第3話 Happier Than Ever

1日の仕事を終え、浮上後。

基地の隅にあるシミュレータールームは、半分以上埃をかぶっているような状態だった。

コウ自身は疑似訓練など必要としないほど深海へ潜っているのだろうし、前任者以前の相棒は誰もこれを使ってまで練習しようという気は起きなかったのだろう。


ふう、とあきれた息を吐き、ルールは雑然とした部屋の片づけに取り掛かった。

荷物置き場か倉庫のように押し込まれていた不要物を丁寧に整え脇に寄せ、埃をかぶっていたシミュレーターを拭き上げる。

綺麗になったところで、ルール・オーラクルムは潜水艇の機械腕操作のシミュレーションに取り組んだ。


3Dグラスを目元に取り付け、スイッチを入れれば、まるで昼間に時間が巻き戻ったかのような、狭苦しい潜水艇の中が再現される。

違いと言えば、傍らにコウの姿がなく、あの艇内独特の匂いがないことくらいか。


だが、実際にシミュレートアームを動かせば、僅かな感触の違和感はある。

実物リアルは既に経験した。

現実と仮想の相違は、今日のデータを活用して脳内で補うこととする。

カメラの操作。機械腕の操作。レバーを引き絞ったときの力の具合と実際のアームの動きを、機体に同期させていく。


集中のあまり過ぎる時間を忘れかけていた瞬間、耳元で響いた声でルールは我に返った。


『……なぜ交代を認めない。相棒失格だと言っているんだ。使えない奴を寄越されても、仕事の邪魔だ。実際、今日の回収量は大幅に下がったぞ。この1ヶ月、相棒不在で俺が1人で潜っていた間の半分以下だ』


コウに仕込んだ盗聴器が仕事を始めたらしい。

他人のプライベートを観察するのは気が引けるが、こんなことで気を遣っていては事故調査などやっていられないし、監査官を続けることもできない。

それに――ルールは、なんとしてもネレイデス海溝沈没事故の原因を暴きたいのだ。


コウ自身に取り付けた盗聴器だから、通信相手の声はほとんど聞こえない。

そもそも、一方的にコウがしゃべり続けているから、というのもあるかもしれないが。


『あいつの機械腕の操作のマズさったらないぞ、一度でも一緒に乗ってみろ。足手まといでしかないっていう俺の言葉もわかるはずだ。いいか、アンドロイドなのはまだいい。そもそも、なんで女性型を寄越した。ここには俺しかいないってことを、あんたらはわかってるだろう。適当な女をあてがって、俺をここに縛り付けたつもりか?』

「へいへい、悪かったね」


独り言のように言い返してみるが、すべて想像の範囲内。大した会話ではなさそうだ。

聞き流しながら、コントローラーを動かし続ける。

コウの口調がどんどんエスカレートしている様子からしても、本部側は取り合っていないようだ。監査官をここに送り込んだ当人たちの反応としては当然のことだが。


『ああ、お前らの言うことはわかったよ。なるほどな、ルール・オーラクルム監査官の優秀さとやらを、反証する事件が起こらない限りは交代は認めないってことか』

「……おっ、照れるね」

『いいだろう、そっちがその気ならこっちだって自爆覚悟で最後まで付き合ってやるさ! 二度目のネレイデス海溝沈没事故の報が入ってはじめて、あんたらの信頼する監査官の無能を疑えばいい!』

「ンなもん……二度も起こさせるか」


シミュレーターの画面が、ちょうど無事に動力素を回収し終えたところで、ルールは静かに息を吐き、胸元へ指を伸ばした。

シャツの上から触る硬いリングの感触が、ルールに再びこの惑星に来ると決まったときの思いを取り戻させる。


事故の原因解明を。そして――



◇◆◇◆◇



翌朝、昨日より早く潜水艇に到着したコウは、既に整備済みの艇の中で唸るしかなかった。

海上でできる動作確認を一通りやってみたが、昨日、動きに少しばかり違和感があったため、今朝早めにネジを締め直し油を差そうと思っていたアームの指先まで、完全な状態に戻っている。

外部のチェックをしようと艇から一度降りたところで、弁当用のサンドイッチバスケットを抱えたルールとばったり出くわした。


「おはようございます。準備出来てますよ」

「……今見た」

「ダブルチェックもばっちりってことですね、どうも。じゃあ、行きましょうか」

「お前を乗せる必要はないんだが」


冷ややかに見据えられたルールは、にこりと笑って首をかしげる。


「乗せなくてもいいですが、乗せない限り私の無能さは証明できないのでは」

「は?」


昨夜のやり取りを受けての提案である。

コウが一瞬固まった間に、ルールは潜水艇に乗り込んだ。


「さ、どうぞ。あなたの動きは昨日見ることができました。即日15年の差を埋めるのは困難でも、ある程度まではなんとかなります」

「言ったな。そのがなっていなかったらどうする」


交渉を仕掛けてくるとは可愛いものだ、とルールは微笑んだまま頷いた。


「いいですよ。本部には私の方から掛け合います。私では到底コウ・アマガイの腕前にはついていけませんので、ぜひ交代要員をお願いします、と」


コウは黙ってルールの横を通り抜けると、内側から扉を閉めた。

しばらくして、扉を完全に密封する際のギチギチという音が始まる。

無言の承諾を、ルールはにこやかに受け止め、黙って席についた。


――こうして、その日、惑星アルゴノーツで動力素回収が始まって以来15年、過去最高量の動力素が回収されたのだった。



◇◆◇◆◇



「……どんな違法プログラムをダウンロードした」


浮上後、翌日に向け再び潜水艇の整備をしていたルールの背後から、不機嫌そうな声がかかる。

振り向けば、回収したばかりの動力素を抱えたコウの姿があった。


最初から疑われれば、ルールは素直に事実を述べない。

そういう対応が身にしみついている。


「さあ? ネットに転がっているプログラムにいちいち名前なんてついていないので」

「嘘だな」

「は?」


問い返しても答えはない。

ルールの脇を通り抜け、コウは慎重に動力素をロケットの格納区画へ搭載していく。

定期的にこのロケットを飛ばし、最寄りの管理部門で選別した動力素が、改めて全宇宙にエネルギー源として供給されるのだ。

コウの手が、一つひとつを丁寧にカプセル梱包していく。


しばらく待ったが回答はないらしいと知り、ルールは艇の底部、動力素回収バスケットの緩みを締め直した。

オイル漏れの状況を確認しながら、空いた左手でくるりと小型のスパナを回す。親指から人差し指、中指、薬指と渡って小指まで。集中しているときのルールのクセだ。


ふと視線を感じて顔を上げれば、コウがじっとこちらを見据えていた。


「……なんですか?」

「動力素の回収に、本当は慣れているんだろう。もとから知っていたから、昨日1日横で見ていた程度で勘を取り戻すことができた。あるいは、調整できた」

「はあ、なるほど。まあ、経験者を寄越すということはあるかも知れないですね」

「それも嘘だ」

「はぁ? なんなんですか、一体」


どうやら先ほどの会話はまだ続いていたらしい。

既に、真実を言わないと心に決めたルールは、コウの決めつけに是非の答えはしなかった。

お前に追いつくために夜を徹して訓練した、と言うのも気恥ずかしい話ではあるし。

オイル漏れの状態から、どう対処するかを考えつつ、ルールはほとんどうわの空で会話を続ける。


「ネレイデス海溝沈没事故について調べていると言ったな?」

「そうですね」

「俺を疑っている理由はなんだ」

「特にあなただけを疑っている訳でもないんですが……」


実際、コウを特別疑っているということはない。

強いて言えば、生存者がコウだけだから、他に疑う具体的なあてがないというだけ。

その程度だからこそ、出会い頭に言ってもかまわないと判断した。


「事故原因はいまだ判明していません。回収された潜水艇の一部から、潜水中に外部から大きな圧力が加わったものと見られますが、それが何によるものかまでは」


事故のレポートを思い出しながら、ルールは整備作業から手を離さない。


「海底6000mの冥海ヘイデスゾーンでの出来事です。内部の亀裂や整備不良などから外圧を受けて自壊したパターンもあるでしょうし、想定を超える海底の谷に急速に落ち込んで水圧によって破損したことも考えられます」

「お前は、どう思っている」

「まだ調査に来たばかりです。なんの根拠もありませんよ?」

「なんだって想定はあるんだろうが。どう考えている」

「……自壊ではないだろうな、とは思っています」

「なぜ」


妙に絡んでくるな、と訝しみつつ、ルールは仕方なく潜り込んでいた潜水艇の底部から顔を出した。

じっとこちらを見るコウと目が合う。


「あなたは当然のこと、亡くなった3名も皆いずれもこの仕事のエキスパートでした。予想外の事故はあっても、予想の範囲内で事故を起こすことはないでしょう」


コウはしばらく無言でルールを見つめた後、胸ポケットの内側から唐突に一枚の紙を差し出した。

目前に出されたそれに視線を移せば、古びた写真に潜水服の4人が笑い合って写っている。

男が2人、女が2人。

そのうちの1人、写真の中央、右から2番目の人物は、今よりも若いコウ・アマガイだった。整えた髪を後ろに流し、意気軒高で陽気に見える。


「チームメンバーだ……。俺の隣が、セツ・アマガイ。妹だ」


コウと同じ色の髪と瞳の色をした彼女は、かつてのコウに肩を抱かれ、カメラに向かってピースサインと満面の笑みを向けていた。

サインを出した左手に銀の指輪がはまっているのを見て、ルールは思わず胸元を押さえる。


「妹の死体だけが唯一見つからなかった。生存の可能性などある訳もないのに、生死不明のままだ」


淡々と語る声に感情はこもっていない。

だが、事故の報を聞いて、彼がどんなに憔悴しなにを感じたのか、想像は難くなかった。


「俺を疑ったままでもいい。だが、俺は俺なりに解決を望んでいる」


静かな声だった。

だから、先ほどまでのコウに対する反抗心じみたものを引っ込めて、ルールは率直に尋ねることにした。


「どうして、私にこれを?」

「死んだ奴の顔を、俺以外に知ってる者がいてもいいと思ったからだ。それに……お前まだ帰るつもりはないんだろ。相棒」


はっと顔を上げた瞬間、コウの方が視線を逸らした。

どこともない空中を見たまま、ひとりごとのようにつぶやく。


「……在庫を取りに行ったら、シミュレーションルームが妙に片付いてた。何時間訓練してたかは知らんが、擦り切れたレバーのクッションは交換しておいてくれ。ここにあるから」


床に消耗品を置いて去っていくコウの後姿を見ながら、ルールは今更のように頬を紅潮させた。

気づかれていないはずの努力に気づかれることが、こんなに気恥ずかしいなんて。

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