第3話
応急処置を済ませたネーリの身体は、慎重に駐屯地へと運び込まれた。軍医を呼びに行った時に、ネーリが負傷したことは伝えられており、まだ夜の明けぬ駐屯地では、残っていた騎士たちはすでに目覚めて、彼の帰りを不安そうに待っていた。やがて彼が運び込まれて来ると、「負傷した」ということしか分かっていなかった彼らは、致命傷になった左肩が剣創だということを知り、正しくは負傷したのではなく、「襲われたのだ」ということを理解した。
彼らは、余所者であり、戦いが本分の自分たちが例えば剣を向けられることは容認できても、ヴェネトの城下町に住まい、美しい絵を描く、戦いを知らない十六歳のネーリ・バルネチアが剣を向けられることは、到底理解も容認も出来なかった。
共に戻って来た竜騎士団団長であるフェルディナントのいで立ちは、夜着に黒い裾の長い上着を纏っただけだったが、上着の下の白いシャツは血で赤く染まっていて、それはネーリの血に違いなかったから、彼がいかに深手かを語らずとも騎士たちに知らせた。
ネーリは駐屯地に入ってすぐの場所にある病院に運び込まれて、軍医二人により本格的な治療が施された。医療関係者ではないのに中に入ることを許されたのはフェルディナントだけで、騎士たちは、ネーリに普段から特別な庇護と寵愛を与えている彼を気遣い、病院からも少し離れた駐屯地の中央近くで、火を焚き、湯を沸かすのを手伝いながら、眠らずに状況を見守った。
そのうちに、夜警で城下町に出ていた副団長のトロイ・クエンティンが駐屯地に帰還した。すでに報告は受けていた。彼はまず病院を覗きに行ったが、すぐに出てきて、騎士たちのもとにやって来る。ネーリが運び込まれて一時間以上経つが、まだ治療は落ち着いていなかった。彼はまだ状況が全く分からなかったので、騎士たちから話を聞くことにしたのだが、全てを正確に説明出来る者は一人もいなかった。
そもそも、どこで襲われたのだ、とトロイは思う。
城下町なら、例の連続殺人事件の犯人である【仮面の男】が襲ったと説明もつくだろうが、ネーリは干潟の家で発見されたという。彼は今夜、そこにいたのだろうか?
そこで襲われたのなら、状況はもっと悪い。
トロイも数度、干潟の家には行ったことがある。あそこはヴェネトの本当に最北の外れにある。他には何もない所だった。つまり、襲撃者がそこを訪れたというのなら、ネーリを狙った可能性が高いのだ。だが、ネーリは狙われるような理由がない。家族が無く、干潟の家か、城下町の教会で世話になりながら、慈善活動をして信仰と共に生きているような青年だ。子供たちに芸術を教え、絵を描いている。それだけだ。恨まれるような人ではないのだ。
トロイは嫌な予感が過った。彼が思い出したのは、スペイン駐屯地で拘留中の警邏隊三人が、惨殺された事件である。
……あれは確かに、今まで起きた事件と毛色が違った。
今までは例外なく事件は街中で起こっていて、それも、警邏隊が事件を起こしている時に、仮面の男が介入して来て戦闘になっていた。だがあの時は彼らが拘留中で、自由を奪われているのにも関わらず、向こうから殺しに来た。しかもスペイン海軍の駐屯地内で起きたことである。
(……ネーリ様は、普段は干潟の家か教会にいらっしゃるが)
近頃は城下が不穏なので、神聖ローマ帝国軍駐屯地で寝泊まりをすることが多くなっていた。これは、単なる偶然なのだろうか?
(だがスペイン駐屯地でも、襲われたのはスペイン兵じゃない。警邏隊だった。ネーリ様は民間人だ。全く事情が違う)
あの仮面の男は、二人いる可能性が高いことに、最近気づいた。
同じ武器を使っているので長い間分からなかったが、犯人は一人でない可能性がある。
しかしその二人が、明確に仲間同士なのか、どうなのかは分からないのだ。
同じ思想の許で事件を起こしているのかどうかは謎めく。
王都ヴェネツィアの街を騒がせる、国の守護職の魂を失い、有力貴族の私兵団のように成り下がり、一般人に害を与える警邏隊を襲うなら、犯人は一般人の立場に立っているはずだ。
だがネーリが襲われた今日のことで、場合によっては見方を全く変えなければならない。
単なる、通り魔なのか、スペイン軍と神聖ローマ帝国軍を狙ったのなら、他国介入を善しとしない政治犯なのか、残る三国はフランス軍だ。もしフランス軍の駐屯地でも同じようなことが起きれば、明らかに三国を狙った犯行ということになって来る。
警邏隊は事実上解散させられたから、その矛先を変えたのだろうか?
この地にいることの警告なのか。
だがそれなら、許されるということではないが、狙う相手が違うはずだと思う。自分たちを狙ってもいない。ただこの駐屯地に出入りするというだけで、ネーリが狙われたのだとしたら、一番最悪だ。
トロイは火が煌々と焚かれている病院の方を見上げた。
ネーリに何かあれば、フェルディナントがまた苦しむことになる。
どうか無事でいてくれ、と彼は祈った。
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