第15話「大事」
腕に出来てしまった傷は団長が危惧していた通り、かなり深かった。
けれど、怪我をした直後にすぐに医者に傷を塞ぐ処置をして貰えたおかげで、三月後には傷跡も気にならないほどにはなるだろうとの見立てだった。
団長がああ言ってくれた一瞬だけ……私には結婚する予定もないのだし、そんな事はどうでも良いと思ってしまった。
……お父様がお金を稼いで来てくださる可能性だって、残されているのだから、私は家族として信じなくてはいけない。
だから、団長の咄嗟の判断は、きっと正しかった。
治療後、アスカロンは私が部屋に戻った後も変わりなく、光の繭に包まれていた。
その前に佇んでいた団長は、アスカロンを見て、難しい表情を浮かべていた。
……私が、こんな事をしてしまったから。
「団長。申し訳ありません……私が大きな音を立てて、あの子を驚かせてしまったから」
彼は何か深く考え込んでいたのか、私の声が聞こえてようやく、ここに居ると気がついたらしい。
「大丈夫だ。ウェンディのせいではない。傷の具合はどうだ?」
「はい……団長のおかげで、すぐに処置をしていただけたおかげで、傷もほぼ残らないだろうと……」
「そうか。それは良かった」
ほっと息をついた団長は、そこでまたアスカロンを見たので、私も光の繭へと視線を向けた。
金色の藁の上にはほんのり光る白い繭があり、その中に見えるのは半透明の黒い子竜。驚いて私に怪我を負わせた事がショックで、閉じ籠もってしまった。
どうしたら良いの……本当にわからない。
「……ジリオラに聞いたところ、頻繁な栄養補給は必要なものの、アスカロンはこれまで順調に育ってはいるし、数時間で出ることが出来れば弱ることもなく大丈夫だろうと言っていた。それに、光の繭もルクレツィアに聞けば、身を守る結界のようなもので、最悪の場合、成竜である自分なら破ることが出来るとは言っていた」
「そうなんですかっ!」
希望が見えた私が目を輝かせると、団長は苦笑いをして首を横に振った。
「いや、この竜舎は特別な結界が張られていてな。成竜は入ることは出来ないんだ。さきほど、俺もこれを運んでみようと思ったのだが、触ることも出来ない……そういった特殊な結界のようだ。となれば、この建物自体を壊すか……そういう選択肢を、選ばざるを得なくなるようだ」
「そんな……」
団長の光の繭についての淡々とした説明を聞いて、私は絶句してしまった。建物を壊す……? 確かにルクレツィアをここに連れて来ようとすると、そうなってしまうだろうけど……。
「いや、まだ……俺はそうしようと決めた訳ではない。だが、最終的にはアスカロンの命を優先する事になる」
アスカロンは特別な、神竜同士の子。この子の命を最優先に考えるのは、仕方のない事なのかもしれない。
「あの、竜舎を取り壊すとなると……今居る、子竜たちは……?」
建て直せば良いとは言うものの、ここで今、安全に育っている子竜たちは、どうなってしまうのだろう。
「そうだな。別の竜騎士団にも竜舎があるから、そちらに引き取ってもらうか……俺ももうすぐ決断せねばなるまい」
「そんな……」
まさか、こんなにも大きな事態になってしまうなんて、私はなんて事をしてしまったの……仕事にも慣れて来たから、自分には慢心がなかったかと言えばそうではなかった。
ジリオラさんにも生まれつき力の強いアスカロンについては、特に注意するようにと何度も注意を受けていた。まだ幼くて力を制御することが出来ないのは、あの子のせいではないのだから……と。
不注意な私が何もかも、悪いのに……。
「ウェンディ。言っただろう。大丈夫だ。ここからは、俺がなんとかするから、君は気にしなくて良い。竜騎士団長は俺だ」
団長は微笑んでそう言ってくれたけれど、私は彼の言葉を聞いて『そうですね。私のせいではないので』なんて、安心することなんて出来なかった。
「あの……団長。まだ、時間がありますよね? 竜舎を取り壊し、ルクレツィアになんとかしてもらうまで……」
「……ああ。そうだな。まだ、いくつか方法を試してみるつもりではあるが……」
戸惑った様子で、団長は頷いた。彼は怪我をした私を、部屋で休ませるつもりだったのかもしれない。
「私も……お手伝いさせてください!」
「だが、君は……」
「部屋で休んでいても、アスカロンの事が気になって、休めません! お願いします。私にも手伝わせてください」
決意を込めて私がそう言えば、彼は渋い表情をしたまま、はあっと大きな息をついて頷いた。
「ウェンディはアスカロンを、可愛がってくれていたようだったからな。これも、仕事だからと割り切れまい……わかった。それでは、いくつか考えていた方法を試す。手伝ってくれ」
「はい!」
アスカロンが繭に閉じ籠もってしまった話は、今の時点では私と団長、そしてジリオラさんの三人しか知らないらしい。
だから、団長は他の子竜たちに夕方の食事をさせ終わった後、私にこの部屋へと戻るように言った。
私は新人騎士にも手伝ってもらい、懸命に残っていた子竜守としての仕事を片付け、アスカロンの部屋へと戻ると団長が黒い剣先が付いた長槍を持ったまま、渋い表情を浮かべていた。
「団長……?」
「ああ。ウェンディ。戻ったか。これは、俺が国王陛下より賜った特殊な槍で、魔法を切り裂く効果を持っている。だが、アスカロンの結界を破ることが出来ないようだ……幼くとも神竜だから、仕方ないんだが。それに、槍の力を出し切って切り裂こうとすれば、アスカロンの身体が傷つくかもしれない」
団長はいくつかの方法を考えていると言っていたけれど、これも、その方法のひとつだったようだ。
「あ……机に置かれた、この香炉は?」
「それは、魔術結界を弱体化出来る香炉なんだが、竜の結界にはあまり効果はなさそうだな……他にも結界を破れそうな魔導具を試してみたが……」
団長は言いにくそうに言葉を濁し、彼が考え得るほとんどの方法を試し終えた後だと知れた。
「ああ……どうしよう……どうすれば良いの」
私は絶望を感じて、脱力し膝を突いてしまった。
私がやってしまった事自体は、手を滑らせてフォークを取り落としてしまうという小さなことだったかもしれないけれど、ジリオラさんから注意されていた事を軽く見ていた事は間違いない。
そして、私はこれからとんでもなく大きな責任を、何も悪くない団長に負わせてしまうことになる。
「ウェンディ……」
団長は掛ける言葉がないと思ったのか、名前を呼んでからも何も言わなかった。
お父様から取り残されて……アレイスター竜騎士団で働かせてもらって、本当に有り難かったし、彼には感謝しかない。それなのに、こんなにも大きな迷惑を掛けてしまうなんて。
涙がこぼれそうになったけど、必死で押しとどめた。泣きたいのは、私ではなくて、閉じ籠もってしまったアスカロンなんだから……。
……そういえば……あの子は繭の中で眠れているのかしら。最近、昼寝する時は私の歌声を聞いてよく眠ってくれていた。
不意にその事を思い出し、私は目を閉じて子守歌を口ずさんだ。
それは、この事態をどうにかしようとした訳ではなくて、繭の中で私と同じような泣きたい気持ちになっているのであれば、少しでも安心して眠って欲しくて……。
アスカロンはこれをしたくてこうなってしまった訳ではない。私も、もちろんそうだ。それなら……。
「……ウェンディ」
子守歌を歌っていたら、ずっと無言だった団長の声が聞こえて、私はパッと目を開けた。
その時に私の視界に目に入ったのは、黒い子竜の可愛い顔だ。
「えっ……」
繭の中に居るはずの、アスカロンだった。
アスカロンだったけれど、あまりにもいきなり過ぎる展開に、何が起こったのか頭が追いつかずに言葉をなくしてしまった。
「キュ……」
大きな黒い瞳は、涙がこぼれんばかりで、潤んでいて……私と同じように。
「ああ。ウェンディが子守歌を歌い出してから、繭から出て来たんだ。怪我をさせてしまった君が怒っていないか、とても心配している。早く抱きしめてやってくれ」
その時の団長は、とても優しい表情をしていた。
「あなたを怒ったりする訳がないわ!」
私はこの時まで、泣くのをずっと我慢していた。一番に泣きたいと思っていたのは、アスカロンだろうから。
柔らかくてまるまるとした身体を抱きしめて、私は声をあげて泣いてしまった。良かった。アスカロンが助かって……お世話になっている団長を、どうしようもなく困らせなくて済んで。
アスカロンは泣いている私の頬を、懸命に舐めてくれた。これまでずっと、怒らせたのではないかと不安で怖かったのだと思う。ようやく安心したのか、ぽろりと大きな涙をこぼしていた。
私がアスカロンを抱きしめて泣いていると、団長は私の頭を撫でてくれていた。感情が昂ぶりすぎて、とても女の子らしい可愛い泣き方とは言えず、みっともない泣き方だったので、心配してくれたようだった。
「あれ? ……アスカロン。出て来たんだ? 良かったねー」
その時、セオドアののんびりとした声がして私たちは扉の方向を向いた。彼は両腕に魔導具らしい道具を、何個か抱えていた。
「ああ。ありがとう。見ての通り、持って来て貰ったそれらは、もう不要だ」
どうやらセオドアはアスカロンが咄嗟に作り出した結界を破れそうな魔導具を探し、団長はここでそれを試していたらしい。
「え。何々……なんだか、二人、あやしくない?」
団長が私の頭を撫でていたところを目撃してしまったせいか、セオドアは目を細め疑わしげな表情になってしまっていた。
「おい。勘ぐるのはやめろ……恋愛関係になど、なるわけがない」
「だよねー……いや、それはそうだよね……他でもない、ユーシスがね。まさかね」
きっぱりと言い切った団長に、セオドアは眉を寄せたまま何度か頷いていた。
私は二人のやりとりを聞いて、ほんの少しだけ複雑な思いにはなった。けど、アスカロンをぎゅっと抱きしめて思い直した。
ここは恋愛禁止という厳格な規則のある竜騎士団なのだから、団長の言葉は何も間違えていない。
そうよね……私だって恋愛なんかよりも、生活していくための仕事の方が大事なんだから……。
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