第16話「報告」

「ねー。ウェンディ。アレイスター竜騎士団辞めて、僕の恋人になってよ」


 私が何本か建物と建物の間に吊されている白いロープに、今日洗濯当番の新人竜騎士に洗って貰った洗濯物を干していると、セオドアが白いシーツの間から顔を出して言った。


「急に……何を言い出すんですか……」


 私はいきなり現れた彼に驚くと共に、呆れてしまった。


 アレイスター竜騎士団に雇って貰う時に、彼には口添えをして貰ったことには感謝しているけれど、時が経つにつれ無一文になった貴族令嬢が、どこまでやれるかを楽しむためにそうした事には気がついていた。


 おそらく……セオドアは、私が気がついていることに、気がついてはいないけれど。


「恋愛禁止という時代錯誤な規則だって、規則は規則だから、守らねばならない。ましてや、僕は副団長だからね。隠れてどうこうという訳にもいかない。ウェンディが僕と付き合うためには、君にここを辞めて貰う以外ないんだ」


 真面目な表情で言われてしまっても、彼のことを好きでもない私は、そんなことを望んでいない。


「……セオドア。私のことは逞しくて、好きではないんでしょう?」


 この前、食堂で会った時に、彼はそう言っていたはずだ。それに私とセオドアはお互いに好きという訳では、絶対にないのだから、恋愛禁止の規則には何も違反していない。


 だから、竜騎士団を辞める必要なんて、何もないはずだ。


「えー……だって、ウェンディ。僕はようやく気がついたんだよ。そういうすぐに良いと言わない、予想外の事を言って来る女の子が好きだったみたい。君って僕の予想外のことしかしないんだよね。だから、一緒に居て楽しい」


 にこにこ微笑んで私の事が好きだと言われたけれど、理由も理由だから、全く嬉しくないし複雑な思いだわ。けれど、セオドアは私が喜んでいると思っていそう。


 ジリオラさんが再三に渡って、セオドアのことを『残念な男』と評している理由がわかる気がする。外見は団長と同じく良いのに……本当に残念。


「……お断りします。どうか、私以外の方を選んでください」


 私は洗濯物を干し終わると、空になった籠を持って、彼から逃げるように移動することにした。


 私とジリオラさんが子竜守の仕事で忙しい間は、洗濯物については新人騎士が干して取り入れまでをやってくれていた。


 けれど、最近は子竜たちの食事の回数も三回になって量も減り、晴れた日中には担当の竜騎士が羽根を動かす事に慣れた子竜たちを、近くの草原に連れて行って飛行練習させていた。


 だから、これまでは寝藁を交換するのもその場に居る子竜たちを少しずつ移動させての作業になっていたけれど、今は子竜たちが外出して居ない時間があるから一気に掃除することが出来ていた。


 アレイスター竜騎士団で働き始めて、約二ヶ月間。子竜守が最も忙しい時期を乗り越えて、私にもようやく、ゆっくり出来る時間が与えられていた。


「えー! どうしてー! だって、君の暮らしの面倒はすべてみるし、すぐに婚約しても良いよ。ウェンディは貴族だからね。僕の本命の女の子になるんだよ」


 切々と語るセオドアったら、本当に残念な人……だって、私が本命だということは、他が居るということよね。これを言われて、頷く女性が居ると思っているの?


 少なくとも、私はそうではないわ。


「絶対に……嫌です」


「えー……どうして。こんなにも良い話は他にはないよ」


 私は籠を持って歩いていたんだけど、建物を曲がってすぐに、目の前に美々しい黒竜が見えて驚いた。


「えっ……?」


 一瞬、それは団長のルクレツィアかと思った……けれど、違う。彼女よりも雄々しく、気持ち大きな身体で、私が見た事のない神竜だった。


「……ああ。あれは、ジルベルト殿下のウォルフガングだ……ユーシスがさ。別に黙ってりゃ良いのに、わざわざあの時の報告をあげたから、直接文句を言いに来たんだと思う」


「あ……ルクレツィアと番のウォルフガングは、ジルベルト殿下の竜だったんですね」


 ディルクージュ王国には三人の王子が居て、ジルベルト殿下は第二王子だ。彼も優秀な竜騎士であるとは聞いているけれど、彼も神竜の乗り手だったのね。


「そうそう。けど、ジルベルト殿下は、ユーシスの事が大嫌いでさー。事ある毎に目の敵にされて。色々と大変なんだよ。あいつも」


 私はこの前に聞いた、ジリオラさんと団長の会話を思い出していた。


 団長はウォルフガングの竜騎士にとてもライバル視されていて、だから、ジリオラさんは双方の竜が番になれば、事ある毎に会わないといけないから悲劇だと……。


「あの、ジルベルト殿下はどうして、団長のことを目の敵にするんでしょう?」


「……単純にユーシスが自分より、竜力が強いからだと思うよ。次の国王になられるシャルル殿下の次に、ユーシスは竜力が高いからね。だから、これっていわゆる暗黙の了解なんだよ。そうでなくては、絶対におかしいよねって、そういう話」


「暗黙の了解? って……どういう事ですか?」


 セオドアは不思議に思って質問した私に意味ありげな視線を向けて、人差し指を唇に当てた。


 これから言うことを……内緒にしろということ?


「だからさ。ユーシスはどう考えても、とても濃い直系王族の血を引いている誰だかの、落とし胤って事。一応はカートライト侯爵家の養子だと言うことにはなっているけど、持っている強い竜力は隠せないからねー……しかも、国王からもアレイスター竜騎士団を任されるほどに重用され、よりにもよって神竜ルクレツィアに選ばれたから、ジルベルト殿下の嫉妬心に火を点けたんだよ」


「……それは、あの」


 私は言葉の先を、どう言えば良いか迷った。だって、どれも全部、団長が悪い訳ではないのに……。


「まーね。わかっていない訳ではないと思うよ。わかってはいるけど、嫌なんだろうね。人の心なんて、良いと悪いで綺麗に割り切れてしまうものでもないからさー」


 私たち二人はそのまま騎士団に歩いて近付けば、男性の大きな声が聞こえてきた。誰かを怒鳴りつけるような、心がざわついてしまうような怒声だ。


「……ああ。やっぱり、責められてるね」


「大丈夫なんでしょうか?」


 私は心配だった。団長の持つ背景を知れば知るほど、彼は何も悪くない。


「ウェンディは気にしなくて良いよ。僕は言わなければこれはなかったことになるって何度も言ったし、ジリオラもそうしろって忠告したんだけど……起こった事には自分には報告義務があると、この前の事を報告書にあげたのはユーシスだからさ」


「この報告ってアスカロンのこと……ですよね?」


 この時、私の声は震えてしまった。だって、ジルベルト殿下にああして怒られるべきなのは、本当は私なのに。


「そうそう。なんなんだろうね。ジルベルト殿下に、怒られたいのかな?」


 冗談めかしたセオドアの言葉は、とても笑えなかった。だって、私のせいで団長が王族に怒られているのだ。


 遠目から二人の姿が見えたけれど、団長は何を言わずに、ジルベルト殿下の怒りを受け止めているようだ。


 ああ……団長はきっと、狡いことが出来ない人なのだと思う。


 セオドアやジリオラさんが言ったことには、きっと一理あると思う。知っている人が少ないのだから、全員で口を噤めば、それはなかったことになると。


 けれど、ルクレツィアの子であると同時に、ジルベルト殿下の竜ウォルフガングの子でもあるのだから、きっとすべてを言って知ってもらう事が正しいのだと思う。


 ……胸が痛かった。


 私があの時に仕事で失敗しなければ、団長がここでジルベルト殿下に怒られてしまうことはなかったのに。


「……そんな訳でさ。ユーシスは竜力で王族の血を引いている事が確定しているし、陛下も大事にしているようだ。だが、王族のように婚約者が居る訳でもない」


「……え?」


 隣にいたセオドアは急に何を言い出したのだろうと私が戸惑うと、彼はいつになく真面目な表情で話した。


「だから、ユーシスは貴族令嬢が大っ嫌いなんだよね。ウェンディはあいつの事知らなかったようだけど、それは珍しいことなんだ。王族の血を引いている。陛下にも気に入られ、いつ何時、王族として返り咲くかわからない。それに、養子とは言え、カートライト侯爵家だしね。良き結婚相手を得たい貴族令嬢に迫られる事が日常で、それに嫌気が差して、嫌いになったらしいよ」


「あの、どうして、それを私に?」


 団長が強い竜力を持ち王家の血を引いているだろう話までは、会話の流れに沿ったものだと思う。


 けど、この話は……私を牽制しているようにも思えて。


「さあね。どうしてかな……当ててみる?」


 セオドアは面白そうに微笑み洗濯籠を持ち何も言えなくなった私を置いて、興味をなくした気まぐれな猫のように去っていってしまった。

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