第7話「去って行く人」
子竜守の仕事には、ゆっくりと出来る休日なんてある訳がない。
私たちが食事を与えなければ弱って死んでしまう子竜たちのお世話を仕事にしているのだから、当然のことだけど。
けれど、三十年ほど子竜守をしているジリオラさんに言わせると、これは一年の中で孵化してからの二ヶ月程度だけのことのようで、私は子竜守で一番大変なところを最初に体験してしまっているらしい。
竜には春に繁殖期があり、産んだ卵を人へ預け、温める専用の特別な毛布に包み孵化するまでひと月。
そして、人で言うところの乳児に近い状態の二ヶ月を終えて、飛行訓練へと入り、彼らが飛べるようになればアレイスター竜騎士団の成竜の群れに入るために巣立って行ってしまうそうだ。
私は竜たちが次々に孵化していた時にここで働き出したので、一番大変な時だったと理解出来る。
子竜たちは、とても可愛い。本当に可愛いけれど、幼い生き物を育てるという事は、とてつもなく根気の要る大変なものだった。
大抵の場合、子竜は食事用に用意されているミルクを飲んでくれるのだけど、たまに味に飽きてしまって、食事自体を拒否してしまう子竜も居る。
彼らは今一番栄養補給が重要な時期で、飲まないから飲まないままで良いなんて訳がない。最悪の場合は栄養失調で死んでしまう。だから、私たちはどうにかしてミルクを飲んでもらうようにして、工夫するしかない。
そういった場合は、いつもとは違う味がするミルクを用意してみたり、香料で匂いを変えてみたり四苦八苦するのだけど、飲んでもらえるまでそれを繰り返すので、どうしても時間が掛かってしまう。
気がつけばもう次の食事の時間が来ていたなんて、良くあることだった。
そして、就寝する時にもぐずぐずと泣き出して、なかなか眠ってくれない子竜だって居る。私が背中をそっと撫でてあげると安心したように目を閉じるのだけど、動きを止めてしまえばパチッと大きな目を開いてしまう。
ぐずっていて眠らないからと放っておく訳にもいかないし、子竜たちが眠ってくれるまで私は自分の部屋には帰れない。
そんな状況にも慣れていて達人の域に達しているジリオラさんが背中を撫でるとすぐに寝付いてしまう子竜も、新人の私だと慣れない手付きなのが気になるのか、なかなか眠ってはくれない。
ジリオラさんは普段は優しく温厚な人なのだけど、仕事に関しては厳しく、私が一人で出来るようになった方が後々楽になるだろうと言って、助言はしてくれるけど手は出さない事が多かった。
そんなこんなで、私がアレイスター竜騎士団にやって来てから二週間が過ぎ……最初は疲れすぎて食事を喉を通らなかったものだけど、体力勝負ということもあり食堂で出される食事を、すべて美味しく食べてしまうまでに慣れて来た。
ちなみにアレイスター竜騎士団にも、食堂と騎士団内のお掃除を担当する女性は居た。けれど、彼女たちは中年かつ既婚女性に限り、私と同じような年齢の女性は、一人として居なかった。
その時も、夜まではジリオラさんと交替しつつの食事になるので私は一人で食堂に居た。
アレイスター竜騎士団に所属する竜騎士たちは食事の時間帯だし食堂には多く居るのだけど、当然のように私が座った机には誰も座らない。
避けられているけれど、気になりはしなかった。確実にこれだという理由がわかっているからだ。
……きっと、あの『恋愛禁止』のことが、あるから。
なんでもアレイスター竜騎士団には団内恋愛禁止という、設立直後から定められた厳格な規則があるらしい。隠れて恋愛していたとしても、それを明かされてしまうと、竜騎士団も辞めなければならないというかなり厳しい処分が下るそうだ。
私も仕事を得て思うけれど、慣れた仕事を絶対に失いたくない。だから、未来そうなってしまう可能性を極力排除したいという心理はわかってしまう。
だから、アレイスター竜騎士団の面々に避けられていても、特には気にならなかった。
ここを紹介してくれたライルもたまに会ったりもするのだけど、彼は平騎士だから任された雑用なども多く、私同様にとても忙しそうだった。
だから、辞めなければいけない可能性を持つ私とは一切関わりたくないという姿勢を示すように、竜騎士たちが私に話掛けてくれることはなかった。
一部の例外を除いては。
「ウェンディ。なんだか、久しぶり~。仕事の調子は、どう?」
同時に食堂に居れば、一人で食事を取る私に話掛けてくれるのは、副団長のこの人だけだった。
きらきらしい金髪は差し込む日光に当たり、彼の明るい笑顔を引き立てていた。
彼は由緒正しい公爵家の出で、容姿も整っている……それなのに、どうしてかしら。素敵な男性である条件は整っているというのに、とてもうさんくさく、見えてしまうのは。
「セオドア。お久しぶりです……ええ。大分慣れて来て、食事も人並みに取れるようになって来ました」
当然のことのようにセオドアは私の隣の椅子へと腰掛け、私が驚いたのはその後、セオドアの隣にカートライト団長が腰掛けたからだ。
驚いた……カートライト団長は、てっきり私のことを嫌がって避けていると思っていたから、こんなにも近くに居るなんて、初めて。
「あれっ。ウェンディ。君、化粧してないんだ」
隣に座りごく近くで私の顔を見たセオドアは、驚いていた。
「する暇なんて……どこにも、ないんです」
苦笑いをするしかない。早朝から子竜たちの食事を済ませ、気がついたら夜に仕事を終える。救いなのはこれが延々続く訳ではなく、あとひと月程度で食事の間隔も間遠になるらしい。
貴族女性は化粧することが日常なので、私も最初何もしないままで人前に出ることには抵抗があった。
けれど、今ではもう化粧をしない事に慣れてしまっていた。それに、化粧していると繊細な鱗を持つ子竜に頬擦りが出来ないので、それはそれでちょうど良いと思い納得していた。
「ウェンディは真っ直ぐな銀髪も綺麗だけど、長いと大変だよね」
私は社交界デビューに向けて、伸ばしていた髪を高い位置でひとつに纏めていた。そうすれば邪魔にはならないけれど、長いと髪を乾かすまでに大変なので切っても良いかもしれないと思っていた。
「そうですね。仕事にも邪魔だから、切ろうかしら」
私の髪色はとても珍しいらしい。無一文になり古着屋を出て王都を歩いていると、自分に髪を売ってくれないかと言っていた商人も居た。
グレンジャー伯爵家は先祖代々この髪色で良く褒められたものだけど、今ではもう無用の長物なのだから、切ってしまっても良いかもしれない。
「良いね。似合うと思うよ。肩くらいにする? 僕好みだな」
「……おい。適当な男の口車には、乗らない方が良い」
これまでに黙っていたカートライト団長が、いきなり話出し私は驚いた。というか、ここで働き始めてから偶然会った時の挨拶以外で、初めてまともに私は彼の声を聞いたかもしれない。
「ユーシス。適当ってなんだよ。ひどいな~」
「団長……? あの」
私がカートライト団長を見ると、彼は眉を寄せて真面目な表情で言った。
「ウェンディ。君は貴族令嬢だ。それは、今でも変わらない。状況が変われば、生活が元通りになることだってありえるんだ。だが、一度短い髪になってしまえば、もう戻れなくなる。だから、その長い髪を切るのは、止めた方が良い」
「……はい」
カートライト団長がそう言ってくれた後、セオドアはそれ以上は私の髪について言わなくなった。確かに髪は一度切ってしまえば、伸ばすのに時間が掛かってしまう。
後戻りの出来ない、不用意な決断をしなくて……良かった。カートライト団長に感謝だわ。
「なんか。落ち込みもしないんだね。つまらないの……」
隣に居たセオドアはなんとなく独り言で言ったようだけど、私だってそれは自分の事かもしれないとは思った。けれど、彼の独り言に答える義務はないし、私は彼を面白くさせる義務もないので、聞こえないふりをした。
三人で並んで食事を食べていると、一人の私服の男性が荷物を持ち、周囲の竜騎士たちに挨拶をしていた。数人が名残惜しそうに男泣きをして、腕でそれを拭っていた。
「あれは……?」
不思議に思い私が隣に居たセオドアへと問い掛けると、彼は軽く頷いて答えた。
「ああ……あれは確か、父親が犯罪行為をして、貴族位を剥奪されたんだよ。竜騎士は貴族で、王に許された竜力を持つ者にしかなれないからね。貴族でないならば、別の仕事に就くしかないんだろう……せっかく長い期間訓練して、良い竜騎士に育っていたのにね……残念だ」
その時、私は話していたセオドアを見ていたので、その向こうの席に座るカートライト団長の顔も目に入ってしまった。
去って行く部下を見つめている彼はとても切なげで、私は思わず整った横顔に食い入るように見入ってしまった。
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