第14話「危機」

「悪いね。腰が本当に痛くて……動くのが、無理なんだ」


「いえいえ。大丈夫です! 何日かゆっくり休んで、治してくださいね!」


 ベッドに横になったままのジリオラさんは、私の言葉に頷き、はあっと大きな息を吐いた。


「なんだろうね……年齢なのかねえ。情けないねえ。ぎっくり腰なんて、これまで一回もなったことはないんだけどねえ……いつまでも、若くないっていうことだね」


 ぎっくり腰になったジリオラさんは、情けない気持ちを吐き出すように、はあっともう一度息を吐いた。


 私が朝起きて支度を済ませ、部屋を出ようとしたその時に、隣の部屋の中からジリオラさんが私の名前を呼んでいた。ベッドから降りようとした時、足を滑らせ変な体勢になってしまい、ぎっくり腰になってしまったらしい。


 私はとりあえず彼女がベッドに戻る手伝いをして、竜騎士団へ向かい、団に所属する医者を連れて来て診断してもらえば、ぎっくり腰だった。


 産まれて初めてのぎっくり腰になってしまい、健康には自信があったジリオラさんは大きな衝撃を受けてしまったらしい。けれど、三日ほど安静にしていれば治るだろうという事で、薬を塗った湿布を腰に貼り休んでもらうことにした。


 おそらく、これには私にも原因があった。


 子竜を看病をした徹夜明けの日含め、その次の日も、ジリオラさんのご好意で二日ほどお休みを貰うことになったのだ。休日のない生活が続きようやくお休みをもらったものの、それは部屋でのんびりとするだけで終わってしまったけれど。


 ただ、一日だとしても何もしない日があると、これまでに積み上げられた疲れもなくなり、気持ちも新たに頑張ろうと起きた朝の出来事だった。


 二日間、ジリオラさんは久しぶりにすべてを自分一人で仕事をこなし、その時の無理がたたってしまったらしい。


 ジリオラさんは三十年ほどたった一人でこの子竜守の仕事を続けて、今年初めて私に手伝ってもらうことになり、張り詰めていた気持ちが緩んでしまったのかもしれない。


 それに、旦那さんが二十年ほど前に亡くなられたのも大きいのかもしれない……もっともそれは、ご本人から聞いた訳ではなくて、セオドアが前に勝手に教えてくれた情報だけど。


 私はとにかく一人でやらなければと思い、必死で早朝のミルクあげをしていたのだけど、三人の新人竜騎士が竜舎までやって来て『雑務や荷物運びを手伝えと団長に指示されました』と、来てくれてミルクの運搬や使い終わった藁運びなど手伝ってもらうことになった。


 実はジリオラさんが『これまでも出来ていたし、自分一人で出来るから、大丈夫』と言ってやっていただけで、荷物の運搬など子竜に直接関わらない部分は、竜騎士たちに手伝って貰っても大丈夫らしい。


 団長は私が団医を呼びに行った時に、偶然すれ違って挨拶しただけで事情も説明していないのだけど、ただそれだけでこういう差配もしてくれるなんて仕事が出来る頼れる上司だ。


 そんなこんなで私は二日間を無難にこなし、明日になればジリオラさんも復帰出来るだろう……と思われた日、私がアスカロンの部屋へ入ると、そこには団長がいた。


「団長。お疲れ様です」


 その時、彼はアスカロンの頭を撫でて何かを言っていたようで、私の声に気がつき振り向いた。


「ああ……ご苦労様。ここ何日か、大変だったようだな」


「ジリオラさんも大変みたいでした……部屋の中にあるトイレにも、這って行ったらしいです」


 私を呼んで貰えれば手伝うと言ったのだけど、ジリオラさんは頑なに『そんな世話をされるような年齢でもないから』と、あんな状態でも自分の身の回りのことは自分でしたがった。


「ジリオラは、融通の利かない頑固な性格だからな……俺たちも新人だった頃からあの人を知っているけど、変わらないよ。ずっとあのままだ。若い頃もそうだったんだと思う」


「そうなんですね……」


 私はアスカロン用に用意していた硝子瓶を取り上げ、いつものように喉奥にまで飲み口を突っ込んだ。両手で瓶を持ったアスカロンは、こくこくと喉を鳴らしてミルクを飲んだ。


「慣れたものだな……君がここに来てから、まだふた月も経っていないが」


 私がミルクをあげてすぐに寝藁の清掃を始めたのを見て、団長は言った。雇ってもらい仕事なんかしたこともなかった私も仕事の段取りを覚えて、何かを待って居る時間を使って、次の工程に入ることを覚えていた。


 毎日四回数十匹の子竜たちにミルクを与えているので、慣れた手付きになってしまうのだって当然のことだった。


「……最初はどうして良いものかわからず、戸惑ったものでしたが、ようやく慣れて来たみたいです」


 振り返って苦笑した私はその時、持っていた藁をかく大きなフォークを持っていた手を滑らせてしまった。床に当たりカンと高い音がしていけないと思った。


 それは、本当に瞬く間。ほんの一瞬のことで、私自身にも何が起こったか、わからなかった。


「え……っ?」


 かすかな違和感で剥き出しの腕を触ると、ぬるっとした感触がした。赤い血が私の白い服に落ちる。


「……アスカロン。大丈夫だ。落ち着け」


 そこに優しく声を掛ける、団長の低い声。アスカロンの方向を見れば、持っていた硝子瓶がない。


 ……私がこの子を驚かせたから、衝撃で割れた硝子が私の腕を切ったんだ。


 それは認識することは、出来た。けれど、わからない。ここから、何をどうすれば、正解なのか……私には何もわからなくて……動きを止めることしか。


「キュっ……キュウっ!! キュウキュウ!!!」


 今まで聞いた事のない緊急性のある鳴き声をあげたアスカロンは、全身から光を放った。私は慌てて目を閉じて、そして、開いた時にはそれは出来ていた。


「……え?」


 大きな光の繭が部屋の中にあって、アスカロンはその中でくるりと丸まっていた。


「えっ……嘘……嘘でしょう」


 彼はまだまだ子竜で、ミルクを必要としている……なのに、こんな風に繭に閉じ籠もってしまうなんて……私が、私が大きな音を鳴らしてしまったから……?


「ウェンディ。落ち着くんだ。これは、君が悪い訳ではない。俺が仕事中に話し掛けたからだ。落ち着け」


 団長は私へと近寄り、腕にある傷を見て眉を寄せた。


「深いな。すぐに治療させよう。傷が残ってはいけない」


「けどっ……! けど、ああ……どうしよう。また、食事がっ……」


「おい!」


 私は動揺して恐慌状態に陥りそうになったけれど、団長は怪我をしていない腕を掴んで私に顔を近づけた。


「おい……俺の言葉を、良く聞くんだ。ウェンディ。アスカロンは先ほど、君に渡されたミルクをほぼ飲み干していた。だから、床は塗れていない。それは、わかるな?」


 私は団長の言葉を聞き、床を見た。寝藁も濡れていないし、床にも液体はない。だから、割れて飛んだのは空になった硝子瓶だけだった。


「……はい」


「だとするならば、次に食事が必要なのは六時間後。それまで、まだ余裕がある……この光の繭について、詳細を調べ、対策を取る時間はあるんだ。アスカロンのことを心配するのは有り難いことだが、君は嫁入り前で身体に傷が残る前に、治療する必要がある。俺の指示に従え。良いな?」


 鬼気迫る迫力で団長は私へと言い聞かせ、アスカロンにはまだ時間的猶予があること。私の傷はすぐに治療すべきだということを、教えてくれた。


「……わかりました」


 団長は別に竜力が強いからという理由で、アレイスター竜騎士団団長職を任されている訳ではないと、私はその時に思った。


 自分の竜の子なのだから、私以上に混乱し、こんな事になってしまった原因の私を責め立てることだって出来たはずだ。


 けれど、団長はそれをしなかった。そして、今ここにある事態をすぐさま把握し、優先度を付けて何をすべきか決めた。


 私も団長に諭され、だんだんと落ち着いて来た。そうよ。自分がこんな状況を作り出してしまったことで、混乱して私が泣いてしまって、そして何がどうなるの?


 良い方向になんて、向かう訳が無い。


 一番に泣きたいのは、こんなことになってしまった子竜アスカロンで、お世話中に『驚かせてはいけない』という禁忌を犯した私なんかに泣く資格なんてない。


 落ち着かなくては。そして、この時に考え得る最善の手を使わなくては……子竜たちの命を守るために、私は子竜守という仕事を任されているはずなのだから。

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