第21話「青空」

 私が食堂で食事を摂っていると、珍しく誰かが隣に座り、またセオドアかと身構えた私は見慣れた顔を見て微笑んだ。


「……あら。ライル。お疲れ様」


 長い遠征から帰ったばかりの彼は、数日の休暇が与えられているらしく、勤務中の竜騎士服ではなく身軽そうな私服を着ていた。


「お嬢様……あの、大丈夫ですか。俺の前では、強がらなくても大丈夫です」


 隣に座るライルが私を見る痛ましそうな視線に、そういえば、ライルはまだ私が貴族の身分を失い、アレイスター竜騎士団を辞めねばならないと思っていると気がついた。


 ……いけない。父からの手紙を読んだ時、一緒に居た彼に大丈夫だと一番に伝えなければならないのに、色々あって遅くなってしまったわ。


「ライル。あの、その事なのだけど、実は解決したの。団長に相談したら、とある方が、私を家に迎え入れてくださって……もっと早く伝えれば良かったわ。ずっと、私のことを心配してくれていたのね」


 傍流貴族がお金目当てで養子を迎えることは、割と良くあることなので、ライルはほっと息をついた。そして、これは全くの嘘という訳ではないので、微笑む私も罪悪感なくすらすらと話すことが出来た。


 団長に相談したら契約結婚して貰い、貴族の身分を得たので子竜守としての仕事を続けられることになった。


 これは、恋愛禁止のアレイスター竜騎士団の、誰にも……知られる訳にはいかない事だけれど。


「ああ! そうだったのですか。それでは、ウェンディお嬢様は子竜守として、残ることが出来たのですね。本当に、良かったです……」


 純粋な性格のライルは私の言葉を疑うことなく嬉しそうに頷き、にっこりと微笑んだ。


「ええ。そうなの。ごめんなさい。お父様の暴走で、心配を掛けてしまって」


 ライルはうちの父がどんな性格なのかを良く知っているので、苦笑して頷いた。


「いえいえ。お嬢様がここに残ることが出来たので、本当に良かったです! グレンジャー伯爵邸の使用人仲間にも、お嬢様が出来そうな仕事を紹介して貰おうと思ってはいたのですが、慣れた仕事を辞めることなく続けられることが一番ですから……」


「ええ。本当にそう思うわ。ありがとう。ライル」


 私はほっと安心したライルの言葉に頷いた。


 私はアレイスター竜騎士団には三ヶ月間ほど居て、食堂で働く女性たちとも仲良くなっていたし、また新しい環境に慣れなければならないと考えるとどうなることかと怖かった。


 けれど、団長が契約結婚を提案してくれたおかげで、ここで働き続けることが出来るんだわ……彼には感謝しかない。


「そういえば、団長の噂を聞かれました? お嬢様」


「え? ……どんな噂かしら?」


 ライルが周囲の人目を気にしてこそこそと私に聞いたので、私は何を言い出すのかと不思議になった。


「団長。実は結婚したらしいんです! ですが、アレイスター竜騎士団の誰も、結婚相手を知らないんですけど……」


「そっ……そうなの? どうして団長が結婚していることが、わかったのかしら?」


 狼狽えた私は自分でもわかるくらいに、挙動不審になってしまった。だって、ライルの言う相手って、私のことだもの。


 けれど、ライルはまさか私だと思っていないから、不思議そうな表情で話を続けた。


「はい。我々は訓練が終われば、全員で湯浴みをするのですが、団長の胸にある紋章の竜が二匹になっていたんです! ですが、団長は隠しもせずに堂々としていて、それゆえ、誰も何も聞けていない状態らしくて……一体、誰と結婚したんだろうと、皆で噂をしていたんですよ」


「まあ。そうなのね」


 私は団長が結婚していると周囲に知られてしまった理由を、納得して頷いた。


 結婚すれば胸に刻まれた紋章はわかりやすく二匹になるし、男性ならば共用の浴場で胸を隠して居れば、それはそれでおかしいとなってしまうだろうと思うもの。


 団長は私と結婚したけれど、何か悪いことをしている訳ではない。だから、堂々としていることが、きっと一番良い事なのよね。


「うちの団長。実は女性嫌いなんですけど、お嬢様には特別お優しいと噂だったんですよ。俺は団長とお嬢様が纏まれば、それが一番良いかなと思って居たんですけど……」


 ほんの一瞬だけ、ライルはもしかしてすべてを知っていて、内心バレてしまわないかドキドキしている私を揶揄っているのかもしれないと思った。


 けれど、そんなはずはないと思い直した。単に私が心にやましいものがあるからという、考え過ぎだった。


 ライルは単純に私と団長が結婚したら良いと思っていたけれど、団長が結婚してしまったからそれは叶わなくなったと、残念がっているだけよね?


 ……困ったわ。誰かにこんな風に何か隠し事をしたことなんて今までなかったから、こんなにも疑心暗鬼になってしまうなんて思わなかった。


「……団長は、私にはもったいないわよ」


「そんなことはありません! ウェンディお嬢様はすべての家庭教師より優秀だと褒められ、美しいと評判だった亡き奥様に良く似ていらっしゃいますし……旦那様さえしっかりしていらっしゃったら、王子様の婚約者になってもおかしくないというのに……」


 ライルはそこに来て、うるっと目を潤ませた。


 お母様が生きていた小さな頃から知っている私が、今アレイスター竜騎士団で働いているという事実が、彼にとっては耐えがたいことなのかもしれない。


「ええ。ライル。貴方も知っていると思うけど私のお父様は、ああいう人なのよ。自分の都合良く変わって欲しいなんて、期待してはいけないわ。もしかしたら変わってくれるかもなんて期待をしたら、それだけ悲しくなってしまうもの……」


 これまでに私たちは、お父様が変わってくれたらと、何度も何度も思うことがあった。けれど、愛するお父様を憎み切れない。


 思い込んだらもう止まらなくて、たまにとんでもないことを仕出かすけれど、普段は温厚でとても優しい人なのだ。


 直接、お父様を知っている私たち二人は、同時にため息をついて、その後は黙々と食事をすることにした。



◇◆◇



 子竜たちは飛行訓練にも慣れて、最近は日中はずっと草原で過ごすようになって来た。


 食事もいよいよ二回に減り、子竜守としてのお仕事もだんだんと楽になって来て、私は空いた時間に新人たちがやってくれていた洗濯物を手伝っていた。


 代々、子竜守たちが、なぜこの白い木綿の服を着ているのかが洗濯物をする時に良くわかった。漂白と消毒を兼ねた薬剤に付けると、布は真っ白になった。


 こうすると色が付いていても、抜けてしまうから、元より白で用意していたのだろう。


 そして、洗濯物を干し終わると、緑の芝へと寝転んだ……団長は良く草原で寝転がっているようだけれど、視界が青い空一杯になって、これまでに見た事のない綺麗な景色だった。


 もし、私がグレンジャー伯爵令嬢ウェンディとして、順調に生きて居たら、この景色を見ることは叶わなかった。


 ……今の私にはもう、こんなことをして行儀が悪いと叱ってくれる人も誰も居ないもの。


 視線を落とし青い空に揺れる白い服を見て思い出してしまうのは、私が社交界デビューするために用意していた、あの白いドレスだ。


 ……今ではもう、売り払ってしまった、あの白いドレス。


「……ウェンディ」


「わ! どっ……どうしたんですか。団長」


 自分が失ってしまった物を思い出し涙ぐんでしまった私の視界には、やけに整った顔が覗き込んでいた。


「……どうした。泣いているのか?」


 心配そうな低い声に、私は上半身を起こしなんでもないと首を横に振った。


 団長は私が社交界デビューを前にして、断念したことを知っている……彼に可哀想な子だとは、思われたくなかった。


「いえ……すみません。白い服を見ていると、売ってしまった、白いドレスを思い出してしまって……けど、大丈夫です。私は今の自分に満足していますので……仕事を思い出したので失礼します」


 立ち上がりスカートの土を払うと何も言えないままで居た団長を置いて、私は竜舎へと逃げるように去った。

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