第1話

 私はエリカ。どこにでもいる、一般庶民。平凡な幼少期を過ごして、そのまま働ける十五の年になった途端、「自分のことは自分でやりなさい」と社会に放り込まれた。そんな私が選んだのは、お客様の足を綺麗にするという、少しだけ変わった職業だった。


「エリカちゃん、いつも悪いねぇ」

「いえいえ、とんでもない。今夜は冷えますから、足も温めないとですよ」


 街の大通りから少し外れた、日の当たらない狭い路地裏。今日も私は、お湯の入ったボウルを持って、お客様──と言っても、ホームレスだけど──の相手をしていた。


「どうですか、このオイル。いい香りでしょう」

「あらま、本当ね。甘い匂いがするわ」


 このお婆ちゃんは、長らくこの路地に住んでいる。足の裏には、何キロも何キロも歩いたのだろう、深いシワが刻まれている。きっとこれまでの人生、とても大変な思いをして来たんだ。


「これはですね、季節の花をミックスしたアロマなんです。冬の花は、寒い中ずっとずっと我慢しているから、その分甘くていい香りがするんです」


 お湯から上げた足を優しく拭いて、アロマオイルを使ってマッサージ。長年の疲れが取れるように、優しく丁寧に、ツボを押す。


「お婆ちゃん、足先が凝ってますね。もしかして、鼻を悪くしましたか?」

「よく分かったね。実はつい最近、流行りの鼻風邪に罹ってしまってねぇ。幸い、ほんの数日で治ったけれど……。お金がないと薬も買いないから、罹りっぱなしで大変だよ」


 私は、このお婆ちゃんのつま先も好きだ。いっぱい頑張って、たくさん苦労して、それでも今日を必死に生きようとする足の色だ。だから私は、ほんの少しでもお婆ちゃんが喜んんでくれたらと思って、無料でマッサージをしてあげている。


 お婆ちゃんだけじゃない。この辺のホームレスは、ほとんどお客様だ。当然、全く利益にならないけれど、仕事の合間にやっていることだし、そして何より、皆んなが笑顔になってくれるのが嬉しかった。


「それじゃあ、お婆ちゃん。また来週、様子を見に来ますから」

「ありがとうねぇ、エリカちゃん」


 つま先を見るのが好き、足に触れるのが好き。そして、足から人を幸せにしたい。いつしか私は、そう考えるようになっていた。


 けど。


「お前のやってることは立派だ。だがな、経営には金が必要なんだよ」


 私が雇って貰っている、マッサージのお店。その店主である親父さんに、開口一番、こう言われた。


「何度も言ってると思うんだがな。ボランティアなんかじゃ飯も食えねぇんだよ」

「でも、休憩時間でやってるだけで……」

「『でも』も『だって』もねぇ。ホームレスの相手なんかするな。休憩中にそんなことをしてるなら、少しでも多く、金を稼いでこい」


 親父さんに叩き出され、私は渋々、街に繰り出した。空は澄んだ快晴だけど、私の心はどんよりと曇っている。


 そりゃあ、親父さんの言う事も尤もだ。お金がないからホームレスな訳で、そんな人ばかりがお客様じゃあ、商売あがったりだ。


 でも私だって、ホームレスばかりを相手にしている訳じゃない。ちゃんと客も取った上で、稼ぐばかりじゃダメだと思って、サービスみたいなこともやってるんだ。でもでも、私は親父さんに住み込みで雇われている訳だし、もし追い出されたら行くアテもないし……。


 とにかく、親父さんが満足するだけのお金を稼いでこなきゃ。そう思って顔を上げた時、掲示板にデカデカと貼り出されたチラシが目に入った。


「何なに……、『私を満足させなさい』……?」


 貴族が書く生真面目な筆記体で書かれた、その一言。

 広告の中から、強気なお姫様の声が聞こえてきそうだった。


「『スカーレットお嬢様は、暇で暇で仕方がありません』……」


 つまり、内容はこうだった。

 スカーレットお嬢様は宮殿暮らしに飽きあきして(……いるらしくて)、何でもいいから面白いことを求めている。だから、平民貴族の身分を問わず、お嬢様を満足させる人を募集している(ただし、年頃のお嬢様ということで、女性限定で)とのことだった。


 驚いたのは、その報酬だ。貴族にとっては、何てことない額かもしれないけど……。平民にとっては、喉から手が出るほどの額だった。


──これって、もしかして、チャンスなんじゃ?


 私は思わず、チラシに釘付けになった。


 もしお嬢様のお眼鏡にかなったら、多額の報酬が貰える。そうすれば、流石に親父さんも文句を言って来ないだろうから、今まで通り色んなお客様を相手にできる。


 それに……。


──お嬢様の足って、どんな感じなんだろう?


 分かってる。自分でも、気持ち悪いと思う。けど……。気になって気になって仕方がない。

 あのドレスの下に隠されている脚。赤いヒールに覆われている足裏。そして、靴先に閉じ込められたつま先。

 知りたい。見たい。触りたい。


 そんな九十九パーセントの好奇心と、一パーセントの不純な動機で、私は煌びやかな宮殿の扉を叩いたのだった。


 今となっては、少し前の話だけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る