第5話 初刑務作業、完了

 慎がティラノサウルスに見せたのは、目の前で今まさに落下しようとしている巨大な隕石の幻だった。

 相手が恐竜の姿をとっているなら、自分たちの種族が滅んだ原因である隕石には恐怖を示すのではないか、という勘に近い推測で選んだ幻覚だった。だが果たして、ティラノサウルスは慎を放り出すと、一目散に踵を返して逃げ出した。


「だいじょぶ? ……どうしたんだろ、アイツ」


 地面に投げ出された慎が頭をさすりながら起き上がると、ヴェロキラプトルたちを全滅させたらしい美織が駆け寄ってきた。その後ろでは銃声が轟き、プテラノドンが身体をだらりと弛緩させながら落ちていくのが見えた。石田がパラベラムで撃ち落としたのだろう。


「よく助かりましたね。絶対ダメだと思いました。なんでお前は助かったんですか」


 追いついてきた彩子が慎に声をかけてきた。微妙に言い方に棘があるのは気のせいだろうか。


「俺も死んだかと思った。何が起こったんだろうね」


 慎はひとまずとぼけることにした。幻覚を見せる超能力なんて言ったところで信じてもらえるとは思えないし、余計面倒なことになりそうだ。

 慎は、まだ呆然と立ち尽くしている春の元に歩み寄る。


「斑鳩、大丈夫か?」

「加賀、君……。あたし、何もできなかった……」


 光の消えた目が、慎に向けられる。屋上で慎の自殺を勘違いで止めようとしていた時の快活さは見る影もない。

 そんな春に、慎は首を横に振ってみせた。


「あんな怪物が目の前にいたんだ。誰だってああなるよ」

「でも、でもあんたは……!」

「俺のことはいいんだ。……俺は死ぬのなんて怖くない。だけど、君はそんな人間になっちゃいけないだろ」


 食い下がってこようとする春に背を向け、慎は寂しく転がる関本の上半身に目を向けた。

 その眼は恐怖に見開かれ、口はまだ「嫌だ」とでも言いたげに開いたままだ。

 死にたくない、と叫んでいた者が死に、死んでも構わないと思っていた者は生き残った。

 慎は静かに目を閉じ、溜息を吐いた。


「随分と慣れてるんだね、あんた。真っ二つになった死体なんて見たら、普通もっとビビるもんでしょ。ほんとに高校生?」


 息を整えている慎のもとに、美織がやってきて言った。彼女が首を傾げると、身に着けたピンクパーカーのフードがそれに合わせてふわりと揺れる。

 慎は自分よりも一回り小さい美織を見下ろしながら言葉を返す。


「そっちこそね。バランサーになってから長いの?」

「まあね。ミオリはアヤと一緒にバランサーになったけど……もう三ヶ月ぐらいかなぁ」


 三ヶ月もこの地獄を生き抜いてきたのか。慎は目の前の小柄な少女を見下ろしながら、内心で舌を巻いていた。この小動物のような身一つで、関本のような仲間の死を何度も見送ってきたのだろう。冷静なのも納得だ。


「ま、あんたみたいなタイプの方が長生きするよ。いちいち死体見てゲロ吐いてちゃキリないもん。……あ、アヤがこっち見てる」


 美織の言葉につられて彩子の方を見ると、わかりやすく頬を膨らませてこちらに警戒心全開の眼差しを向けてきていた。


「……俺、なんかしたっけ。やけに彼女の態度が刺々しい気がするんだけど」

「ミオリとあんたが喋ってんのが気に食わないんだよー、きっと。あの子、ミオリにべったりだから」


 美織は彩子と一緒にバランサーになったという。恐らくはこの仕事に選ばれる前から付き合いがあったのだろう。


「……なんでミオリとアヤがこの仕事に選ばれたか、気になる?」


 美織がニッと笑って尋ねてきた。嘘をついても仕方ないので慎は素直に頷く。


「君たちに限らず、バランサーに選ばれる条件は気になってるよ。死んだ人間が全員バランサーになるわけじゃないんでしょ?」

「お、勘いいねー。ま、そういうのはレーメーさんに聞いたほうがいいよ。ミオリはそんなに説明上手い方じゃないから」


 あっさりとそう言って、美織は慎に背を向けた。そのまま立ち去るのかと思いきや、最後に慎の方を少しだけ振り返りながら再び口を開く。


「ま、まずは自分が生き残ることだけを考えなよ。……アヤは未だにそれができてないんだけどねぇ。もう何回も言い聞かせてんのに。あんたの冷徹さをわけてあげたいよ」

「冷徹ってなんだよ」

「あははっ、冗談冗談」


 美織は笑うと、今度こそ話は終わりだと言うようにパーカーのフードを目深に被った。


  *


 ずずん、という地響きが、道の向こう側から聞こえた。ティラノサウルスが逃げ込んでいった方の通りだ。「行くぞ!」という石田の号令で慎たちが音の方向に駆けつけると、そこには思わぬ光景が広がっていた。

 慎が驚いたのは、あの巨大なティラノサウルス型ラルヴァが血だるまになって地面に転がっていたからではなかった。その死体の上で、一人の男が事もなげにカップラーメンをすすっていたからだ。あの怪物をたった一人で倒したのか。息一つ乱さず、涼しい顔で。


響谷ひびやか……」


 石田が苦々しげにつぶやいた。慎たちは初めて聞く名だった。

 彩子が溜息を吐きながら慎たちに捕捉してくれた。


「アイツは響谷しん。さっき話に出た、もう一人のメンバーです。誰よりも強いけど、誰よりもやる気にムラがある……正直、アタシたちにもよくわかんない人なんです」

「よくわからない、か……。そうだろうね」


 慎は恐竜の死体の上で悠然と食事を続ける人物を見上げて、そう呟いた。

 二十代前半ぐらいの若い男だった。眉毛まで伸びた真っ黒な前髪からは血のように紅い瞳が気だるげに覗く。纏っている白いロングコートには、血まみれのティラノサウルスとは対照的に返り血一つついていない。

 ずるる、と麺をすすった拍子に、跳ねたスープがその白に小さな茶色い染みを残した。


「……あ。跳ねちゃった」

「返り血は浴びてないのにスープは跳ねちゃうんだ」


 慎は思わず突っ込んでしまった。すると響谷が、ゆっくり顔を上げて慎の方を見る。


「……キミは?」

「俺は加賀慎。君の名前はさっき千歳から聞いた」

「ちょっと、まだ会って間もないのに呼び捨てにしないでください」


 彩子の文句を無視して、慎は響谷の紅い視線を正面から見返した。


「加賀、慎……そうか。僕は人の名前を覚えるのが苦手らしいから、すぐ忘れちゃうかもだけど。よろしくね」


 そう言って、響谷は目を細めて微笑んだ。髭一つない整った顔は、細身の体格も相まって女性のようにも見えた。


「てめえは人の名前以外も大体覚えが悪ぃだろうが」

「そんなこと言わないでよ。えーっと……イシカワさん?」

「石田だ! 相変わらず腹立つ奴だな!」

「でも、彼の名前は忘れない気がするなぁ」


 響谷はそう言って、ちらりと慎の方を見た。慎が怪訝そうに見返すと、響谷はその口元に楽し気な笑みを浮かべる。


「見てたよ、君の戦い。アレは、何をしたの?」


 「アレ」とは、十中八九慎が能力を発動した時のことだろう。言ったところで信じてもらえないし、警戒されるだけだろうと考えていた慎は何も言わずに口をつぐむ。


「……まあいいや。とにかく、僕は君のことを面白そうだと思っているらしい。願わくば、君と長く一緒に仕事ができることを祈ってるよ」


 自分のことを話しているのに、まるで他人事のような言い回しだった。

 更に慎が眉間の皴を深めたところで、ミソギが再び独特の電子音を発した。画面には、「目標達成」の文字。どうやら、最初の仕事が終わったようだ。


「お、終わったねー。良かったね新人、帰れんよ」


 美織の言葉を聞いて、春がホッと胸をなでおろす。彩子が続けて口を開いた。


「仕事が終わったら、アタシたちは拠点に戻されます。……今夜もまた、生き残れました」


 「生き残れた」という割には暗い表情の彩子。慎はその表情の理由を尋ねようとしたが、その前に白い光に包み込まれてしまった。


  *


 バランサーたちは、自分たちをビルの屋上から見つめている一人の女がいたことに、誰も気付かなかった。彼女は観察していた。慎たちの戦いも、その顛末も、全てを。

 夜の闇にきらめく長い銀色の髪。彫りの深い顔立ちを恐ろし気に彩る、黒い強膜きょうまくと真っ白な瞳。


『どうだ、エリーザ。何か変わったことはあったか?』


 スマートフォンから聞こえる声に、エリーザと呼ばれた女は答える。


「ええ、あったわよ。今日は新人ちゃんが二人いたんだけれど……その中にとっても、面白そうな子がいたの」


 エリーザが思い返したのは、ティラノサウルスの牙に挟みこまれながらも足掻いていた慎の姿。あの時彼が何をしていたのかはわからないが、見当ぐらいは付けられる。

 もし、慎が彼女の思う通りの能力の持ち主だったら。それは、それはとても――


「んんんーっ、面白い、面白い、面白いわあッ!!」

『とてもうるせえ』


 電話の向こうから悪態をつかれ、エリーザははっと我に返った。


「あらあ、ごめんなさいウルフ。わたしったらついついテンション上がっちゃって。うふふ、『加賀君』とか呼ばれていたかしら? んっふふふ、いいわね、とってもとってもあなたに興味あるわ、わたし。また是非……お目にかかりたいわねぇ」


 そう呟き、エリーザは笑う。空を飛び交う警察のヘリも、慌ただしく惨劇の現場に突入してきた警察官も、そんな彼女に気づくことはない。


「ああでもお気に入りの恐竜ちゃんたちを殺されたのは許せないッ! でもあの子は是非わたしのものにしたいッ! ああっ、ああっ、この二律背反……!」

『とてもうるせえ』

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