贖罪デスゲーム -生への執着を捨てたはずの青年が、亡霊狩りとして戦う理由を見つけるまで-

色空上野介

第1話 懲役の始まり

 加賀慎かがまことには、持って生まれた超能力がある。


「加賀っちー! 明後日のテストなんだけどさ……」


 クラスメイトの男子・藤山ふじやまからかけられた言葉に、慎は読んでいた本から顔を上げた。慎の長い前髪が左の視界に薄いブラインドをかける。ああ、やっぱりこれが楽だ――と、慎は思う。慎は机の中から学習用タブレットを取り出し、何度か画面を指でなぞった。


「うん、今送った。回答の方は自力で何とかして」


 藤山は自分のタブレットを確認して顔を綻ばせると、「サンキューな、慎! 助かるぜ!」と調子のいい感謝の言葉を述べた。


「しっかし、毎度よくテストの問題を手に入れられんな。マジでどうやってんの、それ?」

「企業秘密」


 慎はすげなく答えて手にした本に視線を戻す。話す気はないし、話したところで信じてもらえるわけもない。


 先生に幻覚を見せて、その間にデータを写し取っている、なんて。


 他人に幻覚を見せる能力。なんでそんなものが自分に備わっているのか、慎は知らない。

 わかっているのは、幻覚を見せられるのは一度に一人だけということ。見せられる時間はせいぜい一分かそこらが限界だということ。そして慎が見せる幻覚は、相手の視界全体に作用できるということ。

 ただ、この力が他の人にはない、慎だけのものだということを理解しても――慎の心が高揚することはなかった。


「そういや慎、昨日のニュース見たか? 『ラルヴァ』が仙台に現れたってヤツ……」

「ああ、見た。いつも通り、『バランサー』が片付けてくれたやつだろ」


 人類の天敵――ラルヴァによる被害もその顛末も、最初の出現から二年経った今ではほとんど日常の一部だ。


「しっかし、バランサーって何者なんだろうな! ラルヴァが現れると前触れもなく出てきて、颯爽と奴らを倒していく謎のヒーロー軍団! くぅーっ、かっこいいぜ!」


 テンション高くまくしたてる藤山に、慎が適当な相槌を打とうとした時だった。教室の隅で、耳障りな笑い声が聞こえた。目をやると、素行の悪さで知られる伊刈いかりという男子生徒が、静かに読書している女子に向かって消しゴムのかすを投げつけているのが見えた。

 女子生徒は気にしまいと本に目を落としたままだが、伊刈はニヤニヤしながら構わず嫌がらせを続けている。更には伊刈の取り巻き二人も参加し始め、女子生徒の髪に引っ付く消しゴムのかすが増えていく。


「あー、伊刈たちか。ほっとけよ、暇なんだろ」


 慎の視線に気づいた藤山が肩をすくめた。暇。確かにそうなのかもしれない。


「だけど、暇潰しのために誰かに迷惑かけていいってわけじゃないだろ」


 慎は平坦な声で言うと、一瞬だけ伊刈をじっと見つめた。その眼がぼんやりと赤く光ったのには、藤山も他のクラスメイトも気付かなかった。


「うわあっ」


 数秒後、伊刈が大きな悲鳴を上げて腰かけていた机から転がり落ちた。何事かとクラス中の視線が集中する中、伊刈はばつが悪そうに起き上がる。


「おいおい、どうしたよ伊刈」

「いや……なんか、今、目の前にバケモノが……。な、なんだ……?」


 狐につままれたような顔をしている伊刈を見て、藤山が首を傾げた。


「どうしたんだ、あいつ?」

「さあ。恐竜でも襲ってきたんじゃない」

「恐竜……?」


 慎は再び読書に戻った。これぐらいの能力行使なら気付く人間はいないだろう。

 人生なんて所詮暇潰しだ。生きている間ぐらい楽しくやっていたいという気持ちは理解できる。だけど、だからって他の人の暇潰しを邪魔していいわけじゃない。

 生きることに意味なんてない。そう思っているからこそ慎の心は、どんなことがあっても揺らがない。


  *


 穏やかな木枯らしが、長い前髪をふわりと揺らした。

 自身が通う奥宮おくみや高校の屋上の縁――転落防止用の柵の向こう側に腰かけながら、慎は浮き上がろうとした前髪を咄嗟に右手で押さえつけた。

 左目を隠すように伸びたそれは、慎にとってコンプレックスである中性的な顔を隠すという役割だけを果たしているわけではない。いわば、自分と世界の境界線のような感覚だ。前髪より奥には誰も入ってこられないし、こちらから手を伸ばすこともない。

 どうせ自分が何をやったところで、世界は変わらないのだから。

 慎が生きていても、死んでいても、この星にとって特に違いはない。その他大勢に過ぎない彼の命の積み重ねなど、所詮は他の人々の営みの中で消費され忘れられていくのみだ。


「……この世界には、人が多すぎるんだ」


 ぽつりと誰もいない屋上でそう呟く。ただでさえ立ち入り禁止になっている屋上には、基本的に慎以外の生徒がやってくることはない。もし誰か来てしまったら、その時点で自殺を図っている生徒がいると大騒ぎになっているだろう。

 慎は決して死にたいわけではない。ただ、生きるのもそれを投げ出すのも億劫なだけだ。

 わざわざ柵を越え屋上の縁に腰かけているのは、ただそこがある程度世界の広さが見えて、なおかつ他の人間とは隔てられた一人きりの空間だからだ。


 たとえばぼくが死んだら、そっと忘れてほしい。

 そんな歌詞の歌を聞いた時、慎は思わず唇を歪めたものだった。皆は自分が死ぬときのことばかり気にするけれど、真に気にすべきは自分が死んだ後の世界のことだと思う。

 とは言っても、慎に泣いてくれるような家族はいない。数少ない友人たちは、一時死を悼むぐらいはしてくれるかもしれないが、結局その後の人生の中でいずれ慎のことなど忘れ去る。

 ここで飛び降りようが、車に撥ねられようが、ラルヴァに襲われようが、今の慎のために泣いてくれる人など誰もいないのだ。


「生きてたって死んでたって同じ、か……」


 今の自分の状況を、慎はそう振り返って。


「そんなことない! 絶対そんなことないよッ!」

「はあっ!?」


 背後からいきなり割り込んできた声に驚いて、危うく屋上から落ちそうになった。

 振り向くと、同じ高校の制服を着た女子生徒が柵の向こうで仁王立ちしていた。木枯らしに揺られるポニーテール。人形のように大きくて丸い目がまっすぐに慎を見返している。

 小柄な体格に反してすらりと長く伸びた脚を一歩前に踏み出し、少女は柵に縋りつくようにして慎への呼びかけを続けてきた。


「早まらないでよ! 死んだら全部終わっちゃうんだから、ちょっと落ち着いて! あたしが話でも何でも聞くからっ!!」

「……そもそもそんな気はないよ、俺はただここに座ってぼんやりしてただけで……」


 なおもまくしたてる少女に気圧けおされながら、慎は引き気味で答えた。

 彼女はどうやら、慎が自殺でも考えているのではないかと勘違いしているらしい。柵の向こうに座っている相手を見たら、そう思うのも無理はないが。

 面倒そうなヤツに絡まれてしまった、と慎は内心で溜息を吐いた。


「まず……君は誰?」

「あたしは斑鳩春いかるがはる! ここへ来たのは偶然だけど、見ちゃった以上は絶対助ける! 死なせなんてしない! そっちがまだその気なら、力づくでも止めるからね……!」


 まるで暴走特急だ。目の前で飛び降りようとしている(ように見える)相手にも物怖じせず距離を詰めてくる。

 たとえ慎が本当に飛び降りを考えていたとしても、この少女――春の勢いに負けて死ぬ気など失せていただろう。


「……そんなに、死ぬって怖いことか?」


 見ず知らずの自分のために眩いほどの熱量でぶつかってくる少女を相手に慎の喉から滑り出たのは、心底からの疑問だった。

 自分のような人間は、生きていたって死んでいたって何も変わらない。だから、生きている実感もなければ死ぬことに対する忌避感もない。

 ましてや春は、自分が死にそうなわけでもないのに赤の他人のために必死になっている。慎にとって、彼女の行動原理は一切理解できなかった。


「そもそも、死んだことがないのにどうしてそれが怖いことだって言いきれるんだ?」

「なに馬鹿なこと、言ってんのっ!」

「おいおい、何やってる?」


 しかし春は止まらない。屋上の柵に手と足を引っかけると、あろうことかよじ登り始めたのだ。どうやら慎のいる屋上の縁の方まで直接やってくるつもりらしい。


「危ないって、よせよ」

「人の命が懸かってるんだから、これぐらいっ……!」

「わかったわかった、今すぐ戻るから――」


 面倒極まりないが、まずは柵の向こう側に戻って誤解を解くところからだ。

そう思った慎が立ち上がった、その瞬間。

 今まで静謐な湖面のように凪いでいた屋上に、一陣の風が吹いた。

 それは運命だったのか。あるいは何者かの意志によるものであったのか。

 今の慎たちにそれを推し量る術はなかったが、結果として彼らの舞台はここで幕を下ろし――そして、再びその幕が上がってしまった。

 立ち上がった慎は、風に身体を押されてバランスを崩し。

 ちょうど柵のてっぺんまで登り詰めていた春は、そんな慎を助けようと手を伸ばし。


「あ」

「わ」


 二人の肉体は、重力に引かれて学校の屋上を飛び出した。

 走馬灯のように今までの人生の記憶を見る、なんてことは特になく、慎は漠然と「ああ、死ぬのか俺は」という諦めに似た感情と、目の前で呆然とした表情をしている少女への罪悪感だけを覚えていた。

 俺がいなければ、春は巻き添えで落ちることもなかったのに。

 せめて少しでも助かる確率が上がってくれれば、と共に落ちていく彼女の身体を抱きしめた。慎がクッションになれば、春一人なら助かるかもしれない。

 ふわり、と暖かな日差しを思わせるようなオレンジの香りがして。その直後、全身がバラバラになるような衝撃と共に、慎の意識は暗転した。



「どうしてうちにはお父さんがいないの?」


 彼女がまだまともな言葉を話せた頃、慎は母親にそう尋ねたことがある。当時から常に何かに苛立っていた母は、一言こう告げたのみだった。


「出ていったの。あんたが生まれてすぐに」

「なんで? なんでお父さんは……」

「慎」


 母親のいつになく強い声色に、まだ幼かった慎はびくりと肩を縮こまらせた。


「お父さんはもういないの。だから、そんなことを聞いても意味がないの。わかった?」


 慎の母が精神病院に入れられたのは、それから間もなくのことだった。

 父がなぜいなくなってしまったのか。母は何故心を壊してしまったのか。何もわからないまま、両親は慎の前から消えた。慎にはそれが、母からの最後通牒のように思えた。

 お前がいなければもっと楽に生きられたのに、と。

 自分はいてもいなくても変わらないどころか、いない方が良い存在なのではないか。

 慎はいつしかそんなことを考えるようになっていた。



「一気に二人とは、盛況だな」


 聞き覚えのない壮年の男の声がして、慎はゆっくりと目を開いた。

 視界にはそびえたつ校舎と少しせり出した屋上の縁が見えている。背中に感じる地面の感触も合わせて考えると、どうやら落下地点で無事目を覚ましたらしい。

 ゆっくりと身体を起こす。手足に異常はなく、腰も正常に動く。地面に叩きつけられた割にはどこも怪我をした様子がない。

 一緒に落ちた春はどうなったのだろう、と慌てて辺りを見渡せば、すぐそばで地面に座り込んだまま頭を押さえてぼんやりしていた。顔にはありありと困惑の色が浮かんでいるが、慎同様目立った怪我はしていないようだ。


「……俺たちは、生きてる、のか?」

「あたしは……平気みたい」

「それは微妙だな。今のお前たちは生きているとも言えるし、死んでいるとも言える」


 壮年の男の声がもう一度聞こえた。二人がそちらに目を向けると、そこには喪服を思わせる真っ黒なスーツの上から真紅のトレンチコートを着込んだ、長身の男が立っていた。

 整ってはいるが、二十代にも三十代にも見える不思議な容貌だった。全てを見通すような青みがかった虹彩が気だるげに慎の姿を映す。

 どう見ても生徒には見えないが、高校教師の中で見た顔でもない。明らかに不審なその男を見て警戒を強めた春の代わりに、慎が口火を切った。


「……あなたは?」

「私は『レイメイ』。お前たちの担当になる『ウォッチドッグ』だ」

「『ウォッチドッグ』? 何それ、あんた犬なの?」

「私は犬ではない。走狗、という意味ではその通りかもしれないがな」


 怪訝な顔の春にそう言うと、レイメイと名乗った男は気だるげに説明を始めた。


「平たく言うと、お前たちは本来であればすでに死んでいる存在だ。だが、それを私の力で救いあげてやった。ここまではいいか?」

「言ってる意味はわかるが、それをいきなり信じろって言うのは無理があるんじゃないか」


 慎の言葉に、隣の春もぶんぶん首を縦に振る。レイメイは面倒くさそうに溜息を吐いた。


「今のお前たちを見てみろ。屋上から地面に叩きつけられて怪我一つしていない。そして、怪しさ満点の私がここに突っ立っていても誰一人気にしていない。これらの状況があってもまだ信じられないか?」


 言われてみれば、慎たちが座り込んでいるのは校門にほど近い校舎裏の道だ。先ほどからも何人かの生徒たちが近くを通りかかっているが、誰も慎たちを気に留めていない。

 慌てたように春が「ちょっと、そこの人!」などと手当たり次第に周りの生徒たちへ声をかけ始めたが、やはり誰もこちらへ目を向けない。

 無視されている、というよりも初めからこちらの声が聞こえていないかのように。


「嘘……あたしの声、聞こえてないの……? どうして誰もっ……!」

「声は聞こえない。更に言えば、今のお前たちの姿は、生きている人間からすれば靄がかかったように曖昧な状態に見える。言っただろう。今のお前たちは死んではいないが生きてもいない。此界しかい……この世を彷徨う幽霊のような存在だ」

「元には戻れるのか?」


 慎が尋ねると、レイメイはフッと皮肉気な笑みを浮かべた。


「戻りたいのか?」


 言われて一瞬、慎は言葉に詰まった。戻りたい、なんて即答はできなかった。戻っても戻れなくても、どうせ何が変わるわけでもないのに。

 口をつぐんだ慎を尻目に、レイメイは話を続けた。


「本来であれば、死んだ人間をこうして強引に現世にとどめおくことはしないんだが……生憎、お前たちは『罪人』だからな。こちらの世界に戻る……あるいは安らかに成仏するためには、『バランサー』としてとある仕事をこなしてもらう必要がある。私はそのための……さしずめ案内人だ。なに、ゲームのようなものさ」


 そこで言葉を切ると、レイメイは赤みがかった空を見上げて目を細めた。季節は初冬。この東京では、日が落ちる時間が目に見えて早くなってきている。


「残念だが座学の時間はない。今日は随分と奴らの動き出しが早かったものでな」

「奴ら?」

「ラルヴァさ」


 レイメイはそう言いさして、ベルトがついたスマートフォンのような板状のデバイスを手渡してきた。腕に装着できるようにしたスマートフォン、といった風情のそれを見て慎たちが目を白黒させていると、レイメイはトントンと自身の左腕を指で叩いた。


「説明はあとでしてやる。とりあえずそいつを付けておけ」


 静かな口調から有無を言わさぬ迫力を感じ、慎と春はいそいそとその謎デバイスを腕に巻き付けた。

 それを確認してからレイメイは喪服の懐に手を突っ込み、そこから野球ボールぐらいのサイズの青く光る球体を取り出す。そのまま右手の人差し指で球体の表面をつるりとなぞると、青い光が点滅を始めた。


「ウォッチドッグ専用装備、“八咫鏡やたのかがみ”。私から離れるなよ、お前たち」

「ちょっと、あたしたちに何をさせるつもり!?」


 球体――転移の神鏡の点滅が強く、速くなっていく。慎は咄嗟に春を背に庇ったが、光は容赦なく二人をまるごと飲み込んだ。


「すぐにわかる」


 光に包まれる直前に聞こえたレイメイのどこか愉快そうな声が、何故だか耳に残った。


  *


 気が付くと、慎たちは見たことがあって来たことのない場所にいた。


「ここは……銀座か?」


 東京、銀座。まだ視界がぼやけていてよく見えないが、慎たちがいるのは有名な時計塔がある銀座四丁目の交差点のど真ん中のようだ。


「うわっ、なにこれ! まるで瞬間移動じゃん!」


 隣では春が驚きの声を上げている。


「まるで、というか瞬間移動そのものだな……それより周りをよく見ろ」


 レイメイに言われて、慎は徐々にはっきりと像を結び始めた景色を凝視した。

 そこは地獄だった。

 アスファルトに飛び散った真紅の液体。逃げ惑う人々の群れ。

 そして見えた。人類の天敵、恨みを残して死んだ人の魂の成れの果て。

 ただ人を殺すことに特化した獣――ラルヴァの姿が。


 “ラルヴァ”。それは二年ほど前から突如として世界各地に出現するようになった、謎の怪物たちの総称である。

 彼らは街中や観光地などの人が多く集まる場所に突然現れ、甚大な被害を残していく。その正体は今もって謎に包まれているが、いくつかの情報は明らかとなっていた。

 一つ、ラルヴァたちは非常に凶暴で、人間を見るや襲い掛かってくる。

 一つ、彼らには人類が誇る武器の一切が通用しない。

 一つ、彼らはレーダーやソナーに感知されず突然現れる。生息地や移動方法は一切不明。

 これらの厄介極まりない特性ゆえに、各国は拡大する被害の対応に頭を悩ませているのが実情であった。接近は感知できず、一たび街中に現れれば手当たり次第に人々を襲う。

 警察や軍が対応しようにも、火器が通用しない以上避難誘導ぐらいしか打つ手がない。結局二年余りの間、人類は何も有効な対策が取れないまま、ここまで来てしまっている。

 そんな正体不明の怪物の名前を、レイメイが口にした意味。そして、「バランサー」としてこなさなければならないという“仕事”。

 慎の中で、一つの推論が組みあがる。だが、今はそれを確かめている暇などないようだ。

 そのラルヴァたちは、慎が見たことのある姿をしていた。――図鑑や映画の中で、だが。


「恐竜……!?」


 鋭い鉤爪をアスファルトにカチカチと打ち鳴らすヴェロキラプトルたち。ざっと見ただけでも十五体以上はいる。そいつらが、銀座のど真ん中で手当たり次第に人を襲っていた。

 一体のラプトルが泣き叫ぶ女性の首に食らいつく。

 逃げ惑う若いカップルに飛び掛かり、食いちぎる。

 隣で春が小さく息を呑むのが聞こえた。さしもの慎も、目の前で人々がなす術もなく蹂躙されていくのを見て身体が固まる。

 一頭のラプトルが慎たちの方を睥睨した。縦に割れた虹彩が瞬く間に殺意に染まり、そのラルヴァは両腕を振り上げながら吠え声を上げた。


「そう怖がるな。戦う術くらいは与えてやる」


 そんな中でもレイメイは顔色一つ変えることなく、どこから取り出したのか二つの物体を地面に投げ出した。

 黒い刀身に赤いラインが入った、慎の身長の半分近くはあるだろう長さの日本刀。もう一つは、同じく黒い銃身に赤いラインの入った拳銃だった。


「これがお前たちの仕事道具だ。バランサー支給霊刀“ハライ”。そして支給霊銃“パラベラム”。彼界の技術で創られたこれらの武器であれば、ラルヴァを殺すことが可能になる」

「えっ、あたしたちにこれを使えってこと?」


 春が愕然としたように呟くと、レイメイは「使わないのも自由だがね」とラプトルの方を顎でしゃくった。それと同時に、ラプトルが威嚇を止めて疾駆を開始した。


「そら、迷っている暇はないぞ。黙って餌になりたいのなら構わないが。この状態で死ねば、次に待つのは魂の消滅だ。回帰も成仏も望めない真の終わりを味わうことになる」


 慎はぐっと歯噛みすると、迷わず日本刀――ハライの方を手に取った。咄嗟に使うなら、銃よりはまだ刀の方が扱いやすそうだ、というただそれだけの理由だった。


「っひ、っ……!」


 隣の春が身を縮める気配。当然だ。いきなりヴェロキラプトルに襲われてすぐさま反応しろという方が難しい。慎がすぐに動けたのは、単に死への恐怖というものにひどく鈍感だったからにすぎない。

 拾い上げた刀は意外なほどに軽かった。

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