を全身に浴びると、水を被っていた時とは違って、温まるし体がスッキリする感じがあった。
「よし、これくらいでいいか。志水くんは、ゆっくりお湯の中に入ってみて。シロくんは、僕が少し体を洗わせてもらうよ」
「はーい!」
アウ! とシロは吠えると、大人しく腰を下ろした。素直に言うことを聞くのは、凄く珍しくて、思わずじーっとシロを見つめる。
「シスイは、お湯の中に入って。だって!」
シロは、僕が聞いていなかったと思ったらしく、尻尾を振りながら言葉を口にした。
知っているよ、と雪之丞の前で口に出すわけにはいかない。首を縦に振って四角に目を移した。
この中に入ればいいんだよな。
片方の足を振り上げてお湯の中に入れる。その途端に、足の指先から頭にかけて、ほかほかとしてきた。まだ足を入れていない半身が寒くて、ぶるっと、震えた。
ゆっくりと片方の足も入れれば、途端に体がほかほかする。でも、この後はどうしたらいいんだ。
「志水くん、そのままゆっくり腰を掛けてごらん。温かくて気持ちがいいよ」と、雪之丞が笑いかけてきた。
「腰を?」
言われた通りに腰を下ろすと、お湯が四角の外に溢れていってしまった。上流の川のようにザザーっと流れていくのにびっくりして、思わず立ち上がる。
「雪之丞くん、そのまま座ってて平気だよ」
「……お湯が溢れ出るよ」
「ああ、それは大丈夫。そういうものなんだ。さぁ、もう一度ゆっくり座ってごらん」
雪之丞はそういうけれど、溢れ出たらダメなんじゃないか。
言われた通りにもう一度、腰を下ろせばお湯はやっぱり溢れ出ていく。けど、僕が座ると同時に収まった。お湯が少なくなってしまったんじゃないかと、思っていたけど僕の胸あたりまであって、減ってはいないようだった。
四角の中は僕の体が難なくと入ったし、なによりお湯が全身をほかほかにしてくれるから、気持ちがいい。
山にいた時は、汚れたら川の中に入っていたけど、いつも冷たいから入り終わると、しばらく寒くて震えていた。その度にシロやオオカミ達に温めてもらっていた。
お風呂というのは、凄くいいものなんだな。
もっと、全身に被りたくて、目と息を止めて全身をお湯の中に埋める。そうすると、顔も頭のてっぺんもほかほかしてきて、心地がいい。音はこもっていて、聞こえないけれど、ずっと、この中に居たくなるような。前にもいたことがあるような、不思議な気持ちにさせてくれる。
だんだん、うとうとしてきて、軽く目を閉じる。
すると、いきなり首根っこを思い切り掴まれて、上に引き上げられた。
「志水くん! 大丈夫!」
こもって聞こえていた音は、いつも同じように聞こえた。声が聞こえる方に顔を向ける。髪の毛が顔全体に張り付いていて、前が見えなかったけど、隙間から雪之丞の顔が見えた。
「大丈夫? もしかして、溺れちゃった? どこか苦しいところは!」
はっきりとは見えないけど、変な顔をしていた。その顔はあまり見たことがない。
張り付く髪の毛を手で払うと、今まで変わりない雪之丞の顔があった。
「……大丈夫、溺れてはないよ」
「そっか……。なら、よかったぁ……」
雪之丞は四角の縁にヘナヘナと、もたれかかった。
「てっきり、溺れてしまったのかと……」
「こんな中で溺れたりはしないけど」
「……まぁ、そうだよね」と、雪之丞は顔を上げた。
「全身を浸かりたいと思うくらい、お風呂を気に入ってくれた、ってことかな?」
「気に入ったぁ~!」
シロの声が聞こえた。見ると、大きな丸い入れ物の中に半分だけ体を沈めていた。相当、気に入ったみたいだ。
それは、僕も一緒だ。
「はい」
小さく返事をすると、雪之丞は歯を見せるように笑った。
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