第2話
『おじーちゃん』
「どうした? ジィナイース」
水平線をじっと見ていたジィナイースが不意に、見上げて来た。
彼の瞳……。
母親によく似ているのだ。
母親の瞳は青かったし、色が似ているわけでもない。それに、性格も全く似ていない。
大らかで豪気なジィナイースの性格は、ユリウスにこそ似ていて、母親は昔から家族の中でも一番内向的で大人しい娘だった。
ジィナイースの瞳は何かを見つめる時、明るく輝くが、
母親の瞳は何かを求めるように静かに煌めいていた。
姉であるセルピナの覇気が強すぎて、人を見る時、最初から自分のもとに屈服させようと目を輝かせてくる姉の側で、いつも密やかな星のようだったが一度だけ、炎のように輝いてこちらを見たことがある。瞳を輝かせたのは強い願いだった。
『お父様、どうかお願いします』
願うことを恐れない姉とは逆に、何かを願うことに心底怯えていた妹。
それがジィナイースの母親だった。
「ぼくのお父さんとお母さんはどこにいるの?」
無邪気な問いかけではなかった。かといって、恐れる風でもない。友が言った通り、ジィナイースはその場の空気を読み取る鋭い感性がある。それは、ずっと一度は聞きたかったことを、ついに口にしてみたような、そういう秘密を打ち明けるような空気があった。
「みんな普通、お父さんとお母さんといるって聞いた。僕にはおじーちゃんもいてくれるけど、ここにはいないの?」
ジィナイースの父親も母親も、もう亡き人だ。それが分からないほど幼い時に、彼を引き取った。死んだと言えば、何となくではあるだろうが、この子は今でさえ、理解出来るだろう。ユリウスはそう思ったが、何故か、もういないんだよと言えなかった。
「やっぱり父親や母親がいないと寂しいか」
ジィナイースの頭を撫でながら、少し苦笑して言いにくい答えをはぐらかすと、彼は寝そべっていた祖父の膝の上で突然起き上がった。
「ちがう。違うよおじーちゃん。ただ聞いただけ。寂しいんじゃない」
ジィナイースは小さな体でユリウスを抱きしめて来た。
「おじーちゃんも、船のみんなもいてくれるから、ぼく全然さびしくない。ホントだよ。嘘じゃないよ」
頭を撫でてやることを、もう彼は知っている。
「聞いたりしてごめんね。もう聞かないからそんな悲しそうな顔しないで」
「そんな顔したつもりなかったんだが……しちゃってたか?」
「しちゃってた!」
ジィナイースは慌てて、ユリウスの首にしがみついて来る。
「本当に平気だから、気にしないで。悲しませてごめんね」
祖父を一生懸命慰めるように、よしよし、と小さな手で背を撫でて来るから、ユリウスは笑ってしまった。ユリウスが笑うと、彼は安心したようで、明るい顔で笑顔を返して来た。
ジィナイースはそれ以後、本当に両親のことは口に出さなくなった。無理しているというわけではなく、答えにくいことなのだと理解したようで、本当に答えを欲してはいないようだ。ジィナイースには確かに、大海のように、運命を示されたら動じることなく受け止めて生きていく、そういった寛容さがあった。
――ユリウスは寂しかったのでも、悲しかったのでもない。
思い出していたのだ。
『お父様お願いです。
お姉さまにお願いしてください。
私の子を返してください。あの子も私の子なのです。
生まれた時、私の両手はあの二人を抱えるために神が与えて下さったものだと思えた。あの子たちは私がようやく手に入れた家族なんです。
他の何もいりません。私の二人の子だけいれば』
内向的な娘が炎のように願った一度だけの願い。
それに対して、王である自分が何を返したのかを。
『一人くらいやりなさい。それでセルピナは納得する』
自分がそう言った途端、
願いの炎が瞬く間に搔き消えていった。あの炎が最後の命の輝きだったように、最後の願いを拒絶された娘は、ほどなく死んだ。
……ジィナイースは、人に慣れている。
葬儀の後、家の者に聞いた。
母親が一人子供を失った後、ジィナイースをあまり構わなくなったので、彼は家の者たちが気を遣って、大勢で構って育てたのだという。
分かった私が話をしてやると、そう言ってやるだけで、絶望から救えたかもしれない。
王妃となるべき娘は、王である父にも逆らっただろう。あれは気の強い娘なのだ。
ルシュアンを取り上げるなら、もはやユリウスとも斬り合いになったかもしれない。 だから、もう運命は決まっていたかもしれないが、それでも私はお前の味方だと、そう示してやるだけで救えた命があった。魂が。
『一人くらいやりなさい』
今なら、その時最善だったと思ったその言葉がどれほど冷酷な言葉だったか分かる。
自分はいつから、
人の命を、
一つ、二つと、
物のように数えるようになったのか。
ジィナイースの人を静かに見つめる瞳が、あの時の、全てを諦め、父の罪を許した時の娘の瞳によく似ていて、時折胸が締め付けられた。自分のせいでジィナイースは母と兄を失った。孤独な運命が始まった。
ジィナイースは抗いも、泣き喚きもせず、そこで生きていくことを明るい瞳で受け入れている。
「あんな子は初めて見る」
友の言葉が、慰めになってくれた。目を輝かせて駆けて来るジィナイースの姿が。
自分は何度も救われたのだ。
『ジィナイース。
お前は……何があっても幸せになれ』
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