クエスト4 遊び人が仲間になった#4

 敬と友達作りの約束を取り付けた天子を、ポワポワと暖かい気持ちが包んでいた。

 それは敬と別れた後の下校中も、家に帰って手洗いうがいをしている時も、そして自室に入ってベッドに腰掛けた時もずっと続いていた。


 いつもなら真っ先に本を読んでいる時間帯だ。

 本の虫である天子にとっては、家に帰ってから夕食が出来るまでのこの時間は至福の時間。

 今だって読みかけの本はある。それこそ今朝のHR前や休み時間に読んでいた本だ。


 しかし、今の天子はそれどころじゃなかった。

 敬との会話の余韻が驚くほど長く響いているのだ。

 男子と話した.......というよりも、学校で誰かとまともに会話したのが初めてだった。


 それは天子にとって慣れていない感覚だった。ただ、嫌な感じはしない。

 しかし、久しく感じてなかったこの気持ちに戸惑う気持ちもある。

 そう、強いて言うなら――


(実感が湧かない.......)


 それが天子の気持ちだった。

 敬が協力してくれる姿勢を取ってくれたのは、間違いなく嬉しいことだ。


(どうしてあそこまで親切にしてくれるんでしょうか......)


 しかし、そう考えてしまうこともまた事実。

 人の優しさに慣れていない動物のように、敬の向けてくれた優しさにどこか懐疑的に感じてしまう。

 嬉しいはずなのに......その気持ちのせいで酷くもどかしい。


「ハァ......」


 天子はため息を吐きつつ、ゴロンとベッドに寝そべった。

 天井に設置されているドーム状のLEDライトをぼんやりと見つめる。

 その光の眩しさに、そっと右手の甲を眉間に置いて傘を作った。


(どうして私はあの時、”友達”という言葉を素直に受け止められなかったのでしょうか......)


 天子は敬との会話のことを思い出し、口を強く引き結ぶ。

 元来、天子は自分のことはあまり好きではない。

 口下手であり、トロいところもある。そして、自分の意思がない。

 

 そんな自分を直したいと思ったことは何度だってある。

 しかし、自分ではどうにもできず、頼る人もいないため、今ままでどうにもならなかった。

 だから、もうこれ以上自分を変えることはできない――そう思っていた。


(あの時、もし出会えてなかったら......)


 天子がそう思い、思い出すのは1年の三学期。

 国立受験を控えた受験生が集まる中、天子は前に見かけた本を手に入れるため図書室を訪れていた。


 一度、天子はその本を手に入れようとしたことがある。

 しかし、その時は誰かが借りており、仕方なく帰った。

 定期的に図書室に通っては、本があるかどうか確認し、無くて帰る日々。


 そんなに読みたいのなら市立図書館に行けばいいのでは? という話になるが、天子の家からはかなり距離があり、行くためには電車で移動するしかない。


 また、天子は内気な性格であり、行動力もあまりないため、強いて行ったとしても駅の近くのショッピングモールの本屋がせいぜい。

 もっとも、その時ですら天子は基本家族同伴だ。


 親と買い物に来た時に本屋に寄ってもらうか、もしくは天子より遥かに行動力のある妹に付き添ってもらうかの二択。

 故に、天子が一人で行けるとすれば、通い慣れた学校にある図書室だけだ。


 その図書室でようやく目当ての本を見つけた天子だったが、その本は本棚のはるか高い位置。

 手を伸ばしても、つま先立ちになっても届かない。


 ジャンプすれば、着地音が周りの受験生の迷惑になるからそれは出来ない。

 人に声をかけて取ってもらう......は、そもそも一人で過ごす歴が長かった天子の脳からすっかり抜け落ちていた。


 その時、一人の男子生徒――敬と目が合った。

 敬はあまりにも無表情であったが、なんとなく興味深そうに見ているのは天子に理解できた。


 出来たが、やはり人を頼るという発想に至らなかった天子。

 もう少しだけ頑張ってみようと、もう一度手を伸ばしてみるが、無理なものは無理。

 結局、諦めて帰ろうとしたその時、敬が本を取ってくれた。


(その時の胸に込み上がる熱は今でも覚えてます......)


 天子はじんわりと内側からこみ上げる熱に浸るように、そっと瞑目し、両手を胸に当てた。

 敬に助けられた時、衝動的に湧き上がった気持ちがあった。

 それが――友達になりたい、という気持ちだった。


 他の誰かに優しくできる敬となら、長年居なかった友達になれるかもしれない。

 どうしてそう思ったのかは未だわからない。

 ただ漠然と、上手くいくような気がしたのだ。

 強いて言葉にするなら、直観だろうか。


 いきなり男子と友達になろうとするのは、あまりにも高いハードルだ。

 しかし、天子は女子に対しても同じようなハードルを感じているので、どっちから始めようと大した差はない。


 友達になりたい、と天子が決意したのも束の間、学校はあっという間に春休みに入った。

 天子と敬のクラスが違うこともあり、天子の行動特性がスロースターターだったこともありで、天子が敬とどうやって自然に話しかけるかを考えていれば、今度はあっという間に新学期。


 同じ学年であることは、図書室に出会った時に気付いていたので、新学期でどうにかしようと考えていれば、まさかの同じクラス。

 それを好機と捉えた天子であったが、やはり行動力が絶望的に足りなかった。


 声をかけるというハードルがあまりにも高すぎたのだ。

 さながら、ライトノベルで出てくる美少女にモブ男子が恐れ多くて近寄れないように。

 圧倒的な陰キャコミュ障――それが大撫天子である以上、どうにもならなかった。


 故に、天子に出来るのは視線でなんとか気付いてもらう事。

 その上であっちから声をかけてもらう事。


 しかし、根っからの小心者は誰かに認知されることを苦手とするのか、見つかりそうになったところで自然と体が物陰に姿を隠してしまう。


 それが一週間と続いたところで、痺れを切らした敬に捕まり、なんやかんやありつつ――現在。


「なんか今日だけで一生分の濃い時間を過ごした気がします」


 天子はふと目を開けて、今日の出来事を一言でまとめた。

 寝そべったままベッドに置いてあるスクールバッグからスマホを取り出し、レイソの画面で友達登録画面を見る。


 もともとの天子のレイソの友達登録は家族を除けばゼロ人だ。

 電話帳登録でどこからともなく友達にされたものは当然友達承認してないので、やはりゼロ人。

 そこに初めて家族以外の人物が登録された。


 「けい」とひらがなだけの下の名前があり、アイコンはマッスルポーズをしている熊の画像。

 天子が確認のためにレイソした時の、返信スタンプと同じ絵のものだ。


「ふふっ......」


 天子は口元を緩め、口角を上げた。

 その絵が面白かったわけじゃない。

 自分のレイソに友達が増えたことにだ。


 それがとても嬉しかったのだ。そして、ようやく実感が湧いてきた。

 その時、天子はポチッと押したトーク画面を見て、敬が言った言葉を思い出す。


――勇気が出た時に呼んでくれたらいい。その時に親睦を深めよう。


 敬はそう言ってくれたが天子の場合、下手に時間を置くと、足から根が生えたように動かなくなる。

 思い立ったら即行動ぐらいの勢いでなければ、このまま敬をズルズル待たせる日々が続くだけ。


「返信しなきゃ!」


 天子はスマホを持って体を起こし、返信欄をタップする。

 同時に、固まった。


(な、なんて返信すれば......)


 レイソを基本家族との連絡ツールとしか使っていなかった弊害が出た天子。

 家族となら今更遠慮することのない物言いができる。

 しかし、今返信する相手は友達(仮)であり、同時に男子生徒。

 そもそも同性との話し方もわからないのに、男子との話し方などわかるはずもなく。


「こ、この度は本当にありがとうございました。

 そして、これまで多大なる迷惑をかけた上、あまつさえ願いを聞いてくさるその心の器の大きさには感服しました.......ってこれは硬すぎますよね?」


 自分自身に問いかける天子だが、当然答えが出てくるはずもなく。

 天子はスマホをもって立ち上がり、部屋の中をウロウロ。

 次はドアに背を預けて座り込み、スマホと睨めっこ。

 その次はベッドにうつ伏せになって、スマホの返信欄をタップして指を止めた。


 今の天子は難しく考えすぎてドツボにハマるという現象の真っ最中だ。

 たった少しの「今日はありがとうございました。明日からお願いします」という文章が、脳内に思い浮かばない。


「ハァ......少し、落ち着きましょう」


 天子はスマホをベッドに置くと、立ち上がってクローゼットの引き出しを開ける。

 そこから部屋着を取り出し、近くの机に置いた。

 そして、スカートのチャックを下ろし、スカートを脱ぐ。

 リボンをを外せば、流れでスクールシャツのボタンを全部外して――


「っ!」


 ピロン♪ と音が鳴った。

 その音に、天子が振り返ってベッドにあるスマホを見れば、スマホの画面が光っている。

 もしかしたら敬から何か着信が来たのかもしれない。

 そう思った天子はパンツ丸出しのままベッドに近づいた。


「ふぎゃ!?」


 その時、足元に脱ぎ捨てていたスカートを踏み、そのままズルッと滑って、顔面からベッドにダイブ。

 床ではないのが幸いだったが、それでも圧し潰された鼻は普通に痛い。


 天子は痛みで涙目になりながら、手探りでスマホを探す。

 そして、手にしたスマホの画面を確認してみれば――レイソを使ったどこかの企業の広告だった。


「ふ、ふふふ......」


 一瞬気を落とした天子だったが、すぐにそんな些細なことで一喜一憂する自分に笑いがこみ上げてきた。

 これまでレイソは家族からの連絡があるかを確認る程度で、気にすることなんてほどんどなかったのに。


 しかし、今日敬とレイソを交換しただけで天子の行動はここまで変わってしまった。

 それがなんだかおかしくて。されど、全然嫌な気分にはならなくて。

 むしろ、たったこれだけが楽しいとすら思えてしまった。


 未だ明日から敬とどんな顔をすればいいかわかっていない。

 今日の少し慣れた時のしゃべりを再現できるかわからない。

 しかしそれでも、これほどまでに明日が楽しみと思えたのは初めてだ。

 とはいえ――


(たぶん、私のことだから明日にはリセットされてそうですね......)


 天子は自嘲気味に眉を下げる。

 この内気な性格が簡単に治るとは思えない。

 思えないけど、変えたいとは常々思っている。

 そういう意味では敬と友達になったことは、その性格矯正の大きな一歩と言える。


「......あっ」


 天子は敬とのトーク画面の自分の文章を見た。

 そこにはレイソを交換した際に「よろしくお願いします」と一文だけ。

 ずっと返信内容を考えていたけれど、案外こんなシンプルでいいのかもしれない。

 少なくとも、天子が思う敬であれば、シンプルな言葉なんか気にしないはず。


「『明日からよろしくお願いします』と」


 天子はその文章を打ち、僅かに震えた人差し指でもって送信ボタンをタップした。

 瞬間、トーク画面にはシュポと音ともに言葉が表示される。


 天子がしばらく画面を眺めていると、メール文に既読がつき、体がビクッと跳ねた。

 そして、返信として送られてきたのは、やはりボディービルクマーのスタンプで「了解だぜ!」とだけの簡単な内容。


「ふふっ、会話しちゃいました.......」


 会話にしてはあまりにも淡白なやり取り。

 人によっては会話のうちには入らないだろう。

 しかし、誰かと話すことが少なかった天子からすれば、これでも十分なほどに会話なのだ。


 天子の心に再びじんわりと暖かい気持ちが満ちる。

 この気持ちにいつまでも浸っていたくなる。

 関わった相手が敬で本当に良かった――


「お姉ちゃん、ご飯できたって.......何してんの?」


「あ.......」


 夕食の準備ができたことを知らせる妹がドアを開け見たのは、脱いだの制服をそのままに、パンツ丸出しでスマホと睨めっこする姉の姿であった。

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狂人さんと往く大撫さんの青春クエスト 夜月紅輝 @conny1kote2

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