第8話 新宿血河
今回は、いきなり戦場に投げ込まれるようなことはなかった。ヤシロにワープしてきた慎は、石田や美織といったこの間の面々と目で挨拶を交わす。
春は仕事の通知が入ってから慌てて着替えたらしく、着ている白いブラウスが少しだけ着崩れている。そこから覗く胸元から咄嗟に目をそらすと、頬を膨らませながら睨まれた。
「仕方ないでしょ、お風呂入ってたんだから」
「別に何も言ってないって」
「……スケベ」
「だから何も言ってないし見てない!」
慎は語気を強めて言ったが、嘘である。本当はちょっと見ていた。着やせするタイプなんだな、なんて思っていた。
目敏くそれを見抜いていたらしい美織が、ニヨニヨと笑いながら慎の肩を叩いた。
「わかる。わかるよまこっち。あんな格好してたら視線が吸い寄せられるのが男の
「近い。吸い寄せられてない」
「またまたぁ」
そんなやり取りをわちゃわちゃと交わしていると、レイメイが光と共に現れた。後ろには三人の男女を連れている。今回の新人だろう。
そのうちの一人の女性を見て、慎は思わず息を呑んだ。彼女があまりにも美しく、そして世相に疎い慎でも名前を知っているような存在だったからだ。
カモシカのようにしなやかな脚と、十七歳にしては大人びた、出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいる抜群のプロポーション。背中まで伸びた長い黒髪に彩られた顔には、切れ長の目や薄い唇といったパーツがそれぞれ完璧なつり合いで配置されていた。
そんな彼女が、目に眩しいセーラー服姿ですぐ目の前に立っている。男性でなくとも見とれてしまうのは当然の摂理だろう。
「……ちょっと。じろじろ見すぎ」
隣の春に軽く肘打ちされて、慎は慌てて視線を外した。すると今度は春の着崩した胸がまたも目に入ってきて、キッと睨まれる。理不尽だ。というか早く服装を直せ。
「いや、アレは見るって。すっげーよくできたカオ」
「美織ちゃんも乗らないでッ!」
美織もまじまじと凪紗を見つめ、しっかり春に釘を刺されていた。というかもうちゃん付けで呼ぶ仲なのか。春は人との距離を詰めるのが早い。
当たり前だが、気の毒なほど怯えている凪紗たち新人に、レイメイが仕事の説明と武器の配布を行う。三人が少し落ち着いてきたところで、次は自己紹介タイムだ。
「ワシは
髪を角刈りにした、眼光鋭い三十代ぐらいの大柄な男が、全員の顔をねめつけながら言った。彩子が美織の陰に隠れながら、「うわあ、本物のヤクザの人? 初めて見ました……」となぜか感動したように呟いている。
視線が目障りだったのか、坂東は相手が女子高生なのも構わず彩子の方を睨みつけた。
「あぁ、なんや小娘!!」
「ひいっ、ごめんなさいごめんなさい!」
坂東が落ち着いたところで、次は二十代ぐらいの小柄な女性の番だ。
「あたし、
佐紀の言葉に、石田が頷いた。
「マジのヤツだ」
「マジかぁ……戦いとか、無理ですよあたし……」
気持ちはわかるが、無理でもやってもらうしかない。そして最後は、凪紗だ。
「私は浦浪凪紗です。同じ名前でアイドルもやってて……えっと、よろしくお願いします……でいいのかしら」
「よーく存じとるで」
眼光鋭く坂東がカットインしてきて、美織が思わず噴き出した。さっきまで剣呑な態度だったくせに、目は完全にファンのそれだ。さっき怒鳴られた彩子も目を点にしている。
「……っ、あ、ありがとう……」
若干引き気味……というよりも怯えている様子の凪紗。慎はこのままだと埒が明かなさそうだったので、咄嗟に坂東と彼女の間に割り込みながらレイメイに声をかけた。
「これで、今日は全員なのか」
「ああ。もうすぐワープも始まる。必要なら遺書でも書いておけ」
「俺は必要ない」
「ほう? まだ二回目なのに随分な自信だな」
「いや、書く相手も内容も浮かばないだけだ」
慎がそう言うと、レイメイは「可哀そうに……」という表情でこちらを見てきた。その顔をぶん殴りたい衝動にかられつつ、慎は凪紗の方に向き直る。
「何はともあれ時間がない。武器は決めた?」
「……ごめんなさい。ちょっと、近づかないでもらえるかしら」
全力で拒否られた。普段冷静な慎も、流石に初対面の相手に思いっきり拒否られるのは心に来た。呆然としている慎の前に春が慌てて割って入ってきた。
「えっと、最初は遠距離武器がおすすめだよ! こっちがパラベラム、こっちはハライっていうんだけど……」
「ありがとう。ひとまず両方持っていくことにするわね」
凪紗が手に取ったのはハライとパラベラム。レイメイ曰く二つ持ちは初心者にはお勧めできないらしいが、止めている時間はない。最悪現地でどちらか一つに絞ればいい。
「わかった。あと、このミソギは絶対に装着しておいてね。これがあるだけで生き残りの確率、全然違うから」
春がミソギを手渡すと、凪紗はそれをいそいそと右腕に巻き付ける。左利きらしい。
他の新人たちも確認したが、それぞれ石田や美織が準備をサポートしている。これなら大丈夫そうだ、と思ったところで、ミソギの通知が鳴った。
「っ、なんなのかしら、これは……?」
「……始まりの合図だ。心の準備をしておいた方がいい」
慎の言葉が終わると同時に、バランサー全員の身体が光に包まれた。
それにしても、と慎は思う。バランサーになったということは、今をときめくアイドルたる凪紗も誰かの死に関わった、ということなのだろうか。
*
彼らの今回の仕事場は東京・新宿。夜の闇を煌々とネオンが照らす、歌舞伎町だった。
「おー、ここかあ。ワシらのシマやないなぁ。……しっかし、えらいことになっとるの」
周囲を見渡して坂東がぼやく。彼の言う通り、歌舞伎町も案の定地獄の様相であった。
転がる人々の死体。逃げ惑う人々を追い回しているのは、スーツとネクタイを身に纏ったマネキン人形だった。今回のラルヴァは、無機物の形をとっているらしい。
「何、あれ……マネキンの群れ?」
春が唖然としながら呟いた。彼女の視線を辿ると、確かに十体以上のマネキンラルヴァがこちらに猛ダッシュしてきているところだった。何の表情もない顔で、脚だけを動かし迫りくるマネキンの群体は、見ただけで身の毛がよだつほどの不気味さがある。
《帰る 返せ 死ね》
《帰りたい どこ どこ》
マネキンの口が動くたびに、人の魂の残滓が放つ呪詛が耳を打つ。恐竜ラルヴァと違い、口数の多いタイプのようだ。
「新人共は下がれ。俺と瀬戸、千歳が前衛を張る。加賀と斑鳩もいけるか?」
「俺は大丈夫」
「あっ、あたしも……やります。やってやる!」
「わかった。もう新人扱いはしてやらねえからな。あとの全員は後ろで援護射撃頼む! ……響谷はどこ行った?」
「あそこでドーナツ食べてっけど」
美織が親指で差した先では、その言葉通り響谷がどこから持ち出したのかやたら甘そうなドーナツを次々に口に放り込んでいた。
「響谷ァ!」
「
もごもごそんなことを言って、響谷は口に満杯のドーナツを詰め込んだまま逃げ出した。
「俺は岩田じゃねえ! ……ったく、しゃあねえ。アイツは放っとくぞ」
そう言いさし、新人たちの返事も待たずに石田はメメントを構えた。彩子と春が続けてパラベラムを構え、慎と美織がハライを抜き放つ。
そこへ、ぬっと前衛へ割り入って来た者がいる。坂東だ。
「おい、ヤクザもんなめたらあかんで。ガキどもに前張らせて後ろで縮こまっとれなんて命令、聞けるわけないやろが」
「……勝手にしろ。よし、まずは――」
石田の言葉を、坂東が更に遮った。
「ちょい待てや! カタギが追われとるぞ!」
確かに、マネキンの軍勢の前に数人のサラリーマンと、逃げ遅れたらしい若者たちの姿が見える。全員既に息が切れており、今にも追いつかれそうだ。
「はっ、はあっ、もう、ダメだぁ……!」
一番後ろを走っていた赤い髪の若者が、ラルヴァに追いつかれた。マネキンラルヴァはその若者の頭めがけて横殴りに腕を振り抜く。
骨が砕け、肉が千切れる嫌な音がした。凄まじい打撃で千切れ飛んだ若者の首が、脇のコンビニの壁に激突してボールのように跳ね転がった。それを見た坂東が表情を歪める。
「こいつぁ、なんってぇ……」
「俺が行く。援護お願い」
躊躇いなく、慎は駆けだした。今回は念のため懐にパラベラムも忍ばせているが、慣れていない銃を使えば誤射もありえる。まずは前回と同じ、ハライを使った近接戦を挑む。
「おい、待てやぁ!」
「あー、まだ二回目だってのに元気だなぁ……」
少し遅れて坂東と美織がハライを握ったまま駆け出す。石田は「おい、勝手に……!」と叫んだが、すぐに「ああクソッ!」と悪態をつきながらメメントを構えなおした。
「ぎゃああああっ!!」
「いやっ、殺さないで、がはッ!」
そうしている間にも犠牲は増える。転んだサラリーマンがマネキンに頭を踏み砕かれ、ペースの落ちていた若い女子が鋭い貫手で背中から胸まで串刺しにされる。
「ひっ、いやだっ……」
そして今にも追いつかれそうになっていたもう一人のサラリーマン目がけ、一体のマネキンが腕を振り上げた。慎はそのマネキンを凝視し、能力を発動する。
慎の両眼が、紅の光を帯びた。
突如として眼前に砂漠が広がる幻覚を見せられ、マネキンの動きが止まる。その隙を逃さず、慎はハライを一閃してそいつの首を刎ねた。マネキンだというのに斬られた首から黒い血液を噴き出しつつ、そのラルヴァは息絶えた。
だが、息をつく暇はない。今仕留めたラルヴァの背後に控えていた十数体のマネキンが、一斉に慎へ視線を向けた。
感情などこもっていないように見える、無機質な眼光。だが、その奥に生者への確かな憎悪が揺らめいているのが、慎には見えた。
「……ただ恨み焦がれる亡霊、か」
慎は自嘲気味に呟く。生きる理由を見出せずに戦う慎と、強い感情に突き動かされている
いずれにせよ、慎のやることは変わらない。春と屋上で交わした言葉に殉じる――今の慎には、それぐらいしかできないのだから。
「来なよ」
慎が
そして、乱戦が始まった。
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