第4話 雪之丞の心の丈

 長月の時期は、紅葉が美しい。何の変哲もないただの道が、パッと華やかな道になるし、なにより、金木犀の甘くて心地のいい匂いが鼻腔を擽る。


 江戸の町外れにあるこの山は、普段は鬱蒼としていて不気味で、あまり近づきたくない。ただ、この季節になると、どの山よりも美しい紅葉になって、とても幻想的な山になる。


 木漏れ日から差し込んでくる光が、地面に落ちているイチョウの葉や、もみじの葉を照らしして、黄色と赤でできた反物たんものが浮かび上がる。


「綺麗だなぁ」


 ついつい、辺りをキョロキョロと見回して景色に見惚れてしまう。こんな綺麗な紅葉の中に居続たら、きっといい絵が描ける気がする。


 思い立ったが吉日、さっそく描こうと懐に手を入れる。いつも入れている和紙と筆を取り出そうとしたけど、何度やっても空を掴むだけだった。


「あれ?入れてなかったっけ?」

 懐を見ると、そこには何もなかった。


「あ、家に帰ったら描こうとして、机の上に置いてきたんだった。すっかり、忘れてたなぁ」

 家に置いてきたことを思い出して、少しがっかりする。こんなに綺麗な紅葉を絵に収められないのが、悔しい。せめて、この景色を忘れないように目に焼き付けよう。


 もう一度周りを見た時、遠くで影が見えた気がした。目を凝らしてみると、人なのかは遠すぎて分からないけど、この先に誰がいる。


 そういえば、この山にはおぞましい人斬りが住んでいるという噂がある。もしかすると、例の人斬りなのかもしれない。


 足音を立てないように、忍び足でゆっくり近づいて耳目じもくしょくする。まだ距離があるけれど、白いものと、葉っぱで覆われた何かが見えてきた。人の形には見えないから、人じゃない可能性もあるな。


 袖の中にいつも入れている紙切れをそっと、取り出しながら人影の正体を視認できるくらいまで距離を詰めて、唖然とした。


 そこには、葉っぱに覆われた白いオオカミと、真っ白い髪の毛の人がいた。ただ、その人は後ろ姿しか見えないから、男か女かは分からない。それでも、背丈が小さめで、ろくに食べていないのか、凄く小柄だ。見えている手足は、そこら落ちている枝と同じくらいに細い。


 見た目からして、子供だろうか。


 一緒にいるオオカミは、子供を食べようとしているのかと、思って身構えたけど杞憂だった。


 まるで飼い犬のように子供にすり寄り、ブンブンと尻尾を振っていた。そして子供はオオカミについている葉っぱを一つ一つ取ってあげていた。


 葉っぱがなくなったオオカミは、落ち葉の山に狙いを定めて体勢を低く構えていた。今にも飛び込んでしまいそうなところを、子供が抱き着いて抑え込んでいた。だけど、オオカミの力が強いようで、子供はずるずると引きずられていた。なんとなくだけど、楽しそうな雰囲気が漂っているから、よほど、仲が良いのだろう。


 基本的に、オオカミが人に懐くことはない。どちらかと言うと、人を襲うことが多い。だから人にとって、オオカミは害そのもの。だけど、自分の身を守るために殺すことはできない。


 今は廃止されたけど、100年以上前に生類憐みの令が発布されたこともあって、俺も町の人たちも動物を殺害することは悪だと認識している。だから、いくら怖くても何もできないから、オオカミ達を畏怖することしかできない。


 そういうこともあるからか、俺はこのオオカミと人の関係が気になってしまった。


 普通ならこの状況が異質すぎて、物怖じして逃げ惑うところだ。俺は何かに引き寄せられるように足を動かしていた。目が離せなくて、そのせいか足元への注意を怠ってしまった。


 パキッと、枝を踏んだ音が聞こえて、ハッとした。


 しまった、と思った時は遅かった。


 オオカミは、小さく唸り声を上げて、後ろを向いていた子供が勢いよく振り返った。


 俺は、子供を見て思わず、見惚れてしまった。


 子供は、少年だった。


 真っ白い髪の毛が、差し込む陽光に当てられてキラキラと光っている。手入れが行き届いていないのかボサボサ髪で、前髪は目にかかるほどに長く伸びている。その間から見える睫毛は髪の毛と同じく真っ白で、両目は雪うさぎのように真っ赤に輝いている。


 まるで、幻想的な洋風画の中から出てきたんじゃないかと思うほどに、異質だけれど、妖美であった。


 けど、目に光が宿っていなくて、真っ暗な闇が広がっていた。顔には、一切の表情も見えず、口元は堅く横一文字に閉じられている。泥に似た茶色の木綿の着物は、汚れていたり、所々破れている。着物が体の成長に置いていかれたのか、裾が膝あたりまでしかなかった。


 一瞬で理解した。この少年は、山の中で暮らしていると。

 少年の赤い目と目が合うけれど、怖いとは感じなかった。この少年が纏っている雰囲気があまりにも危うくて、同時に今にも消えてしまいそうなくらい儚さがあった。


「あぁ……、えっと、大丈夫かい?」

 そう声を掛けた瞬間、少年はどこかに隠していたのか、刀を振りかざしてきた。


 あぶなっ、と心の中で呟く。

 目にも止まらない速さで、避けるのがあと少し遅ければ確実に首を持ってかれていた。避けた反動で、よたよたと後ろにあとずさる。


「危なかったぁ~」

 安堵の息を零しながら少年を見れば、まるで、捨てられた子猫のように、びくびくと怯えていた。 


 少年が怖がっているのだと、すぐに分かった。

 ひとまず、少年を落ち着かせなくては。


「怖がらせちゃったんだね、ごめんね」と声を掛けるつもりだったのにできなかった。


 少年は、俺が口を開く前に仕留めようとしているのか、刀を振り下ろしてきた。

 俺は避けながら、どうやって落ち着けようと考える。


 白髪と赤目という、あまりにも人間味を欠いている姿は、普通に考えれば人の生活にはそぐわない。誰もが黒髪と黒目なのに、真逆の髪色は目立つし、不吉さを感じて受け入れがたい。きっと、人から心無い言葉を吐かれることも多かっただろう。


 そんな少年は、人に慣れていないはずだ。どんな言葉を掛けたら、気を落ち着かせられるだろう。頭を悩ますけれど、中々言葉を見つけられない。


 噂になっていた山にでるおぞましい人斬りは、きっとこの少年に違いない。オオカミを彷彿とさせる俊敏な動き、寸分狂いなく虚をつける刀の使い方。


 普通の人なら、いとも簡単に仕留められるだろう。剣術は、我流だけど、俺が避けるのに精一杯なほどに、腕がいい。ちゃんとした剣術を教えれば、国随一の剣士になれるだろう。


 これほどの腕前は間違いなく、天賦の才だ。けどそれは、生きるために必要なことだったから、開花したんだと思う。


 さっきから少年の表情が一切変わっていないところを見ると、それがすべてを物語っているようだった。それくらい、過酷な日々を送っているんだと思うと、だんだん心苦しくなる。


 このまま少年を放っておくことが出来なくて、気が付いたら俺は手を差し述べていた。


「怖がらせちゃってごめんね。君を放っておけなくてさ。君が良ければ僕の所へおいでよ」

 あれほど探しても出てこなかった言葉が、すんなりと出てきた。


 人に慣れていない少年が手を取ってくれるとは、少しも思っていない。これは、俺の自己満足で、いつもの悪い癖。手を差し出したくせに、今すぐこの手を引いてしまいたくなるくらいに、後悔の念が心の中に渦巻く。


 こんなことをしても、結局、後で傷つくだけなのに、心の中で呟いた時。

 

 少年がおそるおそる、俺の手を掴んだ。


「え?」

 掴んでくれるとは、微塵も思っていなかったから、びっくりして声が出てしまった。握り返してくれた手は、まるで幼子のように小さくて温かった。


「俺は、雪之丞。君の名前を教えてくれるかい?」


 少年は、か細い声で、志水と答えた。


 まるで、——曼殊沙華みたいな子だ。


 そう思うほどに志水は異様な美しさを放っていて、ついつい魅了されてしまう自分がいる。


 曼殊沙華には、強い毒を持っていると、書物で読んだことがある。その毒は、害獣を蝕むから、花が咲き誇っているところに害獣はやってこない。それを利用して、墓地だったり荒らされると困るところに植えたりする。


 それと同じように、志水は毒を放っていて、誰にも心を開くことはなく、傍に寄るオオカミを守っているようにも見えた。


 曼殊沙華には色んな呼び方があるけれど、志水は曼殊沙華と言うより、なんとなく死人花しびとばなという名の方が似合う気がした。


 不吉で、おぞましい死人花のような志水を、俺は忌まわしいとは思わない。


 ただ、思うのは——。

 

 この感情を持たない死人花に、感情を、愛を与えたい。

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