第2話 世界の調整者
眼前に迫ったラプトルへ、慎は横凪ぎに刀を振った。しかし、慎の攻撃と同時にラプトルが跳躍したことでその一閃は空を切る。
慎はラプトルに飛び掛かられ、たまらず地面に倒された。ラプトルは右足で慎の身体を押さえつけると、顔面目掛けて鋭い牙をむき出しにしながら食らいついてきた。
慎は咄嗟にラプトルを右腕に噛みつかせて致命傷を回避する。不思議なことに全く痛みはなかった。それどころか、ラプトルの牙は慎の腕に刺さる様子すらない。
理由はわからないが、慎にとって好機なのは間違いない。左腕に持ち替えていたハライの切っ先を、慎の腕を食いちぎれず身体を揺らすばかりのラプトルの頭に向かって突き入れた。黒い刀身は左目を貫通し、そのまま右目の方から切っ先を現した。
ラプトルの身体から力が抜けるのがわかった。慎がハライを引き抜くと、そのラルヴァは物言わぬ骸となってアスファルトに横倒しになった。
ラルヴァがまき散らす血液は、まるで煮詰めたタールのように真っ黒だった。
「お見事。初めてにしては上出来だな」
無感動に拍手しながらレイメイが言った。慎はよろよろと立ち上がってレイメイを睨む。
「何が上出来だ。危うく死にかけた」
「そう言うな。私がそいつを渡していなければ、今頃お前の腕はなくなっていたぞ」
言いつつ、慎の左腕に装着されたデバイスを指さすレイメイ。先ほどラプトルの攻撃が慎に通じなかったのは、このスマホもどきのお陰ということらしい。
「バランサー支給スマートガントレット、“ミソギ”。そいつを付けていれば全自動で不可視のバリアを張ってくれる上に身体能力が向上し、ちょっとやそっとの攻撃じゃ死ななくなる。奴らに即殺されないための必需品だ。だが壊されるとアウトだからな、注意しろ」
「……道理で刀が軽々扱えたわけだ」
不可視のバリアに身体能力の向上。あの世のテクノロジーも大したものである。
「ほんとに、倒しちゃったね」
春が呆然と慎を見上げながら言った。表情に混ざるのは、微かな憧憬と罪悪感。
「ごめんなさい、あたしなんにも……」
それ以上謝罪の言葉が紡がれる前に、慎は地面に落ちているもう一つの武器――支給霊銃“パラベラム”を拾い上げると、春に手渡した。
「君は銃の方が良いよ。刀は敵に近付かきゃ斬れないから危険度が高い。……当たり前か」
「えっ、えっと……!」
春があわあわとパラベラムを取り落としそうになっているのを尻目に、慎はレイメイの方へ向き直った。
「で、そろそろ説明してくれる? なんで俺たちはいきなりラルヴァと戦わされてる? 貴方は一体、何者なんだ」
「その問いに答えるのは、次の窮地を乗り切ってからだな」
レイメイは慎から視線を外してそう答えた。慎は眉をひそめながらレイメイの視線を追い――そして絶句した。
先ほど斃したラプトルが、今度は五体。慎たちに狙いを定め、じりじりとこちらに近づいてきていた。
「大丈夫、なんとかなるさ。ああ、私は規則によりお前たちへの必要以上の助力や干渉は禁止されているから、ここで失礼する。ではでは」
固まる二人を置いて、レイメイは八咫鏡によるワープでさっさと離脱していく。最後の方の台詞は恐ろしく早口であった。
「アイツ……」
「どどど、どうしよう!? あたし、銃なんて使ったことないよ……!」
「あったらびっくりだよ。……やるしかない、か」
慎は腹を括ってハライを構えなおした。何故戦わされているのかすらわからない状況ではあるが、一つだけ確かなのは「何もしなければここで死ぬ」ということだ。
ゆっくりとラプトルたちが包囲網を狭めてくる。誰が先に飛び掛かるのか、慎たちはどう動くのかを推し量っている。そんな動きだった。
春もぶるぶると震えながら、パラベラムを構えた。引き金に指をかけ、揺れる照準をなんとかラプトルに合わせようと腕を動かす。
「――駄目だ。そんなんじゃあ、弾は当たらねえぞ」
その刹那。低い男の声がして、横合いから飛んできた弾丸が一頭のラプトルの脳天を吹き飛ばした。一斉に他のラプトルたちが銃弾の飛んできた方向を振り返ったところで、突如ビルの陰から飛び出してきた二つの影が彼らのど真ん中に分け入った。
ピンクのパーカーを着た小動物のような雰囲気の女子高生と、恐らくは彼女と同年代の茶髪をショートカットに切り揃えた少女。
「いつも通り援護頼むわ、アヤ」
ピンクパーカーの少女が、小柄な身には似つかわしくないハライを振りかざしながら言うと、パラベラムを構えた茶髪の少女も応じた。
「まかせてください、みおりん」
パーカーの少女がラプトルを斬り伏せ、ハライを構えなおすまでの隙に襲い掛かってきた個体を茶髪の少女が撃ち抜く。明らかに手慣れた阿吽の呼吸。
三体目を斬り捨てて「ふうっ」とパーカーの少女が息を吐くと、茶髪の少女に頭を撃ち抜かれたはずのラプトルが、よろよろとその背後で起き上がった。
「あっ、みおりん……!」
茶髪の少女が狼狽したのも束の間に、起き上がったラプトルの頭へ数発の銃弾が飛んでいく。撃ち手は、パラベラムを構えた金髪の青年だった。
「ダメっしょー、
その明らかに軽薄そうな雰囲気の男は、銃口から昇る煙にフッと息を吐きかけながら言った。美織と呼ばれたピンクパーカーの少女はあからさまに嫌そうな顔になる。
五体のラプトルたちが残らず斃されたところで、後ろの方から銀縁眼鏡をかけたオールバックの神経質そうな男が姿を現した。背中にはハライともパラベラムとも異なる形状の黒い狙撃銃を背負っている。一発目の弾丸を放った最初の声の主は、この男らしい。
「いきなり戦場に投げ込むたぁ、レイメイの野郎もスパルタだな。今回の新人は二人か。戦力増強を喜ぶべきか、『罪人』が多く出てくるこの国の現状を嘆くべきかわからねぇな」
いかにも真面目そうな風貌の割に言葉遣いが荒い。その隣では、ピンクパーカーの少女がガムを噛みながらこちらを値踏みするような目で眺めていた。
「ミオリは喜ぶべきだと思うよー。戦力は多い方が良いっしょ」
「おっ、可愛い子いんじゃーん。ラッキー」
後ろの方では金髪の男がニヤニヤと春を眺めていたので、慎は黙って見ているわけにもいかず、さりげなく男の視線から春を守れる位置に移動した。
銀縁眼鏡の男、ピンクパーカーの少女、茶髪の少女、金髪の男。自分たちと同じ装備を持っていることから、大体その正体に見当はつく。慎は油断なく彼らに視線を巡らせた。
「……貴方たちは?」
慎が尋ねると、金髪の男がへらへらと笑いながら口を開いた。
「そう怖い顔すんなって。俺たちは味方だよ。お前らの先輩……ってとこか」
「先輩……?」
金髪の男に代わり、今度は眼鏡の男が言葉を吐き出した。
「俺たちは“バランサー”。ラルヴァを討つために集められた、咎人の集団だよ」
「そ。そんでアンタたちも、今日からその一員になったってわけ。これからよろしくね、新人ちゃんたち」
バランサー。ラルヴァに対抗できない自衛隊や警察の代わりに彼らの討伐を行う、正体不明の集団。バランサーたちの戦いの様子は幾度となく映像や写真に記録されているが、何故か身体が黒い靄に覆われており背格好の判別は不可能。戦闘の後はすぐにどこかへ消失してしまうため、いまだコミュニケーションを取れた例はない。たまにバランサー側にも犠牲者は出ているようだが、死体は消えてしまうため身元の特定もできない。
そんな謎だらけの集団が今、顔を晒して目の前に立っている。バランサー同士であれば黒い靄の影響も受けないようだ。
「ちょっ、ちょっと待って!」
慌てたように春が叫んだ。
「助けてくれたのはありがとうなんだけど……どうしてあたしたちがバランサーに? 罪人とか咎人とか、あのレイメイって人もあたしたちのことをそう呼んでいたけど……」
春の問いに、バランサーたちはなぜか気まずそうに目を逸らした。何か言いづらい事情でもあるのか、皆誰かが口火を切るのを待っているような仕草だ。しかし誰も口を開く気配はなかったので、金髪の男が意を決したように口を開いた。
「ま、その話はおいおいでいいじゃんか! とりあえずはめぼしいラルヴァも片付いたし……自己紹介でもしようぜ!」
金髪の男に言われて周囲を見渡すと、確かに十体以上いたラプトルはいつの間にかいなくなっていた。慎たちが奮戦している中で彼らが片づけていたらしい。
じゃあ気を取り直して、と金髪の男が名乗りを上げた。
「俺、
関本の自己紹介を聞いて、銀縁眼鏡の男が深い溜息を吐いた。
「赤裸々に話しすぎだ。というかベテラン面してるが、てめえはまだバランサーになって一ヶ月だろうが……はぁ。俺は
そんな調子で、バランサーたちの自己紹介は次々に続いた。
ピンクのパーカーを身に纏った小動物のような少女は、
その美織の傍で体を小さくしている、茶髪ショートの細身の少女が
彼らは既にバランサーとして活動している経験者だという。全員、慎や春と同じく、何らかの原因で死んだ時レイメイにリクルートされたらしい。
四人の自己紹介が終わると、慎は気になっていたことを尋ねた。
「バランサーはこれで全員なのか?」
「うんにゃ、あともう一人いるよー。戦力としてはカウントしない方が良いと思うけど」
美織の言葉に石田が頷く。
「そうだな……。やる気がありゃ誰よりも強いのは確かなんだが……」
どうやら訳ありらしい。そして、今回からの新人は慎と春の二人だけのようだった。
「加賀慎。高校二年生」
「あんた、加賀君っていうんだ……。っていうか、自己紹介短すぎでしょ。あたしは斑鳩春っていいます。加賀君と同じ高校の二年生です。それで……あたしたちはどうすれば?」
「まだわからないんですか?」
自己紹介に続けて春が尋ねると、丁寧な口調とは裏腹に刺々しい雰囲気で彩子が言った。
「ラルヴァを倒すのがバランサーの役目です。知ってるでしょう? 人類の天敵、正体不明の怪物。それをアタシたちで倒すんです。ニュースでも沢山やってるじゃないですか」
「アヤ、イライラしない」
「ごめんなさい、みおりん……」
美織にたしなめられてすぐしゅんとなる彩子。どうも、彼女は美織には弱いらしい。
「ラルヴァを倒す、か……」
一方で慎は、先ほど自分が組み上げた推理に間違いがなかったことを確信した。
バランサーは、本来死ぬはずだった人間をリクルートして結成されている。その基準はわからないが、生きているとも死んでいるとも言えないようなスピリチュアルな存在なら、今まで正体が解明されていないのも納得だ。
「やっぱりそうなのか。じゃあ、ラルヴァっていうのは一体なんなんだ?」
人類の天敵。憎悪を以て人を殺す、謎の怪物。慎たちバランサーが戦わなければならないというそいつらは、一体何者なのか。
その問いに答えたのは、気を取り直した彩子だった。
「ラルヴァは、此界に強い恨みや執念を残して死んだ人の魂が変質した存在。死後の世界が死者で溢れすぎたが故に、こちらの世界にとどまるしかなかった哀れな亡霊です。自我を失っているので基本的に意思疎通の類はできません。上位のラルヴァには例外もいますけど……滅多に出てくることはないですね」
「全部レーメーさんの受け売りだね、アヤ……」
彩子の言葉を聞いてぽかんとした表情になっている慎と春を見て、石田が補足した。
「ここ最近、新種のウイルスやら戦争やら災害やら色々あっただろ? そのせいで今あの世は満員に近い状態になってるんだとよ。で、死んだ奴があの世に行けず、その中でも特に未練を持った厄介者がラルヴァになってこの世に残っちまう。そうなるともう悪循環だ。ラルヴァたちが人を殺し、それによって彼界の待機列がさらに増え、よりラルヴァが生まれやすくなる。だから根本的な解決にはならんが、とにかくラルヴァによる被害を抑える必要があった。でもラルヴァは幽霊みたいなもんだから、此界の武器じゃ倒せない」
「それで、死んだばかりの『罪人』を救いあげて、解放か成仏を餌にラルヴァ討伐をやらせてる、ってわけか」
慎は納得した。
レイメイが彼界と呼んでいた死後の世界は、こちらの世界以上に逼迫しているのだろう。
死者が溢れ、あぶれた魂がラルヴァとなりさらに死者を増やす。だが、生者の世界――此界の人間たちには対処する術がない。
だからまずは、彼界で死んだばかりの罪人をリクルートし、ラルヴァたちを処理させる。もし犠牲が出ても、罪人ならば使い潰したところで問題はない、という理屈だろうか。
自分たちが抱えているという「罪」が何なのかは、まだわからないけれど。
「……飲み込みがやけに早いね。新人なのにこんだけ落ち着いてる人は初めて見たわー」
少しだけ驚いたように美織が言う。そうかもしれない、と慎は自嘲気味に笑った。
慎が、家に帰してくれと泣き叫ぶことはない。死にたくないと訴えることもない。
この世――彼らの言葉を借りれば此界――に、戻りたいと思う理由がないから。
「それにしても、世知辛いね」
思わず、やりきれない気持ちが言葉となって慎の口から飛び出した。
「何が?」ときょとん顔で尋ねてくる春に、「なんでもない」と返して会話を打ち切る。慎は無意識に、長い前髪に触れていた。
この世界には人が多すぎると思っていた。
だけどそれは、死後の世界も同じらしい。
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