第15話 過去を振り返れば、辛い事ばかりだ

「今日から学校か」


 休日が開け、月曜日の朝。


「お兄ちゃん、準備終わった?」


 鈴木斗真すずき/とうまが洗面台の前で顔を洗っていると、背後から話しかけられていた。


「あともう少しで終わるよ」

「じゃ、一緒に行こ」

「ああ、わかった。あと二分で終わるから」


 そう言って、斗真はタオルで顔を拭く。

 それから食後のハミガキを始めたのだ。


「あ、そうだッ、今日の課題をバッグの中に入れるの忘れてた!」


 恵美えみはハッと閃いた感じに目を見開き、階段を駆け上って行ったのである。


 歯磨きを終わらせ、通学用のリュックを背負った斗真は、自宅の玄関まで向かって行く。


「恵美ー、俺は終わったけど」

「うん、今から行くね」


 階段近くで声を出すと、二階から妹の声がかえってくる。


 数秒後に扉が閉まる音が響き、恵美が階段を駆け足で下ってくるのだ。


「お待たせ。じゃ、行こ」


 恵美は中学専用のリュックを背負い、玄関先で靴を履いた後、ショルダーハーネスのところを、それぞれの手で掴んでいた。


 斗真が扉を開けると、妹が外に出るのだ。


 斗真は最後に外に出て、自宅玄関の扉に施錠する。

 鍵がかかっているか、しっかりと確認すると、妹の方を振り向いて共に通学路を歩き出すのだった。




「そう言えば、お兄ちゃんって神谷さんと付き合ってるんだよね?」


 通学路を歩いていると、右隣を歩いている恵美から質問された。


「そうだな。やっぱり、涼葉さんとは慣れない感じ?」

「そんな事はないよ。普通に楽しいし。休日の日に一緒に遊んだり、服を選んだり。私、楽しかったよ」

「そうか。ならよかったよ」

「まあ、後の事はお兄ちゃん次第なんだけど。お兄ちゃんは神谷さんと付き合っていきたいと思ってるの?」

「俺はそのつもりで付き合ってるんだけど」

「だったら、もう少し恋人らしい事をしてみたら?」

「なんで?」

「だって、神谷さんとお兄ちゃんさ。ちょっとぎこちなかったから」

「そうかな?」

「そうだよ。付き合ってるなら、お兄ちゃんの方からグイグイと行かないとね」


 恵美から肘で突かれていた。


「んー、ちょっと恥ずかしいんだよな」

「そんな事を言ってちゃダメだよ」

「そ、そうだな。わかったよ、俺の方からも積極的に行動してみるよ」

「その意気だよ。あと……沙織さんとは、もう付き合わないんだよね?」

「今のところはな。その予定はないよ。沙織にも色々な事情があるだろうしな。この前の土曜日だって、別の男性と付き合っていただろ。恵美も見たと思うけど」

「うん、私、ショックだったよ。沙織さんがお兄ちゃん以外の人と付き合っているところを見た事が無かったから。沙織さんと付き合ってる人って、多分、年上というか、社会人だよね? どこで出会ったんだろうね?」

「さあ……わからないけど。まあ、将来の事もあるしな。沙織も将来の事を見据えて行動し始めたんだろうな」


 斗真は、小学生の頃から幼馴染の沙織さおりと一緒に過ごし、将来は結婚して生活すると思っていた。

 そんな理想的な未来設計は、数日前に一瞬で崩れ去ったのである。


 何の取り柄もない斗真とは別れ、現実的な未来設計を立て始めたのだろう。


 やはり、幼い頃の約束というのは非現実的だ。

 子供の時は、深く考えずに何でも実行できると思ってしまうから不思議である。


「せめて、沙織さんとは仲の良い関係に戻れるといいね。私、こっちの方だから」

「あ、ああ、わかった。また夕方な」

「うん! そういえば、今日の夕食は何にする? 料理しないなら、私がスーパーで何か買ってから帰るけど」

「じゃあ、放課後に改めて連絡するよ」

「わかったよ。また、後でね、お兄ちゃん」


 恵美は手を振って、青信号になった横断歩道を渡って行った。


 斗真は横断歩道を渡らず、道なりに沿って歩く。

 今の場所から五分ほど歩いた先に斗真が通っている学校がある。




「おはよう!」

「お、おはよう、涼葉さん」


 急に話しかけられたが、その明るい声を聞いて、咄嗟に誰かわかった感じだ。


「おはよ! 一人で歩いてるなら一緒に行こ」


 背後から駆け足でやって来た彼女――神谷涼葉かみや/すずはが、斗真の左隣までやってくる。

 彼女は満面の笑みを、斗真に向けてくれていたのだ。


 涼葉とは隣同士で歩く。

 付き合っている間柄だが、急に一緒に行動する事になると、不思議と緊張するものである。


 恵美も言っていたが、自分の方から積極的に行動した方がいいと――


「えっとさ、土曜日はありがとな」

「あの服のこと? 全然いいよ。私、服を選ぶのとか好きだから。また、時間があったら、服屋に行こうね」

「うん。そういえば、あの服屋とコラボしていた、ライバーの衣装はどうなったの? 買う事にした感じ?」

「あれね。まあ、ちょっと考え中なの」

「涼葉さんには似合ってると思うし。買ってもいいんじゃないかなって」

「斗真がそんなに言うなら、買ってみようかな」


 涼葉は少々頬を紅潮させながら言う。


「涼葉さんって、ライバーの服に興味があるって事は、二次元ライバーのライブ配信を見てるの?」

「え、う、うん。たまにね」

「そうなんだ。俺もたまに見てる感じ。昔は毎日見てたんだけど。突然、俺が推してたライバーが辞めちゃって。それから、あまり見なくなったんだよね」

「推してたライバー?」

「そうそう。二次元ライバーの事務所に所属していた子がいたんだけど。ある日を境に配信を終了するって言って辞めちゃったんだよね。その事務所自体がそこまで大きな会社じゃなかったから、他のライバーも少しずついなくなって。俺、昔から見てたから何か悲しくてさ。でも、今の時代って色々なライバーがいるし、しょうがないのかなって」

「そうだよね……辞めない方が良かったよね」

「ん?」

「んん、なんでもないよ。私の独り言なの」


 涼葉はよくわからない事を口にした後、首を横に振っていた。


「まあ、今は私と付き合ってるんだし、昔よりも今とちゃんと向き合わないと。じゃないと、嫌な過去ばっかり考えちゃうよ」

「それもそうか」

「斗真」

「ん?」

「えっとさ……手を繋がない?」

「急にどうしたの?」

「斗真は繋ぎたくない感じ?」

「そうじゃないけど……涼葉さんがそういうなら」


 斗真は緊張していたものの、積極的に手を伸ばし、涼葉と手を繋ぐ。


 涼葉の温かい手と繋いでいると、どこか安心できる。


 月曜日。リラックスした気持ちのまま、斗真は彼女と共に学校へ向かって歩き進めるのだった。

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