第8話「特別な子竜」
私がアレイスター竜騎士団で働き始めることになり、そろそろひと月という時間が経とうとしていた。
今ではすっかり子竜守の仕事にも慣れて来て、子竜のミルク瓶換えだってお手の物だ。
前は瓶先についている透明なスライムで出来た飲み口を浅く入れていたのだけど、先を喉に近いところにまで入れた方が子竜は飲みやすいのだと最近気がついた。
可哀想と思って遠慮していたのだけど、子竜たちはその方が飲みやすいようなのだ。
始めの頃は何をしても慣れずにこれで大丈夫かと恐れつつやるしかなかったけれど、回数をこなせばこなすほどに上手い手付きになっていて、私が自信が付いたならば、お世話をされる子竜たちもより安心することが出来ているようだ。
だんだんと出来ることが増えて来て、本当に嬉しい。貴族の娘だということ以外何もない私が……ここに居ても良いんだと、そう思えるから。
「……ウェンディ! ウェンディ。少し良いかい」
歩く両脚を楽しそうな子竜たちに纏わり付かれながら、古くなった寝藁を袋へと回収していると、ジリオラさんの声が響いた。
「はい! なんでしょうか」
私が持っていた藁の入った袋をとりあえず通路に置くと、ジリオラさんはこちらへと近付いて来た。
「あんたも子竜守の仕事にも、そろそろ慣れて来たようだからね。今日は、特別な子竜を紹介しよう」
「え……特別? ですか」
通路に出たのに未だ足を離してくれない子竜たちに、なんとかして離れてもらって柵の中の藁の上に戻すと、ジリオラさんに近寄った私に彼女は不思議そうな表情をしていた。
「……なんだか、ウェンディは子竜に良く懐かれているね。あんたの持っている竜力の性質かねえ」
「私の持っている竜力……ですか?」
ジリオラさんが言わんとしている事が理解出来ずに私は戸惑った。
子竜たちは私が彼らが過ごす空間に共に居れば、構って欲しいと寄って来て甘えてくれるけれど、それは彼らがとても幼いからだろうと思っていたのだ。
「ディルクージュ王国の貴族たちは、王より貴族の地位を与えられ、竜力もそれと同時に使えるようになる……これは、ウェンディも知っているね?」
話しながら先に歩き出したジリオラさんに置いていかれないように、私も慌ててその後に付いて歩き出した。
「はいっ……貴族は爵位を返上、または剥奪されれば、私たちは竜力を失ってしまいます。そうなれば、竜に触ることも出来なくなります」
ディルクージュ王国の王侯貴族は、竜と繋がれ竜に触れられる力を持つ特権階級だ。
ディルクージュ王族の始祖は古の竜だったらしいとは今でも伝えられているけれど、おそらくそれは伝説という不確かな過去ではなく真実なのだろうと思う。
貴族としての爵位を王より与えられれば、胸に浮かぶ竜の紋章。それには、特別な竜力を与え、爵位を取り上げれば、それは失われてしまう。
ディルクージュ王国で、王はただ一人絶対的な存在。だから、この国では王位簒奪などは起こりえない。
だって、爵位をもって貴族に竜力を与えることが出来るのは、私たち貴族が仕えているディルクージュ王国国王陛下、ただ一人だけだからだ。
「ご名答だ。よって、王族の血に近い者ほど、持つ竜力は強い。そうなれば、特別な竜にも騎乗することが出来る」
「特別な竜……ですか?」
私は竜に特別な竜が居るなんて、これまでに聞いたことはなかった。もっとも、竜の情報はあまり出回らない。ディルクージュ王国は複数ある竜騎士団で守られていて、国防に関することだからだろうと思う。
「ああ。そうだ。古代神の力を受け継ぐという、神竜。その末裔は、このディルクージュ王国にも何匹か生存していてね……王族、王家に近い貴族の竜騎士にのみ、神竜に試されることが許され、許された竜騎士は神竜を自分の竜とすることが出来る」
「なんだか、すごいですね。まるで、お伽噺の世界のように思えます」
物語の中の出来事のようだけど、これは実際に起こっていることなのだ。
「もちろん。普通の竜と同じように、神竜だって卵を産むんだよ。神竜の子は子竜でも持っている力が、あまりにも強過ぎるんだ。育てば制御することを、だんだんと覚えていくんだけどね。だから、万が一を心配して他の子竜たちとは離して、ここで一匹だけ隔離しているんだよ」
ジリオラさんは竜舎の中にあるひとつの扉を前にして、不意に立ち止まった。
そこは私はこれまでに入ったことのない部屋なのだけど、ジリオラさんは作業をしている様子もあったから、必要なものが置かれた物置か何かなのだろうかと思っていた。
「あの、ここに、その神竜の子竜が居るんですか……?」
私の質問に、ジリオラさんは苦笑してから頷いた。
「そういうことだよ。あんたも私の後継者で子竜守として生きていくなら、これから神竜の世話をすることもあるだろう。もっとも、神竜は個体数も少ないし、神竜の雌に選ばれた竜騎士が居る場合に限るから……可能性は少ないかもしれないけどね。なんでも経験しておくに、越したことがないと思ってね」
そう話しつつジリオラさんは重い扉を開き、室内に居た誰かの存在に気がついたようだ。
「おや。ユーシス。また来ていたのかい。なんだか……あんたがまるで、父親みたいだね」
私が彼女に続いて部屋の中に入ると、そこに居たのはいつものような騎士服でもなく、出勤前なのか珍しく私服のカートライト団長だった。
「……自分の竜の子どもだぞ。空いた時間に見に来て、何が悪い」
「はいはい。気になるんだよね。ルクレツィアの機嫌はどうだい。ずいぶんと産後は、機嫌が悪そうだったが」
ジリオラさんはカートライト団長に近付き、気安い仕草で彼の大きな背中を叩いた。それに動じることもなく、団長は低い声で答えた。
「今はかなり落ち着いている。いつもは穏やかな性格なので俺も驚いたものだが、ルクレツィアも初産だし、初めての出産で戸惑ったのかもしれない」
「いや、だから、本当に……言っていることが、あんたの子みたいなんだよ。気心知れた自分の竜の子だし、可愛いのはわかるけどねえ」
ジリオラさんは笑いながら、机の上に置かれていたミルク瓶を取り上げていた。
「団長。おはようございます……」
「ああ。おはよう」
おずおずと私が彼に挨拶をすると、団長は頷いて応えてくれた。カートライト団長の私に対する態度は出会った当初に比べると、かなり軟化していた。
挨拶をするとこんな風に普通に返してくれるし、睨まれてしまうこともない。当然のことかもしれないけれど、初対面での彼の様子を考えると、本当に良かったというほかない。
仲良く談笑したり……なんて事はないけれど、セオドアが居る時であれば、三人で話す機会もあった。猛獣のようだった初対面を考えれば、劇的な変化だと言える。
実質的に言えば団長が私の雇い主なのだから、関係が悪いものにならなくて良かった。
「ウェンディ。ほら。見てごらん。この子は、アスカロンだ。神竜同士の子で、持っている力が特別に強い」
「アスカロン……」
私は子竜一匹がだけが柵の中に入った部屋の奥へと、足を進めた。これまでに見た子竜たちと大きく異なる点はその身体の色だった。
「あ。この子は……黒いんですね」
そうなのだ。その子竜の色は、漆黒。見ていると吸い込まれそうな、とても濃い黒だった。
私がこれまでに世話をしていた子竜たちは、色とりどりで花のような可愛らしい色が多く、黒い子竜は見たことがなかった。
「竜は身体の色の濃さで、力の強さが変わるんだよ。この子の色を見るだけで、どれだけ強い子なのかわかるだろう?」
ジリオラさんの言葉に、私は大きく頷いた。
「……はい」
色の濃さが持っている力というのならば、この子は特別な子竜でしかない。けれど、あどけない可愛らしい仕草は私がこれまでに世話をして来た子竜たちと一緒だ。
なんて可愛いの……力は強いけれど、中身は皆と同じなのよね。
「一匹で隔離して可哀想ではあるけれど、アスカロンを守るためにも、こうした方が良いんだよ。周囲の子だちもこれだけ強い子だと、どうしても警戒して遠巻きになるからね。力を制御出来るようになってから、遊ばせることにしているんだ。そうすれば、分別の付いた周囲の子竜も安心して付き合えるからね」
「けど……同じように、可愛らしいですね」
確かに同じ竜が恐れるくらいに強い力を持っているのだろうけれど、子竜の姿は本当に可愛いのだ。
「ジリオラ。ウェンディにも、アスカロンの世話を頼むのか……?」
「そうだよ。アスカロンも生まれたてから、だいぶしっかりして来たし、ルクレツィアだって来年再来年、産まないとは限らないからね」
「そうか……それは、確かにそうだな」
私は背中側で交わされる二人の会話を聞きながらも、目の前の黒い子竜をじっと見つめていた。
「……キュ?」
一匹でここに居るせいか、あまり見ない私を見て不思議に思って、首を傾げ目を逸らせないようだった。
まあ……なんて、可愛いの。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます